ブログ「日々整体」

五行と整体:古代の知恵が解く現代の問題


医療においては、人間の体は様々な機能をもった部品の寄せ集めだと考えます。
ですから、心臓の専門家、脳の専門家、耳や鼻の専門家というように体を構成する部品ごとに専門分野がわかれています。その専門の細分化はかなり細かく分かれているようで、長年指の痛みについて悩んでいた人が、ある医師にそのことを質問すると、

「私は手首の専門家なので指のことはわかりません。」

という答えが返ってきたそうです。
鋼の錬金術師というマンガでは、人間を構成する成分を、水35リットル、炭素20kg、アンモニア4リットルというように、日本円で数千円もあればすべて揃うと説明していましたが、医師の専門化がさらに進むと、「私は水分の専門家です。」あるいは「私はアンモニアの専門家です。」と名乗る医師が出現してくるのかもしれません。

整体においては、生きている人間を物理や化学的な要素で構成されているとは考えていません。ですから、指に痛みがあると相談をされたときに、考えることは頚椎、胸椎、そして内臓の状態があたまに浮かびます。これは、五行の考えにもとづいて考えています。五行というのは、漢方の基礎に存在する考えで、世の中の要素を「木、火、土、金、水」で分類して考える思想です。

この5つの要素を内臓に置き換えると、五臓になります。
五臓というのは、肝臓、心臓、脾臓、肺、腎臓のことをさしています。「整体でも分類しているじゃないか。」と思うかもしれませんが、医学のようにはっきりとした線引きがされている訳ではありません。そして、このような発想は、長年の観察と試行錯誤から生まれた考えなのです。

少し具体的に説明してみましょう。
例えば腸は肺、つまり呼吸器系に属する臓器です。ですから、頻繁に下痢になるという人は肺の働きが小さい傾向があります。肺に空気を吸い込もうとすると腸が緊張して下痢をしてしまうのです。このような方は肺が小さくしぼんでいるので胸板が薄く肩幅が狭くなる傾向があります。さらに、肺の働きが弱いと脾臓がその影響を受けて消化吸収が弱くなりますから、華奢な体型になります。こういう方はたいてい周囲から、

「もっと食って太れ。」

などと言われます。
しかし、肺が小さい方はいくら食べても吸収して蓄える能力がかなり低いのです。生まれもった特徴といってもいいでしょう。ですから、「太って元気に丈夫にならなければいけない。」などというのは、実は個性を無視した発言だということになります。

このように臓器の関連性を考えながら、その人本来の性質や特徴を考えることができるのが五行のつまり、整体の思想だということが言えます。

また、五行の思想の特徴だと思うのですが、五行は脳を重視しません。
この点は、構成するパーツごとに専門家が存在する医学とは大きく異なるといえるでしょう。そのため五行思想を重視する整体では、思考をあまり重視せず、体の感覚をもっとも重視します。食べ物で具体的に説明してみるとわかりやすいでしょう。

医学においては、常に体に良い物を栄養のバランスを考慮して食べるようにしなさいと指導されます。
これに対して、整体では、

「体が求める物を食べなさい、おいしいと感じるものが体が欲している物です。」

とすすめています。
汗をかいたあとにスポーツドリンクを飲んでそれがおいしい、甘いと感じたことはないでしょうか。そのように感じるのは汗をかいたせいで体の中の塩分が不足しているからです。つまり、不足している栄養素を食べたときに人間はそれをおいしいと感じるのです。

このことがわかっていると、世界でもっともおいしい食べ物は、一流のシェフが最高の食材を使って料理したものではないことがわかるでしょう。暑い日に山登りしたその頂上で食べる塩のかかった白いおにぎりでも食べてみるとそのことを簡単に実感できるはずです。

なお、これでは実際に食べてみないと必要な栄養がわからないと思うかもしれません。
しかし、人間には目で見るだけで自分が必要な栄養がわかるという能力を持っています。近くのスーパーにでかけてぐるっと一間周りしてみればよいのです。ぱっと目にとまったものがそれである可能性が高いといえるでしょう。実際に買ってためしてみると、かなりおいしいと感じるはずです。もしおいしくなかったら、それはあなたの体の感覚が鈍いのです。きっと頭で考えて体によいものを選んだのでしょう。それだけではなく、体が欲しているものを選ぶようにするのがコツです。

このようなことを前提に踏まえて、人間にとって健康とはどういうものかを説明すると、

「暑いときには暑い、寒いときには寒い、風邪をひいたら体は辛いし、嬉しいことがあったら喜ぶし、辛いことがあったら悲しむことができる。それが健康であること。」

ということがいえるのです。

今回の説明で五行思想について少し理解が深まったでしょうか?
医学の思想に染まっている人にとっては、五行は中国の古くさい思想であてになるようなものではないと考えているかもしれません。しかし、実際はかなり的確で実践的なものだと感じてもらえたのではないでしょうか。

なお、このような動画は他にいくつも投稿しています。もしよろしければもう1本ご覧になってみてください。

体は神秘の宝箱、自律神経整体院でした。
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医学と整体の違いを知ることで得られる新しい視点

実は、医学と整体は似て非なるものです。
どちらも人間の体と健康についての研究や考察を行うため、多くの人が似ていると感じる部分もあるでしょう。しかし、その成り立ちから現在に至るまで、異なる過程を経てきました。ですから、まったく違う知識体系なのです。それにも関わらず、混同して考えてしまう人があまりにも多いのが実状です。そのためだと思うのですが、

「医者に○○と診断を受けているのですが、その○○はよくなりますか?」

などという質問を受けることがあります。

このような質問はまったくの検討外れです。
なぜかというと、医者は確かにそのように判断したかもしれませんが、私が同じ判断をするとは限らないからです。そして、ほぼ全てのケースで異なった見解を示すことになるでしょう。このような勘違いのせいで、とても残念なことが頻繁に起こります。それは次のようなことです。

「医者がもう治ることはないと言ったから、私は死ぬまでこの病気と上手に付き合っていかなくてはいけない。」

と思い込んでしまう人が多くなることです。私に言わせれば、

「それって医者がそう言っただけですよね?」

ということになります。よく言われる「それってあなたの感想ですよね。」という有名人のセリフに似ているのが少し気に入らないのですが、まさしくその通りなのです。

ですから、私に体の問題について相談を持ちかけるのであれば、「医者はこう言ったけど、整体師であればどのように判断するのだろうか」と考えてほしいといつも思っています。

そこで、今回は、医学と整体がいったいどういう点で異なるのかについて、2つの点でまとめてみました。

1点目は、整体という技術が医学とは全く違うものだということです。整体師である私がよく指摘されることに「医学的な根拠がない」というものがあります。しかし、整体に医学的な根拠を求めるのは誤りです。整体も医学も人間の体を探求してきたものですから、似ている部分も多くありますが、整体と医学は全く別の経緯から発展してきた知識体系です。ですから、整体に医学的根拠を求めることがそもそもの間違いなのです。例えば、生物学の主張に対して「医学的根拠がない」という指摘には意味がない、と言えば理解してもらえるのではないでしょうか。

2点目は、整体は学問ではないということです。整体とは何かを簡単な言葉で説明すると、「先人たちの知恵や経験を集めて知識や技術としたもの」ということがいえます。医学は、実験や観察を論文やレポートといった形で記録として残すことで発展してきたのに対して、整体ではそのような文献はほぼありません。そのために現代の社会では廃れてしまったのだと思いますが、だからといって全く有益ではないということではありません。逆に医学は、エビデンスや証拠に囚われてしまっているため、整体であれば簡単に対処できるような病状でも苦手にしているものもあるくらいです。

「おじいちゃんの言うことにエビデンスがない。」

この言葉に疑問を感じるでしょうか。長い人生経験から得た教訓にエビデンスがないのは当然のことです。しかし、その教えには聞くべき事柄がたくさん含まれています。整体にもエビデンスがないのは当たり前のことですが、価値も意味も十分にあるのです。

整体では医学とは全く違う視点で人間の体と健康にアプローチしていると考えてもらうとよいかと思います。少し難しいのは、大半の方が医学の考え方に馴染んでいるため、医師と同じように考える傾向があるという点です。テレビやネットの影響というのはとても大きく、医学的な考えやエビデンスに染まってしまっており、そこから外れた考え方をするのがとても難しいようです。ただ、少なくとも医師に、

「その病気はもう治らないので、一生上手に付き合っていくしかない。」

と言われたときでも、それは本当なのだろうか、異なった知識体系から違った意見や考えが浮かんでくることもあるかもしれません。それはあなたにとって決して損なことではないはずです。

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安易な質問、深刻な誤解:健康への半端な追求

「半端に知るよりは知らない方がいい。」

生兵法は大怪我のもとと言い換えると、理解しやすいかもしれません。
私は体について多くの質問を受けますがその大半は中途半端な質問です。このことは仕事だったり、趣味だったり、スポーツだったりである程度の能力や実績を積み重ねたことのある人には理解をしてもらいやすいかもしれません。しかし、多くの人は、

「ちゃんと教えてさえくれれば自分でも簡単に出来る。」

と勘違いをしてしまう傾向があります。
もちろんこのような発言をすることはほぼありませんが、内心でそのように考えてしまうのです。

日々、

「姿勢を正すにはどうすればよいのですか?」
「どのようにすれば健康に生活できるのですか?」

と、多くの人の整体をしていて聞かれるのです。しかし、このような質問に対して私はこのように応えます。

「私がイチローのバッティング理論を1から10まで丁寧に説明すれば、あなたはすぐにメジャーに行って活躍できるぐらいの結果を発揮できると思いますか?」

これは無理だということはすぐにわかるようです。
そして、

「もし野球のバッティングで成果をあげたいなら、何にも考えずにバッティングセンターにいってバットを振り回していた方が早いのです。イチローの技術理論など知っていたって返って足を引っ張るだけです。」

と、説明を続けます。

ここまで説明をすると半分ぐらいの人は理解するようです。
残りの半分の人は、「自分はイチローほどの成果あげたいのではないから。」とか「ちゃんと教えてくれたらイチローすら越えてみせる。」とでも考えるようです。そういう人たちには、

「小手先の知識や技術を使って横着をしていると手痛いしっぺ返しをくらうよ。」

と助言はしていますがおそらく聞こえてはいないでしょう。苦労や労力を惜しむ人間がどのような人生を送るかと考えてみればよいのです。

健康な生活を送りたいというのであれば昔からの格言がいろいろあります。

「笑う門には福来たる。」
「早起きは3文の得。」

笑っていれば心が晴れやかになるだけではなく、体も元気になってくる。早起きすると体にいいことがある、といった著名な諺は多くの人が知っていることでしょう。他だと、

「一汗かくと百病を防ぐ。」
「病は気から。」
「動くことは生きること。」
「心豊かに、体健康に。」

などなど山のようにあります。
このような古い言葉は様々な変化をして今の私たちの生活に溶け込んでいるのではないでしょうか。ほとんどの人は健康な生活を送るためにはどうすればよいのかを知っているはずなのです。

つまり、本当に健康でありたいのであれば、

「早起きするにはどうすればよいのか。」
「運動を継続するにはどうすればよいのか。」

などという質問が最も適切になるのではないでしょうか。当然、このような質問であれば私は私の知る限りの知恵を惜しみなくさらけ出すのですけどね。
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美しい姿勢とは?自然で無理のない姿勢の魅力と保ち方について

「猫背だから体の調子が悪いのです。」

とても多くの人が自分の体の不調を猫背のせいにしてしまいます。
しかし、不思議な事に猫背について理解を深めてみようと考える人はほぼいないようです。様々な表現や言い訳はありますが、理由は2つあって、

「猫背になるのは自分の注意や努力が足りないからだ。」
「パソコンやスマホの画面を見過ぎるので猫背になるのだ。」

という事に集約されるでしょう。
そういえば、最近、YouTubeで動画を眺めていたら、

「猫背になるのは足の置き方が悪いのだ。」

なんていう動画があって100万再生ぐらいされていたように思いますが、これだってちょっと言い換えてみれば自身の努力不足にいきあたります。

確かに、この理屈に一理はあります。
日々、姿勢を正して生活をしてゆけばいずれ猫背は解消して健全になれる可能性はゼロではありません。しかし、それを実際に実践できる人というのはいったいどれぐらいいるでしょうか?

私の感覚で答えるのであれば、プロ野球選手を目指すあるいはプロサッカー選手を目指す少年が本当にプロになれる割合と同じぐらいです。インターネットで調べてみたところ、2020年に調査されたデータによると大学生の時点でプロになる事を志望して、実際にプロ野球選手になれるのは0.16%、プロサッカー選手だと確率があがって1.3%程度のようです。そして、その中で10年活躍できるとなればそのうちの4%程度のようです。

つまり、姿勢を正す事を意識して背筋が伸びるようになる人は全体の0.1~1%程度でしかないだろうというのが私の考えです。もちろん、背筋を伸ばす事に関連した研究はありませんから、私の推測でしかありません。しかし、想像するなり実際に試してみてください、1日背筋をピンと伸ばして生活するというのを延々と続けるという事を。ほとんどの人は15分もすれば仕事や用事に集中してしまって姿勢の事などすぐさま意識からなくなってしまう事でしょう。姿勢を正すというのは現実にはかなり難しいということをわかっていただけるはずです。

ですから、姿勢についてはまず根本部分についての考え方を改めることをおすすめします。
具体的に表現すると、

「人は無意識に最も楽な姿勢をする。」

という事です。
つまり、猫背になるのは猫背がもっとも楽だから猫背になるのです。違う表現をするのであれば、よい姿勢を保ちたければ背筋が伸びた姿勢がもっとも楽に過ごせる体になればよいという事です。よい姿勢というのは努力して保つようなものではないのです。

筋力を使って無理矢理体を起こしている様子を見て、それをきれいな姿勢だと感じることはありません。綺麗な姿勢というのは体に無理がない、無用な力がはいっていない状態を意味します。

ことわざを例にあげてみましょう。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。」

というものがあります。
美しい女性を表現した言葉ですが、この言葉の響きからよい姿勢をとういのを想像するとよいのではないでしょうか。

芍薬はすらりと伸びた茎の先に花を咲かせ、牡丹は別れた横向きの枝に花を咲かせ、百合はしなやかな茎の先に花を咲かせます。それがそれぞれ、立つ、座る、歩く様子を表しているのですが、これらの花が無理をしてその姿勢を保っている訳ではなく、自然な姿だから我々は美しいと感じるのです。努力して無理をしている様子をみて綺麗だとは感じないのです。

綺麗な姿勢というのは、そういう自然な様子なのだという事をまず理解する事が大切です。そして、努力して保つようなものでもないという事も合わせて知っておくとよいでしょう。

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徳川家康の死因

「徳川家康は天ぷらの食あたりが原因で亡くなった。」

わりとよく聞く話ではないでしょうか。
当時は、今と違って精油技術が不十分だったので油で腹をこわしたのだとかいう説をよく見かけます。死因についての話はほかの偉人でもよく聞きますが、根本的に間違いのある考えです。

何を間違えているかというと、この手の話は、

「病気にならなければ基本的に死なない。」

という発想が前提にあるからです。
少ない情報からこういう病気で死んだなんて推測するのは専門家なので、専門家であるほどこういう考えに陥っているように思います。

現在の人間の体についての専門家は、病気にさえならなければ120歳まで元気に生活できると信じて疑っていない訳です。

少しまろやかに、

「病気にならなければ老衰で死ねる。」

と言い換えてもいいかもしれません。
しかし、この前提はおかしいといいきってしまってよいでしょう。
なぜなら、

「人は寿命が尽きたときに死ぬ。」

からです。
寿命が尽きた時、どのような病気になるかは体質や、生活習慣だったりで様々です。だから、寿命が尽きたときに、癌、心不全や、脳梗塞を起こすのです。この部分をなぜか多くの人がひっくり返して考えるから、おかしな行動や判断をしているのでしょうね。

徳川家康の場合だと天ぷらを食べた事によって体の調子をくずしたのでしょう。
家康は、晩年、自身で帯を締める事ができなくなるぐらい太っていたなんて聞いたことがあります。彼の行動、判断、思考をたどると徳川家康は10種体癖であったであろうと私は推測しています。10主体癖は平たく言うと天才性をもっており、おおらかな気性で身内や味方にはとても細やかな配慮ができるタイプの人間です。現代の人で例えると、マツコデラックスがおそらく10種傾向が強いと感じています。

10主体癖の人は、歳をとるにつれて太る傾向があります。
おおらかな気性を持つという事は骨盤が大きく開く傾向が顕著にでますから、年齢を重ねるに連れてどんどん太るのです。細身の人と太っている人を並んでいるのを想像してみてください。どちらの方が、おおらかなで接しやすい人でしょうか?

余談ですが、骨盤が開くなら締めればいいと考える人が多くいます。
骨盤は締めるということは、家康から徳川家康らしさを失わせる事になります。おおらかで接しやすい人柄でなくなった時、江戸幕府は毛利家や島津家におこなったような仕打を全国の大名にしたかもしれません。もしそのような事になっていれば徳川幕府400年の天下太平はなかったと思いますね。骨盤は締めるというのは、人格や思考にまで影響を与えるという事をし知っておかなくてはなりません。マツコ・デラックスだって骨盤を締めたらやたらときつい事をいう気持ちの悪い嫌なおっさんにしかみえなくなるのじゃないでしょうかね。骨盤を締めさえすれば人生がすべてうまくいくみたいな安易な発想は早々に捨てることです。

徳川家康は75歳で亡くなったとされています。
10体癖は骨盤が開く傾向があると考えると、かなり長生きした方だといえます。彼自身の天才性と骨盤が開く傾向から寿命を早めに消費してしまいがちな体癖だといえます。また、太っていたということから考えると免疫になにかしらの問題を抱えていたのかも知れません。天ぷらで食あたり説が浮上したのはそのあたりが理由でしょう。

通常、健全な人であれば悪い物を食べると嘔吐、吐くという運動が行われます。
嘔吐すると驚いて慌てる人が多いのですが、吐けるというのは元気があるからできるのです。だから、吐けないで苦しんでいる方が心配な状態です。

なお、嘔吐するという事を、難しい表現で説明すると、悪い物を体の外に排泄しようとする自律運動が起こるわけです。だから、悪いものを食べれば同時に下痢を起こすはずです。

吐くためには頸椎6番の運動が不可欠です。
6番がうまく動いてくれないと吐くという運動ができないのです。おそらく家康は天ぷらを食べて調子をくずしていた時には頸椎6番に異常が生じていたのだろうと思われます。太っている人は首のくびれがなくなる人が多いのですが、おそらく甲状腺が肥大していたのではないかと思われます。

そこから察するに。天ぷらをうまく飲み込めなかったか、あるいは悪い油だと気がついても吐く事ができなかったのでしょう。頸椎6番の動きが悪いと、飲み込む運動もうまくできません。正月によく聞かされる、もちを喉に詰まらせたりするのはそれが理由です。喉に餅が詰まるのは、餅が悪いのではなく飲み込めない状態の人間げ餅みたいな詰まりやすい食べ物を食べるからです。

結果、天ぷらを食べた3ヶ月後に亡くなったそうです。最近でへ、訳知り顔で胃がんだったに違いないなんていう優秀な人が多いみたいですね。

それで結論です。

徳川家康は寿命でなくなったとしか思えません。
体にいくつかの不調は生じていたのでしょうが、寿命がつきていたのですから当然です。生物として存在する、生命を維持することができなくなっている訳ですから体のあちこちが壊れてくるのは自然な事です。

なお、現代の医療であれば、そういう状態、いわゆる死に体でも多少の生命維持(?)はできるみたいですね。ただ、それは心臓を動かし続けるだけの技術でしかありませんから、そのような治療を受けるかはよく考えてから判断する方がよいでしょう。

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