ブログ「日々整体」

自分の存在を消し去りたい

推拿という手技はご存じでしょうか?

実は、私は最近この推拿が気にいってあるお店に通っていたりします。中国では漢方、鍼灸に並ぶ療法の一つなのだという事は最近まで知りませんでした。


一応言っておくと、基本的に手技にいいとか悪いの差はあまりないと考えています。

その手技を実際に行う人の技量の差の方が大きなポイントだとは考えています。実際、私の整体だって


「同じ先生から教わっているのになんでこんなにへんちくりんな事を考えている奴なんだ。」


なんていう人も少なからずいたりします。現実は私の方が変わっているというのが正解なのでしょうが・・・。


私の見ている感じだと、治療家には大きく2種類の人がいます。

1つ目のパターンは


「こんな病気や怪我を治した俺すげー!」


って、言いたいタイプです。

残念ながら、こちらに属する治療科はダメですね。理屈と現実がずれたときに、理屈の方を優先します。医者なんかだとわかりやすいでしょうか?薬の効果がちゃんとでていない時に、


「きちんと薬飲んでいないのじゃないか。」

「なにか生活習慣に問題があるに違いない。」


とか言い出す人がそうです。

こういう事を踏まえて世間を見渡すと、


『ほとんどの治療家はこちらに属している。』


そういう事にすぐに気が付くと思います。スマホが、パソコンが、電磁波が、姿勢がとかいろいろ言ってくるのですけど、これは、


「自分の知識や技術が十分だから私は悪くない。」


という事が前提の話なのです。

こういう人は、今、目の前にいる体調が悪くて困っている人に元気になってもらうことより、自分のプライドを守る事を優先してしまいます。


私は違う存在、


「医とは医なきをもって良しとする。」


というもう1つの存在でありたいと考えています。

以前の話ですが、私は、


「難しい人は相談に来ないで欲しい。」


と本気で思ってしまう事がしばしばありました。

なぜなら、整体にこられた人がよくならないのはすべての私の技量や知識の問題だからです。だから、難しい人が相談来た時は、自分の力量不足を思い知らされる事が本当に辛かったのです。


まぁ、いくつかの覚悟が決めたというのもあって、こういった類いの恐れというのはほとんどなくなってきました。ただ、恐れがないというのは、また問題で、成果があがらない事に対して何にも感じなくなってしまってはそれはまた問題外ですからね。


ただ、成果があがらない時にいちいちへこんでいたら仕事にならないものですから、


「私が死ぬときに、そこそこ成果があがっていれば良しとしよう。」


という状態に身を置くことで淡々と仕事をこなせるようにしているつもりです。

それで、いつかは関わることができた人たちがすべてそれなりに満足した生き方ができて充実した生活をおくれるようになっていたらいいなぁとそんな風になるつもりです。でも、もしそうなってもそれは私のおかげではなく本人がそう望んだ結果そうなったと思うのが理想だと思う訳です。だから、私は最後にはみんなに忘れられて野垂れ死ぬことができたらたぶんいい人生になっているだろうと考えています。


こういうとちょっとわかってもらえるでしょうか。

治療家には自分の存在を誇示したい人と、自分の存在を消し去りたいと考える人の2種類がいるという事なのでしょう。私は後者でありたいと考えていますが、残念ながら同じような考えの人には会った事がありません。たぶん、これが私が1人で仕事をやっている理由なのでしょう。


推拿の話に戻します。


推拿は整体に通じるような発想の手技があって、古くからあるもののようです。だから、たぶん整体の考えにも影響を与えていると思われ余す。繰り返しときますけど、だから推拿がおすすめだという訳ではありませんからね。私が行ってみたお店がたまたま私に合っていたとうだけかもしれません。


ただ、受けていて思うのはもったいないなぁという事だったりします。

もうちょっと掘りさげて考えればもっといい技術の行使ができるだろうなんて思ってしまうのです。基本的な発想が、


「固まった部分をほぐせばいい。」


というところから抜けられないのです。

そういう人だと、


「だからストレッチしてほぐしましょう。」


なんていうアドバイスをしてくれるのですよね。


固い所が柔らかく動けばいい。

それはその通りではあるのですけど、そこをもうちょっと掘りさげると、


「どうしてここが固くなるのか?」


に到達することができると思うのです。

そこまで思考がたどりつくことができれば、きっと自分の存在を消し去れるのじゃないだろうかなんて思います。まぁ、それは自分の事は忘れられるという事を意味しますから、なかなか簡単にそう考える訳にもいかないのでしょうけど。

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辞世の句を考えてみよう その1

『おもしろき ことのなき世を おもしろく 
 すみなしものは 心なりけり 』

高杉晋作の辞世の句です。 
ただ、実際に高杉が考えたのは、上の句である 

『おもしろき ことのなき世を おもしろく』 

までで、下の句は臨終を見届けようとした坊主がつけたとかいう話だったと記憶しています。 
下手くそな下の句をみて、高杉は、 

「おもしろいのぉ。」 

そう言ってそのまま亡くなったそうです。 

高杉晋作という人は萩藩の名家の生まれです。 
小説やドラマなんかだと萩藩は、長州藩と表記されています。しかし、実は長州藩という藩は存在していなかったそうです。明治の世がはじまった時にどうも明治政府が歴史をかなりねつ造したようですね。その捏造の1つが萩という小さな地域の地名じゃなくて長州と中国地方一帯をイメージするような表記に変えられた訳です。

実は、明治後の歴史のねつ造はかなりすさまじいものがあります。教科書に書いてある事や司馬遼太郎の小説にもかなり嘘があるので注意が必要です。 

彼が松下村塾に通っていたことは有名です。 
伊藤博文、木戸孝允などと同じ門下生でしたが名門の生まれということでかなり立ち位置が違います。高杉は毛利家に高い忠誠心をもっていたのに対して、この2人は毛利家を大切にしようなどという気持ちはほとんどなかったようです。 

伊藤博文の発言に、 

『松下村塾には読み書き算盤を習いに通っていただけでなんの思い入れもない。』 

なんていうものも実際に残っています。 
塾生たちは、吉田松陰の事を敬愛していたみたいな印象がありますが実際はそうでもなかったのです。そして、萩藩は伊藤博文、井上馨、木戸孝允らの3人によってクーデターが起こり毛利家は力を失ってゆきます。これはどうも日本で内乱を起こして武器を販売しようとするイギリス商人から資金が流れ込んでいたようですね。彼らが日本の未来を考えて倒幕したなんてのは実はかなり怪しいのです。


高杉晋作はこの流れを苦々しいと考えていたようで、

「万が一の時には、朝鮮に毛利家を逃がして私は一生奉公をする。」 

なんていう発言の記録が残っていたりします。 
小説やドラマなんかでは萩藩は長州と名を変えて美化されていますが、萩藩の実際はかなりドロドロしたものだった訳です。 

高杉晋作ほどの人であれば自分がもう亡くなるというタイミングで、 

「毛利家はもう残らない。」 

という事はわかってたことでしょう。
先にあげた彼の発言からもそれはみてとれますね。 

萩藩と毛利家の繁栄を守る立場として、萩の名家に生まれたのに、それを為す事ができす。状況に応じては、毛利家の衰退に手を貸すというような行動まで取ってしまった高杉晋作が、 

「おもしろき このなき世を おもしろく」 

と詠んだのです。

高杉晋作ほどの才能のある自分でも世の中はまったく思い通りにならかったのです。
それに対して、

「すみなしものは 心なりけり」 

世の中は考え方次第で面白くなるという下の句はまったく見当はずれだと思いませんか? 


高杉晋作はとても高い詩作の才能をもっていたのですけど、


「面白い事のない世を面白おかしく生きるのは、自分の心次第だ。」 


なんていうまったく面白みのない辞世の句になってしまいました。


辞世の句すら思い通りにいかない高杉晋作は、自分の一生を振り返って、 

「面白いのぉ。」 

そう皮肉をいって笑って死んでいったのじゃないかと私は思うのです。
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右肺が動かせていないらしい

ある日のお風呂で、右手の人差し指と中指の爪に縦方向の黒い線がはいっている事に気が付きました。
  
あとで、見直したら親指にも入っていました。
爪の様子は体調を反映して様々な形や色に変化します。黒い線が入っているのは、私の体の右側になにかしらの問題があるという事を意味していますね。 

さて、ジョギングをしていると日々、違和感や痛みがでる箇所があちこちに変化しています。 
これは、 

『大きな問題があってその問題を解消するために必要な事が起こっている。』 

という事です。 
実際、走り方はどんどん変化していて、多分ですけど、どんどんよい走りになってきているような気がしています。これから晩年といっていい年齢に入ってゆくわけですけど、今後もこの調子で走り込んでゆけば割とよい状態で老人の体に変化してゆく事ができるかもしれません。まぁ、昨年は相当ガタつくところまで行ってたように思いますから、ここからちゃんと建て直しができるかは、まだまだ油断は禁物でしょうけどね。

爪になんらかの変化がでるのは頸椎の影響だと考えるとよいでしょう。 
胸椎の影響も受けてはいると思いますが、頸椎の方がより直接的に現れるという印象です。親指、人差し指、中指の爪になにかがあるという事は、頸椎の1~5の働きに問題があり、右手にでるのですから頸椎も右側に何かあると考えて間違いないでしょう。 

元々、ジョギングをはじめて最初にでた痛みは右膝です。 
だから、頸椎を中心に考えるなら頸椎1~5の右側の影響で膝の運動に問題がでていたと考えるの無難でです。もう少し詳細に述べるなら、頸椎1~5、胸椎1~5、右の肋骨、右の肩甲骨、右手親指の付け根あたりの可動性がかなり低下しているという事です。だから、左手を頭の後ろに回し右手を背中側に回して手をつなぐという柔軟性を確認するポーズがありますが、私はとにかく右手が後ろに回りませんからまったく手が届きません。 

これはどういう事が起こっているかというと、右の肺をうまく使えていないのだろうと思われます。 
私は5種体癖で肺が中心になる骨格です。そして、運動をする事が大切な体癖でもあります。だから、何をするのにも利き手側の肺の働きというのは非常に重要なのですけど、それがうまく動かせてなかった訳です。これはもう何をやっても意欲が続かないし、成果もあがらないし、みたいな事になっていた可能性が高いですね。 

「Youtubeに動画をあげようと思っても続かなかった訳だ・・・。」 

というのがこういうところで判明します。 
こういうのは意思とか気持ちの問題ではなく体の都合でやれないと考えると解決します。意思が弱いとかいって自分を責めるのは私にはただの横着にしか見えません。 

ちなみに、これは私にだけ適用される特殊なケースではありません。 
先日、ツイッターで私と同じ事になっていると思われる人を見かけました。やり手のサラリーマンという印象で成果もきっちりあげているのですけど、ダメな体の状態で義務感とか責任感で仕事をやっていたのでしょう。 
ある日、起きたら布団が真っ赤な血に染まっていて救急車を呼んで病院に駆けつけました。 
すると、 

『切れ痔』 

という診断だったそうです。 
元々、ひどい痔に困っていたらしいです。肛門というか腸という器官は肺の子分みたいなものです。肺の動きが悪いと腸が肺の動きを助けるためにがんばりはじめ緊張を起こします。すると、腸に様々な問題が起こるわけです。まぁ、この方はいびきがうるさいと家族から苦情を言われいたようで、いびき外来なんかにもいっていたみたいですけど、そちらでも無呼吸にならないようになんていうトンチンカンなアドバイスをされていたのをツイートしていましたね。 

つまり、肺の動きが悪いせいで、いびきをかいて、そして痔になってみたいな事が起こっている訳です。 
それなのに医者にいくと、寝るときには酸素ボンベを付けましょうとか、腸を切ってしまいましょうとか言われるわけです。本当に問題を解決したいのであれば肺がちゃんと活動してあげられるようにすればいいだけなんですけどね。 

こういう事がわかっていると、人生は大きく変えられるでしょうね。 
私のように右肺がダメな状態では成果はあがらないし、逆に肺がダメな状態で成果をあげるぐらい努力してしまうと体は痛んで病気になってしまうという訳です。だから、私は、 

「体は必ずきちんとしておけ。」 
「努力に逃げるな。」 

といつも言っているのですけどね。 
動けない、意欲がでない時、それにはそれなりの理由がちゃんとあるものです。そういう理由をちゃんと把握して対処していかないと変な病気になってしまう訳です。私だったら膝が痛くなるし、紹介したサラリーマンだと切れ痔になるのですから。 

さて、そんな訳で問題は 

「私の右側の肺をどうやって動くようにしていくか?」 

という事です。 
今やっているジョギングを続けることでなんとかしてみようと思います。運動の負荷は少しづつあげてきていてそれにつれてあれこれと気が付いてきた訳ですからなんとかなるのじゃないかと考えています。
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眠りにおいて大切な事

ネットで睡眠に関わる記事を見かけました。


「眠りに関する7つの勘違い。」


とかいうような、頻繁にみかける見出しだったと思います。

その中の1つに、


『リラックスしましょう。そのためにヨガやストレッチをやりましょう』


なんてのが書いてありました。


私は例によってくだらない記事だと思うわけです。

そもそも、


「リラックスするってどういう事ですか?」


という点をはっきりさせないまま語られてしまっています。
人間がリラックスするとアルファ波がでるとか、1/fゆらぎが大切だとか、そのためにはクラシックを聞くのがいいとか、心を穏やかにして深呼吸するのがいいとか、まぁ、いろいろうんちくがあるわけです。


でも、よく考えてみてください。
音楽はクラシックじゃないとダメなんですかね?ロックやヘビメタを聴くとよく眠れるなんていう人も現実にいるわけです。実際、学生のころの私はボン・ジョビを聞くとウトウトしはじめてほぼ必ず眠りに落ちていましたけどね。


だいたい、


「リラックスするためには静かにして心を落ち着けなくてはいけない。」


なんていうのがおかしいと思っていいのです。
確かに、眠りに入るときにはそうかもしれませんけど、寝る前から心を落ち着ける必要ってありますかね?例えば、昼間、遊び回ってくたびれきってしまえばよく眠れる訳です。今は冬ですけど、夏の熱い日に河原でバーベキューした日の夜とか、家族で公園にでかけた後とか、前後不覚といっていいぐらいぐっすりと眠れた経験はありませんか?

テンションあげて活動をしていれば疲れてよく眠れるのです。
つまり、リラックスしたいのであれば、ある程度疲れればいいだけなんですよ。だから、緊張していはいけない、力を抜いて穏やかでなければいけないなんていうのはおかしいのです。むしろ、緊張することをした後のほうがよく眠れるはずです。


だから、昼間、お茶菓子食べながらずっとテレビみていましたという人が眠れないなんて言い出したら、


「そんなのは当たり前だ。」


と突っ込みをいれなくてはいけません。
そんな風に、ずっとリラックスしている人はよく眠れるかというと逆に眠りが浅くなってしまうことでしょう。当然ですけど、そんな人がヨガとかストレッチとかしたって意味はないと思っていいでしょうね。

だから、眠れないというのであれば、まずは熱心に仕事に取り組むのがはじめの第一歩に来なければおかしいのです。仕事がないのであれば、ジョギングでも、ウォーキングでも体を動かして疲れるのが一番てっとりばやいでしょうか。このときに、どうしても仕事に集中できないとか、運動を継続できないとなれば私のような人間の存在が必要になってくるのです。

あと、あれこれ悩みがあって気持ちが落ち着かないなんてのは私にも普通に起こることです。
だから、まったく寝付けなくて困った日もあるし、悩み事が長引いてずっと悶々とする日々を過ごした事もあるでしょう。そういうのを、


「ヨガやストレッチでリラックスしましょう。」


簡単に片付けるのはちょっと違いますね。
もっと言うなら、私にだって酒を飲んで寝るしかないなんていう日はあるわけです。だから、何をしても眠れない日はあるし、そういうのは別に異常でも問題でもないとまずは考える事です。

眠りについてはいい加減な記述を頻繁にみかけます。
眠れないのはなぜか、それは簡単で、


「気持ちが落ち着く状態ではないから。」


というのがほとんどです。
体の中がぐちゃぐちゃ、例えば天候が崩れて荒れた海を想像してみてください。
そんな状態で深呼吸、ヨガやストレッチをしたぐらいじゃ落ち着く事はありません。つまりリラックスできない状態であるという事が問題だという事で、そこをすっとばして訳知り顔で語る人が多いという事に注意が必要です。

眠れない時は、まず起きておくことですね。
たまに寝ておかないと病気になるとやらと不安になる人がいますが、2~3日眠れないぐらいで人間の体はどうにかなったりはしませんから心配いらないです。そして、ちゃんと眠れなければ体が辛いのは当たり前の事です。その当たり前をちゃんと受け入れて、どうしても眠れない日が続くようなら、私のような人間のところへ相談にいくことです。

あと、薬では意識を失っているというだけ睡眠とはまったく事なる状態です。
安易に睡眠導入剤に頼ると辞められなくなって人生そのものが狂ってしまいます。そんな事にならないようにして欲しいと思います。
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