作品と商品、サービスと技術の違う
私は小学2年生の頃からパソコンゲームで遊んでいました。
周りはみんなファミコンで遊んでましたから当時からマイノリティな存在だった訳です。当時、発売されているゲームもありましたけど、プログラムが掲載されている本や雑誌を買ってきて自分で打ち込んという遊び方が当時は行われていました。
小学生にはなかなかハードルの高い遊び方でしたね。
プログラムは基本は英語ですし、中学から高校ぐらいの数学の知識がないとプログラムの中身なんて理解するのは難しいからです。プログラム言語の仕様書と英語の辞書を片手に四苦八苦して遊んでいました。
そういう経験があるとゲームで遊ぶというのは他人の作品で遊ばせてもらうという感覚を持つようになります。掲載されいている通りに打ち込めばいいだけと言えば簡単に思うかもしれません。しかし、プログラムがちゃんと動いているのかわかならいといけませんし、動作がおかしければ自分で修正をしなくてはいけません。だから、それなりの知識と技術がないからゲームで遊べないのです。コンピュータゲームという遊びの初期はそんな雰囲気があったわけで、その感覚がなんとなくいまでも続いているのでしょう。たいていのゲームの好きは、ゲームのことを『作品』と呼びます。
しかし、ゲームの事について詳しくない人にゲームのパッケージを見せて、
「これは作品だ。」
と言われてもピンとこないと思います。
任天堂スイッチのゲームのパッケージを見ても、それは商品だとしか思えないでしょう。かくいう私も、ジョーシンやヨドバシカメラのゲーム売り場に行っても、作品が並んでいるとは思えません。作品と商品という言葉には明確に違う物を指している訳です。
ただ、私の場合にはごく一部の商品の中には作品だといっていいゲームが含まれている事を知っています。
その違いがどこからくるかを一言でいってしまうと、作っている人が知識や技術をもった職人であるということではないかと思います。
わかりにくければ身近な物に置き換えて考えてみるといいでしょう。
映画だったり小説だったりで、作品と商品を分類してみるといいかもしれません。三谷幸喜や宮藤官九郎が脚本を書いたドラマや映画は作品といっていいと感じる事がおおいですね。
洋画だとスターウォーズのエピーソード6までは作品として作られていたように思えます。今年見たのだと、ジョーカーは商品っぽい内容でしたが、主演男優が作品に昇化させていたと感じました。
ヒットしているから作品という訳ではありません。
話題になっていたドラマの逃げ恥なんかは商品じゃないでしょうか。私は見てないですけど新垣結衣を主演にしてしまうと商品っぽさがでてきてしまいます。以前に、紹介した映像研には気をつけろなんかは原作が好きで、間違いなく作品として描かれた漫画ですが、キャストにAKBが使われると商品になってしまいます。
見ていない映画なんで評価はできませんが、『カメラを止めるな!』っていう奴はきっと作品なんでしょう。伝わってくる話を聞くとそんな風に思えます。商品と作品の分類には、個人の感覚で多少の差があるのかもしれませんが、割とはっきりと線引きできるような気はしますね。
先日、体のケアを目的にあるお店にいってきました。
中国では医療として認知されている技術なのですけど、実際に受けてみるとこれはサービスだなぁと感じました。技術的にはちゃんとしているのですけど、サービスとして提供しようとするのでなんかずれが出てくるわけです。
我が身に置き換えて考えてみました。
整体においての作品と商品の違いは、技術とサービスという言葉に置き換えるとわかりやすいかもしれないなぁと。私自身には、
「技術者であろう。」
という考えはずっと根底にあります。だから、私にぶれはあまりないように思います。
しかし、
「サービスを求めているのか、それとも技術を求めているのか。」
整体を受けられる方にこのサービスを求めるという認識があると成果があがらないように思います。いつもいうセリフですけど、人間はロボットじゃありませんせんから何をしているかより何を考えているかの方が重要だからです。
「考えるのが面倒くさいので毎朝早起きしてラジオ体操をしています。」
そういうスタンスでは、何かが違うと言わざるをえません。
整体っていうのは、本来、
「よい生き方とは?」
「より幸せを感じる生活とは?」
こういう事に対して、体の様子を見ながらアドバイスとサポートをする技術じゃないかと思うわけです。
すると、
『思考を省略できるようにする物が商品やサービス』
『思考を掘りさげる助けになるものが作品や技術』
こんな風に言葉にするとわかりやすいかもしれませんね。