ブログ「日々整体」

耳鳴りが半年で解消した事例(有料記事)

非常に原因がわかりやすくてスムーズに終わることができた事例です。
私が電話なんかで質問されてもまともにとりあわない事が多いのは、この事例のように本人の自覚だったり、記憶だったり、考えだったり、他の専門家の判断がほぼ間違いなくあてにならないからだったりもします。見れば一発でわかることを何も見せないでわかれと言われても困るわけです。


耳鳴りで困っている方でしたら、参考になる内容かもしれません。





興味がわくようでしたら、登録してみてください。
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鍵の忘れ物

10月20日(日)の品川で鍵を忘れて返った方がおられます。
うっかりお知らせが遅くなったのですが、おそらくご自宅の鍵であろうと思われますのでかなり苦労されたのではないかと思われます。心当たりのある方は、連絡ください。
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ADHDの話

チュートリアルの徳井さんが、ADHDだなんて言われているそうです。
子供が新しい言葉を覚えたら使ってみたくなるという程度の話だと思いますが、私でも目にするぐらいにはSNSで広まっているようです。

おそらくこういう言葉は、その意味するところを理解しないままに使っている人がほとんどだろうと思われます。
考えたこともなかったのでちょいちょいと調べてみると、WHOが以下の6つの質問でADHDでおおまかな判定ができるなんていうものを用意しているらしいです。


▶︎ WHO Adult ADHD Self-Report Screening Scale for DSM-5 (ASRS-5) 
・目の前の人に話しかけられているのに相手の言葉に集中できないことがある  
・会議や公園など座っていなければいけない時に座っていられないことがある
・時間が余っているのにゆっくりリラックスができない
・他人と話しているときに相手の話が終わる前に自分の話をし始めてしまうことがある
・本当にギリギリの状態になるまで物事を先延ばしにしてしまう
・部屋の片付けや書類の整理など細かい作業を他人に任せている




これはメンタリストDaigo氏がYouTubeで紹介していたやつをそのまま貼り付けたものなので、なんかおかいしようでしたら苦情はそちらへどうぞ。

https://youtu.be/qVJozsWZLyE


私の場合、ぱっと見で思ったことは、


「ちょっと違った才能をもった人の特徴。」


なんて思ったわけですが、どうやらそのとおりのような事をメンタリストDaigo氏が動画で語っていました。で、実際に、そういう傾向のある人にたいしてのアドバイスなんかもあったので興味がある人は見てみるといいでしょう。


今回の件ですが、私の視点だと徳井さんは個性的であるだけという具合に見えます。


「普通じゃない。」


から、


「病気だ!人間としてダメだ!ADHDだ!テレビに出て仕事するな!」


なんて責められているわけです。



さて、話がちょっと変わります。
ちょうど同じタイミングで整体にやってこられた人が、


「今までずっと他人に迷惑をかけ続けた人生なので死ぬのが怖い。」


なんていっていました。
こういう人がほんとのダメな人というと私なんかは思うわけですが、


「人間というのは他人と関わり合いながら社会を作って生きていく生き物なんだよ。関わるということは、迷惑をかけるということと同じ意味で、迷惑をかけないということは、生きていくのを辞めるというのと同じだよ。」


と、そんな考えで元気になれるわけがないと説明をしました。
それで、母親にそんな風に教えられて育てられたのかと聞くと、そうだということでしたので、


「母親の事を悪くいうのはちょっと具合が悪いけど、最悪の育てられ方をしているから母親は反面教師にしなくてはダメだね。」


と続けて話をしました。


自律神経っていうのは人間の生きようという意思や気持ちに応えて働くのです。
ですから、生きようという意思を持たない人の体が元気になるはずがありません。こういう一番大切なところをおろそかにして自律神経について理解なんかできるわけがありません。


「他人に迷惑をかけないでは生きられない。」


人間はそういう生き物で、そういや、金八先生は人という字を使ってこの事を説明していましたね。
ついでにいうと、この話は今回がはじめてというわけでなく、多分、もう何十もの人にしているんじゃないでしょうかね。他人に迷惑かけたくない人がどんだけいるのかと思うとうんざりします。


それで思ったのですけど、徳井さんを批判している人ってたぶん、


「他人に迷惑をかけちゃいけない。」


と考えているのじゃないでしょうか。
それで、自律神経の働き具合をチェックするのは、チュートリアルの徳井さんにどれぐらい腹がたったかで判定できるかもしれないなぁなんて思ったわけです。怒り心頭でいろいろいいたくなったという人は結構重症だと思ってしまっていいんじゃないでしょうかね。

給料をもらって生活していると、税務というのがどれほど煩雑で面倒くさいものか理解するのはなかなか難しいということもあるかと思いますけどね。まぁ、税金というのは国家の根幹をなす部分ですから、おろそかにしたら死刑になるような国もあるそうですけどね。

多分ですが、彼の場合、お金の事よりもっと大切なことがあるのでしょう。
だから、税務をおろそかにして追徴課税なんかされてもそれほど痛いことではないのじゃないでしょうかね。ただ、今回、周囲にいろいろ怒られてはじめて、ダメだということに気がついたじゃないでしょうか。


私の感覚からすると、彼が税金を収めていない事が私の人生に与える影響などゼロです。ですから、彼を怒ったり、批判するという気持ちや考えがまったく理解できません。

もし彼が友人だったとしても、


「あほかっ!」


と頭を叩いてそれだけで済みますかね。


ちなみに、今回の1件で私が得た教訓は、


「漫才師が舞台にあがるためにスーツを購入してもそれは経費として認められない。」


という事でぐらいで、豆知識が1つ増えたぐらいですね。



もちろん、脱税してもいいということではありません。
でも、彼のずぼらな部分って才能の片鱗だと私には感じられます。それぐらい変な感性だったり、感覚をもっていないとM1で優勝して、テレビで仕事をし続けることができないのであろうと私は思いますね。それを一般的な常識ではかって、あれこれと非難するというのは、才能を潰してしまう行為といっていいですね。

子育てしている人のなかには、子供がADHDなんて言われたら平常心を保っていられない人もいるかもしれません。でも、それは非常に優れた才能を持っていると解釈してほぼ間違いありません。ですから、成人したあとの税金の扱いだけちゃんと教えてあげて、その才能を伸ばしてあげるように子育てしてあげるといいはずです。

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頑張っても元気にも健康にもなれない

20代の中頃だったと思いますが


「頑張ります。」


という言葉を2回ほど使ってみました。
仕事であることを任されて、どうしようかと思った時にまずは頑張ってみようと思ったのです。実は、この頑張るという事をやってみようと思ったのはこの時がはじめてでした。

10代の頃、それなりに熱心にバスケットボールに取り組んでいました。
毎日、朝6時に起きて7時には学校へいって1人で朝練をやっていましたかね。その時は、ただただ上達していくのが面白かったので頑張るという感覚はまったくなく、やりたいことをやっているというだけという感覚でした。

学業の成績なんかでもそんな具合でしょうか。
テスト勉強というのを一切やらなかったので学校での成績は底辺にいました。ただ、行きたい大学へいくためには受験勉強をやらないわけにはいきません。休みの日なんかは、1日12時間以上は机に座って日本全国の入試問題をやっていたりしました。

日本中の大学の過去5年分の入試試験を予備校でコピーして、全部の回答をノートにまとめていました。
志望は私学だったので国公立は含まれていませんけどね。寝るのは朝4時ぐらいというのが当たり前になっていました。起きている時間のほぼすべてを入試対策につぎ込むというような生活を半年程度つづけました。
この時もやはり、必要な事をやっているだけで頑張っているという感覚はありませんでした。だから、辛いとか苦しいみたいな感覚はなく、充実感に満たされている生活だったでしょうか、入試なんてゲーム感覚で取り組んでように思います。

入試テストの対策だってこれぐらいやっていればそれなりに面白くなってくるものです。
試験というものの性質が見えてくるから、何ができればいいかもわかってくるわけです。それで、近畿大学と、あと沖縄の大学だったと思うのですが、


「この2つの大学の入試問題は解答を作っても意味がない。」


と判断して飛ばしてやっていた記憶があります。
入試問題を見ていくとその大学の先生がどんな授業をやっているかがなんとなく透けてみえてくるんですよね。それで、行っても多分面白くないからいいやとなるわけです。それで、いくつかの入試を受けほとんど合格しましたが、近大は不合格でした。今はどうか知りませんが、近大は試験問題が意地悪なだけで、面白くもなんともなく、きっと性格の悪い人が先生をやっているのだろうと、そんな事を考えていましたね。


話を戻します。

そんな具合で20代中頃まで、頑張るというのを一切やった事がなかったのです。
それで、ちょっと頑張ってみたのですけど、


「これは駄目だな。」


と思ったわけです。

何が駄目かというと、頑張るという言葉に何も具体性がない事が気がつきました。
具体性がないから、何の成果が上がりません。それより何より、具体性がでてくると頑張る必要などなくなってくるのです。それで、


「頑張る。」


という言葉は、具体的な考えがない人間が仕事をしているフリをするために使う言葉なのだなぁと。そう考えて頑張るという言葉を禁句にすることにしました。

余談ですけど、夢という言葉にも似た匂いを感じます。
私が夢という言葉を使うのは、小学生1年の時に読んだ世界の怪奇現象という本に書いてあった黒犬獣プーカの話をする時だけです。14歳ぐらいまで1年に2~3回だったでしょうか、夢の中でずっとプーカに追いかけられていて、いまでもその怖い夢の事はたまに思い出します。


メンタルを病んでますなんて人に、


「頑張るのを辞めましょう。」


なんていうアドバイスを見かけることがあります。
でも、頑張らないというのと何もしないというのは全く意味が違うと思えます。人間は3年ぐらい何もしないでぼんやりしていれば元気が湧いてくるようになるでしょうか?休息が必要な人だったらそれでいいのでしょうけど、私が見渡す限り大半の人は休息を必要としているわけではないですね。



最近、


「元気になれそうな気がするので頑張ります!」


という人が3人ほど続きました。


「いやいや、元気だとか健康だとかいうものは頑張って手に入れるものではない。人間という生き物はほっておけば勝手に元気になる生き物で、頑張っているようではダメだ。」


なんていう話を繰り返していました。
多分、頑張る必要がない生き方というか生活をするのが一番いいのじゃないでしょうかね。


私は30歳のときに今後、『頑張る』という言葉を使っていいのは3回だけにしようと思いました。
そのうち1回はすでに使っていて、起業しようという友人に


「頑張れよ。」


と声をかけましたね。
残りはあと2回ですが、たぶん使わないで余らせて人生が終わりそうな気がしています。



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まだ結婚できない男、桑野信介の考察

『まだ、結婚できない男』というドラマの放送が始まりました。
知っている人も多いでしょうけど、主人公は桑野伸介、52歳の独身男性です。役を演じるのは阿部寛、私が好きだと思える数少ない俳優の1人です。彼は桑野伸介という人物を演じるのにあたって非常に面白い演技をしています。それを私の視点からちょっと考察してみようと思います。

桑野伸介は歩くときに体を前に傾けてすり足で歩きます。
これはどんな体の状態かというと、腰椎5番の力が抜けて、胸椎2番に力が集まっています。このことが桑野の行動や発言にどういう影響を与えているか考えると非常にうまく演技しているのがわかります。

まず、腰椎をうまく使えていませんから、腰が据わった落ち着いた人間にはなりえません。
ドラマ中で、桑野は自分の仕事ぶりや発言を批判するサイトに必要以上に反応してしまいますが、これはその影響といえるでしょう。腰に力がないから、他愛のない事でも、聞き流したり、放置することができません。自身のプライドを守るためには、弁護士を雇うという、過剰とも思えるような方法で対処しようとします。

次に胸椎2番に力が集まっているという事についてです。
シンプルに肩に力が入りすぎている考えるとわかりやすいでしょう肩に力が入っている人間は無意識にその力を抜くという行動を積極的にとるようになります。桑野の場合、そのためだという事がわかりやすい行動が2つあります。

1つ目が、1人飯です。
ドラマの1話では、しゃぶしゃぶと流しソーメンを1人で堪能しているシーンがありました。どちらもニヤつきながらおいしそうに食べていましたからドラマを見た人は印象に残っているのではないでしょうか。

体の緊張を抜くためにもっとも手っ取り早い方法は食べるという事です。
体にとっては「食べる=緩む」だからです。私がお腹を空かせて食べる事を強調するのは、緩ませるために食べるという事をずっと続けていると体を痛めてしまうからですね。

「この体だと、辛い、しんどいという感覚が空腹感に化ける事があるよ。」

なんていう私の発言を聞いた事がある人は多い事でしょう。

人間は、疲れがたまったり、不調を感じたときに食べることでそれを和らげようとします。
たいていの場合、この時は腹が減っているわけではありませんから食べ過ぎになります。毎日チョコレートなんかを食べている人は、こういう食べ方になっていると思うといいでしょうね。

桑野伸介の場合も豪華な食事を食べているのは肩に力が集まりすぎた時でしょう。
食べる過程で肩の力が抜け、それに連れて顔がニヤけます。阿部寛の演技でどこを見るかと問われれば、間違いなく食事シーンでしょうね。

桑野伸介のもう1つの肩の力の抜き方は、合理的でない思考や行動をする女性をあざ笑う事です。
1話では吉山まどかという女性弁護士に意地悪に笑いながら何回も嫌味をいっていました。そのたびに、この女性弁護士からたしなめられていました。しかし、桑野伸介が、自分らしく、自分に対して誠実であろうとしている行動と発言であると考えれば、頭ごなしに否定するようなものでもなかったりします。

なぜかというと、肩の力を抜くことが目的だからです。
食べる以外で、体の緊張を抜くために非常に効果的なのは笑うという事です。お笑いが人気になるのは、体の力が抜けていない人がたくさんいるからですね。でも、だからといって漫才やコントを見て笑うというのが万人にとってよい方法かというとそんな事はありません。

笑いには様々な形があります。
ピエロのようなおどけた笑い、何かを成し遂げた喜びの笑み、赤ちゃんなんて見ているだけで笑顔になったりします。私なんかだと、毒をたっぷり効かせたブラックジョークが一番面白いと感じますね。ところが、そんな私がジョークを言うと本気で怒り出す人が結構いたりします。笑いなら、どれでもいいというわけではなく、何を面白いとかいうセンスは人によって違うわけです。

桑野伸介の場合、女性に対する怒りというのが根底にあると思えます。
おそらく若い頃に自分の信念だったりこだわりを理解できない女性に馬鹿にされるなんていう経験があるんじゃないでしょうかね。まぁ、桑野の怒りに関してはドラマ中でそういう表現はなかったと思うので、私が見ていてそう思うという事ですけどね。そういう怒りが根底にある人が、肩の力を抜こうとすると、

「女性をあざ笑う。」

という行動がもっとも効果的になるのでしょう。
もちろん、本人はこういう事を自覚してやっているわけではありません。でも、もっとも効率的に自分の体から余計な力が抜ける行動を人は無意識にやるのです。

確かに、桑野伸介のやり方は褒められたものではないかもしれません。
しかし、こういった行動はなんでやるのかというと彼の場合、肩の力を抜いて元気になるためです。だから、意地悪だけどちょっと魅力的な笑みになるわけで、それをうまく表現している阿部寛の演技というのが非常にいいと私なんかは思うわけですけどね。

話がそれました。

桑野伸介は、1人でうまいものを食って、女性を笑うことで健康な生活を送っているわけです。その結果、選んだ生き方が、結婚しないで1人で生活するという事なのでしょう。


「立派な人間になろうとしてたらうまくいかない。」


と、私に言われた事のある人は、桑野伸介を手本だと考えるといいでしょう。
元気になりたい、健康になりたいと思うのであれば、好きなことやって、好きなものを食べて、怒りたい時に怒って、笑いたいものを笑えばいいわけです。

今の日本の社会って、


「立派な人間になることで問題を解決しなさい。」


とアドバイスされたり、説教されたりすることばかりじゃないでしょうか?
桑野伸介のような存在は全否定です。人間って、彼のように1人でおいしい物を食って、腹の立つ物をあざ笑っていれば結構元気に生きられるはずなんですけどね。

そういえば、ドラマ中には、

「桑野伸介の事を理解できるようになりたくない。」

という若い女性がでてきています。
実はこの女性、かなりの端役ですがこのドラマでは桑野伸介の対極にいる存在で、もっとも重要な登場人物といえるでしょう。なぜなら、登場する役のなかで、もっとも『ねばならない』が強い女性だからです。彼女の存在が桑野伸介という存在を引き立たせているし、他の主要な女性の登場人物は彼女のとの比較で立ち位置が明確になります。

彼女は、体の力を抜くことができない人間です。
なぜなら、1人でご飯を食べられないし、他人を笑う事もできないからです。桑野伸介を見るときには眉間にしわがよって、肩の力がはいっていますが、これは体に余計な力がはいる行動です。そして、体の力を抜く方法はいろいろありますが『ねばならない』が強い人にはたいていやってはいけない行動です。

これを書いている時期だと、神戸の学校で教職員が職場でいじめをやっているニュースが話題になっていますが、こういう事件を起こすのはこういう具合に体の力を抜くことを自分に許さない人ですね。抜けなくなってしまった力を解放するには、嫌がる人間に檄辛カレーを食わせるぐらいの事をしなければいけなくなってしまうわけです。ちょっと前だと、高速道路であおり運転をしてなぐるなんてのがありましたけど、この事件も構造は同じでしょう。倫理観や正論で人の行動を制限しようとすればするほどこういう人間は増えてしまうはずです。

だから、もしドラマを見て桑野伸介に共感できず、嫌悪感しか感じないという人は、自分の生き方とか考え方を見直してみることです。先にあげた2つ事件ほど発展させてしまう人はそう多くはないでしょうけど、五十歩百歩の事をやってしまっても不思議ではありません。

蛇足で付け加えておくと、桑野伸介は女性をあざ笑うことに罪悪感を感じていません。
それと同じように、体に無用な力が集まりすぎると、カレー食わせたり、あおり運転をすることに罪悪感を感じなくなってしまいます。教職の現場が「ねばならない。」でいかにがんじがらめになっているかを非常にわかりやすく示している事件だと、私なんかは思いますけどね。


話を戻します。


桑野のように人間関係に波風をたてるやり方は普通の人にはなかなか辛いものがあります。
ですから、普段はあまり見かけませんが、政治方面なんかをのぞいてみるといいでしょう。普段、温厚そうな人なのに、

「日本死ね!安倍総理がすべて悪い。」

なんて具合に、政治批判をして、政治家をあざ笑うことで元気になっている人たちが山のようにいます。政治だったら、他人と衝突することはあまりありません。桑野を手本に嫌味を言ってみる練習をするには、政治批判はいい方法かもしれません。


話が変わります。


桑野伸介の対極にいる女性はサイトによると横田詩織というようです。
彼女のような人間は、病気というものを必要以上におそれる傾向があります。潔癖症とまではいかないかもしれませんが、自分がこうでなくてはいけないと考える範囲からはずれた存在を否定するからです。そして、それ故に体の不要な力を抜くという行動を自ら禁止してしまいます桑野伸介に対する嫌悪感は彼女のそんな面を如実に表現しています。そして、その同じ感情が病気というものに対して同様に向けられる事でしょう。病気を恐れすぎるがゆえにかえって病気を呼び込んでしまうような人生になってしまうでしょうね。丈夫な体で元気に生きたいと思うのであれば、清濁を併せ持つという感覚が必要です。わからなければ、

「家の中を無菌にして生活していたらどうなるか?」

という事を考えてみることです。


一方、桑野伸介は歳をとったら間違いなく腰が痛いといいだすでしょうね
それで、腰の痛みを紛らわせるために嫌味と皮肉の量が倍増するはずです。だから、もし、彼に魅力を感じる女性がいたとしても結婚するのは辞めておくことです。あまり穏やかではない老後が待っていることは間違いありません。

それでも、どうしてもと思うのであれば、彼がしょーもないことをいったらひっぱたいて張り倒すぐらいの腕力と気概をもつことですね。そうでなくては彼とはうまくやっていけないでしょう。桑野伸介は張り倒したぐらいでへこたれるような人間じゃありませんし、もしへこたれるような時がきたらいよいよお迎えがやってくるということです。そうなったらちょっと優しくしてあげるといいでしょうね。ただ、そういう彼の変化を感じて気づかいができる人でなければ、先に死なれた時にちょっと悔やんでしまうことになるでしょう。やはり桑野伸介は面倒くさい男だという事は間違いないと思えます

まぁ、桑野伸介は体の力を抜く方法をしっていますから、1人で老後を迎えたら、頑固だけどちょっといい感じのクソじじいになるでしょう。ですから、ちょっと距離をとってあげたら、誠実で信頼できる人物だと思えますし、よい友人関係を築くのはそれほど難しい人ではないと思いますけどね。


ドラマの今後についてもちょっとだけ触れておきましょうか。

桑野伸介という存在がぶれることはないと思われます。
ぶれてしまったら、つまらない見る価値のないドラマにカテゴライズするしかなくなるでしょう。そう考えればこのドラマの本当の見所は、桑野伸介に接する3人?の女性たちです。立派な人間になろうとしている女性たちが、桑野という自由な存在にどういう影響を受けて、どうかわっていくか?そういうところに注目してみるのがこのドラマの上手な見方じゃないでしょうかね。



なお、この記事は「まだ結婚できない男」を1話だけ見た状態で書いているものなんで、解釈を間違えていてもそれはまたそれということで、あざ笑っておいてもらえると助かります。
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