平均化訓練へ注をいれてみる
2019年08月10日
「野口晴胤という、野口晴哉氏の孫にあたる方が本を出版した。」
ということを教えてもらったので早速読んでみました。
整体協会は「体を育てる」と書いて体育という事について考えていると理解していました。以前は勉強させてもらいにいっていたのですが、今はどういう取り組みをしているかはわかっていませんでした。それで本を読んでみて、
「なるほど。」
と今はこういう事をやっているのかと知らされた感じです。
私が感覚的に捉えていた事をうまく文に落とし込んで説明してくれていましたので何箇所か気になったところを紹介してみようと思います。
私達は体を自分の意思によって動かしているように思っていますが、体の多くは無意識的なものです。
(中略)
これは筋肉の働きにおいても同じことが言えます。
例えば、歩いていても、どういう筋肉をどのように使うかは、意識して行っていませんし、椅子から立ち上がる時にも、いちいち意識して筋肉に指令を出してはいません。
これは体の様子を見る時には非常に大切な事です。
歩く動作などはもっともシンプルな動きと思うかもしれません。しかし、その歩くという動作においても筋肉の動き方、使い方というのは人それぞれ異なります。
ラジオ体操でも同じことがいえます。
皆、同じように手足を動かしていると思うかもしれませんが、すべての人の動作、筋肉の動きは異なります。
こういった動きの違いは偏った疲労を生んでしまう事があります。
癖があると考えるとわかりやすいでしょうか。妙な癖のあるウォーキングやラジオ体操をしていると部分的に疲労が集中してそれが抜けなくなってしまう事があります。つまり、ウォーキングやラジオ体操で体を痛めてしまうということがあるという事です。テレビ、雑誌、インターネットなどで「○○によい体操」といったものを私が歓迎しない理由はこのような考えがあるからです。
ウォーキングは体に良い、ラジオ体操は体に良いという考えはすべての人が全く同じように筋肉を動かしているという前提からくる考えといえます。手の伸ばし方、足の上げ方、よく観察すれば人によって違うことはすぐわかることでしょう。ウォーキングやラジオ体操で健康になる人はいるが、かえって体を痛めてしまう人がいるというのが現実です。
(平均化体操について)
この体操は一般的な体操と違って、決まった形がありません。
偏り運動は、それぞれ固有のパターンなので、眠らせている筋肉に力が流れる形=平均化している姿勢は、一人一人で違います。
スポーツにおける優秀なコーチがどういう事ができているのかというのを考えるとわかりやすいでしょうか。
運動能力の高い人でも、運動には固有の偏りやパターンをもっているものです。その偏り故に高い能力を発揮することもありますが、さらなる向上を目指した場合こういった偏りをなくしていく事が必要になる場合があります。これをうまく見極める事ができる人が優秀なコーチだといえます。
私が心当たる人でいうとマラソン選手高橋尚子のコーチだった小出義雄監督、野球の星野仙一監督などでしょうか。こういった方たちはどのような選手であろうともそのパフォーマンスをさらに高めることができた人たちではないかと思います。
押し合うことによって偏り緊張が強調され、体には不快な力感が生まれます。
しかし、体には不快なぶつかりを、より快適な状態にもっていきたい本能的な要求、言い換えれば、偏りを分散して平均化しようとする要求があるのです。
その要求が働くから、体が自動的に動き出すような感覚があり、その動きに抵抗せず、あえて任せていくということで、全身に緊張が行き渡る平均化状態になるのです。
ですから、このぶつかり状態強くして、耐えるほど、姿勢を変えた後の運動の勢いが増します。水圧をいっぱいまで高めてからダムを開けるようなものです。
そのように平均化体操は、体に本来備わっている、バランスを保とうとする無意識の要求を、意識的に引き出して、体操に活用しているのです。
平均化体操についての具体的な説明です。
理解できる人など一般の方にはほとんどいないのじゃないでしょうか。例えば、私がイチローのバッティング理論について噛み砕いて説明したとします。それを聞いた方は、イチローと同じように打てるようになるでしょうか?イチローまでいかなくててもプロで通用するレベル、高校野球で通用するレベルの説明でもかまいません。
バットの持ち方、構え方、スイングするときの体重移動、ボールを目で追いかける方法について丁寧に説明されればどんな方でもヒットが打てるようになるか?
答えは、ならないです。
違うと思うなら、ベースボール入門なんていう本を買って読んでからバッティングセンターにいってみればいいのです。猿でもできる野球入門、運動能力のない人が書いたヒットを打つ方法、無駄な動きを捨てれば運動能力は一瞬で目覚める!、練習は30分で済ませろ!、などなど、そういう書籍は探せばいくらでもでてくる事でしょう。
たいていの場合、何も考えずにバットを振り回している方がよほどバットがボールにあたるはずです。
「説明されればわかる、できる。」
というのは誤った考えです。
野球はできないけど、ヨガ、体操、瞑想なんかだったら簡単にできると思うのも考え違いです。
お手軽、簡単というのはたいていの場合、大事な部分を省略しているということです。
大事な部分というのは理解することが非常に難しいのだということは落ち着いて考えればわかってもらえるのではないでしょうか。
体にまつわることは、実際に体験して、指導をうけてみなくてはまずわからないと思っておくほうがいいでしょう。ラジオ体操ですらちゃんとできていない、うまくできていないとう人の方が圧倒的に多いのです。
人によってはこの記述を実際に体感できるようになるには数ヶ月、1~数年かかっても不思議ではないぐらいものといえます。
偏り運動というのは、簡単にいうと、ある場所に力をいれすぎる癖なのですが、体の筋肉の動き自体にはほとんど無自覚なので、普段はあまり気が付きません。
ところが、体や心になんらかの負担がかかった時には、この偏り運動は色濃く表れます。
なくて七癖なんていいますが、体の動きには無自覚な癖があるものです。
比較的多いものに、かばんなどを持つ時に左肩から腕にかけて力みがでる癖なんていうのがありますかね。
「左右の負担に偏りがでないように両手、両肩で荷物を持ちましょう。」
なんていう事は誰でも言われた事があるのじゃないでしょうか。
しかし、こういう癖があると右手で荷物をもっていても左手に力みがでます。右手でかばんをもっても左手に負担と疲労が発生するわけです。
このような癖のある方が、バランスよく両肩で荷物を持つようにする事に意味があるか?
「そんな癖はない。」
と思うかもしれませんが、両手に偏りなどなくバランスよく使えるというのはイチローレベルのスポーツ選手でしかできないことだということは知っておいてもいいでしょう。あなたはイチローがやっている事をやれとアドバイスされていたわけです。
ここで言っている、心、というのは、感受性といってもよいです。感受性というのは、刺激の受け止め方と、リアクションのことです。
体の筋肉がいちいち意識しないで反応しているように、私たちの心の働き方も、全ての刺激に対していちいち、こういう反応をしよう、こういう受け止め方をしようと意識的におこなっているわけではありません。
「大阪湾にゴジラが現れた!」
そんなニュースを聞いた時にどう反応するかが感受性といえるでしょうか。
逃げるという人が多いと思いますが、見に行くという人も結構な数がいるのではないでしょうか?そんなアホなと知らんぷりをする人もたくさんいそうですね。
東北で地震が起きたときには、津波がくると急いで高台に避難した人がいたそうです。
避難の途中で、近隣に津波がくるぞと知らせてまわっても意に介さなで、テレビ見ながらご飯を食べていた人がいたそうです。
付き合っているカップルで同じ映画を見てもその感想が異なったりもします。
同じトレーニングをして同様の負荷を体にかけたとしても、感受性が異なればトレーニングの効率や成果には差が生まれるのは当然のことです。
元気になりたいと、肩こりを解消したいとか、耳鳴りを解消したいとか考えて、運動をしたとしましょう。
感受性が異なれば、外からの刺激に対して体がどのように反応するかは異なります。この感受性の違いを検討にいれないで、
「耳鳴りを解消するストレッチ」
なんかを一生懸命にやっても成果があがるかどうかは、運まかせにしかならないわけです。
私が気になったところ、一般の方読んでわかりにくいのではないかと思ったところに私なりに補足をしてみました。もしかしたら著者本人が見たら、
「全然、違う!」
というかもしれませんけどね。
まぁ、それだって感受性の違いというものです。
興味がわくようでしたら、写真入りで平均化訓練の紹介をしていますので読んでみるとよいでしょう。運動に対する捉え方が変化するかもしれません。
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