ブログ「日々整体」

食事と運動だけじゃない!本当に健康になるための方法

この話は多くの人にとっては目新しくないかもしれませんが、基本から見直してみたいと思います。
健康な生活を送るために必要なものをあげるとすると、たいていは、食事、適度な運動、睡眠などが思い浮かぶのではないでしょうか。しかし、私はこれらの事柄が重要でないとは言いませんが、他にも重要な要素があると考えています。

まず、食事についてです。
食事は体を作る材料であり、栄養が豊富な質の高い食事が良いと一般的に考えられていますが、ここには重大な見落としがあります。

「良い木材があれば良い家が建つか?」

と考えてみるとわかることでしょう。
いくら良い建材を集めても、それを加工して組み立てる大工の技術が不十分であったり手抜きの作業があったりすると、建物はすぐに倒壊してしまいます。一方、建材がそこそこのものだったとしても腕のよい大工であればかなり立派な家が完成するはずです。人間の体において大工が何かというと、食べた物を分解、吸収して、その後、全身に届ける役割です。消化器と循環器がそうだと考えるとわかりやすいでしょうか。

次に運動はどうでしょうか。
運動についてはその中身を深く考えずに、ただ汗をかけばよいというだけの考えに捕らわれていないでしょうか。毎日30分歩けばよい、週に1回ハイキングにいくのがよい、毎朝ラジオ体操をするのでよいというように、運動をすることが目的になっている論調をよく見かけます。運動は確かに、健全な体を作るために有用は方法の一つですが、「運動をすれば必ず健康になる。」というほど単純なものではありません。結果として、運動しているから私は健康に違いないと思いこんでいる人が少なくありません。やらないよりは良いという考えにとらわれ、実際には効果的な運動ができていない人も多いのです。

最後に、睡眠です。
実は、我々人間が、ひいては生物がなぜ睡眠が必要なのかということは、現在の科学においてまだ解明されていません。疲れを取るだけだったら寝る必要はなくじっと安静しているだけでいいのではないかと指摘する専門家もいます。寝ている間に脳内の老廃物を除去しているということもあるようですが、その理由も完全には解明されていないようです。それにも関わらず、睡眠についてのあれこれとうんちくを語る専門家が多すぎると私は感じています。実際、寝ていないと体は辛くなりますし、元気に活動するためには睡眠が必要だということには私も異論はありませんが、1日8時間睡眠を取れば健康になれるというような論調は現時点では根拠の薄い意見だと私には感じられます。

このように世間一般で言われていることも、掘りさげようによってはその論拠には穴をいくつか指摘することができます。そこで、私は違った視点から健康になるための秘訣を紹介します。

答えはとてもシンプル、順序を逆に考えてみればよいだけです。わかりやすいように、私の経験を例に紹介してみましょう。

私は一級船舶免許や狩猟免許などの資格取得を通じて、そして最近は英検1級を取ろうと勉強しているのですが、その勉強の密度と質を維持するために食事、運動、睡眠が重要であることを実感しています。

仕事を疎かにしていては本末転倒ですから、きちんと仕事をこなした上で勉強時間を確保する必要があります。当然、そのために食事、運動、睡眠などにも気をつかわなくてはいけません。食べ過ぎたり食事を抜いたりすれば集中力は下がりますし、運動を過剰にやり過ぎると疲れきって何も手につかなくなります。睡眠は、早く起きて早朝に勉強するようにすると、はかどるので自然と早く寝る習慣が身についてきました。

結果として世間一般で言われている行動をとっていることになります。
しかし、その意図が異なることに気づいていただけると思います。食事、運動、睡眠といった要素はあくまで何かを達成するための手段でしかありません。結局、何か意欲的に取り組めることを始めることがとても大事なのではないでしょうか。1日中、ずっとテレビやYouTubeを見て過ごして、夕方に30分ウォーキングして、夜は8時間睡眠を確保するというだけでは決して健康な体になることはないのではないかと思います。

ところで、最近、英語の勉強に余裕がでてきました。
それで何か新しいことを勉強しようかと思って書店をぶらついていたら、ITパスポート試験というのが目にとまりました。私は学生の頃に、第2種情報処理技術者試験に合格しているのですが、時代に合わせて内容が変わっているようです。それでもう1回受け直してみようかと考えはじめたら、なんかワクワクしてきました。結局、何かにときめきを感じることが、健康への一番の近道ではないかと考えています。

今日はじめて整体にこられた方に、

「私はいったい何にどのように取り組めばいいのですか?」

という質問されました。自力でなんとかしたいという意志を感じとったのできちんと説明はさせてもらったのですが、私の真意はなかなかうまく伝わらないようです。毎朝ラジオ体操しなさいとか、ストレッチしなさいとかそういう具体的な返答を求めている人は、いったん時間をおいてしっかりと考えを掘りさげてもらわないと理解するのは難しい内容のようです。

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オーロラが見られた日に体調不良が増加した理由

先日、日本でオーロラが見られました。
それと同時に体の調子が悪い、頭が痛いと訴える人が非常に多いのです。おそらくなのですが、日本でオーロラが観測されたのと、体調が悪くなったのは同じ現象が原因ではないでしょう。なぜなら、整体にこられるほぼすべての人が不調を訴えていたからです。今回ほど極端になることはこれまでなかったにしても、このようなことは珍しくないことですし、私自身もここ1週間ばかり体調が妙だと感じていました。

オーロラのメカニズムは、太陽風が原因だそうです。
太陽風が何かというと、太陽で発生するプラズマだそうで、それが地球に届くタイミングで発光現象として肉眼で観察されるということのようです。プラズマについて物理的説明を掘りさげれば理解はできると思いますが、正直にいってわかったようなわからないような説明だと感じます。ただ、太陽で異変が観測された後にオーロラが地球上の各地で観測されるのではないかと期待されていたそうで、それで実際に観測されたわけですから、太陽風でオーロラが見えたという説明はだいたいあっているということなのでしょう。

太陽風の影響を目で確認できるのは光だけですが、実際には電磁波、磁場、電流なんかも太陽から届くそうです。その影響を受けて体になんらかの変調がおこっていたのではないかと思われます。先に述べたとおり、ここ数日の頭痛の訴え方というのはこれまでの経験ではあり得ないといっていいほど多かったのです。

ちなみに、中国の歴史でオーロラは何回か観測されているというのを見たことがあります。どうもオーロラが現れると寒冷化が起こるようで食料難になり王朝が滅ぶとか、そんな話があったように思います。オーロラが見られるというのは単純な自然現象には留まらない可能性が高いのかもしれません。

人間の体は、環境の変化に対応して、常に一定の状態に保つ働きがあります。
これをホメオスタシスというのですが、発汗による体温調整などはこのホメオスタシスの働きの代表です。ただ、知っている人でも一般的には気温が暑くなったり、寒くなったりという変化への対応程度と考えているようです。特に影響の大きいのは気圧の変化なのですが、台風が近づいたときに頭が痛くなるではありませんかと質問するとピンとくる方は割合多いように思います。

今回は、日本でオーロラが見えるというような百年に1回、下手をすると数百年に1回あるかぐらいの現象が起こったのです。それが大きく体に影響するであろうということは想像することが難しくないでしょう。むしろ普段通りでなんにも気がついていないという人の感受性、身体感覚はかなり鈍いものであるということを自覚した方がいいかもしれません。

わかりやすく極端な例として熱中症を挙げてみます。

「暑さに気がつかなくて心臓が止まりました。」

というのが熱中症で亡くなるということだということです。犬や猫を見ているとわかると思うのですが、彼らは日差しの強い暑い日には涼しいところでじっとしています。ですから、暑さで亡くなるということは人間に比べてかなり少なくないのではないかと思います。それが生き物としての自然な姿なのです。

ところで、こういう時に、多くの人が考えることは、

「何かの病気になったのではないか?」

ということのようです。
先に述べた通り、このような状況でなんらかの体の変調に気がついたのであれば、逆に体は健全であると考えて問題ないでしょう。環境になにか変化があれば、それに対応できるのが生物という存在です。環境が変わっているのに、自分の体に異常な変化が起こっていると考えてしまうのは、ちょっと問題があると思っておくくらいでよいと思います。

なお、続報を見てみるとこの減少は長引く可能性があるおうなことも行っていました。寒冷化してどうこうなんてことが本当に起こるかもしれません。

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健康とインナーマッスル:根本的な問題解決に向けて

先日、私に

「残りの人生を充実させたいのですが、インナーマッスルを鍛えればいいでしょうか?」

と、聞いてくる人がいました。
どのように答えたのかはっきりと覚えていませんが、その時の私は、

「そう考えるのであれば、そうすればいいだろうに。」

ということを考えていたように思います。
経験上、本当にアドバイスを求めている人はこのような質問をしないものです。だから本心は自分が見つけたとっておきの情報を肯定して賞賛して欲しいということなのかと思います。そこで「よく考えて思いつくことを1つずつ試していくしかないですね。」というような内容の返事をしたように思います。

その方の体の状態を整体師として客観的に判断するのであれば、仕事はそれなりにできるでしょうし、ご飯も食べることはできるでしょう。でも、ご機嫌に日々を過ごせるような状態ではないと思えました。また、おそらくは医師に問題ないという評価を受けているような印象を話しぶりから感じました。

私に言わせれば、この時点ですでに誤りを重ねてしまっていることになります。
体の様子からなんらかの薬を使っていてその副反応で問題が生じていることがはっきりと見てとれていました。わかりやすいところだと、おそらく眠りがかなり悪いはずです。睡眠状態は骨の状態からはかなりはっきりと読み取れるので間違えることはほぼありません。また、これもおそらくですがあるワクチンの副反応によく見られる症状がみてとれました。

腰が痛いとのことだったので、インナーマッスルを鍛えれば腰痛を解消できるというような情報を目にしたのでしょう。しかし、体の根本的な問題を放置して、インナーマッスルで胡麻化していては元気な生活を送ることは無理です。底の抜けたやかんに水を注ぎ込んでも水が溜まるはずがありません。このような思考に陥っている人に、何らかの助言をしても納得できることは100%ありません。

結局のところ、健康についての具体的なノウハウの前提となるいくつかのことを理解しておかなければいけないということです。つまり、

「健康と人生についての考え方。」

についてきちんとした考えがなければ、その時に目にしたり、耳にしたりした、何かしらちょっとよさげなものに釣られてしまいます。結果、振り回されるばかりで自身が納得できるような健康な日々を送ることはできないでしょう。そこで、以下の2つについて説明してみました。

1.生きるということと死なないということは全く意味が違う
2.寝たきりの状態というのはもっとも死ににくい状態だから、死なないことを目標に生きていると晩年は寝たきりの生活になる可能性が高まる。

「元気に暮らせるなら数年後に亡くなってもいい。」

と本人は言っていました。
本当にそう思うのであれば、インナーマッスルのトレーニングをすればすべての体の問題が解消するか考え直してみて欲しいのです。

優秀な人にありがちなのですが、体に関する問題点を1つずつ書き出して1つづつ解消してゆけばいつかすべての問題が解消すると考える人がいます。残念ながら、仕事などではとても有効ですが、人間の体にこの方法を当てはめることはできません。薬を例にあげればわかりやすいでしょう。薬には必ず副作用があるのです。ですから、健康な体を手に入れたいと思うのであれば何かをすることで、今起こっている問題のすべてを解決することができる方法やものを探し出さなくてはいけません。

自身の健康に自信がなくなったときに、弱気になって安易な方法に頼りたくなるのは私にも実際にありますからこのような考えになることも理解できます。しかし、体調に不満や不安を感じた時には、基本にかえって自分自身のあり方、生き方を見直すよい機会なのです。安易に目先の問題だけ消し込んで、その結果すべての問題が解消されると思い込んでしまうと望まぬ人生の終わりに直面する可能性が高まってしまいます。
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家紋を通じて見る親子の橋渡し

ある日、息子と学校の課題について話し合いをしていました。
その内容は、「自分の家紋を考えてみる。」というものでした。かなり以前のものですが、マスターキートンというマンガで家紋について掘りさげたテーマの物があってそれが印象に残っています。

少しうろ覚えなのですが、その内容を思い出してみます。
マスターキートンの主人公は日本人とイギリス人のハーフで、英国軍の元エリート隊員、そして現在は保険の調査員です。しかし、本来は考古学者を志す学者であるというかなり風変わりなプロフィールの人物です。その主人公が、保険の調査で日本にやってくるというお話だったと思います。書いてみると、無茶苦茶な設定に感じますが、マンガの中ではとても自然に話が進んでゆきます。

日本の東北地方にやってきた主人公は調査において家紋を発見します。
その家紋を専門家に分析をしてもらうと、彼はそれなりの名家の庶子であったのであろうということまでわかるのでした。家紋の印にはちゃんとした意味があって、家名、生まれた地域、信念や信条などがわかるのだそうです。さらに調査をすすめると、彼が生まれが卑しいということで恋人との仲を引き裂かれ、心に傷をおったまま船旅にでていってその後は行方がわからなくなったということまでわかるのです。

さて、主人公がやってきた地域にはかなりリアルな天狗の伝承が残っていました。
赤い鼻をもった人物がその地域に流れ着いたのです。その人物は、村娘と恋仲になったのだけど風貌があまりにも異様だったので、天狗として蔑まれ石を投げられて村から追われてしまったのだとか、確か、子供も生まれていたのではなかったかと思います。そう、彼は先に紹介した失恋で故郷を去ったイギリス人だったのです。生まれ故郷でも、新天地としてたどり着いた土地でも愛する女性とは結ばれることなく涙を流したという、そんなお話です。

家紋1つでそこまでわかってしまうのかと私はとてもロマンチックな気分に浸ったように思います。細部については自信がありませんが、読んだのは20年以上前で今でもかなり鮮明に記憶に残っているのですから、かなり印象的な話だったのでしょう。

それで、私としては家紋というのは家系とその個人を表現する大切なものなのだから、もっと掘りさげてよく考えなければいけないという説明をするのです。しかし、息子は「こういう風なデザインにしたら格好がいい。」というような、私からするとそんな安易なアイデアでは良い評価を受けられないだろうというものに固執するのです。例えば、学校の学科にちなんだイニシャルになるような動物を紋に並べるといった具合にです。でも「それではずいぶんと軽薄な印象を与えてしまうからもっと考えた方がよい。」と話すのです。しかし、息子は自分のアイデアを否定されたと感じてしまったようで、怒り狂ってしまってふて寝をしてしまい話し合いは終了ということになるのでした。

私は、

「この胸の中にあるロマンチシズムをどうやって伝えればよいのか?」

と口惜しいような悶えるような思いに歯がゆい気持ちになるのでした。

こういう時、優秀な教師であれば自身の力で気がつけるようにナビゲートしてゆくのでしょう。
でも、前提となる知識や経験の量に大きな差があるときには時間をかけて少しづつ気付かせてあげることが必要なのだろうなぁと、そんなことを考えつつ歯を磨き寝るための準備にいそしむのでした。次の日、息子はあることに気がついて紋章についての考察が再びはじまるのですが、その内容についてはまた別の記事で紹介したいと思います。


※調べてみたら、マスターキートンの「アザミの紋章」というタイトルのストーリーでした。もしかしたら、この記事はかなりの嘘になっているかもしれません。ただ、私の中ではそういう話として記憶に残っているということで理解してもらえると嬉しいです。
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学びを通じた絆:我が家の高校受験物語

我が家のここ1年ほどの懸案事項である息子の高校受験が終わりました。
おととしの夏頃、つまり中2の夏休み頃にどういう高校にいくかを検討を始めていました。だから、他の同級生に比べて受験のことを考えるタイミングは早かったのではないかと思います。実際、中2で高校見学をしている学生など他には皆無でした。また、息子に進学の方向性を考えるよう促しても、その意識は全くありませんでした。

私の息子の場合、学校へほとんど通えていなかったということもありました。
ですから、早めに準備を始める必要があると考えてスタートを切りました。私自身の学生の頃を振り返っても、学校に言われるがままに全員同時に「よーい、どんっ!」ということに違和感を感じていました。ずるい表現をするのであれば、フライングスタートがルール違反という訳でもありませんから、他の同級生より先にスタートして逃げ切りを考えた方がいろいろ楽だと私などは考えてしまうのです。

今回の進学において最も重視したのは外国語です。
私は息子が将来も日本に住み続けるのが本当に理想的なのかに疑問を感じています。だから、息子には、

「選択肢を多く持て。アメリカでも、ヨーロッパでも、中国でも、インドでも、アフリカでも、もちろん日本でもいい、世界のどこにでも必要に応じて生活する場所を選択できる人間になりなさい。」

と話をしていました。
そのためには外国語の能力を身につけること、またそれに伴って外国の文化についての理解を深めることがもっとも重要だと考えたのです。また、どのような職業に就くかは現時点で決めてしまうのはリスクが高いから、周囲や社会から求められたことをできるように自分を高めるのがよいだろうと話し合いのなかで結論がでていました。極端な表現をすると、3年ごとに職種を変えるぐらいのつもりでいいかもしれないとまで私は考えています。この辺りのことは以前に書いた記事にも詳しくまとめていたように思います。

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それで、結果なのですが嬉しいことに第1志望の高校に合格できました。おととしの夏頃の成績を振り返ってみると快挙といってよい成果かもしれません。

ただ、試験前の息子には、

「高校受験というのは基礎知識レベルの詰め込みで、スタートラインに立つためのもの。だから、本当の勉強は高校へ行ってからはじまると考えなくてはいけない。」

このような話をしました。

ところで、息子にこんな風に偉そうなことをいうためには私自身も結構な勉強をしていなければなりません。まだまだ私も勉強を辞めるわけにはいかないというか、息子が受験勉強をはじめてから私自身も負けじと勉強するようになりました。結果、家族の皆がそれぞれ勉強をするような環境に少しずつ変わってきたのかもしれません。受験勉強というと、息子のお尻を蹴飛ばして無理矢理にでも勉強させるもののようなイメージを持っていましたが、家族の皆が学んで成長していくためのものだと考えるのがよいのではないかと、ふと思うのでした。

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