年末に思うこと
2022年12月29日
「毎年こんな感じで過ごしていつか死んでしまって、そんな事を思う事がなく歳が 暮れてゆくのだろうなぁ。」
ふと、そんな事を思って寂しいような、悲しいような気分に浸りました。
他人には、
「とっとと元気になって早く死んでしまえ。」
とか言っているのに、自分が死ぬのはどうも嫌なようです。
おそらくまだこの人生においてやらなきゃいけないことが残っているのでしょう。そんな事に気がつくと、疑問がわいてきます。
「自分は何を成し遂げたら満足して死んでいけるのだろうか?」
たぶん一昨年前までは、今の医療の問題点をいろいろ書き残して、死んだ後にも医療に関わる連中をあざ笑い続けてやれば満足できると思っていました。でも、どうやらそれだけではダメになってきたのかもしれません。
おそらくこの2年で欲が増大してたのでしょう。
もっと強烈な嫌がらせをしてやりたいという気持ちが大きくなってきたのです。このまま生き続ければ、その欲は益々膨れ上がっていくかもしれません。これは、私は絶対に人生に満足して死ぬというのが無理だという事を意味しているような気がします。私はろくな死に方をしない事が確定してしたかもしれません。ほんと、穏やかに死にたいし、変な死に方をするのは嫌なんですけどね。
これは関西に住んでいる人にか伝わらないかもしれませんが・・・
円広志をご存じでしょうか?
円広志は、「飛んで飛んで飛んで飛んで・・・、回って回ってまわーるー。」っていう歌を歌っていた人です。今ではちょっと良い感じのじいさんという印象で関西のローカル番組に出演しています。それで、私は以前から円広志って、口から血を吐きながら苦しいとか言いながら死にそうな気がすると言っていました。伝え聞く彼の人生から、その死に様を想像すると、そんな死に方こそ円広志だっていう印象をもってしまう訳のです。
それで、きっと私も円広志と似たような死に方をするような気がしてきました。
人の事を悪し様にいっていると必ずその報いは受けるというのを実感したように思います。私は残りの人生で自身の死に怯えながら暮らしてゆかねばいけないのかと思うと、とっとと死んでしまった方が楽な気がしてきます。
話が大きくそれたので戻します。
最初に述べていた、
「自分は何を成し遂げたら満足して死んでいけるのだろうか?」
についてです。
苦しむような死に方をするのは仕方ないとして、でも自分の人生に対して納得なり満足なりはしたい訳です。
そんな事を考えていると来年の方針なんてのが浮かびあがってきます。
ポイントは、私が何をすれば連中がもっとも嫌がるか?という事です。この答えは簡単で、医療ではどうにもならかった人を私がどうにかすればよいだけです。この考えにたどり着くと、未来がちょっと明るくなったような気がしますね。まぁ、未来なんていう言葉をあてはめると、胡散臭い事をいっているような気になりますけど。
ただ、この思考にはちょっとまずい点があるような気がました。
それは、私が嫌いな連中に嫌がらせをするために、関係のない人をダシにしているという点です。でも、よく考えれば体の調子が整えば、その人は充実した人生を送って満足して死んでいけるはずなので、そこは目をつむってもらえないでしょうか。
私は嫌いな人間に嫌がらせをするために幸福な人生を送れる人を増やす活動をする訳です。ちょっとひねくれすぎているような気もしますけど、私としてはかなりしっくりくる落とし所という気もします。まぁ、人生をこじらせてしまうとこんな風になるという事で、これはある意味自分らしいかもしれません。なんか格好いい気もしますしね。
そんな訳で、今年1年も無事過ごせました。
私は今年も大きく飛躍できたという手応えを感じていますから、来年も思う存分に嫌がらせをすることができそうです。
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