ブログ「日々整体」

立ち方をもうちょっと深めていきましょう

自宅でできる簡単な体の整え方として立ち方の練習を紹介ました。
数人しかやらないかもなぁと思って言いましたが、結構な人数の方がためしてみているようです。それで、みなさんがおっしゃるのは、


「ふらふらして立てない。」


ということです。
まず、たいていの人がどこかにつかまりながらでないと立てないのは、普通ですので心配しないでください。
だから、最初は前に椅子をおくとか、壁に向かってとかやるといいですね。それとバランスを崩した時は、拇指球を地面につけてバランスをとるようにしてみましょう。意識としては、恥骨結合付近に上半身をのせて腹をつきだすような感じがいいですね。すぐは無理でも、しばらくやっていればコツがつかめてくるはずですから、慌てずにじっくり取り組んでください。自粛期間中にやる退屈しのぎにはちょうどいいと思います。

さて、立つという動作に限らず、すべての運動にとってとても重要なのにほとんどの人が意識していない事について説明します。
それは何かというと、


「眼」


です。
視線をどこに集中するかで体の動きはまったくといいほど変わってきます。
筋トレを私が否定する大きな理由の1つは、筋トレのトレーナーに視線についてレクチャーする人がまったくいないからです。例えば、野球のピッチャーであればキャッチャーミットを見ながら投げないとうまく投げれません。コントロールが悪いピッチャーは、たいていの場合、視線、眼の使い方に問題があるからですね。岡島秀樹というピッチャーは、ノールック投法なんて言われいてキャッチャーを見ていないわけですが、うまく眼を使えない人が、どうやったらうまく使えるか工夫したらこうなったという例で、普通はうまくいきません。おそらくですけど、眼の動作に一部問題があるのではないかと思いますね。ついでに、その理由もあげちゃいますけどたぶん足に問題があるはずです。怪我でもしたことがあって、それがちゃんと治ってないんじゃないでしょうかね。


身近な例で考えると包丁でしょうか。
肉を切る時に、肉をみないで切ろうと思うとうまく切れません。手を切るから危ないという理由ではなく、眼の使い方がまずいと刃物がうまく使えないのです。なんだったら、まな板の上に肉をおいて、片手で包丁をもって、反対の手はお尻でも押さえておくといいでしょう。それで、あさっての方向を向いて肉に包丁をいれてみてください。切れないのがすぐにわかると思います。

SNSにでてくる料理人で面白い人がいますね。
セクシーな塩振りということで有名になった人ですけど、

https
https://twitter.com/nusr_ett/status/1063661074262704128?s=20
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https://twitter.com/nusr_ett/status/1063661074262704128?s=20https://twitter.com/nusr_ett/status/1063661074262704128?s=20


この人、肉を見ないでよく肉を切っています。
こちらの料理人は、イスタンブールの人ですけど、ずっとカメラ目線で料理ができてしまいます。



これはどういうことかと言うと、実際の眼の動きと意識としての視線の行き先が違うという事です。
わかりにくければ、視線が2つあると思うといいでしょうね。人間の目は2つありますが、1つの方向しか見れなくなっています。でも、意識とか感覚の目は複数以上持つことができるのでこういう事ができるわけです。

ゴルフが難しいのは、ボールとカップの両方を見なくてはいけないですからね。でも、この料理人たちはきっとゴルフが上手なはずです。


こういう発想は日本には古くからあります。
しかし、日本では視線という捉え方はあまりしません。線を拡散させて視野を広げる事に価値を見出す傾向があります。例えば、聖徳太子は複数の人の話が聞けたとかいいますけど、耳がいっぱいあるのではなく、視線、視野が眼の向いている方向以外にもあったと考えるといいですね。

剣術の達人が弟子に向かって、


「スキあらばいつでも切りかかってこい。」


なんてのは最近はあまり聞きませんけど、ドリフのコントに、




なんていうものがあります。
視野の及んでいない空間にまで、視線を拡散させることは別に変な事ではありません。また、その拡散した視線というのは自分の周囲360度あらゆる方向に伸ばせます。後ろに誰かいるような気がするなんていうのは誰にでも経験があるでしょう。目が光を捉えることができないと何も見えないというのは勘違いだという訳です。


人間が宇宙に住むようになって、上下左右がない、距離もキロ程度の単位ではなくて、光年なんてものを使い出すようになるとこの感覚が研ぎ澄まされていくのではないでしょうか。機動戦士ガンダムでは、そういう風に感覚が高まった人間を宇宙に適応した人間、ニュータイプと呼んでいました。主人公でニュータイプのアムロ・レイは、


「後ろにも眼をつけるんだ。」


なんていうセリフがあったりします。

聖闘士星矢では、五感を超えた六感と七感を研ぎ澄ますことで超人的な力を発揮します。
そのために必要なのは、小宇宙、コスモを燃やす事だったりします。漫画だアニメだと馬鹿にしてしまう人はいるかもしれませんが、実は、辻褄は合っていたりするわけです。これまた私がよく言う事ですが、SFや創作であってもあまりにも荒唐無稽なものを私達は受け入れる事ができません。ですから、ヒットした漫画や映画には必ず私達人間の体の感覚に存在しているものをうまく表現しいています。


話が大きく広がってしまいました。

立つという動作において、視線がどこにあるかは非常に重要です。
ただ、いきなり視線を拡大して世界を感じるのだなんていわれてもできる人は一人もいません。では、どうするかというと逆をやってみてください。


「視線を1点に集中する。」


のです。
それで、どこに集中するかですけど、会話をするときの距離感に点を探すといいでしょう。白い紙にマジックで2~3ミリぐらいの黒い点を打って壁に貼るといいですね。その点を見つめながら、立つ練習をしてみてください。立てない人は、すぐに視線が泳いでしまうはずですが、上達するにつれて集中できるようになります。そして、ある程度以上に視線を集中できるようになると、逆に拡散できるようにもなります。

野球のピッチャーでしたらキャチャーミットの距離感で、楽器の奏者であれば楽器に集中、絵描きだったりキャンパスに、物書きだったらモニターか原稿用紙に視線を集中するイメージがいいでしょうね。

と、いうわけで今回はステップ2でした。
前にもいいましが、不都合を感じていないからできているという発想は駄目なんだと思うといいですね。たいていの場合、うまく誤魔化してしまっているだけなわけです。人間の体がいかに優秀であるかという事ですが、その優秀さに甘えてしまっているといろいろ不都合が起こってきます。



蛇足ながら、うまく立てないという人はドラゴンボールの登場人物たちをイメージするといいかもしれません。
力を高めている時に、自分の周囲の地面に輪ができてそこから気が立ち上って波打っているシーンってのが思い浮かびませんか?


「クリリンのことかー!」


とかいいながら、自分の気が高まっている様子を想像してみるのも結構いいやり方です。
ヒット作っていうのはなかなか馬鹿にできないのですよ。
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日本人はコロナウイルスに強い説

日本人は、コロナウイルスに強い説を提唱しようと思います。
例によって、ちょっと胡散臭い話になりますし、学術的なものではあなく私のヤマカン120%ですので、有料サイトの方でどうぞ!




ただ、結構あたっているような気がしますけどどうでしょう?


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穏やかな気持で生活する方法



で、体がもっとも丈夫で強くなる時という事について述べました。
たぶん、その時には免疫力ももっとも高まっていることでしょう。それをより具体的に達成する方法を見つけましたので紹介しようと思います。


「新型コロナウイルスに感染してはいけない。」


多くの人がそう考えているのではないかと思います。
しかし、これでは駄目ですね。この考え方をしていると心配と恐れが常に消えないのではないかと思います。私もここ何日か、この考えに囚われてしまっていました。すると、どんどん臆病になってくるのです。散歩をしていて向こう側から人が歩いてやってくるだけで、ジョギングをしている人が後ろから追い越していくだけで、


「こいつはなんて無神経な人間なのだ!」


と腹をたててしまいます。
そんな気分でこんなニュースをみちゃったらもうどうしようもなくなります。




なんと、ロサンゼルスにおける無作為の抗体検査では、発表されている人数の55倍が感染しているという結果が発表されていました。こんなものを見ちゃうと、見かける人が全部感染者に見えるようになりますから困ったものです。

恐怖のスパイラルが起こります。
螺旋を描くように、不安と恐怖の穴にはまり込んでいってしまうのです。


「これはまずいなぁ。」


と思い直すのですが、もう止まりません。


ところが、ある動画をみていると、この恐怖の感覚が180度ひっくり返りました。
それは、


「自分は感染者であるというつもりで振る舞う。」


というをレクチャーしてくれていました。

つまり、感染されるのを防ぐのではなく、


『周囲の人に感染させないように振る舞う。』


という事です。
もう日本でも50万人ぐらい感染している可能性があるのです。もう自分が感染していたってなんの不思議もなく、たまたま症状がでていないだけなんですよ。だから、周囲の人に感染をひろめないように過ごさなくてはいけません。


今ぐらい情報が集まってくると感染させないようにするなんて簡単です。
それは外出しないということですね。私の場合、外出しないと仕事になりませんが、自分が感染者だと考えると外出しないで仕事をする方法をすぐさまいくつか思いつく事ができましたよ。


どうしても外出が必要なら、ポイントは以下の3つでしょうか、


1.会食、会話をともなう食事をしない
2.他人が触れる可能性のあるものは、手洗い、消毒して清潔な手の状態で触れる事
3.トイレを利用した後は蓋を閉めて水を流す


どうも、私が情報を集めている限りだと、この3つに注意しているだけで、ほぼ周囲の人に感染を広げる事はないと思われます。
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立つ姿勢の練習を

「自律神経の乱れ。」


言葉では頻繁に聞きますが、実際に体にどういう事が起こっているのかをきちんと説明された事はほぼないのではないかと思います。
そうなる理由は簡単で、観察が不十分だからです。自律神経の状態というのは、骨の状態によって表現されています。レントゲンやMRIの映像を見たことがあると思いますが、それを見ただけでは骨の状態は適切に認識されていません。せいぜいが、


「ストレートネックです。」
「背骨が曲がっています。」


という程度の評価ができる程度です。
医師に、そんな説明を受けて、


「じゃあ、それはどうしたらいいんですか?」


と質問しても、


「生まれついてのあなたの体質です。」
「運動不足がいけないのです。」
「姿勢が悪いのだ。」


なんていう、なんの解決方法になってもいない事を言われておしまいです。


「適切な運動とはどのようなものか?」
「良い姿勢とはどういうものか?」


という事についてきちんと説明できる医師はおそらくいないでしょう。
彼らは薬品の専門家でしかなくて人間について理解が浅い、特に運動ということについては無知すぎて害があるレベルといっていいケースすらあります。


機会があれば、


「良い姿勢で座る、あるいは立つということはどういうことですか?」


医者にきいてみればいいでしょう。
きちんと答える事ができる医者がいたらいつでも言ってください、申告してくれた方にはぺろりんキャンディーを進呈しますから。

スポーツで考えればわかりやすいでしょうか。
野球のピッチャーは良いフォームでボールを投げる練習をするわけですが、どれぐらい練習すればそのフォームはみにつくでしょうか、3日ぐらいやればいいんですかね?ボールを投げるのは、動きがあるから姿勢とは違うと思うかもしれませんが、良い姿勢で座るというのは静止するという動作なんです。ですから、ボールを投げるという動作と座るという動作にはなんの違いもないわけです。

良い姿勢とはどんなものか、ぱっと思いつくところだと小笠原流の礼法、作法なんてものがあります。
ほんとうに姿勢を正したいと思うのであれば、こういうところの門を叩くのは一つの方法だったりします。でも、姿勢が悪いなんていわれた人が、小笠原流に学ぶように言われたことなど皆無なのではないでしょうか?姿勢という言葉の意味を理解できていないのはこういうところに現れたりしているわけです。


先日、紹介した立つ動作ですが、多くの人にとって割と簡単に良い立ち姿勢を保つ練習できるはずです。




これが上達してくると、座り方、歩き方も変化してくるはずです。
5~10分程度でいいですから、立つ練習をしてから散歩にでもいってみてください。すると、歩様、つまり足さばきに変化がでることに気がつけるかもしれません。Facebookの方では、動画もあげていますので、わかりにくければのぞいてみてもらって試してみてください。 Facebookはこちら



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華陀という医師の話

三国志の末期のころに、華陀という医師がいました。
外科手術を行ったもっとも古い記録は彼によるものです。外科手術というと、西洋のものだと思うかもしれませんが、一番はじめは中国、当時の魏において行われた事になります。ですから、全身麻酔をはじめに開発したのも彼だという事になります。

世間で一般的に行われている足つぼというのも華陀は駆使していたようです。
足つぼにもいくつか流派があるのですが、そのうちのいくつかは、華陀からの流れをくむという事を謳っていたりします。ただ、この手の団体は縄張り争いをしていて好き勝手な事をいっているところが多くて、私も絡まれた事があります。そんな経験をしていると、流派の話は本当かどうか妖しいなぁと思いますし、少なくとも当時の華陀の技術は残っていないだろうなと思いますね。

ちなみに、世界でもっとも古い医学書は傷寒論という本になります。
書いた人は、張仲景という人になるのですが、どうも華陀とほぼ同じ時期に存在していたようです。ネットで傷寒論の事をみると、当時の風土病を解説したものだなんて書いてありますが、これは間違った認識です。私も翻訳されたものを読んだ事がありますが、人間の体の仕組みをかなり掘り下げて書いてあります。ただ、難解すぎて理解は私には無理でした。体の不調の症状、体の様子を観察した事が記述されているわけですが、そういう事が

「〇〇という気が強くなる。」

なんていう表現で書いてあったりします。それで、この気の種類が何十種類と分類されているのです。これをきちんと理解して説明できる人は、現代には存在していないでしょう。多分、当時でもいなかったと思いますけど・・・。


華陀の話に戻ります。


華陀の偉業は現代ではあまり知られてはいません。
この理由は、おそらく、華陀は彼自身がもっている知識や経験が学問だと認識していなかったのではないかと考えます。身につけた事をを全く文字に残していないからです。当然ですが、彼が開発した全身麻酔の薬も彼の死後、再現される事はありませんでした。

当時の医術は方技として扱われていました。
方技というのは、現代の感覚でいうと芸人、職人だと考えると一番近いと思います。方技に類する職業は、画家、音楽家、彫刻家、舞踊家、そして医者だったという訳です。医者という職業の現代のステータスの高さをを考えると、なかなか実感しにくいかもしれませんけどね。

インターネットの辞書、wikiで華陀のことを見ると、医者として扱われる事を不満としていたと書いてあります。
儒者として政治や行政に参加したいと考えていたけど採用されませんでした。それを理由に宮廷に仕えるのを拒みましたが、その姿勢に腹をたてた当時の指導者、曹操に殺されてしまいました。確かに、医者として宮仕えをすると地位が低く侮られることも多かったことでしょう。しかし、そんな自分の出世を目的としてくだらない理由で殺されるような人ではなかったと私は思います。

理由は簡単で、そんなみみっちぃ理由で宮仕えを断るような人間であれば、殺されてしまうような状況で我を通す事はなかったでしょう。
華陀は、自分の身をもっとも大事だと考えるのであれば、曹操に言われたように医師としての仕事をしていれいばよかったですし、殺されそうになったときでも命乞いをしたらよかったのです。実際、曹操の側近は彼の処刑を諌めて止めようとしたなんていう記述は残っていますから、華陀には自分の命より大切ななのかがあったのだろうと思います。

それでそれがなにかなのですけど、華陀はたぶん、


「何十万、何百万単位の人の命と健康を守りたい。」


そう考えていたのではないか?
という事に思いが至りました。世の中がこういう状況になってしまうと、私ぐらいの半端者でもついついそういう事を考えてしまうのですよね。そして、それを成すためにできることがあるなら、なんでも取り組んでいいたいとそう考えてしまいます。でも、それができないのであれば、


「目と手の届く範囲の人にしっかりと接していきたい。」


そう考えます。
華陀も同じような事を考えていたのではないだろうかと。技術やら知識やらに関しては大きな隔たりがあるので、私程度が華陀を語るのはちょっと問題があります。でも、華陀がそう考えていたのであれば、彼の行動が理解できるのです。
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