視点の高さと不安、恐怖、そして免疫力の関係
2020年03月31日
「人間の本性は逆境の時に現れる。」
これは何を隠そう私の言葉です。
30代前半のころに思い至ったことですが、割といい言葉を思いついたなぁと考えています。だから、きっと歴史上の偉い人も似たような事をいっているはずです。
今、世の中は新型コロナウイルスで大騒ぎになっています。
この状況はすべての人の本性があらわになっているといっていいでしょう。この本性ですが視点の高さで考えるとわかりやすいのではないかと、ふと思ったので試みたいと思います。
まず、今回の新型肺炎に対する視点がもっとも低い人がどういう発言や行動をしているかニュースからひろってみます。
あらゆる興行が自粛ムードのなか、K1というプロレス団体が試合を開催しました。観客は6千人ぐらいでしたっけ?こういう状況で開催するということで、大きく批判されました。どっかの新聞記事だと、政府高官が、
「国賊め!」
と発言していたと報じていました。
この新聞社と某とかいう政府高官はもっとも視点が低いといえます。ネット上をさらっと流し見ていると、それに同調する意見が多く見られましたが同様に視点が低いと言えます。
これは確か千葉県だったと思うのですけど、千葉県の知事はこの人達よりは視点がちょっと高いのではないかと思います。
知事は、K1団体に何回も中止を要請したそうです。その要請を受け入れる事ができずK1団体は興行をおこなった訳ですが、実は知事には中止にできる権限をもっていたそうです。詳しい条文は確認していませんが、会場の利用規約9条に不適切な会場の利用は管理側の命令で中止できるというような条文があったそうです。それにも関わらず、知事は要請しかしなかったわけですね。権限を発動して責任をとりたくなかったんでしょうか。だから、この開催において感染が広まるような事がおこっていれば、この知事は、
「国がちゃんとしてくれていれば・・・。」
なんて責任逃れをすることが間違いないでしょう。
さらに東京都知事が昨日、緊急の記者会見で深夜の飲食店にいくのを辞めるよう要請していました。
記者が、
「その要請では飲食店が経営にいきづまることになりますが保証はないのですか?」
と質問すると、
「それは国がやることですので。」
という答えをしていたそうです。
まぁ、たぶんですが、志村けんさんが亡くなったタイミングでこのような発信をしたら都民が言うことを聞くと思ったんじゃないでしょうかね?でも、こんなやり方で同意ができるのは同じ視点以下の人たちだけでしょう。
千葉県民と都民はこういう人を知事にしてしまったこを恥じてもいいかもしれません。でも、こういう本性って逆境でなければ表にでてきません。こういう人は平時に耳障りのいいことをいうのが得意ですから騙されるのは仕方がありません。
もうちょっと視点が高い人だと、
「ちゃんと保証をして休業できるようにしてあげなくては。」
なんて事を言うのじゃないでしょうか?私の視点はたぶんこのあたりじゃないかと思います。都知事や県知事より視点が高いと自称するのはちょっと具合が悪いとは思うのですが、さきに紹介した知事たちはなんぼなんでも視点が低すぎです。
さらに視点が高い人はどんな事をいっているかというと、経済的な打撃に目を向けていますね。
適切にデータを分析しながら、リスクを最小限にしながら経済的な損失を最小限に、その上で発生した損失をどうやって補うのか?そういう事を考えて発信しています。このぐらいにまで視点が高まってくると、海外の影響も考え始める人がでてきます。
韓国はもうおそらく破綻する可能性高い、そしてEUでもイタリアは瀕死です。
国境がなかったせいで新型コロナウイルスはヨーロッパで大きく広がってしまいました。アメリカも大変な事になっていますから、その影響は日本にも確実に及んできます。それで、アメリカなんて経済対策で200兆円ですか?それぐらいやるって話で、ヨーロッパもそれぞれ国に準じたお金を投入するわけですが、それに同調しないでいると日本経済は壊滅する可能性もあるみたいですね。
「それで、各国の首脳が電話で相談してたのか。」
なんてわかります。
視点の高い人の話を聞いていると面白いです。
それで、このあたりの話を聞いていて教わったのですが、経済的な損失が大きくなった直後にファシズムが誕生するらしいです。
ヒットラーもそうでしたし、かつての日本もそうでした。人々は、生活に困窮すると強固な権力をもった独裁者を求めるようになるそうです。それでふと気がついたのですけど、
「暴走した武装集団が財務省の官僚を何人も殺害した。」
なんてニュースが流れてきたら、たぶん、
「自業自得だ、ざまーみろ。」
と思ってしまうなぁと・・・。
やはり視点の高い人の話は面白くてうんちくに富んでいます。
私は心の中で思うだけで、口には出さないようにしようとよくよく自分を戒めておこうと思います。
ちなみに、2.26事件は恐慌のときに起こったクーデターですが、暴挙にでた青年将校たちにたいして軍の上層部は、
「気持ちはわかる、しかし、辞めろ。」
と言って説得しようとしたそうです。
今、そういう事がおこったら安倍総理はそんな事をいいそうな気がしますね。
そして、さらに高い視点の人がいて、その人たちの考えは、
「これは世の中が大きく変わる転換点だ、これを機会に世界がよりよい形に変わるに違いない。」
というものでした。
その心については、省きますが詳しく聞いてみるとなるほど、世の中がよりよいものに変化するのは確かにこのタイミングしかないという事が納得できました。
こういう具合に視点の高さが違うと同じ状況でも、見え方と、考え方が全く違ってきます。
そして、その視点が高くなるにつれて不安、恐怖という感情が薄れていくのがわかるでしょうか?ここで、紹介したように視点が高くなるにつれて新型ウイルスに対する恐れが小さいのです。もちろん不安や恐怖が皆無ではないと思うのですが、それにちゃんと向き合えますし、ある一定以上に視点が高くなると希望や期待まで見えてきます、
私は病気と戦うなんていう言葉はナンセンスだと考えています。
なぜなら、病気というのは敵ではなく味方だからです。でも、今、それをいっても新型コロナウイルスが味方だと思える人は皆無でしょう。新しく生まれた病気で、それを恐れて不安を感じてしまう、それは私でも同様の気持ちがありますから仕方のない事だと思います。だから、今はまだ、
「病気と戦う。」
ということでいいと思います。
でも、この新型コロナウイルスと戦うってどういう事なのかをよく考えてみてください。
「K1団体は国賊だ!」
とののしる事は恐怖に負けて逃げているだけです。
もちろん、家に引きこもって、ブルブルと震えている事が戦うということでもありません。
病気と戦うっていうのは、不安や恐怖と向き合っていく事です。
ちゃんと向き合う事ができれば視点が高まって行くのです、そうして多くの人が視点が高まった時に、社会とか世の中とかそいういうものがよりよいもの変わっていくはずです。それができた時に、私達人間は新型コロナウイルスとの戦いに勝利することができるのです。
「不安、恐れという感情は免疫力を下げてしまう。」
という事について今更説明をする必要もないでしょう。
だから、我々は逆の事をやればいいのです、不安と恐怖にちゃんと向き合って、その上で私達はどういう人間でいたいのか、どういう社会であったらいいのか、それを考え直してみましよう。それができれば免疫力がどんどんたかまっていくのですから。
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