毎朝、息子と剣術の練習をしています。
年齢を重ねていないということは、大きなメリットがあって、ちょっとしたコツを教えてあげるだけでびっくりするようなことができることがあります。
最近、体の力の抜き方のコツを伝えたところ、私ができない技をできるようになってしまいました。
長く生きているということは、それだけ癖がしみついているということなので、私の方はまずその癖を抜かなければいけないのです。
ちなみに、自身ができていないのにコツを知っているというのはおかしなことです。
ただ、とあるプロスポーツ選手の癖を真似てみたらどうも具合がよいことに気が付きました。
「たぶん、これは力を抜くためにやっているのだな。」
と思えたので、それを息子にやらせたらできてしまったということです。
こんな出来事を目の前にすると、私の方は理論はまぁなんとか様になってきているのだけど実践の方がまだまだなのだと気が付かされますね。
息子と私で、
「全然力を使っていないのに体が動く。」
「体というのは力を抜いたほうが力がでてくる。不思議だろ?」
という会話の後で、
「そうか、じゃあ竹刀も力を抜いて振ればいいんだね。」
といっていました。
この事に気がついたからには、おそらく明日からの練習の中身がごろっとかわることでしょう。外からみればわからないかもしれませんが、意識はがらりとかわってくるはずです。平たくいうと、
「頑張らなくなる。」
はずです。
がんばらずに鋭く正確に竹刀を振るということが練習のテーマになってくるわけです。
話が変わります。
定期的に整体に来られる方でいつも体を痛めてくる人がいます。毎回ダメ出しをしているのですが、
「こんなに一生懸命に頑張っているのに・・・。」
不満を漏らします。
「そんなことをいっているから体を痛めるのだ。」
と、ほぼ毎回同じ話をしているように思います。
私は、努力してないから駄目だといっているのではなく、体の状態を、自律神経の様子を客観的にみて駄目だといっているのです。ポイントがずれてしまっているわけですね。
こういう人には、
「努力に逃げては駄目だ。」
といつも説明しています。
マラソンで考えてみましょう。
42kmを走りきるには、相応の体の状態を作らなければなりません。ですから、マラソンの選手は常日頃トレーニングをしています。逆にいうと、42km走り切るのが当たり前の状態といえます。ところが、30kmしか走れない人が42kmを走ろうとしたときどうするでしょうか?マラソン中継であとすこしのところでスピードが止まった選手を見たことがあるのではないでしょうか。その選手はなんとか頑張ってゴールまで走ろうとしていませんでしたか?
努力に逃げてはいけません。
長い人生には、そういう具合に無理をしなければいけない、または無理をしたいという時が確かにあります。でも、それが日常茶飯事だというなら話はかわってきます。そんなことをずっと続けていれば体が壊れてきてしまうのは当たり前です。
30kmの時点で足がとまって、残り12kmは、
「なんとか頑張ってゴールしました。」
では、結果がついてくることなどないでしょう。
このことを仕事におきかえて考えれば、
「頑張っている時点で成果が上がらない。」
ということがいえます。
仕事がハードなのなら、そのハードな仕事をこなせる体を作らなくてはいけません。頑張っている、努力しているという時点でもう駄目だと考えるぐらいでちょうどいいのではないかと私などは思います。
最初に剣術で紹介したように人間の体(たぶん動物もですが)は、力を抜いた方が体の力がでてきます。ですから、
「頑張ります!」
なんてセリフを口にしている時点で実力が発揮されていないということです。
私は「頑張る。」という言葉を禁句にしています。
10年ほど前に、この言葉はどうも都合のよい便利な言葉だと思えたので禁句にしてみたら非常にいい具合にいろいろ動き始めました。そこで、「頑張る」という言葉を使っていいのは死ぬまでに3回だけだと決めました。それから使ったのは今のところ1回だけです。東京へいって仲間と起業するという知人がいたので、その旅立ちの時に、
「頑張れよ。」
と声をかけました。
起業の苦労が並大抵のことではないのが私自身の経験もあってよくわかりました。だからでしょうか、自然とそういう言葉がでてきました。