ブログ「日々整体」

余命より安心感?整体師が見た医療の誤り

整体師である私には全く理解できない考えなのですが、

「損をするぐらいなら不健康な方がよい。」

という人が一定の割合で存在しています。
もちろん必要以上にお金をかける必要はありませんが、

「生きてさえいればそれでよい。」

と考えている人の考えは私には全く理解できません。
私からすると、生(人生と言い換えてもいいかもしれません。)は可能な限り充実させて死ぬときに、

「いい人生だったな。」

とふり返ることができるような生き方と死に方をしたいと考えています。これまで整体師として、一番驚いた方は、私に対して、

「もうすぐ死んでしまうのでしょうか?」

と質問してきた方です。

これは整体師としての特技だと思いますが、余命がある程度はわかることがあります。当然ですが、医療における検査で問題がなかったとしても、人間という生物として生きる力が残っていない人はそれが体になんらかの形で表にでてくるものです。そういうこともあって、

「すぐさま死ぬような気配はないですから、もうちょっと活力ある、元気な生活ができるように工夫をしてみるといいですよ。」

とよくアドバイスをしています。
人間は、何かに打ち込んでいるときに幸福を感じますから、一生懸命になれるものの探し方も助言をしたりもします。

それで、もうすぐ死んでしまうのですかと質問してきた人にもそのようなアドバイスをしたのです。
すると、その方は、

「よかった!」

と満面の笑みを浮かべていました。
ただ、自律神経の状態はお世辞にもいいとはいえないですから、具体的にどのようにすればよいかの話をつづけようとしたら、

「生きてさえいればいいんです。」

と笑みを続けているので、それで話が終わってしまいました。

随分と前の話ですが、今でもこの人は何を考えていたのだろうなと振り返ることがあります。
もしかしたら、私のように考えられるようになるためにはある一定レベル以上の元気さが必要で、そのレベルにまで達していなかったのかもしれません。それとも、死なない程度に不健康であることがその人にとって最も幸福な状態であることもあるのかもしれません。

生き方はそれぞれですから、その考えは尊重したいと思いますが、もったいない生き方だと思ってしまいます。
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飲酒が好きな人と酔いたいだけの人:あなたはどっち?

飲酒をする人によく見かけるパターンとして、

「毎日の晩酌は体によい。」
「1日1杯はストレス解消のために絶対に必要。」

といって毎日のように飲酒をする人がいます。

しかしながら、最近では「飲酒の量がゼロが理想だ」という研究結果も発表されています。
その研究は多くの人々に信じられており、実証的なエビデンスもあるようです。ですから、きっとお酒は体に悪いのでしょう。すると毎晩のように晩酌をする人は体によいと思いこんで体に悪いことをずっと継続していることになります。

しかし、違う視点から考えてみてください。
好きなものを好きなだけ食べてその結果病気になって若くして亡くなった人がいたとします。この人の人生は不幸だといえるでしょうか。私自身は、本当に好きなのだったら悪くない人生だったのだろうと思います。

1日1杯の缶ビールはストレス解消のために絶対に必要だと考える人は、今を大切に生活しているという意見でしょうか。しかし、病気になって余命幾ばくもないという状態になったら意見を変えそうな気がします。結局、ほとんどの人は飲酒についてそれほど深く考えていないようだというのが私の感想です。

整体的な視点で飲酒について説明してみます。
整体の考案者である野口晴哉は上手にお酒を飲むことができれば体を緩めることができるとその著書で述べています。具体的には、上手にお酒を飲むということは、酔わないように飲むということです。酔わないようにお酒を飲むことができれば睡眠が深くなり、その結果、しっかりと疲労を回復することができます。高齢になるほど、回復が遅くなる傾向があるので効果的で、一方、若い人には十分な回復力があるのでほとんど不要です。これが理想的な飲酒だと考えると、お酒を飲んだ翌朝に、すっきり快活な朝を迎えられるような飲み方をしているかという考えでもよいかもしれません。

本当にお酒が好きな人は酔わないようにお酒を飲んでいます。
なぜかというと酔っ払ってしまうと味覚が鈍くなってお酒の味がわからなくなるからです。舐めるように飲むという言葉がありますが、お酒が好きな人は味覚を鈍らせないようにちょっとずつ口に含んで味わってお酒を楽しんでいます。余談ですが、そういうことを知っていると、ごくごくと喉越しを楽しむような飲み方をするビールを酒好きが好まない理由も理解できることでしょう。酒が本当に好きな人は日本酒やウイスキーといった蒸留酒を好む傾向があるのです。

このことを知っていると「毎日の晩酌は体によい。」といって酔っ払うためにお酒を飲んでいる人は実は酔っ払うのが好きなだけで、お酒が好きなのではないということも理解できることでしょう。ストレスを溜め込む方が病気につながるかもしれませんから、別にそれはそれでよいかもしれません。ですから、言い訳しないで酔っ払うために飲みたいのだと主張するほうが潔いのにとは思ってしまいます。

当然ですが、幸福の捉え方は人によって異なります。
長生きすることこそが人間にとって最大の幸福だと考える人にはお酒の飲み過ぎで短命に終わった人は不幸な人生だったといえることでしょう。一方で、自分の欲望や欲求を満たすことこそが人生において最も重要だと考える人にとっては幸福な人生だという意見になるかもしれません。結局、お酒なんて深く考えないで好きなように飲めばいいのではないかということになってしまいますね。

なお、私自身の考えも添えておきましょう。
私が酒を飲むのは数年に1回程度、なんらかの集まりのあるときに付き合いで少し飲む程度です。日々の生活の充実度をあげるために現時点では飲酒が不要で、こような考えを持っているとお酒を飲みたくなるということが全くありません。生活習慣と考え方で飲酒のスタイルなど大きくかわってくるということでしょう。
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臥薪嘗胆から現代へ少子化日本と勾践の教訓(閑話休題)

紀元前500年頃の中国の越という国の勾践(こうせん)という王が、人口増加のための政策として子供を出産した家庭にお酒と肉をプレゼントしていたという話を聞きました。

いきなり話がそれますが、勾践という人は臥薪嘗胆の語源となった人です。
勾践はある戦争に破れたのですが、その時の悔しさを忘れないようにするために自室の天井に胆を吊るして毎日舐めていたそうです。それは非常に苦いもので、その苦味を味わうことで復讐心が途絶えないように努力をしました。これが嘗胆の由来です。

せっかくなので臥薪も説明しておきましょう。
勾践を戦争で破ったのは隣国の王である夫差(ふさ)です。夫差は勾践に攻められ、王が死亡した後、夫差が王を引き継いだのですが、先王の悔しい気持ちを託されました。その先王の遺言を忘れないようにするために、寝床の下に薪をおいて寝ていたそうです。それが臥薪と言葉の由来となりました。

2つの言葉を合わせて臥薪嘗胆です。
何かに対して悔しい、あるいは恨みに思う気持ちは時間とともに消えていってしまうものです。その屈辱を消し去らないために、自分自身に苦しさを思い出させつづける必要があるというのが語源です。そこから転じて、成功するために苦労に耐えるという意味になったようです。しかし、夫差も勾践も自身の恨みは晴らしましたが、その後、幸福な人生を送ったとは思えまえん。屈辱をバネに何事かを為すというと聞こえはよいですが、あまりよい生き方とは私には思えません。

それで、勾践の多産政策についてです。
男子が生まれれば酒と犬肉を、女子が生まれれば酒と豚肉とプレゼントしていたそうです。犬肉というと驚く人もいるかもしれませんが、中国では犬の肉はお祝いのときに食べるものという習慣があったそうです。三国志や水滸伝などの小説を読んでいると頻繁に肉料理として登場しますので知っている人もいるでしょう。漢王朝を建てた劉邦の義弟のはんかい(漢字が表示できません。)という人は、劉邦が旗揚げする前までは犬の屠殺を生業としていたのではなかったかと思います。なお、犬肉の供給が途切れないように犬の牧場もあったそうです。

犬肉は当時は贅沢な品で、身分の高い人でなければ食べられなかったと考えられます。それが出産して男子が生まれれば食べることができたのです。一般庶民にとっては考えられないぐらいのご馳走だったのではないかと思います。

勾践に男子の出産を祝う気持ちがあったのは間違いないと思います。
屈辱を晴らすためには自国の人口を増やして軍事力を増強しなくてはいけないからという邪な理由ではありましたが。しかし、たとえ女子であったとしても豚肉と酒が支給されるのですから、心の底から力を高めたいと考えていたのでしょう。だから、赤ん坊が誕生したら、それを国をあげて祝っていたということです。

それに引き換え、現在の日本はどうだろうかと考えてしまいました。
調べていたら日本の少子化が目に見える形になって現れるのは2040年ごろのようです。それまでは現状維持はかろうじて可能なようです。これは今年生まれた赤ん坊が成人に達するのは20年後だからという簡単な理由です。日本の少子化はもう絶望的といえますね。
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本当に簡単なのに誰もやらない健康法

とても簡単に骨盤を締めて、綺麗な姿勢になる方法があります。
しかも、この方法はお金がかからないというメリットもあります。でも、とても残念なことですが、このことをお知らせしたら明日から全ての日本人は健康で病気知らずの薔薇色の人生を送れるようになるということは絶対に起こらないでしょう。

理由は簡単で、簡単すぎてお金がかからないからです。
人間という生物はお金を出したり、苦労して手に入れたノウハウや情報しか価値があると考える傾向があります。ダイエット情報のことを考えてもらうと、この意味をよく理解することができるでしょう。

もしあなたがダイエットをしたいと思うのであればやることはたった2つだけです。
1つは、食べる量を減らすこと、もう1つは適度に運動をすることです。そのほかの情報や知識などはほんの付け足しでしかありません。ダイエットに必要なことはこのたった2つだけなのに、何十万円、何百万円もの費用を払う人まで現実に存在しています。

このことは逆説的に表現すると理解が深まるでしょう。
ダイエットに必要な2つのことは、食べる量を減らすことと運動です。しかし、これらを行わないまま何十万から何百万円もの費用をかけてダイエットに取り組むと、成功するのは難しいこともあるでしょう。

さて、私が今回紹介するノウハウはとっても簡単です。
誰にでもできますし、誰にでも取り組むことができます。そして、実践して継続させればその効果は絶大です。ただ1つ欠点があるとすると、必要なのはそのことを常に意識することだけで、費用がまったくかからないし手間もかからないということでしょう。

その方法とは、

「あごを引く。」

ということです。
スポーツをやるときなどは、必ずあごを引けという指導があるのではないでしょうか。そうする理由は簡単で、あごをひくと骨盤が引き締まって、重心となる重要な骨に力が集まるからです。つまり、身体能力をもっとも発揮するためにはあごを引かなければいけないということです。あごをひく姿勢は、背筋がのびますから周りから指摘される背筋の曲がった姿もすぐに矯正されることでしょう。そして、このあごを引くという所作を身につけることができれば、ありとあらゆる病気や不調も解消されることでしょう。

もしあなたがお金を出さなくても健康になることができると考えているのであれば、今からすぐに実践してみてください。
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安易な質問、深刻な誤解:健康への半端な追求

「半端に知るよりは知らない方がいい。」

生兵法は大怪我のもとと言い換えると、理解しやすいかもしれません。
私は体について多くの質問を受けますがその大半は中途半端な質問です。このことは仕事だったり、趣味だったり、スポーツだったりである程度の能力や実績を積み重ねたことのある人には理解をしてもらいやすいかもしれません。しかし、多くの人は、

「ちゃんと教えてさえくれれば自分でも簡単に出来る。」

と勘違いをしてしまう傾向があります。
もちろんこのような発言をすることはほぼありませんが、内心でそのように考えてしまうのです。

日々、

「姿勢を正すにはどうすればよいのですか?」
「どのようにすれば健康に生活できるのですか?」

と、多くの人の整体をしていて聞かれるのです。しかし、このような質問に対して私はこのように応えます。

「私がイチローのバッティング理論を1から10まで丁寧に説明すれば、あなたはすぐにメジャーに行って活躍できるぐらいの結果を発揮できると思いますか?」

これは無理だということはすぐにわかるようです。
そして、

「もし野球のバッティングで成果をあげたいなら、何にも考えずにバッティングセンターにいってバットを振り回していた方が早いのです。イチローの技術理論など知っていたって返って足を引っ張るだけです。」

と、説明を続けます。

ここまで説明をすると半分ぐらいの人は理解するようです。
残りの半分の人は、「自分はイチローほどの成果あげたいのではないから。」とか「ちゃんと教えてくれたらイチローすら越えてみせる。」とでも考えるようです。そういう人たちには、

「小手先の知識や技術を使って横着をしていると手痛いしっぺ返しをくらうよ。」

と助言はしていますがおそらく聞こえてはいないでしょう。苦労や労力を惜しむ人間がどのような人生を送るかと考えてみればよいのです。

健康な生活を送りたいというのであれば昔からの格言がいろいろあります。

「笑う門には福来たる。」
「早起きは3文の得。」

笑っていれば心が晴れやかになるだけではなく、体も元気になってくる。早起きすると体にいいことがある、といった著名な諺は多くの人が知っていることでしょう。他だと、

「一汗かくと百病を防ぐ。」
「病は気から。」
「動くことは生きること。」
「心豊かに、体健康に。」

などなど山のようにあります。
このような古い言葉は様々な変化をして今の私たちの生活に溶け込んでいるのではないでしょうか。ほとんどの人は健康な生活を送るためにはどうすればよいのかを知っているはずなのです。

つまり、本当に健康でありたいのであれば、

「早起きするにはどうすればよいのか。」
「運動を継続するにはどうすればよいのか。」

などという質問が最も適切になるのではないでしょうか。当然、このような質問であれば私は私の知る限りの知恵を惜しみなくさらけ出すのですけどね。
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