ブログ「日々整体」

脱炭素っておかしなことをやってませんか?

モンスターハンターライズというゲームを買って息子と2人で遊んでいます。 
略してモンハンというゲームなので聞いた事のある人もいるかもしれません。大型の獣を狩ってその獣からとれる素材で武器や防具を強化していくという流れのゲームです。4人での協力プレーが可能なのが特徴で、かつてはPSPや3DSといった携帯ゲームをもちよって友達と遊ぶのが主流でした。 

そのゲームのプレイがテレビで流れたそうなのですけど、それを見て、 

「狩られる動物が可哀想だ。」 

なんていっている発言がSNSでそれなりの数になったそうです。 
それを聞いて私が思った事は、 

「鳥、豚、牛といった肉を食っている、その口でそういう事を言うのだろうなぁ。」 

という事です。 
これ、肉を食わないベジタリアンだという人がそんな事をいっていても実は同じなんです。 

なぜかというと、狩っているのは村や街に被害を与える獣だからです。
タイトルがモンスターハンターという事からわかるとおり、自分が操作するキャラは狩人なのです。 

身近な例でいうと、農家が育てた農作物を食べてしまう、鹿やイノシシを狩っているようなゲームです。 
もしかしたら、こういう意見をいう人は、今の日本でも農家に獣害というものが存在しているという事も知らないのかもしれまません。 

山から街に降りてきたイノシシや熊を地元の猟友会が撃ち殺したなんてニュースが流れると、 

「どうして殺したのだ?」 

というクレームをいれる人が後を絶たないそうです。
殺してしまう理由は、人間が住む街や村の食べもの味を覚えた獣はまたやってくるようになるからです。山に追い返しても、再び田畑を荒らしたり、家に上がり込んで食べ物を物色するようになります。放置して、そのタイミングで人に出くわしたら、死傷者がでしまう事だってあるでしょう。だから、人里に降りてきた野性の生き物は間引いて、人間の生活圏との境界線を作っていくことが必要で、そういう事はおそらく2000年以上前からずっと続けられてきたはずなんですよね。 

近年だと、狩猟を行う人の数が減っていて鹿やイノシシの数は増加傾向にあるそうです。 
予算も削られて、猟友会への手当が大幅に削減されて、熊がでても猟友会が出動を拒否せざるを得なくなっているなんていう地域もあるそうです。熊を狩るという行為は命がけだという事を政治家なり役人たちが理解していないのかもしれません。 

それで、 

「環境保護とか温暖化とか、そういう事を問題にする人たちに、こういう認識ってあるのだろうか?」 

と思ったのですけど、たぶんないのじゃないでしょうか、環境相の小泉なんかその典型かもしれません。 

「案外、知られていないんですが、日本の山にはたくさんイノシシや鹿がいるんですよ。」 

とか言い出しそうな雰囲気を醸し出しています。 
彼は日本の山々には熊、イノシシ、鹿が存在する事すら知らないかもしれません。まぁ、これは勝手な想像なので怒られるかもしれませんけど、だいたいはそういう人が火力発電を辞めようとか安易に言っているように感じています。 

技術革新によって少ない電力で生活をしてゆく社会を目指すのはありだと思います。
でも、それって人間の生活圏を狭めてイノシシ、鹿、熊だったりの生存エリアが広まるという事です。これから取り組もうとしている、環境保護というのは、そういう事だと気が付いている人ってきっといないのでしょう。 

そうなった時に、 

「あなたは、イノシシの牙に突かれて死んでしまってもいいんですね?」 

というぐらいの事はちょっと考えた方がいいのではないかと思いますけどね。 

だいたい二酸化炭素が増えて困るというのであれば、アメリカだったり、アフリカだったり、アジアだったり、世界各地に存在する、砂漠だったり、荒野だったりを、まずは全て緑化すればいいだけなんじゃないですかね。また、すべての国は国土の7割程度を緑あふれるようにすればいい。本当に環境保護を目指すのであれば、これだけの事で済んでしまいますけど、それだと利権が生まれないから、方向がずれた脱炭素になってしまうのでしょうかね。

脱炭素をやるのもいいですけどね。 
地球は、温度がそれなりにあがっても、実はそれほど困りません。実際、過去を振り返ると北極と呼ばれる地域まで森林が広がっていた時期があって、その時代には、地球上すべてが森に包まれていたそうです。 

「人間なんて数が減ってもいいし、なんだったら滅んでもいいじゃないか。」 

と私なんかは思いますけどね。 
人間だけが特別な存在だなんていう考えがあるからおかしな事を言い出すのじゃないでしょうか。

もちろん、生まれてきた人はそれなりに幸せになって欲しいとは思います。 
でも、将来生まれてくる人間がずっと増え続ける必要があるかというとそんな事はないでしょう。持続可能な社会というのを目指すのであれば、そこらあたりからもうちょっと考える必要があると思うのですけどね。
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ダイエットをはじめてみた整体師の話

ダイエットをはじめてみました。 
私は体重はここ2~3年、増減が大きくて86~96kgと、上下10kgほど変動しています。体調がよくなってくると減ってくるのですけど、落ちてくると増えてきます。体の調子が悪いと食事のコントロールができなくなってしまうためです。 

そういえば、私の体重を聞くと、 


「そんなにあるように見えない。」 


と言われることがあります。 
学生のころバスケットボールをやっていた頃、体重は70kgでした。幅のある体格ですが、それぐらいの体重で一番動けていたように思います。バスケのリングの高さは3.06mだったでしょうか、それを掴もうと思うと垂直跳びで90~100cmぐらいは飛ばないといけないですけど、わりと普通に届いていましたからね。 

それなのに、健康診断のBMI指数のチェックで必ず肥満という事でひっかかるのです。 
それで、再検査の診察を受けると、ぱっと見で、 

「あなたは問題ない。」 

と追い返されるという事を繰り返していました。 

「だったら最初から呼ぶなよ。」 

と思いますけど、数字で人を把握しようとする人たちにはそういう融通は利かないようです。もしかしたら、私の医者嫌いはこういうところがスタートかもしれませんね。 


それで、そういう骨格の私のベターな体重はおそらく80kgぐらいではないかと考えています。 
体重というのは年齢とともに減っていく人と、増えていく人がいるのですけど、私は後者だと思われます。年をとっても、まったく変わらないという人もいない訳ではないでしょうけど少数派です。 

理由は簡単で、人間って年齢とともに穏やかな気性になってゆくのが普通だからです。 
穏やかになるという事は骨盤が開くという事を意味していて、骨盤が開くと体重は重くなります。また、年齢とともにちょっと太る傾向のある人の方が健康である事が多いですね。 

さて、私の体重が90kg前後を大きく前後しています。 
こうなる理由は私の体に問題があるからです。20代の頃だったのですが、バスケットボールで激しく転倒してかなり強く頭を地面にぶつけています。平たくいうと打撲、ムチウチが体に残っているのです。 

自分の体を自分で観察するのはなかなか難しいものです。 
ずいぶん前から、たぶんそうだろうなぁとは思っていたのですけど、やっとそれが確信にかわってきました。ほかにもいくつか心当たりがあったので確定しにくいとか、頭ぶつけた事で一発でおかしくなった訳でもない可能性があります。だから、古傷の判断というのはなかなか難しいのです。 

それで、このムチウチが残っているのが私が太ってしまう原因です。 
ムチウチが体に残っていると、このムチウチを緩めたいという欲求が起こってそれが食欲に化けてしまいます。

ダイエットのブログとかYoutubeの動画とかみていると、うまくいかない人は間違いなく自分の意思が弱いからだと自分を攻めていますけどね。 

そういえば、ちょっと前に、安田大サーカスのくろちゃんがダイエットをしているのをみかけました。 
彼のまったく痩せる気がない行動をみて、なんて意思の弱い奴だと多くの人がそう思った事でしょう。でも、本当は、ダイエットできる体ではないというだけの話でそれは彼の責任ではありません。 だから、くろちゃんも私が整体すればきっとやせてくるはずです。

書店にいけばダイエットの本など山のようにありますけど、私に言わせればほぼ無意味ですね。 
体重なんていうのは、体の状態に合わせて変化するもので、体重を調整して体調を変化させるのはかなり難しいからです。 

整体をして体が整ってくると全ての人は体が引き締まってきます。
ダイエットが簡単だという人と、いくらダイエットに一生懸命に取り組んでも必ず失敗するという人の差は実は体の状態に差があるだけなのです。 

まぁ、そんな訳で、私は自分の怪我の後をどうにか整体してもうちょっと痩せたいと考えています。なんとか年内にそれなりの成果がだせればいいのですけどね。 
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品川、日暮里の4~5月の予定について

品川、日暮里の予定を更新しています。
希望される方は、電話にて申し込みください。
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残りの人生プラン

50歳以降の人生プランを考えています。
今の所、

・畑付きの家で半自給自足
・物価の低い国に移住する

という2つの案があります。
前者は来週からでも物件の下見ができますが、後者は現状の社会状況を踏まえるとそう簡単にはいきません。

一応、現状のすまいでも半時給生活は可能ですが、古いマンションで今後の見通しがはっきりしていないので引っ越しも視野にいれています。外国については、先日、思いついたものなのでどこの国がいいかなんてことも、まだなんにも考えていないんですけどね。

現状、こういう具合にぶれるところがあるという訳で、まだまだ検討が足りないという事なのかもしれません。

私には所得が年収100万台だった時期が何年かあります。
その経験があるせいではっきりとわかるのですけど、日本は所得が低い方が生活が楽になります。つまり、中途半端な向上心はかえって生活を苦しくしてしまうだけだという事を体感しているのです。今後、消費税が上昇をつづけるとちょっと様子が変わってくるので、当時はという但し書きは必要かもしれません。

ついでにいうと、さらに消費税があがると生活が成立しない個人や家庭が、かなり増えてくると思うのです。すると、戦後みたいに闇市が当たり前になってくるかもしれませんね。消費税を律儀に払っていると生活できないのですからこれは当然の流れだと思えます。それを防ぐための電子マネー化と、我々の生活は本当にがんじがらめにです。そう考えると、地域通貨とかポイントとかをやりだす流れも当然出てくるわけで、日本という国そのものの存在意義が失われていってしまうかもしれません。

ちなみに、闇市がさかんになると、メチルアルコールを酒だといって飲んだり、妖しい甘味料をおかしだといって食べる人間がたくさん出てくるわけで、そういう具合に、今、あるものは全部壊してしまってもいいのかもしれないと思ったりもします。

話を戻します。

所得を追いかけない生活は実はかなり楽しかったりするわけです。
だからかもしれませんけど、今でもしっかり稼ごうとい気持ちはほとんどありません。もちろん、潤沢なお金があったらこれが欲しいなぁと思うことは頻繁にありますけど、お金で手に入るものってその時の気分だけのものなんですよね。すでに、本当に欲しいのは物じゃないという事には気がついているわけです。

また、低所得とは別に収入ゼロという時期もあります。
それはそれでまたちょっと違う感覚です。この事は以前にどこかで書いたようにも思いますけど、その間は私にとって非常につまらない時期でした。

「仕事をしないで生活する。」

というのは、多くの人が憧れるものかもいれません。でも、仕事をしないでいる日々は、生活をとんでもなくつまらなくするものでした。

専業主婦が社会との繋がりがなく孤独になっているなんて話を聞いたことがあるのではないでしょうか。たぶん、それと同じかもしれません。


「私のような人間でも仕事を通じての社会との繋がりを必要としている。」


という事なのでしょう。

さて、そういう事を踏まえたこれからの人生プランは、

・死ぬまで仕事をする
・所得は最低限度のレベルでよい

という事が大きなポイントになってくるわけです。

こう考えると物価の低い外国に行くという選択は理想とはちょっと離れているかもしれません。ただ、医療が不十分な国へ地域へいって整体をやっていくという案はなかなか捨てがたい考えでもあったりします。この辺りは今後の社会状況の変化をみながら判断してゆきたいところです。


さて、これを書いている時に、

『人生は100年の時代に突入する。』

という本の紹介をみました。
年々、寿命が延びているから今の若者は100歳を超えるのが当然で、80歳ぐらいまでは元気に仕事をしてられるみたいな事が当然の世の中が来るなんて書いてあるそうです。

この予測は私は多分違うだろうと思います。
なぜなら、現状の医学はそんな立派なものじゃないからです。また、人間という生物を観察していて思うことは、充実した人生を送る人は寿命が短くなるし、長く生きる人は細い生き方をするという事です。医療が進歩しても、ホモサピエンスという種の寿命が伸びる事はないと確信を持って思います。中途半端に進歩を、大きな一歩だと勘違いしてる学者がおかしな事を言い出しているだけの事だと思います。

少なくとも私は希薄に長く生きるつもりはありません。
日々を充実させて、

「ざまーみろ。100歳まで生きれる訳がないだろう!」

と言い残して死んで行くつもりです。
でも、そう考えるとあと10年ぐらいしか余命はないかもしれないですね。死にそうな気配がでてくればたぶん、気が付くとは思うのでまだもうちょっと大丈夫だろうとは思いますけど。

30年はもう無理だと思います。
だから、あと10年生きた場合、あと20年生きた場合の2パターンの生き方を考えるのがよいかもしれません。で、それ以上生きてしまったときの事は、ちょっとだけ考えておくという事でよいような気がします。

繰り返しますけど、私は死ぬ直前まで仕事をしているつもりだから、考えなければいけないことはそれほど多くはありませんね。
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ガンの話 その3

「ガン細胞っていうのは本当は我々の味方だよ。」 

私はいつも、そう説明しています。 
このように考える理由は1つや2つではありません。でも、その中で大きなポイントは2つでしょうか? 

・働きが落ちた時にガンができて、働きが高まるとガンが消える。 
・ガン治療で生きる力が衰えた時にはガンは小さくなる。 

後者についてもうちょっと補足しておこうと思います。 

ガン治療をすると生きる力が弱まります。 
実は、ガンが見つかったという人の体は弱っているという印象がまったくないときがあります。元気に暮らしている訳ですから、 

「ほっておいたらどうですか?」 

なんて話をする事もありますが、ほぼ全て人が治療をはじめますね。 

私に言わせればガン治療は治療とは呼べないものです。 
でも、治療をすると、ガン細胞が小さくなったりします。ガン細胞にだけ注目して考えればそれでよいのかもしれません。しかし、どうも人の体を弱める事によってしかガンを小さくするという事は達成されないようです。 

この事は、テレビドラマなんかで見た事がある人もいるのじゃないでしょうか。 
ガン治療をしている人は、吐き気や体の痛みに苦しみに悶絶している様子がよく描かれています。もしかしたら、実際に身内がそうなっているのを体験したことのある人もいるでしょう。私自身も髪が抜けちゃって、頻繁に嘔吐している人の体の様子を見たことがあります。 

ガン治療で、こうなってしまう理由は簡単で、生きる力が失われていってるからです。 
かしな話だと思いませんか? 

「生きる。」 

治療というのはそのために行われるもののはずです。
しかし、現実に行われている治療では生きる力を失わせているのです。 

もっと解りやすく、平易に 

『止まらない程度に心臓の力を弱める』 

とでも表現すると、ちょっとはわかりやすくなるでしょうか。 
ピンことなければ、寝たきりの老人を想像するとよいでしょう。死なない程度に心臓が弱っている人は寝たきりになります。 

若さがあるうちは寝たきりになったりはしくにいでしょう。 
でも、ガンが小さくなったり無くなったりしても体の生きる力は損なわれています。 

「治療のストレスで鬱になった。」 

なんて話を頻繁にききますけど、心臓が弱っているのを観察できてないから、鬱なんていう曖昧な診断で誤魔化しています。 


「生きてさえいれば、いいことはある。」 

確かに、それはそうでしょう。 
でも、寝たきりになって自分の事が何にもできなくなっている人に、この言葉は届くでしょうか?幸せを感じるというのは、体がしっかりしているから感じる事ができるものです。だから、生きる力を失っている人は、嬉しい、楽しい、そして幸福を感じる事ができなくなります。 

「ガン細胞は幸せと引き換えにしてまでなくしてしまう必要があるのか? 」

そいう考えてみる事ですね。 
幸せなど、思考をこねくりまわしたり、考え方次第でなんとかなると思う人はなんでもかんでも試してみればいいでしょう。ただ、生きる力というものは1回失ってしまうと元には戻らない事がありますから、よくよく考える事をおすすめします。 


さて、

「ガン細胞というのは正常に働かなくなった器官を助ける働きをしている。」 

私はそのように考えています。 
最初にあげた2点を踏まえれば、当然のように導きだされる答えです。その1,その2にも合わせて読んでもらえればもしかしたら私と同様に考えてもらえる人も多少はいるかもしれません。 

ガンの話 その2 (登録で無料で閲覧可能です。)


また、こう考えるとガンが転移していく仕組みも理屈は簡単です。 
人は、命が尽きようとしている時、体のあちこちの器官が弱っていっていきます。その働きを助けるためにガンが生まれてくる訳です。 

だから、多分ですけどガンがあってもそれでうまくバランスがとれて元気に暮らしていける人もいる事でしょう。しかし、今日の医療は、早期発見、早期治療みたいな事を謳っていますから、怪しげなものが見つかれば早々に治療が開始されてしまいます。医師にとっては、ガン細胞というのは、必ず増えて、転移して、必ず人を死に至らしめる細胞だからです。 

また、ガン細胞にはもう1つ大切な役割があると考えています。 
それは、 

「穏やかに亡くなっていくためのもの。」 

という役割です。 

私はいつも飛行機における不時着システムのようなものだと説明しています。 
飛行機というのは、スピードを失う、つまり失速すると墜落してしまいます。でも、腕の良いパイロットは、真っ逆さまにドーンっ!と落ちてしまうのを防ぐ技術をもっています。 少しでも衝撃を和らげるよう不時着するのです。

ガン細胞というのは、そのパイロットの役割をしていると思えます。 
肺などの器官が突然に機能停止してしまうとその当人は非常に苦しい思いをして亡くなってゆきます。突然、息ができなくなるのですから当然です。でも、本人が苦しむことがないようにガン細胞は肺の働きを助ける訳です。肺の機能が落ちてゆけばガン細胞は増えてゆきますし、また、そうすることで苦しまないで亡くなっていくこともできる訳です。 

だから、ン治療をやっていた人で穏やかに亡くなった人っていないのじゃないですか? 
それに対して、見つかった時には全身に転移していたなんて人は、逆によい人生を送り、良い死に方をされただろうと思われます。 実際にそういう話を何人か聞かされてします。


ただ、残念ながら、私は人が亡くなる様子に立ち会う事はほぼないですから確認はできていません。でも、確信めいたものはありますし、当たらずとも遠からずだろうと考えています。 


「どのように生きて、どう死んでいきたいか?」 

それを考える事ができればいいのですけどね。 
ほとんどの人は、ガンにならなければ永遠に生きる事ができると考えてしまうようです。あるいは、死について考えなければずっと生きていられると思いこみたいのかもしれません。 

だから、この話はほとんどの人には響かないみたいです。
医療が我々の人生に大きく関わりすぎているせいで気が付けないのでしょう。でも、医者は人間の体のことをそれほど理解していないということは日々の整体で嫌というほど感じています。
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