ブログ「日々整体」

辞世の句を考えてみよう その1

『おもしろき ことのなき世を おもしろく 
 すみなしものは 心なりけり 』

高杉晋作の辞世の句です。 
ただ、実際に高杉が考えたのは、上の句である 

『おもしろき ことのなき世を おもしろく』 

までで、下の句は臨終を見届けようとした坊主がつけたとかいう話だったと記憶しています。 
下手くそな下の句をみて、高杉は、 

「おもしろいのぉ。」 

そう言ってそのまま亡くなったそうです。 

高杉晋作という人は萩藩の名家の生まれです。 
小説やドラマなんかだと萩藩は、長州藩と表記されています。しかし、実は長州藩という藩は存在していなかったそうです。明治の世がはじまった時にどうも明治政府が歴史をかなりねつ造したようですね。その捏造の1つが萩という小さな地域の地名じゃなくて長州と中国地方一帯をイメージするような表記に変えられた訳です。

実は、明治後の歴史のねつ造はかなりすさまじいものがあります。教科書に書いてある事や司馬遼太郎の小説にもかなり嘘があるので注意が必要です。 

彼が松下村塾に通っていたことは有名です。 
伊藤博文、木戸孝允などと同じ門下生でしたが名門の生まれということでかなり立ち位置が違います。高杉は毛利家に高い忠誠心をもっていたのに対して、この2人は毛利家を大切にしようなどという気持ちはほとんどなかったようです。 

伊藤博文の発言に、 

『松下村塾には読み書き算盤を習いに通っていただけでなんの思い入れもない。』 

なんていうものも実際に残っています。 
塾生たちは、吉田松陰の事を敬愛していたみたいな印象がありますが実際はそうでもなかったのです。そして、萩藩は伊藤博文、井上馨、木戸孝允らの3人によってクーデターが起こり毛利家は力を失ってゆきます。これはどうも日本で内乱を起こして武器を販売しようとするイギリス商人から資金が流れ込んでいたようですね。彼らが日本の未来を考えて倒幕したなんてのは実はかなり怪しいのです。


高杉晋作はこの流れを苦々しいと考えていたようで、

「万が一の時には、朝鮮に毛利家を逃がして私は一生奉公をする。」 

なんていう発言の記録が残っていたりします。 
小説やドラマなんかでは萩藩は長州と名を変えて美化されていますが、萩藩の実際はかなりドロドロしたものだった訳です。 

高杉晋作ほどの人であれば自分がもう亡くなるというタイミングで、 

「毛利家はもう残らない。」 

という事はわかってたことでしょう。
先にあげた彼の発言からもそれはみてとれますね。 

萩藩と毛利家の繁栄を守る立場として、萩の名家に生まれたのに、それを為す事ができす。状況に応じては、毛利家の衰退に手を貸すというような行動まで取ってしまった高杉晋作が、 

「おもしろき このなき世を おもしろく」 

と詠んだのです。

高杉晋作ほどの才能のある自分でも世の中はまったく思い通りにならかったのです。
それに対して、

「すみなしものは 心なりけり」 

世の中は考え方次第で面白くなるという下の句はまったく見当はずれだと思いませんか? 


高杉晋作はとても高い詩作の才能をもっていたのですけど、


「面白い事のない世を面白おかしく生きるのは、自分の心次第だ。」 


なんていうまったく面白みのない辞世の句になってしまいました。


辞世の句すら思い通りにいかない高杉晋作は、自分の一生を振り返って、 

「面白いのぉ。」 

そう皮肉をいって笑って死んでいったのじゃないかと私は思うのです。
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右肺が動かせていないらしい

ある日のお風呂で、右手の人差し指と中指の爪に縦方向の黒い線がはいっている事に気が付きました。
  
あとで、見直したら親指にも入っていました。
爪の様子は体調を反映して様々な形や色に変化します。黒い線が入っているのは、私の体の右側になにかしらの問題があるという事を意味していますね。 

さて、ジョギングをしていると日々、違和感や痛みがでる箇所があちこちに変化しています。 
これは、 

『大きな問題があってその問題を解消するために必要な事が起こっている。』 

という事です。 
実際、走り方はどんどん変化していて、多分ですけど、どんどんよい走りになってきているような気がしています。これから晩年といっていい年齢に入ってゆくわけですけど、今後もこの調子で走り込んでゆけば割とよい状態で老人の体に変化してゆく事ができるかもしれません。まぁ、昨年は相当ガタつくところまで行ってたように思いますから、ここからちゃんと建て直しができるかは、まだまだ油断は禁物でしょうけどね。

爪になんらかの変化がでるのは頸椎の影響だと考えるとよいでしょう。 
胸椎の影響も受けてはいると思いますが、頸椎の方がより直接的に現れるという印象です。親指、人差し指、中指の爪になにかがあるという事は、頸椎の1~5の働きに問題があり、右手にでるのですから頸椎も右側に何かあると考えて間違いないでしょう。 

元々、ジョギングをはじめて最初にでた痛みは右膝です。 
だから、頸椎を中心に考えるなら頸椎1~5の右側の影響で膝の運動に問題がでていたと考えるの無難でです。もう少し詳細に述べるなら、頸椎1~5、胸椎1~5、右の肋骨、右の肩甲骨、右手親指の付け根あたりの可動性がかなり低下しているという事です。だから、左手を頭の後ろに回し右手を背中側に回して手をつなぐという柔軟性を確認するポーズがありますが、私はとにかく右手が後ろに回りませんからまったく手が届きません。 

これはどういう事が起こっているかというと、右の肺をうまく使えていないのだろうと思われます。 
私は5種体癖で肺が中心になる骨格です。そして、運動をする事が大切な体癖でもあります。だから、何をするのにも利き手側の肺の働きというのは非常に重要なのですけど、それがうまく動かせてなかった訳です。これはもう何をやっても意欲が続かないし、成果もあがらないし、みたいな事になっていた可能性が高いですね。 

「Youtubeに動画をあげようと思っても続かなかった訳だ・・・。」 

というのがこういうところで判明します。 
こういうのは意思とか気持ちの問題ではなく体の都合でやれないと考えると解決します。意思が弱いとかいって自分を責めるのは私にはただの横着にしか見えません。 

ちなみに、これは私にだけ適用される特殊なケースではありません。 
先日、ツイッターで私と同じ事になっていると思われる人を見かけました。やり手のサラリーマンという印象で成果もきっちりあげているのですけど、ダメな体の状態で義務感とか責任感で仕事をやっていたのでしょう。 
ある日、起きたら布団が真っ赤な血に染まっていて救急車を呼んで病院に駆けつけました。 
すると、 

『切れ痔』 

という診断だったそうです。 
元々、ひどい痔に困っていたらしいです。肛門というか腸という器官は肺の子分みたいなものです。肺の動きが悪いと腸が肺の動きを助けるためにがんばりはじめ緊張を起こします。すると、腸に様々な問題が起こるわけです。まぁ、この方はいびきがうるさいと家族から苦情を言われいたようで、いびき外来なんかにもいっていたみたいですけど、そちらでも無呼吸にならないようになんていうトンチンカンなアドバイスをされていたのをツイートしていましたね。 

つまり、肺の動きが悪いせいで、いびきをかいて、そして痔になってみたいな事が起こっている訳です。 
それなのに医者にいくと、寝るときには酸素ボンベを付けましょうとか、腸を切ってしまいましょうとか言われるわけです。本当に問題を解決したいのであれば肺がちゃんと活動してあげられるようにすればいいだけなんですけどね。 

こういう事がわかっていると、人生は大きく変えられるでしょうね。 
私のように右肺がダメな状態では成果はあがらないし、逆に肺がダメな状態で成果をあげるぐらい努力してしまうと体は痛んで病気になってしまうという訳です。だから、私は、 

「体は必ずきちんとしておけ。」 
「努力に逃げるな。」 

といつも言っているのですけどね。 
動けない、意欲がでない時、それにはそれなりの理由がちゃんとあるものです。そういう理由をちゃんと把握して対処していかないと変な病気になってしまう訳です。私だったら膝が痛くなるし、紹介したサラリーマンだと切れ痔になるのですから。 

さて、そんな訳で問題は 

「私の右側の肺をどうやって動くようにしていくか?」 

という事です。 
今やっているジョギングを続けることでなんとかしてみようと思います。運動の負荷は少しづつあげてきていてそれにつれてあれこれと気が付いてきた訳ですからなんとかなるのじゃないかと考えています。
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眠りにおいて大切な事

ネットで睡眠に関わる記事を見かけました。


「眠りに関する7つの勘違い。」


とかいうような、頻繁にみかける見出しだったと思います。

その中の1つに、


『リラックスしましょう。そのためにヨガやストレッチをやりましょう』


なんてのが書いてありました。


私は例によってくだらない記事だと思うわけです。

そもそも、


「リラックスするってどういう事ですか?」


という点をはっきりさせないまま語られてしまっています。
人間がリラックスするとアルファ波がでるとか、1/fゆらぎが大切だとか、そのためにはクラシックを聞くのがいいとか、心を穏やかにして深呼吸するのがいいとか、まぁ、いろいろうんちくがあるわけです。


でも、よく考えてみてください。
音楽はクラシックじゃないとダメなんですかね?ロックやヘビメタを聴くとよく眠れるなんていう人も現実にいるわけです。実際、学生のころの私はボン・ジョビを聞くとウトウトしはじめてほぼ必ず眠りに落ちていましたけどね。


だいたい、


「リラックスするためには静かにして心を落ち着けなくてはいけない。」


なんていうのがおかしいと思っていいのです。
確かに、眠りに入るときにはそうかもしれませんけど、寝る前から心を落ち着ける必要ってありますかね?例えば、昼間、遊び回ってくたびれきってしまえばよく眠れる訳です。今は冬ですけど、夏の熱い日に河原でバーベキューした日の夜とか、家族で公園にでかけた後とか、前後不覚といっていいぐらいぐっすりと眠れた経験はありませんか?

テンションあげて活動をしていれば疲れてよく眠れるのです。
つまり、リラックスしたいのであれば、ある程度疲れればいいだけなんですよ。だから、緊張していはいけない、力を抜いて穏やかでなければいけないなんていうのはおかしいのです。むしろ、緊張することをした後のほうがよく眠れるはずです。


だから、昼間、お茶菓子食べながらずっとテレビみていましたという人が眠れないなんて言い出したら、


「そんなのは当たり前だ。」


と突っ込みをいれなくてはいけません。
そんな風に、ずっとリラックスしている人はよく眠れるかというと逆に眠りが浅くなってしまうことでしょう。当然ですけど、そんな人がヨガとかストレッチとかしたって意味はないと思っていいでしょうね。

だから、眠れないというのであれば、まずは熱心に仕事に取り組むのがはじめの第一歩に来なければおかしいのです。仕事がないのであれば、ジョギングでも、ウォーキングでも体を動かして疲れるのが一番てっとりばやいでしょうか。このときに、どうしても仕事に集中できないとか、運動を継続できないとなれば私のような人間の存在が必要になってくるのです。

あと、あれこれ悩みがあって気持ちが落ち着かないなんてのは私にも普通に起こることです。
だから、まったく寝付けなくて困った日もあるし、悩み事が長引いてずっと悶々とする日々を過ごした事もあるでしょう。そういうのを、


「ヨガやストレッチでリラックスしましょう。」


簡単に片付けるのはちょっと違いますね。
もっと言うなら、私にだって酒を飲んで寝るしかないなんていう日はあるわけです。だから、何をしても眠れない日はあるし、そういうのは別に異常でも問題でもないとまずは考える事です。

眠りについてはいい加減な記述を頻繁にみかけます。
眠れないのはなぜか、それは簡単で、


「気持ちが落ち着く状態ではないから。」


というのがほとんどです。
体の中がぐちゃぐちゃ、例えば天候が崩れて荒れた海を想像してみてください。
そんな状態で深呼吸、ヨガやストレッチをしたぐらいじゃ落ち着く事はありません。つまりリラックスできない状態であるという事が問題だという事で、そこをすっとばして訳知り顔で語る人が多いという事に注意が必要です。

眠れない時は、まず起きておくことですね。
たまに寝ておかないと病気になるとやらと不安になる人がいますが、2~3日眠れないぐらいで人間の体はどうにかなったりはしませんから心配いらないです。そして、ちゃんと眠れなければ体が辛いのは当たり前の事です。その当たり前をちゃんと受け入れて、どうしても眠れない日が続くようなら、私のような人間のところへ相談にいくことです。

あと、薬では意識を失っているというだけ睡眠とはまったく事なる状態です。
安易に睡眠導入剤に頼ると辞められなくなって人生そのものが狂ってしまいます。そんな事にならないようにして欲しいと思います。
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2021年の課題と目標について

昨年はやろうと思っていた事の大半ができずに終わってしまいました。

あれこれと段取りはしたのですけど実行できずしまいです。なんでかというと私自身の体調がいまひとつだったからでしょう。前回の記事でもちょっと述べましたけど、案外早くに死ぬかもしれないなぁなんて考えるぐらいですから、体調の悪さは相当なものだったといえます。


一応、持ち直してきてなんとかなるのではないかという感触はつかんでいます。

だからここらあたりが正念場なのじゃないかと考えています。たぶんですけど、昨年まで数年が私にとっての更年期という時期だったのでしょう。


ちなみに、更年期という言葉を説明なしで使うとほぼ全ての人が意味を間違えます。

更年期というのは、成人から老人へ体が変化する過程の事です。だから、更年期障害なんての治す必要はなく、その変化をスムーズに行う事ができるぐらい健全な状態をたもっていればいいだけの話です。


私はこの変化を、


「芋虫が蝶に変わる変化を想像するといい。」


と説明しています。

芋虫はさなぎのなかで体を一回ドロドロに溶かして作り直すらしいですね。人間の場合は、それほど見た目の変化はないかもしれませんけど体の中ではそれぐらい大きな変化が起こっている訳です。ちなみに、厄年というのは、ちょうどその変化の起こりやすい時期の事ですし、占いなんかでいう大殺界なんてのもこの時期の体の変化を意味していますね。


逆にいえば、健全ではない人が更年期障害なんていわれる訳です。

一昔前ならこの時期の変化に耐えられなくて亡くなってしまう人が多かったのかもしれません。ただ、今でも死ににくくなってはいますけどスムーズに変化をできないのでは健全な状態とはいえません。だから、体にいろいろ抱えている人が多いのは多くの人が実感しているのじゃないでしょうかね。


医者なんかにいくと、


「更年期障害です。」


なんて事をいわれる人が頻繁にこられますけど、その発言をする医者は『更年期障害』とはどういうものかきちんと説明ができるのか確認をしてみるといいですね。確認は簡単で、


「更年期って、更年期障害って何ですか?」


と聞いてみればいいのです。

専門家や医者から納得のいく返事が返ってくることはまずないことでしょうね。更年期という言葉もまた便利使いされているワードの1つで、あなたが年を取ったことが原因で、我々医者や医療には何の問題もありあませんという責任回避をするためだけに使われている訳です。


さらにちなみにですが、昨年あたりから『老化=病気』という考えが流行はじめています。

私にいわせれば医学が見えていない把握していないものがあまりにも多いのです。それで、そういうものをほったらかしにしてインパクトのある風呂敷をひろげている訳ですから、中身がスカスカになっていると感じられます。何しろ、更年期の事すら理解が及んでいない、まともに把握もしていないのですからね。


そういう具合に、一部部分しか見えてない人が他人の人生や生き方に偉そうに口をだしてくるのです。世も末だなぁと、本当に思います。


話を戻します。


「今年は何をしたらいいのだろうか?」


と考えてみるのですけど、今はまだまだじっとしている時期のような気がしています。当然、じっとするといっても何もしないわけでもないのですけどね。たぶん、行動を起こす必要が生じるその時に備えてしっかりと準備をしておくことが大切なタイミングなのではないかと考えています。昨年末からはじめたジョギングなんかもその中の一つといえますね。


そんな訳で、今年もまだまだとろとろと整体という仕事を続けることになりそうです。

まぁ、今、体をみさせてもらっている人たちがしっかりと元気になってくればかなり忙しくなってくるとおもいますけどね。今年こそ、きちんとけりを付けて次の段階に上がる年にしたいと思っています。

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ジョギングをはじめました。

昨年末からジョギングをはじめています。 
自宅のすぐそばにグランドがあるのですけど、1周が250mほどでしょうか、そこをまずは5周走ってみました。一気に走るだけの体力はありませんから、1周ごとに休憩をいれながら、休み休みの5周です。 

翌日は1周追加して6周、という具合に毎日1周づつ増やしてゆきます。 
年末には10周をこえるようになりました。最初、1周目の後半でもう息があがっていたのですけど、いまでは息が上がることはほぼなくなってきました。 

私は運動をあまりすすめません。 
なぜなら、やりすぎる人が多いからです。だから、運動がやりたければある程度元気になってからはじめなければいけないと考えています。 

理由は、不調があると身体感覚がぼけてしまうからです。 
不調があるとどうしたって、 

「元気になるために頑張って体を動かす。」 

という意識が生まれてしまいます。 
その結果、運動の負荷がおおきすぎてかえって体を痛めてしまう人が多いのです。 

運動というものは体の欲求に従っておこなうことが理想です。 
ですから、元気になるためにやってしまうと負荷ややり方を間違えてしまうのです。簡単にいうなら、 

「走れば走るほど元気になる。」 

という勘違いをしてしまうわけです。 

しかし、現実はまったく反対です。 
運動を毎日やっているスポーツ選手と読書が趣味で外出はほとんどしませんという人ではどちらの方が怪我をしやすいか?考えるまでもなくスポーツ選手の方が怪我をする確率が高いのです。運動の負荷はあげればあげるほど怪我、ひいては病気を呼び込んでしまうということです。 

そういえば以前に、 

「走るのを辞めたら死んでしまうという走り方をしていますね。」 

と声をかけた人がいました。 
足の疲労の状態をみたらあきらかにオーバーワークだと感じたからです。 

すると、 

「辞めたら死んでしまう。」 

と本当に考えていたとおっしゃっていました。 
こういう具合に運動をすることで体がよくなるという考えにとりつかれてしまうわけです。こういう具合に、強迫観念にとらわれて体を痛めるような運動のやり方をしてしまう人がいる訳です。 

ジョギングをする人を頻繁にみかけます。 
でも、だいたいの人はあまりよいと思える走り方をしていません。 

『走ることが体に良い。』 

というような機械的な思考では長くはつづけられませんし、続けてもかえって体を痛めてしまいます。何を隠そう私自身も2年ほど前に同じようにジョギングをはじめていたのです。でも、足を痛めて辞めてしまいました。痛みは数ヶ月ほどつづいて、走ることが怖くなってしまったね。

余談ですけど、私の体は万全だと勘違いしている人が多いです。 
しかし、結構ダメな事になっています。実は昨年の中頃には、早ければ今年中に死んでしまうかもしれないと考えていたぐらいですから。 

それが変化したのが昨年11月ごろだったでしょうか。 
私が妙に辛そうにしていたのに気が付いた人もいましたけど、その時期に体の様子がちょっと変化しました。それで、たぶん今年死んでしまうことはないだろう思えるようになっています。長々と生きるつもりはありませんが、今、関わっている人たちにはきちんと元気に生活できる体になってもらって、それから死んでいかなくてはいけませんから、ちょっと運がよかったかもしれません。 

話を戻します。 

さて、 

「運動したいという人はどういう具合に運動するべきか?」 

なのですけど、やはり運動に関しては目標を持つべきでしょう。 
どのような体になりたいのか、どれぐらい元気なりたいのか?そういう目標でいいと思います。なぜ、目標を持つべきかというと、目標がなければ体を動かすことが目的になってしまうからです。 

例えば、ダイエットをしている人が夜遅くに食べるとダメだとかいって、18時にバカ食いしてしまうなんていうことを防ぐためです。こういう具合に、目標がずれてしまう事に気が付かず、ただ闇雲に体を動かしてしまうと面白くありません。ダイエットならたいていの人がきがつくのでしょうけど、運動に関しては専門家でもおかしな事をいっているのを頻繁にみかけますからね。多くの人が勘違いをしてしまうのは仕方がないことです。 

私であれば、毎日グラウンド20~30周ぐらいでしょうか。 
まずは、それぐらいの運動を毎日つづけられるようになることが目標です。当然ですけど、仕事もしながらですから結構ハードな生活になってくるはずです。そのハードな生活をすいすいこなせるぐらいの体の状態を目指したいわけです。 

あと、ダイエットです。 
昨年の長期休みのあとかなり太ってしまいましたから、贅肉を落としてしっかりした体作りをしたいと考えています。そうでなければきちんと整体ができませんからね。まぁ、春頃にはそこそこのイケメンになっているはずですので乞うご期待というところでしょう。 

さて、こんな事を考えていたら、とある銭湯で箱根駅伝の放送を見しました。 
走り方をみているとやはり大半の学生はそれなりのフォームで走っているように見えました。ただ、一部の学生は明らかに誤った走り方をしていました。そういう学生でも上位にこれてしまうあたりが走るという運動のややこしいところです。誤った走り方をしても早い人、適切な走り方をしていても遅い人がいるというです。 

ついつい、速ければ速いほどいいなんて考えてしまいませんか? 
そこがそもそもの間違いだということなんですけどね。適切な体の動かし方をしたときに速くはしれるか?それは、やはり適切な体の使い方を理解して実践、その結果、どうなるかはやはり生まれ持ったものがでてくるだけの事だという事です。 

まして健康を考えて走るのであれば、速ければいいのでもありませんし、長く走れるのが言い訳でもありません。 


「どういう走り方が自分の健康に役立つのか?」 


そういうところから考えないと行けない訳です。 


「運動で体を変えるのは難しい。」 


いつもいっている事なのですけど、なかなかこのあたりの事は理解してもらうが難しいのですよね。
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