自分の劣等感と向き合う話
2021年10月22日
若者について書かれた記述をみると、自分に才能がないなんていう具合に自分を卑下した考えをよく見かけます。
そういうのを見ていつも思う事は、
「私なんぞに比べれば、そんな事はないだろう。」
なんていう事だったりします。
私は人生を50年ほど生きてきたわけですけど、自分ほど半端な才能しかもっていない人間はそうはいないだろうと思っています。実際に、会った方にこんな話をすると驚くというか、会話から得られる印象とのギャップを感じるみたいですけどね。偉そうにふんぞり返っているいるように感じるのであれば、それはきっと私の自信のなさの現れでしょう。
若い頃からいくつかの事に挑戦してきました。
どんな事をやってもある程度の成果はあがるのですけど、ある程度のレベルまでいくと、
「この人を超える事は私には無理。」
そう思える人が必ず現れるわけです。
持って生まれたものが違うとしか思えないのですよね。
そういうのを何回も何回も繰り返していると、自尊心なんてボロボロになってきます。
自分が大した事のできない人間だと気が付かされるのですけど、それを認める事を若さが邪魔をするのです。その若気の至りがついに、
「自分は究極の器用貧乏になろう。」
なんていう考えにたどり着きます。
『なんでもできる男』
なんて具合に言い換えて格好をつけているときもありましたね。結局、何に対しても本気になって取り組むことのないつまらない考えに落ち着いてゆきます。
こういう事をいっていたのは、20代後半の頃でしょうかね。
ただ、30前半の頃だったと思うのですけど、唐突に
「このままではダメになってしまう。」
と思って、数十万円もするあるセミナーに参加してみたのです。
それが私にとっては大きな転機になりました。まぁ、正確にいうならセミナーに参加した翌年にそのセミナーがきっかけで大きな気付きが得られたという流れですけどね。
それで今はどういう具合に生きていこうかと考えていると、やはり、
「究極の器用貧乏」
で、言葉にすると同じだったりします。
今、興味のある事はユンボの運転と、イノシシや鹿の狩猟だったりしますのでこれから勉強だったり、免許をとったりしようと考えています。整体もできるし、釣りもできるし、バイクの運転もできるし、ユンボの操作もできるし、狩猟もできるとなれば、結構、いい感じで暮らせるのじゃないかなんて考えています。
そして、そんな風に思えた時に、
「整体という仕事に死ぬ直前まで取り組んでいこう。」
と素直に考える事ができるようになりました。
結局、この考えに至る理由が、コンプレックスから発するものか?
というところが私にとっては大切なポイントなのでしょう。別にコンプレックスを動機にあれこれできるのでしたら、それはそれでも問題はないと思います。
この手の話、ついつい教訓めいた話になってしまうので、ここで止めておきます。
正解なんてありませんからね。私の場合は自分の内面とちゃんと向き合えた時に、自分の劣等感ともちゃんと付き合えるようになったという経験談だと思ってもらえたらいいですかね。
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