頚椎2番の話
2018年04月19日
頚椎2番というのはなかなか厄介な骨です。
体のどこに問題があっても必ずそれが反映される印象です。逆から考えると、脳の血行だったり、視覚だったりに影響するので、とりあえず2番の調整をやっとけばなんか少し楽になるという具合の骨だったりもします。
ころんだとか、高いところから落ちたとかで意識がなくなっているときは2番の調整をやってあげると意識がもどるとか、溺れて息をしていないとかでも2番の調整で意識を戻して息をしはじめるのだとか。まぁ、このあたりはこういう場面にでくわすような事がまずありませんので、知識として知っているだけですけどね。
あと、ある子供が
「瞳孔がひらいているし、息をしていないからご臨終です。」
と判断されたところに、父親がやってきて2番の調整をしたら生き返ったんで、手をひいてそのままうちに連れて帰ったなんていう話も残っていたりします。
こういう具合に、とにかく2番を触っておけばなんか元気になるみたいな骨なのでその解釈はいったいどういうものなのか?というのを理解するのが難しいわけです。
まぁ、単純に解釈するのであれば人の生きる力がそのまま反映されているのでしょうかね。
そうであれば、寿命がつきつつある人の頚椎2番をみると力をなくしてしまっているわけで、どんなに重い病気でもう駄目だということでも2番がしっかりしていれば元気に回復する見込みがあるといえますね。人は病気で死ぬのではなく、生きる力をなくした時に死んでしまうというわけですよ。
最近でいうと、花粉症がつらいという人でも、ちょちょいと調整しておけばすぐさま症状がなくなったりします。つまり、生きる力が衰えていたり、乱れたりしている人が花粉症に苦しんでいるというわけです。今の世の中が、花粉症というものの捉え方を間違えいると私は考えているのはこういうところからですかね。
ただ、
「生きる力とはなんぞや?」
と問われた時に、私は適切な返事をすることができません。
私では2番について語るだけの経験が圧倒的に不足しているわけです。今の時点ではあ30年ぐらい考え続けたら、もしかしたらちょっとだけこの答えに触れることぐらいならできるかもしれないなぁと、そうなったらいいなぁという程度に考えています。
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