ブログ「日々整体」

不登校についての考え方

「医療は心臓が止まらなければ異常なしとしてしまう。」

不登校という問題はこの事をわかりやすく理解させてくれるかもしれません。
不登校なんて気持ち問題だと大半の人は思うかもしれませんが、私のところには常に数名の不登校の子供が通っています。頭が痛い、朝起きれないなどの理由が大半で、気の利いた事を言う医師であれば起立性調節障害なんていうかもしれません。

そんな事から、体の問題で不登校になっている子供はかなり大勢いると感じています。
ただ、その全容は私のような仕事をしていては把握しようがないのが実際です。珍しくない程度に見かけるというもので、私のところへたどり着いてこられる人の割合がどの程度いるのかわからないからです。

もちろん、総ての不登校が体の問題ではないでしょう。しかし、体が健全、元気に過ごせる状態であればそれだけで不登校の大半はなくなってしまうのではないかと考えています。

今回は、ざくっと二つのケースに分類して考えてみましょう。

1つ目は、学校で辛い事があったというケースです。
不登校になってしまう事の理由に、

「そんな程度で学校へいけなくなってしまうのか?」

と思ってしまうものが少なくありません。
他人からみたらたいしたことがなくても本人とにとっては大問題だったりすることもあるからです。ただ、これはどういう事が起こっているかを簡単に述べるなら、子供がくじけてしまっているのです。もしかしたらくじけるというより、心が折れるとかいった方がピンとくる人が多いかもしれません。

さて、嫌な事、辛いこと、ストレスに対する強さ弱さが個人差がありますけど、それはいったいどこからくるものか考えた事はあるでしょうか?

ほとんどの人は、

「努力や根性が足りない。」

といって、考えるのを辞めてしまう傾向があります。
NHKのドラマでオリンピックの選手が0.1秒差で金メダルを逃したのですけど、その選手に、

「努力が足りない。あと0.1秒努力すれば金だったのにもったいない。」

なんていっているシーンをみかけた事があります。
数値だけをみれば確かに0.1秒ですけど、その0.1秒がとてつもなく大きな溝や山だったりすることもあるのです。

さて、くじけるというのは、運動に置き換えるとわかりやすいかもしれません。
運動能力には個人差があって、グラウンドを3周走れる人もいれば10周以上でも平気で走る事のできる人がいます。この運動能力の差を、体力の差といってそれ以上掘り下げて考えるのを辞めてしまうのですけど、そこをもうちょっと掘り下げてみてください。

運動能力の差が何かというと、単純に心臓と肺の能力、つまり心肺能力の差が運動能力の差だと考えるといいでしょう。心臓と肺の能力が低い人は、グラウンド3周で限界に来るし、強靱な心肺を持っている人はグラウンドを30周以上でも平気で走れる訳です。つまり、くじけるというのは、心肺能力の限界に達した状態、心臓や肺がうまく機能しなくなっているのです。それを心が折れると表現するのは、まさしく文字通りという事と言えるでしょう。

私が松岡修造をいつも例にあげて説明するのは、彼はこの限界の見極めがとても上手だからです。
彼は、3周しか入れない子供に4周走らせて褒める、10周が限界の子供には13周走らせて評価するという事を感覚的にやっています。そうやって限界を越える事で体は丈夫に元気になっていくのです。しかし、この事がわからない人は、

「最近の子供たちは、平均で7周走れるから、走れない奴はダメだ。」
「あと0.1秒努力すれば金メダルだった。」

なんて言って心を折ってしまうのです。

そして、ストレスや逆境に対する強さは心肺機能に依存しています。
ピンとこないようであれば、強靱な人間の事を鉄の心臓をもつとか表現したりしますね。このことから転じて考えをすすめると、不登校になる子供は総じて体が弱い傾向があるという事がわかります。心肺機能は、主に頸椎3、6、7番、胸椎1.2,3,4番が深く関係していますから、このあたりに問題があるのであれば不登校になってしまう可能性が高いといえるでしょう。そして、何より現実に学校にいけないという事で相談にこられる子供たちは皆、心肺機能に問題を抱えています。

2つ目のケースは、1と同様ですけど頸椎3、6、7番、胸椎1.2,3,4番に問題があってそれが頭痛だたったり睡眠に影響がでるまで大きな問題になっているケースです。頸椎6番が狂ってしまうと腎機能に問題がでてくる事があるので、泌尿器に異常がみられる事もあります。世間ではこちらのケースは起立性調節障害と言われることが多く、実際、私のところへ相談にくる子供はほぼすべてがこちらのケースです。ここまで体が悪くなると、

「医者は異常がないと言うけど、なんかおかしい。」

と気がつくようで他の手段や方法を探し始めて私のところへたどり着くようです。

起立性調節障害は、原因がわかっていないとか言われています。
しかし、私に言わせれば心臓、肺、腎臓の働きに問題があって、活発に活動、そして生活ができない状態であるというだけです。

ここで最初に述べた言葉を思い出してください。

「医療は心臓が止まらなければ異常なしとしてしまう。」

私が指摘するのはこういう事です。結果として、生活に支障がでているのはストレスとか原因不明になって謎の問題として扱われてしまっている訳です。

ちょっと補足しておきますが、最近はストレスという言葉が便利使いされてその本質からどんどん離れていってしまっています。現在の医療においては、

『わからない=ストレス』

という公式が成立しています。

もちろんいじめだったり学校の教師がひどい人間で行けないとか、そもそも学校教育に向いていないなじめないなんていう子供もそれなりの数がいるとは思いますけどね。でも、あなたが親で子供が学校にいけてないというのであれば、

「もしかしたら医療ではなわからない体の問題があるのでは?」

と考えてみることは無駄ではないでしょう。当然、そんな状態では、好奇心だったり、向上心を発揮する事すらできません。

子育てについて迷っている人へは、

「子育てとは子供を丈夫な体にしてあげる事です。20歳になったからしっかりしなさいなんていっても体がひ弱なままだったらしっかりする事なんてできませんよ。」

と、いつもアドバイスしています。

春は腰痛の季節です

ぎっくり腰というのは熟練離婚みたいなものかもしれません。
定年まで勤め上げた男性が、定年退職して、

「これからは夫婦水入らずで穏やかにスローライフを過ごしたい。」

なんて思っていたら離婚を切り出されるという奴です。
こうなってしまうのは夫婦間の愛情や信頼が長い年月をかけて枯渇してしまったからです。当人にしたら寝耳に水になるのかもしれませんが、その兆候はずいぶん前からあったはずで、それに気がつかなかった男性が間抜けだっただけの話です。まぁ、こんな事をいっている私自身がそういう境遇に陥る事はないかというと、根拠も自信もありませんから間抜けなんていう言葉を使うのはかなり躊躇してしまいますけどね。

ぎっくり腰というとほとんどの人が急に腰が痛くなって動けなくなるのを想像すると思います。
しかし、体のなんの問題もない人が突然に腰が痛み始めるなんて事は絶対にありません。その兆候はずいぶん前からあったはずで、それに気がつかなかっただけの話です。

ぎっくり腰というのは、

「ある日、腰が痛くなった。」

という事に対して、医者がどうしてそういう事が起こったかを説明できないだけなのです。

こうなってしまうのは、人間の体を部位単位で考えてしまっているからでしょう。
医療は、心臓とか、腎臓とか、肺とか、整形外科とか、脳とか、耳鼻科とか、精神科とか、それぞれの専門をおいて人間の体を考えるのが常識になっているので担当分野を超えた思考ができなくなっています。だから、腰が痛いのであれば腰に問題があると考えて、腰だけをみて説明しなくてはいけないと信じ込んでしまっているのです。私に言わせると、間抜けとしか言いようがありません。

さて、

「熟練離婚の原因ってなんだと思いますか?」

たぶん、小さな違和感だったり、不満が少しづつ少しづつ積もり積もってそういう結論に達したのでしょう。そういう信頼がかけらも残っていない夫婦に、

「お互いを思いやり信頼する気持ちがない事が問題だ。」

なんてアドバイスをする事には全く意味がありません。

ぎっくり腰だって同じです。
痛みがでた時はもういろいろが手後れになっている状態です。将棋でいうと詰みの状態で、そんな詰んだ状態で痛みだけをなんとかしたくないというのは、離婚を切り出された時に、

「これからは夫婦水入らずでスローライフを過ごしたい。」

と言っているようなものなのです。


腰を痛めたくないと思うのであれば普段からそれなりに注意をして生活をしなくてはいけません。

実は、ぎっくり腰というのは心臓の問題です。
春への季節の切り替わりの際に骨盤が開いて体が緩んでくるのですが、それがうまくいかない人がいます。その時に体にもっとも起こりやすいのが、

「心臓がうまく緩まない。」

という事です。
だから、私はその事を

「4月1日が1年でもっとも心臓が止まりやすい日ですよ。」

と説明しています。

私の経験をひとつお話しましょう。
4月1日の土曜日だったのですが、整体の予約が朝から3件続けて取消になりました。その理由が、

「母が倒れて亡くなった。」
「母が倒れて亡くなった。」
「父が倒れて亡くなった。」

というものでした。
もちろん、この3名の方は縁もゆかりもない人たちです。その時は、こんな事があるのだなぁと思っていたのですが、その日の昼からの人たちの体の様子をみると、ほとんどの方が胸椎4番、腰椎3番に力が集まって抜けなくなっていて、大半の方が腰が痛いといっていました。胸椎4番、腰椎3番は心臓の動きに関わる骨で、心臓がうまく緩まなくなっていて力がこもってしまうのです。そして、その結果として、春は腰が痛くなる訳です。

最近はエイプリルフールなんてのは廃れましたけど、嘘をついて驚かせるとか多分心臓が緩むのでしょうね。
あと、酒を飲みながら花見をするなんていうのは、心臓を緩めるための行為でだからこそ習慣化されていたのだろうなぁと思い至りました。そう考えると、この時期はもっともお酒がおいしく飲めるだろうという事も想像できます。だから、桜の開花にあわせて日本全国で花見なんてやっているのでしょう。

さらに余談を続けると、近年はワクチンの摂取が盛んでこのワクチンがどうも心臓に悪さをしていると思われます。ここ数年は外出を控えるような事になっているので今年なんかは腰が痛いと騒ぎ出す人が例年より大量にでるだろうと思いますね。腰痛だけにとどまらず心臓が止まってしまう人も少なくないかもしれません。まぁ、誰彼かまわず心臓が止まる訳ではなく、

「この時期に心臓が止まるという事はそれは寿命が尽きているからだ。」

だと考えるのが正解だとは思います。

話を戻します。

当然ですけど、この時期は腰が痛いといって相談にこられる方が増えてくる訳です。
しかし、痛みがでたらもう手遅れというか、基本はもう痛みがでれば解決済みと考えるのが正解です。腰に力を集める事で、心臓を緩めているので、程度の差こそあってもしばらく放置したら痛みは消えていく事でしょう。だから、逆説的にいうと腰が痛くなって心臓が止まっていなければ目的は達成されているのです。

相談にこられた方の心臓が止まるような様子がなければ腰椎3番のケアをして、

「もうしばらく痛がっておけ。」

と済ませています。
まぁ、大半の人は、

「痛いのは嫌だからなんとかならんのか。」

といってきますけどね。
来年の春にはどうやったら穏やかに花見ができるようになるかと切り替えて考えた方がよいですね。

痛みが嫌だ、辛いと駄々をこねるのは、心臓が止まるリスクを高めると理解しなくてはいけません。
最近の医療の心臓を止めない技術はめざましいものがあるのでそう簡単には止まらないかもしれません。ただ、熟練離婚を切り出された男性が無理矢理に奥さんを繋ぎ止めて、その後の生活がどのようなものになるかはよく考えた方がよいでしょう。

春の腰痛の根本的な原因は、体を緩める能力が落ちているという事です。
人は、歳をとると体を緩める能力が落ちていきます。それは別に衰えるという事とはちがってメリットもちゃんとあるのですが、春に腰が痛くなるようであれば衰え過ぎていると考えるとよいでしょう。骨でいうと一番重要なのは頸椎6番、胸椎10番、腰椎4番です。もし、緩める力というのがわかりにくければ、ぐっすり眠って朝すっきり起きる能力だと考えるとよいでしょう。

あと、心臓が緩まないとパニックといわれる状態になる人がいます。そのためこの時期はヒステリックな電話がもっとも多くなります。

「春になって暖かくなるとなるとおかしな人が現れはじめる。」

なんていう言葉を聞いた事がありませんか?これは本当の事だと思います。
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神経が緊張するとはどういうことか?

鬼滅の刃というマンガとアニメを知らない人はいないでしょう。 
これを書いているのは2022年3月で、秋葉や日本橋だけでなく、スーパーのレジ横から喫茶、飲食店までありとあらゆるお店で鬼滅ノ刃のコラボ商品を見かけます。 

その主人公の竈炭治郎(かまどたんじろう)という少年は嗅覚がとてもすぐれています。
友人が二人いて、一人は我妻善一(あがつまぜんいつ)、善一は聴覚がとても優れています。もう一人が嘴平伊之助(はしびらいのすけ)というのですが、イノシシのマスクをかぶって上半身が裸の人だというと、鬼滅の刃を知らない人でも見たことはあるのではないでしょうか。 

伊之助なのですが、炭治やと善一と同様に優れた五感の能力をもっています。 
それでその事を何人かの人に話したのですけど、どうもわかっていなかったようなのでちょいと説明してみようと思います。人によっては、伊之助の能力について理解をする事で健康に対する捉え方が変わる人もいるかもしれません。 

伊之助は、五感の中では触覚が非常に優れています。
ですから、その能力を活かして姿を隠した鬼を探し出す活躍をしています。その能力を最大に発揮するのが『獣の呼吸 漆ノ型 空間識覚』ですね。五感を四方八方に伸ばして全ての方向の索敵を行う技です。マンガ原作らしい、荒唐無稽な技だと思うかもしれませんが、これは我々にも実際に備わっている、 

「気配を感じる。」 

という能力で伊之助はこの気配を感じる能力が常人より優れている訳です。 

気配というのは何を感じているかというと空気の流れを感じています。 
空気の流れは肌で感じます。伊之助はその空気の流れをはっきりと感じるためにずっと裸でいるのです。イノシシのマスクをかぶっているのは視覚、聴覚、嗅覚を制限することで触覚に意識を集中するためのものでしょう。伊之助は目で鬼の動きを追うのではなく肌の感覚で鬼を捉えているという訳ですね。アニメの中で数回、伊之助が服を着るのを嫌がるシーンがありますが、それは伊之助にとっては周囲の状況把握ができなくなる、つまり私たちにとっては目隠しされるようなものだからです。 

劇場版を見たことのある人は思い出してみてください。 
十二鬼月、下弦の一の魘夢(えんむ)という鬼は、炭治郎には視線を合わせる事で何度も炭治郎を夢の世界に誘い込んでいました。それなのに伊之助にはその攻撃は一切効果がありませんでした。野性のカンで視線を反らしているなんていっていましたが、数百もある目の総てと目をそらすのは現実的ではないので、伊之助は目を閉じていたのではないかと私は思っています。 

ちなみに、目以外の感覚で行動する動物だと蛇なんかが有名ですかね。 
蛇は視力が弱くほとんど見えていないそうですが味覚と触覚で目以上に状況を把握しているそうです。蛇が舌をチロチロと出しているのは周囲の状況を把握するためな訳です。 

それで、どうしてこういう話になったかというと、 

「寒いのに子供が服を着るのを嫌がって薄着になる。」 
「靴下を嫌がる。」 

という話があったからです。 

こんな事をいう理由は、触覚の神経が緊張して過敏になっているからです。 
肌感覚が過敏な人は厚着をした時に服を着ている感触を不快と感じるようになります。多分、服が重いとか体にまとわりつくとかそういう風に感じているはずです。家にいるときはジャージで過ごしているなんていう人にも似たような傾向があるかもしれません。

こういう神経の状態の人は寒いのに薄着で過ごして、でも暖房はガンガン焚いてみたいな事をやっているかもしれません。裸族なんていわれる人の大半はこういう人たちのはずです。だから、服を着るのを嫌がるのでその傾向を変えたいのであれば、触覚の神経の緊張を緩めてあげないといけません。頸椎でいうなら2,5,6番あたりがポイントになるはずです。 

ちなみに、私だと砕けた服装は体だけでなく気もゆるみだらけてしまいます。 だから、ラフでもジーパンを履いてベルトをしている方が休日を有意義に過ごせるような感じがします。 

ただ、伊之助の触覚神経が過敏かというと、たぶん違うと思います。 
なぜなら、神経が過敏の状態だとアレルギー反応を起こしやすいからです。鼻の神経が過敏だと花粉症を起こすように、肌の神経が過敏だと、裸で山野を走り回る伊之助はすぐにかぶれて体が真っ赤っかに腫れ上がることでしょう。そうならないという事は、触覚神経の末端の根が普通の人より多い、たぶん数倍以上あるというような特殊体質だろうと思われます。

また、伊之助は何十メートルも離れた場所に潜んでいる鬼を知覚するほどの鋭敏な触覚です。
そんな高感度な肌の感覚があるとおそらく気が狂ってしまうだろうという事もいえます。例えば、サメなんかは触覚が敏感で鼻の部分に手で触れるとおかしくなってしまうなんて話を聞いた事はないでしょうか。サメは血一滴の匂いで平常心を失ってしまう事があるぐらい感覚が敏感なのです。伊之助の怒りっぽい無茶苦茶な性格は、彼自身の優れた触覚に由来しているわけです。 

鬼滅の刃が大ヒットした理由は、こういう具合に、身体的な特徴がそのデザインにちゃんと反映して表現されているからといえるでしょうね。 あ、ちなみに私は設定資料なんかを一切見ていないのでもしかしたら原作者は違う事を考えているかもしれませんけどね。ただ、少なくとも私からみて伊之助のキャラクター設定には一切の穴がないと思える訳です。

ちなみに、こういう事がわかってくると、才能をもつという事、その才能は自身を傷つける諸刃の剣であるという事がわかります。普通であるという事がどんなに幸せな事であるかと考え直してみるとよいでしょう。 

とりとめがなくなってきたのでまとめます。 

人間の体は、神経の緊張があると体を壊すというほど単純ばものではありません。 
それが、個性や才能に繋がる可能性があるという事も少なくありません。だから、無闇矢鱈と緩めればいいとかリラックスが大切だなんていう話を間に受けるのは辞めておいた方がいいでしょうね。そういう事を踏まえておいてもらって、 

「裸族は嫌だから普通の人間になりたい。」 

というのであればご相談いただけるとよいでしょう。
先に述べたとおり花粉症だったら目や鼻が、耳鳴りだったら耳が、めまいだったら三半規管が過敏だというだけです。伊之助のように天賦の才をもっている人なんてほぼないと思いますので、たいていの方はなんとかなると思います。
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うつは遺伝するのか?

「精神病は遺伝する。」

今後、一般的になりそうな知識ではないでしょうか。
心の問題なんて後天的なもの、環境や社会の影響が総てで生まれは関係がないと考える人には暴論としか思えないかもしれません。しかし、統計データによる研究だと精神病を患った人の子供は同様に精神病になる傾向が高くなります。だから、

「精神病は遺伝する。」

という事は事実だというのが常識になりつつあります。
そこから転じて犯罪者だったりもDNAによって犯罪率があがるのがわかっています。だから、そういうDNAを持った人間は社会から隔絶した特区を作ってそこで生活をさせるべきだなんていう考えを述べる学者もいます。

暴論に感じるかもしれませんが、データからは病気や癌になる、犯罪を冒すのはDNAの影響が大きいというのははっきりと見て取れる傾向なのです。

そんな事を知らなくても癌家系という言葉はご存じでしょう。
癌は遺伝する傾向があるのは多くの人が肌感覚で知っている事です。精神病はそれと同じな訳ですが、精神の問題は遺伝しないという根拠は、そうであって欲しいという願望ではないでしょうか?

こういう話をすると、けしからんと怒り始める人が一定の割合でいるそうです。
よりよい社会を作っていくためには客観的な事実をちゃんと見つめる事も必要です。仮にそれが、とても残酷な事だったとしても・・・。

しかし、今回あえてこの学術的に導きされつつあるこの結論に異論を挟んでみたいと思います。
権威のあるいくつもの大学がデータを解析した結果にケチなんてつけてみるのです。権威主義な傾向のある人には、私が馬鹿にしかみえなくなるかもしれません。でも、私に言わせれば学術研究には大きな穴があることが珍しくありません。ふんぞり返って偉そうな事をいっていても、人間の体の事に関しては、案外、大したことはない事はなかったりするものなのですよね。

まず、遺伝というのはどういうものでしょうか?
体格や顔の形が親子で似るのは珍しい、奇妙だとは思わない事でしょう。後ろ姿だとどっちかわかららない親子だったり、兄弟など思い出す事も難しくないでしょう。これが遺伝というものだと言われれば疑問を感じる人はまずいないだろうと思います。

どういう事が起こっているかというと、血縁関係にある人は骨格が似ているという事です。
遺伝情報を記憶するDNAが近いというのは骨格が似てくるという事です。骨格が似ているということは、体質が似てくるということです。その似た体質の人間が、同じ生活習慣で生活をしていれば同じ病気になりやすいのは当たり前のことです。だから、厳密に言うなら骨格は遺伝するけど病気が遺伝をしている訳ではないということです。


具体的な例をあげると、肩に変に妙な角張った出っ張りのある人がいたのです。

「肩には武器が収納されているのですか?」

と冗談をいって笑いあっていました。
それぐらい異様というかかなり変わった骨の形をしていました。その後の、その方の娘さんの体の様子も観たのですけど、肩の骨に同じ特徴がありました。兄弟にも同じような特徴があるとの事で、骨の形が遺伝しているという事がわかります。

こういうケースはこの家族だけではありません。
むしろ普通というか、親子であれば骨の形、骨格に同様の特徴があるのは当然のように観察する事ができます。

次に、赤ん坊は、母親の体の状態をコピーして生まれてきます。
例えば、母親の頸椎3番に異常があったとします。するとその母親から生まれてくる赤ん坊には頸椎3番に同様の異常がみられます。どうも子供は子宮での成長の際にそのように育つようなのです。だから、母親の呼吸器に難があれば子供も呼吸器に、心臓に問題があれば子供も心臓に問題を抱えて生まれてくる事になります。このケースだと、頸椎3番は呼吸器に関係が深い骨なのでぜんそくなどを起こしやすくなります。

これは遺伝とは違うといえます。
遺伝というのはDNAのコピーによって起こるものだからです。しかし、母親が抱えている問題はその子供も抱えているというケースが圧倒的に多くなります。先ほど述べたとおり、呼吸器に問題のある母親の子供はやはり呼吸器に難を生じる事になります。

なんでそうなるかという事ですが正直にいってうまく説明できません。
ただ、何十人もの母子の体を観察しているとほぼすべての親子の同じ骨に問題がみつかるのです。だから、どうも子宮で成長するという事はそういうことのようです。

ちなみに、こういう事がわかっていると、逆子が起こるのは母親の体になんらかの問題があるからだという事もわかってきます。うまく育ってくれないとか流産してしまうなんてのは母親の体になにかの問題が潜んでいるからです。このあたりの詳細は以前に記事をかいたのでそちらを読んでいたくとよいでしょう。




繰り返しますが、これは遺伝とはいえません。
なぜなら成長過程において問題が生じているからで、遺伝子が影響して骨に問題がでるのではないからです。だから、狂っている骨を正せばちゃんと機能するようになります。

それで精神病についてです。

精神疾患のある人は頸椎2~3番に異常があります。
頸椎がどのような状態になっているかを観察すると、招き猫の手のような形に大きく歪んでいる事が多いです。これは指で骨をなぞっているとそのように感じるという事なので、レントゲンなんかでみたら別の見え方をするかもしれません。

また、多いですという表現になるのは、医療においてよくわからない不調は精神疾患にされてしまう事が多いのです。そのため、本当は精神の問題ではないのに精神疾患にされてしまっているというケースが少なくありません。だから、様々な症状があるのでひとくちにいってしまうは乱暴なのだということは理解しておいて欲しいと思います。

ここまでが前提条件です。


精神疾患になるには以下のような3つのケースを想定するとよいでしょう。

A.頸椎2、3番に遺伝的な特徴がある。
B.母親の頸椎2、3番に問題がある。
C.その他のケース

AとBのケースで精神疾患になってしまった人は、遺伝が原因であると言ってしまってよいか?
答えはノーで、私の考えでは、

「遺伝で病気になってしまうという事が生まれたときの運命で決まっていたのではない。」

という事になります。
Aのケースは、体の調子を崩したときに精神病になってしまう傾向が高いというだけです。その体質や体癖にあわせたケアをしてあげることで十分に予防する事が可能です。骨格が同じ人が同じ生活習慣、食生活ならば、同じ病気になりやすいのは当たり前の事です。家族、家系に同じあるいは似たような病気になるのはそれで説明が可能です。古い家なんかだと、家訓があったりして、その家訓を守る事で健康を守っているなんていう事があるかもしれません。

Bのケースは、そもそも体に問題があるので、DNAによる遺伝は無関係です。
当然ですが、体の問題を解消してしまえば不調はなくなります。これは親も子供もどちらもあてはまります。本当は、母親は出産時に、子供は成長の過程で体の問題を解消していくのですが、今の日本では、医療がそれを邪魔してしまっているので健全な体に戻る機会をほぼ失ってしまっています。

なお、統計データなんかをみると70%以上が遺伝が原因で精神疾患を起こしているなんていう結果がでています。調査ではAとBと合わせて遺伝が原因であると結論をだしているから当然の事でしょう。私の感覚からすると、Aのケースは10%未満、Bのケースが80%程度だと思います。

Cについては、ケースに合わせた対処法を考えれば済みます。
余談ですが、私の理解が進んで、昔の骨折が原因でおかしくなっている人のケースを見かけるようになってきました。骨を折った古傷が精神疾患に関係があるとは思えないので大半の人は解決不可能かもしれません。よくわからないから精神疾患でいいやという判断で的外れもいいところです。


こういう状況を想定して、

「精神病は遺伝するか?」

という調査をしたどういう結果がでるでしょうか。
おそらく違う結論がでるはずです。統計データを表面的にとらえていると、このような安易な結論になるという事で、そこからさらに深く読み込む事でまったく違う解釈が可能です。

なお、この考えは3つほど突っ込みができる点があります。

1つは、医療において骨の状態が悪く機能が不完全であるという事を客観的に確認できない点です。これはもう医療の進歩を待つしかありません。今の様子をみていると最低でもあと100年ぐらいは待つ必要があるのじゃないかと思います。

2つめは、父子関係についてです。父子関係において遺伝するというのは、Aのケースがほとんどでしょう。つまり大半は環境によるものです。父母子の3者の体を観察したこともありますが、やはり母の影響の方が大きいようで、母の体の問題が大きく表にでてきている例を観ています。

3つめは、盗癖です。一部の盗みに関しては、骨格が関わっているとみて考えるのが正解のようで野口晴哉師が盗癖の治し方について述べた文がを残しています。おそらく心臓の動きが弱い人にそういう傾向が出るのだと思います。だから万引きといった、盗癖は遺伝をしてしまう可能性があります。ふと思いましたがルパン三世は、ルパン家のそういう遺伝を受け継いでいるのかもしれません。
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花粉症のメカニズム

「花粉症は花粉が原因である。」 

ほぼすべての人の共通認識でしょう。 
しかし、ちょっとだけでも掘り下げて考えてみてください。日本中の杉の木が花粉を飛ばしたからといってすべての日本人が花粉症に苦しむ訳ではありません。すべての人が花粉に対してアレルギー反応をする訳ではありませんから、花粉症の人がいくら増えてたといっても一定の割合の方が花粉症に苦しむだけの話です。 

そして、 

「アレルギー反応は生まれついての体質なのだ。」 

と多くの人が思い込んでいます。 
私の印象だと、医者がこのような説明をしているのを聞いた事がありませんけどね。彼らにとっては勘違いさせた方が都合がよいのでちゃんと説明をしていなかったり、その勘違いを訂正をしないのではないかと悪意を感じるケースすらあります。 

アレルギー反応の検査はできるようですから、その結果をみて、 

「私にはこのようなアレルギーがある、そしてそれは死ぬまで変わらないのだ。」 

と思い込んでいるようです。 
同じ思考の流れで自分は花粉にアレルギーがあるから自分は花粉症であると思い込んでしまうようです。生まれついての花粉症の持ち主がそのように思い込んでしまうのは仕方がないかもしれません。しかし、成人してからとか、老齢にさしかかってから花粉症に悩み始める人もいたりします。そういう時は体質がわかったという事になるのでしょうかね?花粉に対してアレルギー反応がでるようになるという事はあるのに、その逆はないと思い込んでしまうのは私には不思議でなりません。 

アレルギー反応は神経の緊張状態が起こす物です。 
目の神経が緊張していると目が花粉に過敏に反応して涙がでてきます。そして、鼻の神経の緊張が強いと鼻の粘膜に花粉がついたときに鼻がそれに過敏に反応しすぎて鼻水がでてくるのです。

ただ、目にゴミがはいったときに涙で流しだそうとする反応は正常なものです。そして鼻の穴に埃が入ったときにくしゃみや鼻水をだしてそれを鼻の中から外に出してしまおうとするのもやはり体の働きとしては正常なものです。つまりアレルギーというのは、このように異物を体の外に出そうする働きが過剰に働いているという状態だということです。目や鼻の神経が通常の状態より過剰な緊張状態にあるというだけの事です。 

その緊張がより強いものだと病気に変わる事があります。 
目だったら緑内障や白内障、鼻だったら蓄膿症だったり副鼻腔炎だったりといった具合です。病気というのは総じて神経の緊張が強くなりすぎた時に起こってくるものなのです。整体で病気が治る訳がないと考えている人は、一回ぐらいはじっくりと考えてみる事をおすすめしますね。 

花粉症の方が、花粉への過剰な反応を適切な程度に静めようと思った場合、調整する骨は目だったら頸椎2番、頸椎鼻だったら3番になります。身体感覚のすぐれた人であれば、目を左右に動かすときに頸椎2番が動くとか、鼻をくんくんと動かす時に頸椎3番が同時に動いている事を知覚できる人もいるかもしれません。 

大半の人はわからないでしょうから、補足をしておくと頸椎2~3番の緊張は三叉神経を経由して目や鼻の神経に影響を与えます。イメージできない人は、三叉神経で検索をかけてみるといいでしょう。三叉神経は目や鼻の周囲に伸びる神経の束ですのでその神経の緊張が過剰になると花粉症になるのです。 

余談ですが、歳をとって花粉症になるケースがあるのは、老化というのは頸椎の弾力を失うというのと全く同じ意味だからです。だから若さを保ちたいと考えている人は、頸椎の弾力を保つためにはどうすれば考えるとよいのです。

もしこの話にピンとくるものがあれば相談にきていただくとよいでしょう。 

「私の一生は花粉症と向き合う事だ。」 

なんて具合に、花粉症に苦しむなんてのは私にはナンセンスとしか思えません。 
寿命が尽きるという時にそうなってしまう事はあるかもしれません。しかし、普通に暮らしていれば、それなりの配慮をしていれば頸椎は簡単に狂う物ではありません。一回、治まってしまえばそうそう再発なんてことにはなりません。
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