ブログ「日々整体」

怒りという感情をコントロールする方法

私は今の政府にとてつもない大きな怒りの感情を抱えています。
理由は、単純で仕事を停止せざるを得ない状況を作ったからです。前にも書きましたが、武漢の閉鎖が1月23日、それを2ヶ月放置して、今の状況を作り出しました。そして、それから早1ヶ月、まだだらだらとまともな対応をしないで放置しいてる状況です。

一般の人にちょっと伝わりづらいのは消費税の扱いでしょうか。
サラリーマンでもきついと思いますが、私のように小さい事業をやっているとこの状況ではもうありえない税金です。例えば、小さな飲食店で年間3000万円ほど売上げがあったとしましょう。それが今年半減して1500万円になったとしましょう。

事業は大赤字な上に、さらに150万円徴収されることになります。今の政府は、それを


「貸付しますから、それで払ってくださいね。一応、無利子だよ。」


といっています。
雑ではありますが、数字をまるめて考えると、これぐらいの飲食店の売上だと手取りがたぶん500万ぐらいになりますかね。もしかしたらもっと少ないかもしれません。そこから150万かっさらっていくのが消費税です。

私なんかだと家賃以外に固定費用なんてほぼありませんからまだなんとかなる訳ですが、飲食業はすでに営業の継続は無理になっているでしょう。借り入れして延命しても客はこない、廃業しても借金が残るだけという状況であろう事は想像するのが簡単です。間違いなく、自殺する人が飛躍的に増えてくるでしょう。3月のニュースでは、2週間で電車に飛び込んば人が30人もいたなんてやってましたから、これはもう始まっていると思われます。

その上で、先日の「夜間の接待飲食サービス」の営業自粛です。これはもう間違いなく全部潰れるでしょう。それにともなって失業者はいったいどれぐらいでるでしょうか?


「東京都と政府は、失業者であふれかえった街で、ホームレスを観客にしてオリンピックをやる気でいるのか?」


私は腹がたって仕方がありません。


あと、心配しているのは日本経済がそうやって壊滅したあとの再生です。
今の政府にいる連中は、中国資本をいれてどうにかしようと考え始めるかもしれません。そんな事になってしまったら、日本人の尊厳とか誇りとかすべて踏みにじられるでしょう。もう日本は終わりです。安倍晋三は日本という2000年以上つづいた国家を崩壊させた政治家となることでしょう。ちなみに、悲惨な事になっているイタリアは、在住している人間の20%が中国人だったそうで、イタリアは中国に経済的な侵略を受けていたわけですね。これは対岸の火事ではなくて、明日は我が身の話です。そんな報道を聞いているとふつふつと中国にも腹が立ってきます。


あと、もっとも腹がたつのが国民の怒り、不安、批判を民間企業だったり、個人だったりに向ける安倍首相のやり方です。
K1については前にも書きました。YouTubeでみたのですが、ホリエモンがぼやいていました。ホリエモンは、これからさらに収入が減っていくことになるから、その状況でどのように仕事をして、生活の糧を確保していくのか、そういう事をテーマに勉強会を開いていいたそうです。専門家にきちんとアドバイスをもらって、50人程度の規模に押さえてマスクを配布、参加者が密集しないように、換気もしながら開催していたそうです。不安を感じている若者たちに希望とか未来とかそういうものを渡そうとしてるわけで、私自身はホリエモンという人間はすかないですけど、それでも彼の感覚とセンスには一目をおいていて、応援したいと思えるような内容です。それが、あちこちからの苦情、クレームの嵐で潰されてしまったそうです。

さて、このやり方ちらりと前にも書いたかもしれません。
安倍晋三という人、このやり方を多用します。どういうことかと言うと、ホリエモンに電話をかけてイベントをやめさせた連中は安倍政権を支持するようになります。韓国との外交関係が悪化してるなんて話はもうずいぶん前だったような気もしますが、韓国への反感感情をつかって自身の支持率をあげるという事を彼はずっとやってきていました。安倍政権のよいところに外交姿勢をあげる人が多かったのを知っている人もいるでしょう。彼は、それに味をしめてしまっているのじゃないでしょうかね。

よい政治家というのは、様々な立場や思惑をもった人たちに、満足できる理想を掲げて協力関係を作ることができる人ではないでしょうか。意見の違う人を叩き潰すようなやり方する政治家を私は認めることができないですね。


こんな具合に私は日々腹を立てています。
もっともいいのは情報をいれるのを止めて穏やかに過ごす事なのですが、今後の立ち回りは、政治の動き方をみながら慎重に決めていかなくはいけないので情報を集めていかないわけにもいきません。こんな事になるのがわかっていたら整体師なんてやめて、政治家にでもなっておくのだったなぁと思ったりもします。今の日本で、もっとも不安を感じないでいられるのはおそらく政治家でしょうからね。



さて、多くの人が怒りという感情について間違った認識をしています。
だから、


「人間は、怒りという感情をコントロールしなくてはいけない。」


というような論調をよく見かけますが、コントロールすることは不可能です。理由は、怒りという感情はエネルギーであるからです。


「エネルギーをコントロールする。」


どういうことか考えてみてください。


怒りという感情は、次から次へと沸いてくるものです。
もちろん穏やかな環境、よい人間関係を築いている人にどんどん怒りの感情が生まれてくるという事はありません。しかし、今の社会でそんな生活をしている人など皆無といっていいでしょう。長年、連れ添った夫婦が、


「小さな不満が積み重なって。」


なんていう理由で離婚した人の話などいくらでも聞いた事があるのではないでしょうか。


怒りという感情がどういうものかとうと、川の流れをイメージするとわかりやすいと思います。
多くの人がやってしまうのは、ダムをつくってその流れを堰き止める事でコントロールしようとしてしまう事です。しかし、貯水できる以上の雨が降ってしまうと必ずダムは決壊します。我慢の限界とか、キレるとか、そういう言葉は貯めておける怒りという感情の限界を意味している訳です。


だから、怒りの感情は適度に放流する、怒りの場合は発散という言葉がいいでしょうか。


「怒りは適度に発散させてあげるという事が大切です。」



その具体的な方法ですが、もっともわかりやすいのは体を動かすことでしょう。
怒りという感情はエネルギーですから、そのエネルギーを体を動かすことで消費するわけです。だから腹がたったときには、ちょっと汗をかくとすぐに発散されます。ウォーキングだったり、山登りだったり、ジョギングだったりが流行るのは多くの人が、怒りの感情をうまくコントロールするためにやっているのかもしれません。

映画を見たり、コンサートにいったり、買い物したり、友達とおしゃべりするのも発散になります。

微妙に違うと思うのですけど、


「ストレスの正体は怒り。」


なんて考えてもいいかもしれません。


バブル崩壊時にカラオケが流行しましたが、カラオケで歌うのはエネルギーの発散としてもっとも効率的ではないかと私は思います。まぁ、今の状況でカラオケにいくわけにはいかないでしょうが、スイッチやPS4にはカラオケのアプリがありますのでそれで歌うのはいいやり方です。怒りの発散にはとにかく大きな声をだすのがとても効率がいいと思います。

外出禁止になっているヨーロッパやアメリカでは、朝目がさめたら一斉に玄関にでて手を叩くなんて活動をやっているそうですね。
そういう具合に音をだすなんていうのもよい方法です。

子供なんかはエネルギーの塊みたいな存在ですから、音がでるものをみつけるとそれに手を伸ばさずにはいられません。


「うるさいからやめて。」


なんてやっていると、子供はエネルギーをもてあまして落ちつかなくなったり、病気になったりしますから可能な限りやらせて上げることです。


また、何を隠そう、私にとって書くという事は発散になります。だから、書き始めはイライラしていましたが、だいたいぶちまけてしまったので落ちついていてニヤニヤしながら書いています。この記事はたんなる私の発散なのです。


怒りはエネルギーですから、そのエネルギーの発散方法などいくらでもあります。

もっとも理想的な発散方法は、そのエネルギーを創造につかう事です。
芸術でも、文学でも、化学でも、物理でも、家事でも、運動でも、仕事でも、なんでもいいのです。怒りというのはただのエネルギーで、そのエネルギーの使い方など無限に存在しています。だから、実は、怒りという感情の強いひとほど社会において大きな業績を残していたりします。

エジソンなんかは、好奇心でもってあらゆる発明をした人だと思いますが、アインシュタインなんかは怒りのエネルギーで相対性理論を導き出したんじゃないでしょうかね。何に対して怒っていたかなんて想像もつきませんが、非常に気むずかしいい人だったなんて聞きますから、たぶんそうじゃないかと思います。

まぁ、こんな天才たちの領域までいこうと思うと相当腹をたてていないと難しいです。
我々一般人はまず体を動かして声をだして、そういうところから怒りという感情をうまく発散してみましょう。慣れてきていろいろ怒れるようになってきたら、その怒りをうまく使って様々な事ができるようになるはずです。


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不安、恐怖を解消する方法

昨日、Facebookで、

「息子が花崗岩をうって金儲けをしようとしている。」

という話を書きました。コチラ
ところが、もうちょっと話を聞いてみると全然考えている事が違ったようです。

息子は、メルカリで花崗岩がコロナに効くと売られていると聞いて、


「もしかしたら本当に効果があり、感染予防になるかもしれない。」


と考えているのでした。
振り返ってみると、もっと前からずっとそういう事をいっていたのですが、それをバカな冗談だと切り捨ててしまっていました。

石を探している時に、10kg以上もあるような大きな岩を見つけて、それを持ち帰ろうとしていたのです。


「それは墓石に使うのか?」


なんて言って笑っていた自分が恥ずかしくて仕方がありません。息子なりに、この世の中の状況でできることを探していたのですから。


私はこれを書き終わったらもう一度、コロナに効く石を探しにいこうと思います。



さて、多くの人が不安になっているかと思います。
私だって、不安で仕方がありません。私の場合、感染して死んでしまうというような不安ではありません。このまま社会が壊れていって、自分の家族や、私が関係をもった人たちがその崩壊に巻き込まれていくのではないか?そんな事をずっと考えてしまっています。それで、この状況を変えてくれるニュースがないかとずっとヤフーニュースなんかをチェックしてしまっています。
これ、

「不安になったときに多くの人がやって、さらに気持ちが落ち込んでいく行動。」

という事で、話には聞いていたヤツです。


「おいおい、俺も同じことやっちゃっているよ。」


と気がついて笑ってしまいます。
昨日の夜なんかは、ニュースがネガティブ一色になってしまって暗澹たる気持ちになりそうになっていましたからね。人間というのは同じ状況におかれると皆がほぼ同じ行動をとるようになるというのは知ってはいましたが、それを実際にやってしまう自分を発見すると可笑しくて仕方がありません。


さて、不安という気持ちですがどうやって感じるものか考えた事があるでしょうか?
大半の人は脳の情報処理で、未来の事に希望が持てない時に不安になるとかんがえるのかもしれません。でも、それは大きな間違いです。

不安症の人は、


「気持ちを前向きに明るい気分で生活しましょう。」


こういう事を言われませんか?
それで不安症が解決した人はいるでしょうか、おそらく一人もいないことでしょう。それはどうしてかというと、不安という気持ち、感情が脳の働きによるものではないからです。


不安という気持ちの正体はみぞおちの緊張です。
胃に穴があくなんていう表現がありますが、みぞおちの緊張と胃の緊張というのは同じものだと考えて差し支えがありません。そして、この緊張はたいていの場合、頚椎7番左側の緊張が起こすものです。

だから流れが逆ですね。
みぞおちが緊張している時に、脳は、

「今、自分は不安を感じている。」


と判断するのです。


さて、この不安を解消する方法ですが、たいていの場合、


「心を落ち着けてリラックスしましょう。」


なんて事をいわれることと思います。
しかし、みぞおちが緊張した状態でそんな事ができるのは、イエス・キリストか釈迦ぐらいのものでしょう。難しすぎて一般人にはあまりおすすめできない方法です。


ですから、私はもっと簡単な方法をおすすめしたいと思います。
それは、


「みぞおちの緊張を他に移す。」


というやり方です。
実は、筋トレで体をきたえようという人はたいてい気が弱いのです。みぞおちの緊張が強くなりがちなので、筋肉の量を増やしてその緊張を体中に分散させるのです。そうすることで、不安を感じにくい体に変化していきます。

私は、野球選手の清原を例によくあげますが、彼は残念ながら気が弱い人です。
金スマでしたっけ?自分が入団する球団を決めるのに母親の後押しが必要だったという話が紹介されていました。ドラマ仕立てで美談として放送されてましたが、私は見ていて

「女々しいやつ、自分のことは自分で決めんかい。」

と思いました。
日本シリーズの西武対巨人で、9回ツーアウトの場面でグラウンドで泣き出してしまったというエピソードも多くの人がご存知でしょう。こういう人はみぞおちに力が集まりやすいので過剰に筋トレをやってしまう傾向があるわけです。体がゴツくなるからそういう風には見えないかもしれませんが、麻薬に手を出してしまった事から考えても彼は死ぬまで筋トレをやり続ける事になるかもしれません。


体を動かす事です。
清原みたいにムキムキになる必要はありません。可能であれば、丹田から恥骨にかけて力が集まる事が意識できれば理想だと思います。ただ、丹田を意識してみたいな事は結構ハードルが高いのが現実です。運動の苦手な人はまずなんでもいいので体を動かす事です。継続していれば体の動きがかわってきますからその時に、いろいろ気がつくことがあるはずです。

体を動かす時に注意することはマニュアルに頼らないということですね。
理想的な手足の動かし方なんてできる人はやはり、イエス・キリストとか釈迦とかそういう人です。自分の体の動きが悪いところ、よく動くところ、そういうところを探しながら体を動かすといいですね。

種目はなんでもいいでしょうが、できれば全身を動かすものがいいですね。
ただ、ラジオ体操みたいに完全にテンプレート化されたものは面白くありません。だから例えば、ウォーキングをするのであれば平坦なところを淡々と歩くのではなく、上りあり下りありという具合に起伏のあるところで、毎日コースを変えながら歩くのがいいと思います。

注意点は2つあります。
1つ目は、やりすぎないという事です。清原みたいに筋トレ中毒になってしまうとその行き着く先は薬物というのはほぼ確定しているといっていでしょう。ほどほどに、雨が降ろうが雪が降ろうが毎日少しづつ続けるという事がポイントです。外出できない方には青竹踏みをすすめますのでお試しください。

2つ目は、一部、運動が向いていない人がいるという事です。
4種体癖というのですが、この体癖の人は運動をすればするほどみぞおちに力が集まってしまいます。細身で食の細い人は、こういう傾向がある事を考慮しておく事です。こういう人だと運動すればするほど不安が高まるという傾向があるはずです。(もしかしたら清原は4種体壁の成分がまじっているかもしれません。)

こういう方は、カンにすぐれ芸術的センスにすぐれている傾向があります。
音楽だったり、絵だったり、文学だったり、そういう事に取り組むとみぞおちの緊張がゆるんでいくはずです。運動が向かないと感じた場合は違うやり方を模索するといいでしょう。こういう方はすでに、そういう事を趣味だったり仕事にしているはずです。ただ、趣味だった場合、なんらかの理由(たいていはくだらない理由)でやめちゃっているケースがありますから、振り返って昔取り組んでいた事を思い出してみてください。



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視点の高さと不安、恐怖、そして免疫力の関係

「人間の本性は逆境の時に現れる。」

これは何を隠そう私の言葉です。
30代前半のころに思い至ったことですが、割といい言葉を思いついたなぁと考えています。だから、きっと歴史上の偉い人も似たような事をいっているはずです。


今、世の中は新型コロナウイルスで大騒ぎになっています。
この状況はすべての人の本性があらわになっているといっていいでしょう。この本性ですが視点の高さで考えるとわかりやすいのではないかと、ふと思ったので試みたいと思います。



まず、今回の新型肺炎に対する視点がもっとも低い人がどういう発言や行動をしているかニュースからひろってみます。
あらゆる興行が自粛ムードのなか、K1というプロレス団体が試合を開催しました。観客は6千人ぐらいでしたっけ?こういう状況で開催するということで、大きく批判されました。どっかの新聞記事だと、政府高官が、

「国賊め!」

と発言していたと報じていました。
この新聞社と某とかいう政府高官はもっとも視点が低いといえます。ネット上をさらっと流し見ていると、それに同調する意見が多く見られましたが同様に視点が低いと言えます。


これは確か千葉県だったと思うのですけど、千葉県の知事はこの人達よりは視点がちょっと高いのではないかと思います。
知事は、K1団体に何回も中止を要請したそうです。その要請を受け入れる事ができずK1団体は興行をおこなった訳ですが、実は知事には中止にできる権限をもっていたそうです。詳しい条文は確認していませんが、会場の利用規約9条に不適切な会場の利用は管理側の命令で中止できるというような条文があったそうです。それにも関わらず、知事は要請しかしなかったわけですね。権限を発動して責任をとりたくなかったんでしょうか。だから、この開催において感染が広まるような事がおこっていれば、この知事は、

「国がちゃんとしてくれていれば・・・。」

なんて責任逃れをすることが間違いないでしょう。

さらに東京都知事が昨日、緊急の記者会見で深夜の飲食店にいくのを辞めるよう要請していました。
記者が、


「その要請では飲食店が経営にいきづまることになりますが保証はないのですか?」


と質問すると、


「それは国がやることですので。」


という答えをしていたそうです。
まぁ、たぶんですが、志村けんさんが亡くなったタイミングでこのような発信をしたら都民が言うことを聞くと思ったんじゃないでしょうかね?でも、こんなやり方で同意ができるのは同じ視点以下の人たちだけでしょう。

千葉県民と都民はこういう人を知事にしてしまったこを恥じてもいいかもしれません。でも、こういう本性って逆境でなければ表にでてきません。こういう人は平時に耳障りのいいことをいうのが得意ですから騙されるのは仕方がありません。


もうちょっと視点が高い人だと、


「ちゃんと保証をして休業できるようにしてあげなくては。」


なんて事を言うのじゃないでしょうか?私の視点はたぶんこのあたりじゃないかと思います。都知事や県知事より視点が高いと自称するのはちょっと具合が悪いとは思うのですが、さきに紹介した知事たちはなんぼなんでも視点が低すぎです。


さらに視点が高い人はどんな事をいっているかというと、経済的な打撃に目を向けていますね。
適切にデータを分析しながら、リスクを最小限にしながら経済的な損失を最小限に、その上で発生した損失をどうやって補うのか?そういう事を考えて発信しています。このぐらいにまで視点が高まってくると、海外の影響も考え始める人がでてきます。

韓国はもうおそらく破綻する可能性高い、そしてEUでもイタリアは瀕死です。
国境がなかったせいで新型コロナウイルスはヨーロッパで大きく広がってしまいました。アメリカも大変な事になっていますから、その影響は日本にも確実に及んできます。それで、アメリカなんて経済対策で200兆円ですか?それぐらいやるって話で、ヨーロッパもそれぞれ国に準じたお金を投入するわけですが、それに同調しないでいると日本経済は壊滅する可能性もあるみたいですね。


「それで、各国の首脳が電話で相談してたのか。」


なんてわかります。
視点の高い人の話を聞いていると面白いです。


それで、このあたりの話を聞いていて教わったのですが、経済的な損失が大きくなった直後にファシズムが誕生するらしいです。
ヒットラーもそうでしたし、かつての日本もそうでした。人々は、生活に困窮すると強固な権力をもった独裁者を求めるようになるそうです。それでふと気がついたのですけど、

「暴走した武装集団が財務省の官僚を何人も殺害した。」

なんてニュースが流れてきたら、たぶん、

「自業自得だ、ざまーみろ。」

と思ってしまうなぁと・・・。

やはり視点の高い人の話は面白くてうんちくに富んでいます。
私は心の中で思うだけで、口には出さないようにしようとよくよく自分を戒めておこうと思います。


ちなみに、2.26事件は恐慌のときに起こったクーデターですが、暴挙にでた青年将校たちにたいして軍の上層部は、

「気持ちはわかる、しかし、辞めろ。」

と言って説得しようとしたそうです。
今、そういう事がおこったら安倍総理はそんな事をいいそうな気がしますね。


そして、さらに高い視点の人がいて、その人たちの考えは、


「これは世の中が大きく変わる転換点だ、これを機会に世界がよりよい形に変わるに違いない。」


というものでした。
その心については、省きますが詳しく聞いてみるとなるほど、世の中がよりよいものに変化するのは確かにこのタイミングしかないという事が納得できました。


こういう具合に視点の高さが違うと同じ状況でも、見え方と、考え方が全く違ってきます。
そして、その視点が高くなるにつれて不安、恐怖という感情が薄れていくのがわかるでしょうか?ここで、紹介したように視点が高くなるにつれて新型ウイルスに対する恐れが小さいのです。もちろん不安や恐怖が皆無ではないと思うのですが、それにちゃんと向き合えますし、ある一定以上に視点が高くなると希望や期待まで見えてきます、


私は病気と戦うなんていう言葉はナンセンスだと考えています。
なぜなら、病気というのは敵ではなく味方だからです。でも、今、それをいっても新型コロナウイルスが味方だと思える人は皆無でしょう。新しく生まれた病気で、それを恐れて不安を感じてしまう、それは私でも同様の気持ちがありますから仕方のない事だと思います。だから、今はまだ、

「病気と戦う。」

ということでいいと思います。
でも、この新型コロナウイルスと戦うってどういう事なのかをよく考えてみてください。


「K1団体は国賊だ!」


とののしる事は恐怖に負けて逃げているだけです。
もちろん、家に引きこもって、ブルブルと震えている事が戦うということでもありません。


病気と戦うっていうのは、不安や恐怖と向き合っていく事です。
ちゃんと向き合う事ができれば視点が高まって行くのです、そうして多くの人が視点が高まった時に、社会とか世の中とかそいういうものがよりよいもの変わっていくはずです。それができた時に、私達人間は新型コロナウイルスとの戦いに勝利することができるのです。



「不安、恐れという感情は免疫力を下げてしまう。」


という事について今更説明をする必要もないでしょう。
だから、我々は逆の事をやればいいのです、不安と恐怖にちゃんと向き合って、その上で私達はどういう人間でいたいのか、どういう社会であったらいいのか、それを考え直してみましよう。それができれば免疫力がどんどんたかまっていくのですから。





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新型コロナの見分け方がわかりにくいらしい・・・

先日、紹介した新型コロナウイルス感染の見分け方がちょっとわかりにくいらしい・・・。

「見たけどわかりませんでした。」

と連絡をももらいました。
このあたり、体の様子をみてのものではないのですから、残念ながら明確にできない境界線あたりの方というのはいるということでしょうか。ただ、話してみると9割9分違うなぁとは思ったのでそういう具合に答えました。


ただ、この時期は微熱がでやすいタイミングなので、怯えてしまっている人も多いのではないかと思います。
Facebookの方で計算した内容をちょっと書いておきましたが、大阪において感染する確率は年末ジャンボ宝くじの1等よりちょっと高いというぐらいです。事実上ゼロといっていい計算結果になります。手洗いうがいをちゃんとやっていれば感染する確率はさらに下がるので感染する方が難しい状況です。一応いっておきますが、こういう仕事をしていますが工学部卒のバリバリ理数系人間なので確率の計算なんかは苦手にはしていませんので。

私自身は、この新型コロナウイルスは年をまたぐと思って対応した方がいいと考えているので、どういう形で仕事を再開するかを考え中です。リスクがこんなに低い状態で、そんなに長く休むわけにはいきませんから。

今回の休みですが、私にとってはちょうどいいタイミングだったようです。
実は今朝から右肩が痛くてうまく動かなくなっています。今朝、体を動かそうと木刀を振っていたら気がついたのですが、仕事をしないで休んでいると傷んでいた箇所の修復がはじまっているようです。


「治る」という言葉の定義について考えてみてください。
多くの人は、痛みが消える事、熱などの症状がなくなることを治ると考えていますがそうではありません。痛みがでる、熱がでるというのは体を平衡状態に戻すために起こる事です。平衡という言葉がわかりにくければバランスがとれた状態に戻るという事です。

そのバランスがとれた状態に変化する時に、痛みや熱がでます。
つまり痛みや熱がでている状態はバランスがとれた状態に戻っている途中であるという事です。私がいつも言うことですが、このバランスをとろうとする体の働きをとめる事を治すとは言いいません。


「それはちょっと痛がっておいて。」


といつも言うのはそういう事です。

これはガンみたいな病気で考えるとわかりやすいのじゃないでしょうか。
ガンは、体のバランスを健全な状態に戻す働きが起こらない人に起こる病気です。つまり、病気をしない人、熱がでない人にガン細胞が生まれるという訳です。ガンという細胞がなんのために、どうして生まれるのかわかっていないわけで、亡くなった人の体の様子をみたらガン細胞がいっぱいできたから、

「ガンで死んだ。」

なんて言われますが、それは大きな勘違いでしょう。


簡単にいうなら、


「ちゃんと病気になっていればガンにならない。」


ということです。
ちゃんと病気をしていれば体はバランスが取れている状態に戻るのです。

それで、ウイルスにまつわる病気なんかだとインフルエンザがわかりやすいでしょうけか。
インフルエンザにかかった人ってちゃんとバランスが取れている状態に戻っています。新型コロナウイルスだって大半の人は問題なく体のバランスがとれた状態で回復することでしょう。、一部の人が重症化するって話ですけど、この一部の人って平衡状態に戻る事ができない人であろうと思われます。つまり、


「体が悪いなりに安定している。」


という事です。
基礎疾患のない人でも重症化したなんて話がありますが、医者がみたら問題がなかったというだけで私がみたら問題だらけだなんてことは珍しくもありませんからね。



それでウイルス性の疾患のある人は何人もみていますけど、みんな同じ事が起こっています。


「あなたは未知のウイルスに感染している。」


なんて言われている人もいて、そういう人でも同じ状態であることが観察できていますから、この新型コロナウイルスも同じだろうと思われます。
だから、


「そうびびらんでいい。」


というのが今の私の考えです。
もちろん未知の変化が起こっているわけですから、慎重に対応するという姿勢は必要でしょうけどね。


話が大きくそれました、ここらあたりはまた別の機会にしましょう。


とりあえず新型コロナウイルスはに感染した場合、この時期にでる特有の微熱や風邪っぽさとはまったく違う事が体に起こるようですから見分けることはそれほど難しくないはずです。
また、仮に感染していてもどうこうなることはなく、回復したあとには体は健全な状態になっていることはほぼ間違いないですから安心して病気をしておくことです。ただ、周囲にひろげてしまうと対応できない人に感染してしまうことがあるので注意しましょうと、たったそれだけのことです。だから不調を感じている人は心配しないで元気になったあとのことでも考えておくといいでしょう。


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コロナウイルスの話

私のような人間でもこの新型ウイルス騒ぎに思考をほぼ全部引っ張られてしまって穏やかでいるのがなかなか難しくなってきています。そこで、ここら辺りで1回、頭の中の物を全部吐き出して捨ててしまおうと思います。

年が明けてからずっと、

「こうなって欲しくない。」

という事がいろいろ的中して、しかもそれが予想を上回っています。

「思った事が実現する。」

なんていう自己啓発とか自己実現とかでよく聞かされる言葉を、いままでずっと馬鹿にしていましたがどうやら本当の事だったのかもしれません。

これを機会に、

「政府というものがどういう役割と必要性によって作られたのか?

というのを考えてみました。
政府の役割は、いくつかありますが、

「非常時において適切な対応をするため。」

というものがもっともしっくりきました。
例えば、戦争が起こったり、地震や台風で大きな被害がでたときに、個人の力では適切な対応をとることが非常に難しいのです。政府というのは、そのための必要性を感じて作られたというわけです。

今回のウイルス騒ぎは個人では対応が難しい非常の出来事といっていいでしょう。
それなのに政府はなんの対応もしませんでした。武漢が閉鎖されたのは、1月22日ですが、安倍首相は1月23日に、春節(中国の正月休み)に入った中国人たちに向けて、

「春節では、ぜひ日本にお越しください。」

というメッセージを動画を付けて公開しました。そしてこのメッセージは1月30日まで、1週間ずっと掲載されていたそうです。政府は武漢が閉鎖されるという状況を非常事態だとは考えなかったようです。

対称的に、アメリカはすぐさま中国人の受け入れ拒否を実施しました。
アメリカの政府は健全に機能しているのでしょう。日本が中国人の受け入れを正式に停止したのは、トランプ大統領が日本人も渡航禁止にするかもしれないと発言した後でした。トランプに尻を蹴られてそれに反応しただけで、やはり政府は何もしていないと言っていいでしょう。

この時期、私も東京に何回か出張していました。日本人には、不要不急の外出を控えるように指導しながら、外国人たちは好き勝手に町中を歩き回ってましたね。

中国人の受け入れを停止した場合、

「経済に深刻なダメージがでる。」

そういう政治判断が影響したのだったらまだよかったのです。しかし、すぐにそんな事は考えていない事が明らかになります。

大規模イベントの中止と学校の休校の要請がなされました。
パフュームの数万人の講演当日だったそうでが遠方からやってきて会場で中止を知った人が多くいたそうです。給食を作っている業者は何千万円もの損失になるそうですけど、その損失についての保証の話はいまだに聞こえてきません。これらの経済損失がいったいどれぐらいのものになるのか試算すらしてないのじゃないですかね?外国人のふところからお金を引き出すことばかり考えて、日本人のふところが痛むのは平気であるという事が理解できません

3000人規模のコンサートを企画していたバンドグループの訴えが悲痛でした。
3000万円程度の費用をかけて1年前から準備していた初舞台を中止せざるをえなくなったそうです。その後の返金などの手続きを考えると損失はさらに大きくなることでしょう。今の政府の様子だと、要請を受けて勝手に自粛しただけですから保証などなされることはなさそうです。

また、整体にこられている人で、オーケストラで仕事をしている人がいるのですが、完全な失業状態だと言っていました。要請一つでどれぐらいの数の人間を失業させたかのはまったくわかっていないのじゃないでしょうかね?

宝塚歌劇団の話は私は一番ひどいと思いました。
考えられる最善の対応をして開演したら世論によって公演停止に追い込まれました。歌劇団の資金繰りが苦しいとは思わないですが、公演を再開しようとしたのは、公演しなくてはならない事情があったのだろうと思われます。例えば、収益の大半が舞台や衣装に費やされているとか、役者の育成に使われているとかで運転資金がそれほど潤沢ではなかったのだろうとか、

貸し付けをしもらってもなんの問題解決にもならないし逆に厳しくなる。」

という状況はちょっと考えればいくらでも推察のしようがあります
しかし、首相は自粛を要請するという方法で、自粛する事が善であるという世論を作りました。それで起こった事は、宝塚歌劇団のファンからの、

「中止するべきだ!」

という批判でした。
歌劇団の人たちは、ファンからのこの声を聞いた時にどういう気持ちになったでしょうね。政府の指示ではなくて、世論を操作する事によって講演を中止に追い込みました。宝塚歌劇団の経営が破綻しても安倍首相と政府は、

「要請しただけだし、命令したわけじゃない、政府の責任じゃありませんから知りません。」

なんて具合の事を、非常に残念そうに言うんじゃないでしょうか。

さらに、書いている途中にK1の試合が開催されたというニュースを聞きました。
こちらも大いに批判されているようです。

「知事が再三の中止要請にも関わらず強硬」

なんて具合の見出しに記事にでています。
世間の状況をみれば、中止するのが得策であるのはわかっている事でしょう。でも、中止にできない状況であったであろう事は簡単に察する事ができます。ネット上での意見をさらりと目を通したら、案の定、

「なぜ中止にしなかったのか。」
これをきっかけに感染が大きく広まってしまったらどうするのだ。

というものばかりでした。
もし、中止してK1を主催する団体が破綻したら、政府や知事はきっと

「彼らは日本国民たちのために犠牲になってくれたのだ。」

と言って涙を流すのでしょう。

ここではた気が付きます。

「終戦間際の特攻は、こういう空気でおこなわれたのか。」

自分だけが助かりたいという人たちの意見がまかり通ってしまうのです。たまたま、ちょっと前に、特攻隊に配属された人のコメントをみかけたのですけど、

「まともじゃない。」

といってました。

「社会のため、世の中のための犠牲になれ。」

そういうまともじゃない意見が正論になっているのです。
私たちは歴史からなにも学んでいなかったのでしょう。学校教育が薄っぺらで半端なものだということに大きな不満を感じていましたが、それはこういう時にでるのですね。

「中止して破綻して、それでも死ぬわけではない。」

とかいう人がいるのかもしれませんが、犠牲になるのが自分でなければきっとそう思えるのでしょう。

終戦の時に小学生だった人の話を思い出します。
当時の小学校には、国たのめに命を捧げる事を賛美する授業があったそうです。それで、戦争が終わってその授業をやっていた先生が授業で何を言うのか注目していたそうです。すると、

「平和と命が大切だ。」

と突然いいだしたそうです。
そして、その意見の切り替えについては何の説明もなかったそうです。新型コロナウイルスの存在を知らなかった時には、どういう事を考えていたのか振り返ってみるといいのでしょう。でも、こういう人たちはきっと過去のことは振り返らないのじゃないでしょうかね。

日本は今年オリンピックを開催する予定でした。
仕事を失っている人、民間団体に起こっている事が、政府にとって我が身の事として起こっています。

「安全と生命の事を優先してとっとと中止すればいい。」

というほど簡単な問題ではないことがわかっているはずなんですけどね。
政府の懐が痛むのは嫌だけど民間のだったらいいと考えているのかオリンピックのような国際大会は民間でやるようなちんけなものではないと馬鹿にしているのか、日本国民の多くをを失業させて無一文にしてもオリンピックを開催すればすべて帳消しになると考えているのか、いったい何を考えているのかよくわかりません。
この状況でまともな開催ができるはずがないのはすべての人がわかっているでしょう。
しかし、オリンピック中止の決定ができないのは、おそらく、

「保証がない。」

という状況で、ババのなすりつけ合いをしているだけじゃないのですかね?

安倍晋三という人が政治家として無能であればよかったのです。
彼が無能だというだけであれば交代してもらえば事態が好転するはずです。しかし、そんな無能な人ではこんなに長く政権を維持なんてできるはずもありません。この状況は意図してそうなっているとして考えるのが正解でしょう。世論を操作して、国民の意見を割って、国民の意見として反対する勢力の人たちを叩く、そういう政治をやってきていたのじゃないでしょうかね。

今回に限って違うやり方なんてできるはずもありません。
結局、国民を使って、宝塚やK1を自粛させ、場合によっては潰してしまうというのが安倍晋三という政治家のやり方だという事なのでしょう。腐っていると国会で評する人がいまいしたが、案外、真実を言い表した言葉で、それを指摘されたせいでキレてしまったのかもしれません。

私はこの卑劣なやり方を容認することはできません。
一部の人に負担を押しつけてそれを良しとするのは政治とは言いません。問題が起こったら、みんなで一緒に背負って負担を軽くしましょう。ただ、どうしたって偏りがでるからそこにはちゃんとサポートしましょう。政治っていうのは、そういう当たり前のことをするだけのものです。それが難しいとかいうのだったら、政治家なんてやるべきじゃないし、辞めてしまえばいいですね。

なるべく多くの人がなるべく同じ方向を向いて、できればすべての人が起こった結果にある程度納得できるという落としどころを探る事が求められる状況です。それなのに、意見を割るような事をやって、反論を押しつぶして、その事に気がつけないでいると感じます。

政府の役割、存在意義が、

「非常時に適切な対応をする。」

という事であり、歌劇団やK1のような舞台イベントを中止させる必要があるという判断をするのであれば、中止できるようにしてあげるのが政府の果たすべき役割でしょう。

「新型コロナウイルスは危険ですので、職を失おうが、借金を背負おうが、落ち着くまで家の中に引き籠もっておとなしくしていてください。

こんなことしか言えないのだったら、政府は機能してないと私には感じられます。


マスクを1万円で売る人に、我が身可愛さに他人の気持ちを推し量れない人たち、どこを向いて何を考えているのかわからない政府と役人、日本って昔からこんな国だったんですかね?

そんな事を考えていたら、小学5年生の時の事を思い出しました。
身内に病人がでて、両親が病院にかけつけて弟と二人で家に取り残された事があります。遊びに行ってて帰ってきたら家には誰もいなくて、近所の人に親が病院にいっているという事を知らされました。ただ、それ以外の状況がわからず、携帯電話なんかもありませんでしたから連絡のとりようもありません。確か私はその時、

「弟にまずちゃんと飯を食わせよう。」

そう思ってインスタントラーメンでも用意しようと考えていたように思います。

でも、準備をしていると、近所の人がやってきてくれて、

「あとでスパゲッティ持ってきてあげるからそれを食べなさい。」

と言ってくれました。

その後も、

「うちに食べに来たら良い。」

とやってきて言ってくれる方が二人も来てくれました。
今の世の中って、そういう風な事ができる人ってほとんどいないのじゃないでしょうか。昔は当たり前のように、自然にそんな事ができる社会だったんじゃないでしょうかね。明るいうちは、子供たちが遊んでいる声がずっと聞こえているような、私が子供のころはそういう世の中だったような気がします。

それで、そういう世の中であれば、今のこの状況って全然違う様子になっていたんじゃないかと、この発想の繋がりはうまく説明できませんけど、そんな事を思います。

私と、私たちは、なにかいろいろ考え違いをしてしまって、世の中をこんな風に殺伐としたものにしちゃったんじゃないでしょうかね?

目先の問題はあるにしろ、私たちはどうあるのが幸せなのか、日本という国がどういう国であるのが理想なのか?それを踏まえて、今、私たちはどうするべきなのかというのをもう1回考え直してみる必要があるのじゃないでしょうか。ババを引いた人だけが辛い思いをするような、そういう事をやっているから、おかしな事になってるんじゃないでしょうかね?

そんな訳で、なんにもまとまっていませんが、頭の中にあるモヤモヤをひとまず全部吐き出しました。
また、貯まったらやるかもしれませんがたぶんもうやりません。こういう事について、あれこれと発信するのは私のやることではないと思うからです。今回は、私自身が平常運転に戻るために必要だと感じたからやりました。これでかなりスッキリすると思うので、これから私が果たすべき役割というのをもう1度考え直してみて、できることをやっていこうと思います。
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