ブログ「日々整体」

日本人は頭を使わなくなってしまった

イチローが引退した時の発言に、


「メジャーの野球は頭を使わなくなってしまった。」


なんていうのがありましたが、


「メジャーの野球はスピード重視になってしまって、経験とかテクニックを活かすことができなくなった。」


と、捉えるとわかりやすいのじゃないでしょうか。
ピッチャーは速い球を投げ、バッターはその早い球に素早く反応して打ち返す。メジャーの野球はそれだけの野球になってしまっているのでしょう。実は、イチローは私と同じ年の生まれだったりするので40歳半ばなわけですが、これぐらいの年齢になるとスピードへの対応力は低下します。

イチローの発言を私なりに解釈してみます。
メジャーの野球は、30ー40球ぐらい投げたらピッチャー交代みたいなことになってんじゃないでしょうかね?ピッチャーは常に全力で投げて、球威が落ち始める前に交代しているわけです。そうなると速い球への対応力を失い始めているイチローではチームに貢献できないのです。要求されるのは速い球へ対応ができる若さをもった選手のみという事になっているのでしょう。


スピードに対応できないというのは衰えと感じるかもしれません。
しかし、野球というスポーツはスピードだけでやっているわけではありません。長くプレーし続けることによって、駆け引きが上手になって引き出しが多くなってくるという表現がわかりやすいですかね。


ドカベンなんかを読んでいると頭を使った野球をしています。
ストレートに目を慣れさせておいてから変化球で空振りさせにいくとか、序盤のピッチャーの球威があるうちは打てないけど球数が増えて球威が落ちてくるところで一発を狙うとか、打てない球はファールにしてピッチャーの球数を増やして失投を待つとか、野球には様々な駆け引きがあります。

長く野球選手として活躍していれば年をとってゆきますから次第にスピードを失います。
しかし、そのかわりに得ているのものもあるわけです。イチローぐらいの実力のある選手であればヒットを打つ以外でもチームに貢献する方法などいくらでもあるのです。このあたりの駆け引きが野球というスポーツの面白さであり、イチローが長く選手として活躍できた理由なのでしょう。そして、このことを踏まえて考えると、


「頭を使わなくなった。」


というイチローの発言はしっくりくるのじゃないでしょうかね?
求められるのは速い球を投げれるピッチャーとそれを打ち返すことができるバッターだけになってきているわけです。だから、今のメジャーは、


「よく頑張っても27歳ぐらいまでが限界ですよ。」


なんてことになってんじゃないでしょうかね。
ボクシングでいえば、ノーガードで殴り合ってどっちが先に倒れるかみたいな試合ばかりなわけです。そういうのが好きな人もいるでしょうけど、野球が好きな人だと見ていてつまらないんじゃないかと思いますけどね。


メジャーで活躍することにしか価値を見いだせない人ならイチローは衰えて引退したとしか考えられないでしょう。でも、本当のところは野球選手として成熟しつつあるイチローは、


「もっと面白い野球がしたい!」


と、メジャーに見切りをつけたんじゃないでしょうかね。



私も日頃仕事をして、


「もっと考えなあかんわ。」


なんて発言をする事が多いですね。
人間は年をとったからといって衰えるような生き物ではありません。年齢を重ねるにつれて洗練されてどんどん元気になってゆくことができる生き物です。


「年をとったら腰や膝が痛くなってきた。」


なんて発言は、スピードをなくした人間には生きる価値がないみたいな非常に面白くない考え方といえます。

ドリフのコントで老人を捨てる山みたいなのを見たような気がします。
ドラマなんかでも見たことがありますかね。じじ捨て山とか姥捨て山みたいなストレートな表現はなくなりましたけどね。最近になって、そういう施設が山のようにできているという事に疑問を感じてみてもいいのじゃないでしょうか。


「ある程度の年齢まで生きたら周囲の人に迷惑をかけないように施設にはいって心臓が止まるまでおとなしくしていてください。」


私ならこんな事をいわれら気が狂うぐらい腹がたつでしょうけどね。



「もっと面白い生き方をしたい。」


そんな具合に、頭をちょっと使ってみれば、もうちょっとましな生き方と死に方ができるんじゃないでしょうかね。


あ、書き終わってから気がつきましたがメジャーどころか、野球なんて10年以上まともにみていません。メジャーの事情も、イチローの頭を使わないという発言から想像の翼を広げただけですので、嘘をいっている可能性がありますから他人とこんな話をするときは注意してくださいね。
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ちょっと意外なめまいの原因

めまい3巨頭と私が命名した人たちがいます。
平たく言うと、


「これでいいと思うのだけど、なんかうまくいかない。」


そういう人たちでずいぶん長いこと辛い思いをさせてしまっています。
ちなみに、3人ともにあなたは3巨頭の一人だよなんて話をしていますがまんざらでもないのでしょうか。あまりにも辛さを感じている時間が長いせいで達観しているのか、もしかしたらそう悪い気もしていないのでしょうか。どういうことであれ選ばれた存在であることに人は満足を覚えてしまうのかもしれません。


それで、先日、


「あなたも加えて4巨頭にしようか?」


なんていう話をした人がいました。
でも、4人だから四天王がいいですねと。すると、


「あまり嬉しくないですね。」


なんていう返事でした。
で、私はどうやらこの人は3巨頭には遠く及ばない存在のようだと思ったわけです。


この方が、これまで3巨頭に数えていなかったのは原因がすごくはっきりしているからです。
何かというと、


「子供の頃に鍵が顔に刺さったことがある。」


ということです。
最初、鍵が刺さった事が関係しているのではないかと本人から説明されていました。ただ、その当時ではそんな事が影響してめまいを起こすなんて事は私の想像の及ぶところではありませんでした。だから、


「それはないだろう。」


という返事をしていました。
実際、それでも一旦はめまいが落ち着いたのです。ところが、数年後にまためまいがしはじめたとやってこられたのです。それで、何回か整体しているときにふと気がついて、


「あれ?顔のここになんかやってないですか?」


と聞いてみました。
すると、鍵が刺さった跡ですと、私は完全にそんな話は忘れてしまっていましたね。このやり取りをしている時に、


「1回だけそんな話をしていた。」


と思い出したわけです。
そういえば、なんで、そんなものが顔に刺さったかという事については詳しく聞いていませんね。きっと不幸な出来事があったのでしょう。


怪我は血が止まって傷口が塞がれば治ったいうわけではありません。顔面に鍵が刺さったなんていう大怪我ならばなおさらです。


で、話がちょっとそれますが、


「体のここの異常、子供の頃とかになんかあったはずだ。」


と『私が指摘しても、そんなものはないと全否定する人問題』という問題が最近何回かつづいています。直感的に理解しにくいのはわかりますが、一緒に考える姿勢というのをもてないとめまいというのは解決が不可能になってくる事がありますね。


話を戻します。


平たくいうと、大怪我した影響で頚椎とか頭骨に不都合がでていて、そのせいでめまいが起こっているわけです。こういうケースだとどうしても時間がかかってしまうということで、


「仕方がないから巨頭の列に加えようか。」


なんていう考えが浮かんでくるわけです


技術面でもうちょっと工夫の余地はないかとあれこれ考えていなくはないのですけどね。
ただ、こういうのは気づくかどうかみたいなところがあります。ある日突然、思いついて一気に解決するなんてこともあるケースでもあったりします。








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6月30日(日)品川 受付中です

6月30日(日)の品川での場所を確保しました。


日時 6月30日(日)
  10:00~ 10:45~ 11:30~
  13:00~ 13:45~ 14:30~
  15:30~ 16:15~ 17:00~ 17:45~ 


希望される方は電話にて申し込んでください。

ところで、こういう人はたいていうまくいかないという余談です。
耳鳴りとかめまいとかが辛いので早く見て欲しいという方ってたいていダメというかうまくいきません。目先の苦しさから逃げる事を最優先してしまうから、魑魅魍魎の話に右往左往してしまうし、すぐに成果があがらないと


「ダメだ。」


とすぐに見切って他を探し出します。
そんなんだったら申し込まないでほしいのです。難しいケースは少なからず存在しますし、体の状態が変わるのに時間が必要な人だっています。それなのに、


「辛いから今すぐに体をみて変えてくれ。」


という具合にやってくる人がそこそこいるのですよね。
はっきりいっときますが、私は万能ではないし、便利屋でもありません。そして何回も繰り返しますが、難しいケースは少なからず存在しますし、体の状態が変わるのに時間が必要な人だっています。今は私の技術や知識が及ばないけど近い内に追いつくからそれまでちょっと待っててくれっていう人だっています。


体の調子が悪くなる時というのは、


「これからの人生をどうやって生きていくのか?」


というのを考える時だと考えています。
晩年に差し掛かっている方でも同じで、残りの人生をどうやって過ごすかということを考える時間なのです。人によってその時間が長くなってしまったりするわけですけど、長引いたからといってその期間が無駄になることは絶対にありません。

いろいろなものを失ってしまったように感じるかもしれませんけどね。
でも、人間っていう生き物は何かを失ったらそれと同等かそれ以上のものを必ず手に入れているものです。それは絶対に間違いありませんから安心してもらっていいですよ。


と、まぁ、こんな話を聞いてなんとなくピンとくるものがあるのでしたら遠慮なく申し込んでください。






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6月の品川、日暮里について

6月分ですが、品川、日暮里ともに予約一杯で受付することができません。
ちょっと具合が悪いので、もう1日行く日を増やすことができないか、スケジュールを調整してみます。


こんなはずではなかった・・。
行き始めた頃には、休日に、品川へ行って空いた時間でアキバのメイド喫茶で心温めようとか思っていたのです。ところが、現実はホテルの部屋でゴロゴロしているだけという状態で・・・。人生はなかなかうまくいかないものです。



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人は変化して生まれ変わる生き物

ある日の私は異様に活動的になっていました。
朝、目が冷めたらさっと体を起こして趣味の遊びに没頭して、それに飽きたら出勤という流れに淀みがありません。通勤は原付きなのですが、


「何人たりとも俺の前の走るんじゃねぇ!」


というぐらい快調でした。

ところが、翌日は一転していました。
目が冷めても体を起こそうという気になりません。炊飯器の音が聞こえているので時間は推測できているのですが、おそらく一旦寝直していたのではないかと思います。その時間は5分なのか、30分なのかいまいちよくわからないぐらい覚醒が遅かったですね。

体を起こしたあとも、体に疲れが残っているのを感じます。
様子をみてみると腕に疲労からくる硬直があるのがわかりました。おそらくそれで寝起きがよくなかったのでしょう。


通勤の運転では、


「お先にどうぞ!」


というぐらいに、昨日とは180度変わっています。


こんな話を聞いても、


「昨日は忙しかったのじゃないですか。」


と思うだけかもしれません。
ほとんどの人とって、寝起きと運転の様子がちょっと違うという程度の話ですしね。ただ、私においてはその程度ですが、体の具合があまりよくない人だと、耳鳴りが大きくなるとか、めまいがきつくなるとか、胸が苦しくなるとか、そういうことが起こったりします。こういうときに私がよくいうセリフが、



「体の調子の変化に振り回されるな。」


ということです。


この2日の私の体の変化はどういうことかというと、昨日は体の緊張が高まっていたせいでテンションが上り、今日になってそのピークを超えて弛緩が始まったということです。


ちょいと忙しかったもので疲労が溜まってる時期だったわけです。
で、その疲労が抜ける変化が体に起こったわけですけど、そのときに起こるのはまず体が緊張して、その後で弛緩がはじまるということです。この流れでいくとその翌日は品川にいくわけですが、品川から帰る頃に元気になってきて翌日は元気を余らせてどこかにでかけようなんてしているんじゃないかと思っていましたが、まさしくそのとおりになりました。


私であれば疲労が抜ける流れはこんな風になるわけです。
ところが、私のところへ相談にきているような人だと、


「昨日までは調子がよかったのに、今日は急にしんどくなってきた。」


なんてことを言い出したります。
私に言わせればそれでいいのです。私の場合だったら、疲労が抜けていくってだけですが体の具合が悪い人も、この緊張から弛緩へ変化が起こったときに体が一番大きく変わります。だから、こんなことをいってくる人がいたら、


「耳鳴りは鳴らしておけ。」
「ふらふらしていればいい、ホームに落ちて電車にひかれないようにだけ気をつけて。」
「心臓が止まったらもうそれは寿命だから諦めてください。」


なんて返事になるわけです。


高調と低調なんていう言い方をするときもありますかね。
体の調子というのは日々、変化していくわけです。まぁ、だいたいそれが潮の満ち引きというか、月の満ち欠けに同調しているらしいですけど、個性なんかもあると思うのであまり掘り下げて考えなくていいんじゃないかとは思っています。ただ、月単位でみたら変化があるし、年単位でみたら12年の周期で変化していくという話もあります。そして、私も12年で体の調子は1周するという考えで体をみていると非常にしっくりきています。暦でいうと干支が12で、1年が12ヶ月なんていうのもそうですし、心理学のペルソナや整体の体癖も12で分類していますからね。


蛇足でもうちょっと付け加えてみましょうかね。
13という数字を不吉とするのは、12を超えたら1に戻らないと具合が悪いのに戻れない人はなんか起こしちゃうのじゃないでしょうかね。あと、厄年とか更年期というのも12から1への体の変化がうまく起こせないときの状態といえるでしょう。まぁ、12で割れないからこのあたりはもうちょっと掘り下げないとうまく説明できないのでしょう。たぶん、易とか勉強するとあれこれと能書きがいえるようにはるはずです。


さらに、蛇足が続きます。


タロットカードなんかは、それをさらに細かく22で表現しています。
タロットカードは災厄、戦争、争い、病気なんて意味のカードが含まれているから結構好きだったりします。人間の一生には争いとか病気は必ず起こるものなんですよね。それを知っていれば、私がたまに原付きで暴走してしまいそうになるの当然の事なわけで、それがわかっていれば事故を起こすような事はほぼなくなるはずです。

それをダメだと、頭が戦争状態になっているのに、それはいけない、ダメだとかいう人が他人に喧嘩をふっかけたり、交通事故をおこすわけです。クレーマーなんていう人種はそういう状態の時に、反撃されない相手を選んでいちゃもんをつけてきているだけだと考えるとわかりやすいかもしれません。

だから、じゃあ、そういう時はどうやって過ごしましょうかと考えるのが元気に生きる事じゃないでしょうかね。まぁ、このあたりの数字とその意味なんていうのは体の変化とか成長にほぼ符号しているでしょうから、いくらでも掘り下げようはあると思いますけどね。勘がよくて上手に生きている人は、こういう体の変化に対する感受性が高いから、そのときどうしたらいいのかという判断が常に適切なわけです。


まぁ、こんな事を知っていれば、人間とういう生き物は常に変化していくものですし、人生のうちに体は何回か生まれ変わっていてそのたびに新しい人生がはじまるのだとそういうこともいえるわけです。そういう大きな流れとか変化、変遷が必ずついてまわるのだから、永遠不変でいようなんて考えていると必ずおかしな事になるわけです。
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