ブログ「日々整体」

松岡修造と整体師と

「どうしたら元気になれるのか教えて欲しい。」

頻繁に頂く質問です。
でも、残念ながら検討違いの質問だといえます。なぜかというと、知識があれば健康に、そして元気になれると考えているからです。でも、ここまでの説明だとほとんどの人が理解できません。

そういう人には、続けてこのような質問をします。


「松岡修造と私とどっちの方が人間の体について詳しいと思いますか?」


正解は、間違いなく私の方が詳しいといえます。
そして、さらに質問をつなげます。


「それじゃ、私と松岡修造と、どっちの方が元気だと思いますか?」


答えはやはり間違いなく松岡修造です。
そして、この事を踏まえて考えてみればいのです。


「自分は整体師を目指すのか?それとも松岡修造を目指すのか?」


99.9%の人は松岡修造を目指した方がよいのです。もちろん松岡修造本人になる事はできませんから、どっちに寄るかという考えで問題ありませんけどね。

稀にここまで説明してもまだわからない人がいます。
そういう人には、

「元気になった時に、今、興味をもっているほどに人間の体に対して興味を持ち続けていられますか?」

さらに質問を付け加えます。
それでも、


「やはり知りたい。」


という人には、一応、そのための具体的な知識だったりを話したりもしますけど、ほぼすべて無意味になりますね。

体の調子が整って元気になった時に、体についての興味を持ち続ける事ができた人は一人も見たことがありません。なぜなら、人は元気になったときには、自分が本当に興味や関心を持っているものに気がつく事ができるようになるからです。

まぁ、逆にいうなら好きな事ややりたいことが見つからないとかいっている人は元気が足りなかったり不健全だからですね。
霊長類が他の動物と一番大きく違う点はなにかご存知でしょうか?それは、

「好奇心がとても強い。」

という事です。
これは人間だけじゃなくて、猿やゴリラなんかでも同じだったりします。

例えば、私が子供の頃、川口浩の探検隊シリーズでジャングルの奥地で類人猿を探すなんて番組をやっていましたけど、あんな具合に大勢の人間が大騒ぎしていたら類人猿の方が何があるのかと興味をもって必ず姿を現すはずなんですよね。私達人間は、それぐらい好奇心が強くあらゆるものに興味を持つという性質をもっている訳です。

「その好奇心が働かない。」

というのは体がひ弱だったり、元気が足りないからです。

結局のところ、体や健康に興味があるというのは自分に元気がなくて、今、必要だからだという事です。だから、元気になったとき、つまり必要がなくなった時に興味を持ち続けているという事は無理なのです。だから、


「元気になった時に、まだ興味を持ち続けていることができていたらその時に勉強をはじめるといい。」


といつもアドバイスをしています。
そして、これがいつも適切な助言になっていますね。


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穏やかな死について

私はいままで1回も死んだ事がありません。 
普通は死んでしまうと生き返る事はありませんから当たり前の事ではあります。だから、死についてちゃんと語れるかというとかなりの疑問です。ただ、生きている内には語れないのは重々承知しているのですけど、死んでからでは語れません。一昔前なら、宗教がこの辺りを説明してくれていて、死んだら天国だったり、極楽に行けるから、生きている内に善行を積みましょうとか、生業をしっかり営んで生きましょうなんていう教えに繋がっていたのではないでしょうか。 

でも、今の世の中って、死んだ後は燃やして灰になって終了です。 
死後どうなるかなんて語られる事はありませんし、語り出したら怪しい奴だと思われてしまいます。そのせいで死後の自分に価値はなく、生きていなければ意味はないという考え方になってしまうのでしょうか。だから、善行を積もうとか、尊敬される人間になろうか、ちゃんと仕事をしようとかいう発想が乏しくなるのかもしれません。何しろ、どれだけ良い事をたくさんしたって、死んでしまえばそれらはすべて価値がなくなってしまう訳ですからね。多分、こうなってしまうのは科学が発展してきたせいだとは思いますが、現代の科学は人を堕落させている訳で、科学の発展が人を不幸にしている事になります。科学とはいったいなんなのだと言わざるを得ませんね。 

人はいつか必ず死んでしまう生き物です。 
単純な原始生物なんかだと体が千切れても再生して2つの生物に別れたりなんて事があります。でも、我々、哺乳類のように進化してしまうとそういう訳にはいきません。種の保存という事を最優先に考えた場合、多種多様な環境の変化に対応するために複雑化してその結果、性と寿命というものを設けて世代交代していくという事を選択したのだと思われます。当然ですが、それが最も効率的なのでしょう。 

ホモサピエンスはその世代交代を効率的に行うために、言葉、文字といったコミュニケーションを生み出しました。
一方、ホモサピエンスに非常に似た性質をもち同じ程度にまで進化していたネアンデルタール人は滅びました。彼らが滅んだのは、言葉や文字がなく、技術、知識そして文化というものを世代を超えて継承する事ができなかったからだといういう説を聞いた事があります。 

そういう事を踏まえて考えてみます。 
私たちはいつか死ぬ時に、次の世代にバトンタッチしていくということがもっとも大切な生き方なのではないでしょうか。

続きは四面楚歌に掲載しています。
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安全運転と出張をはじめました。

先日、出張をやりますという告知をしてからはじめての出張にいってきました。2輪で行くわけですけど、2輪での高速道路は慣れていないのでまだちょっと怖いと感じてしまいます。ちなみに乗っているのは150ccのバイクなんですが、ちょいとアクセルをひねれば100kmぐらいは簡単にでます。 


高速で走るとなると車体が軽いと風の影響だったり、近くに大型車が寄るだけで振られるといったデメリットが大きいので大きな車体のバイクを買った方がいいかもしれないなんて考え始めています。まぁ、大きいとそれはまた駐車や取り回しでデメリットがでるのでちょうどいいサイズを考えた方がいいのでしょうけどね。

2輪での高速道路の運転は生身だから怖いと思う人が多いかもしれません。 
ただ、実際に走っているみると危険だと感じるからこそ安全運転に対する意識が高まるというメリットもあると感じます。結果、安全に運転するノウハウがここ数ヶ月でみるみる身についたように感じています。そのため、案外、こちらの方が安全に走れるのかもしれないと感じる事がしばしばあります。 

結局、一番怖いのは安全意識がないドライバーですね。 
普段でも様子をみていると、

「そんな運転をしていたら猫が飛び出してくるだけで死ぬこともありえるだろうに。」

なんていう運転をみかける事は少なくありません。
予測力とか、想像力とかそういう能力に欠けた人は運転適正がない、つまり運転しない方がいい人間なんてののもいるのだろうなぁと思ったりもします。アオリ運転や飲酒運転をしてしまうような人はそういう人たち代表的な例なのでしょう。

ところで、運転適性の低いドライバーって、車体の大きさで判断していることが多いようで、 

「小さな奴は大きな車体に進路を譲るべきだ。」 

みたいな感じで幅寄せだったり、無茶な追い越しをしてきます。2輪の運転では、そういうドライバーをいかに早く察知して距離をとるかというのがキモになってくるように思います。 

不思議と、こういう人って車種が偏っています。 
軽バン、バン、外車、高級車といった感じですね。これにタクシーを加えて、そんな車種が近くに寄ってきたら警戒をするようになってきました。

他で怖いのは周囲が見えていないドライバーです。 
これは残念ながら女性に多いというか大半は女性です。これは女性特有の視野や思考のせいだと思いますが、オバタリアン走行とでもいうと伝わるかもしれません。3次元的に状況判断をするのが苦手だったり、自分を客観的に見る事が苦手な人は、自身の走行にしか関心がなく、こちらが優先の状況であっても、 

「危ないから私の走行の邪魔をするな。」 

という運転行動をとる傾向があります。
ただ、こういうのも30年ほどの運転経験があると、挙動をみてだいたいすぐに察知できるようになってきましたね。経験の積み重ねがいかに大切なのかという事を今更ながらに感じています。 

さて、50歳目前で二輪の免許を取得したわけです。
これからますます運動能力が低下していくなかで免許取得というのは安全運転を見直すいいタイミングになったように思います。運転なんて慣れでやってしまっていると、能力の低下や、危険に対しての感覚がどんどん鈍くなってゆきますからね。ちょっと前に裁判のあった、暴走事件を起こした高齢者は自分の衰えを認めることができなくて、車の故障が原因だなんて主張してしまっていました。この事件は、他人事ではなく我が身に起こるというか起こしても不思議のないものだと捉えて自動車や二輪の運転をやっていこうと考えています。

まぁ、そんな訳で関西圏でしたら安全運転でどこでもいきます。 
どういう形でやっていくのがいいかはまだこれから試行錯誤していく段階ですので、体の調子でお困りの方はまずはご相談を頂ければと思います。 
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台風で代謝が落ちたのでのでアカスリ

ここ2日ほど夜中に目が覚めています。 
朝のジョギングは途絶えてしまったし、深く眠れていないようで昼間は眠いのでどうしてだろうか?なんて考えていたのです。ただ、体にかゆみを感じるし体重はやたらと重くなっているしでおそらく、代謝が落ちているのだろうと。それなら、今、近づいてきている台風の影響だろうと判断しました。 

ここ数日、やたらと体調が悪いとか、腰が痛くて仕方ないとかいう人がつづいていました。どうも今回の台風はかなり気圧の低下が激しいみたいですね。 

それで、銭湯にきてアカスリをやってもらう事にしました。 
アカスリは、皮膚を刺激して代謝を向上させるものだと思うといいでしょう。だから、今の私のように代謝が落ちて体が重くなっている人には最適だったりします。 

ちなみに、関西だとたいていの銭湯、スーパー銭湯にはあるサービスです。 
ところが、関東だといわゆる下町の銭湯がまだまだ賑わっています。そのせいかある程度のスペースを確保しないといけないアカスリは受けられる所はみた事がありません。もしかしたら、郊外の大きな施設なんかにいけばあるかもしれまません。そんな感じで関西だとどこにいってもたいていある珍しくもないサービスなのですけど、関東の方だと韓国にいった時にやってみたとかたいていはそんな話になりますね。 

さらに余談ですけど、韓国だとやたらと強い力で体をこするそうです。 
慣れていない日本人にはかなり痛いらしいですね。韓国の方は肌が鈍感だとかストレスが多いから半端な刺激では代謝があがらないのかもしれません。おそらくキムチのような刺激が強い食べ物を好む風土とか風習が影響してかなり強くこすられる事を好むみたいですね。 

代謝が落ちているというのはわかりにくいかもしれません。 
代謝が落ちたときに体にどのような事がおこるかは個人差が大きいのでわかりやすく説明するのは難しいです。単純に体が重くなってやる気や意欲がなくなって、いろいろ辛くなるというぐらいに考えておくといいかもしれません。

先ほども述べましたが、今回の台風の影響では、 

・肩や首が痛い 
・ぎっくり腰になった 
・眠れなくなった 
・動悸が辛かった 

なんていう人が多かったですね。 

わかりやすいのは視力に大きく変化する点でしょうか。私自身もここ何日か目がぼやけていると感じる事が頻繁にありました。 

視力というのは肺の活動に大きく影響を受けます。 
代謝があがると肺が活発になるので世の中が明るくみえるようになります。だから、視力が低いなんていうのは目が悪いのではなく肺の働きが弱いのだと考える方がいいですね。だから、肺が小さくしか活動していない状態で目が見えにくくなるのは当然で、その状態で目が見えないとかいって、目の状態の確認しかしない眼科にいって相談するなんていうのはナンセンスだったりします。 

アカスリをしたらはっきりと感じ取れるぐらい世界があかるくなります。
これはどういう事かというと、代謝がしっかりしている人は世の中があかるく見えて希望をもてるという事になります。逆に代謝が悪いと未来に絶望しか感じないという事になります。 

「そんなものは気持ちのもちようだ。」 

なんて、飛躍した理屈に思う人も多いかもしれませんが、気持ちの持ち方というのは考え方の問題ではなく適度に代謝が起こっているかどうかというところがポイントで、代謝の悪い人が頭の中だけでプラス思考になっても、 

「宝くじさえ的中すれば私の人生は薔薇色だ!」 

なんていう現実味のない思考しかできません。
もし女性の方でで付き合っている男性がこういう馬鹿な事をいっていたらアカスリをおすすめするといいでしょうね。 

そんな訳で、アカスリなのですけど台風がやってきて代謝が落ちたときに、 

・肌が荒れてくる 
・目がぼやけてくる 

という方には向いている可能性が高いと思われます。 
今回のように台風の影響で体調が悪くなっているというのは気がついていない人がほとんどです。そういう時には積極的に行動しようという気持ちにはなかなかなれませんから、動けない、動く気になれないときにためしみる事をおすすめしておきます。 
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季節要因ってなんですか?

最近、『季節要因』という言葉を頻繁に耳にします。 
以前から私がよく口にしていた季節変動というのと同じ意味の言葉だと考えてよいでしょう。 

それで、学者、専門家など頭のよい人たちが、 

「季節要因というものがどうして発生するのかわからない。」 

なんて事をいっているのを見かけました。 
どうも季節、天候に合わせて体が変化するという事を理解していない。インフルエンザが冬に流行するのは気温が低下するからですが、それ以外の要因は皆無だと思うようで気温が低下したときにどうして流行するのかまではあまり深く考えていないみたいです。 

でも、樹木なんかをみていれば季節要因がどういうものかとてもわかりやすいでしょう。 
春になったら芽吹き、夏になったら茂って、秋になったら紅葉して、冬になったら枯れる。季節要因というのはたったそれだけの事で、とても当たり前の事でしかありません。人間の場合は、見た目だけではわかりにくいのかもしれませんが、春になったらぼんやりして、夏になったら活発になって、秋になったらセンチになって、冬になったら寂しくなると言われればなんとなくわかるのではないでしょうか。 

こういう当たり前の事がわからなくなってしまうのは、医療や医学が人間の体を永遠不変のものであると考えている事が理由だと感じます。 

体の状態は日々変化しています。 
しかし、医療においてはよくわからない体の不調を 

「年のせい。」 

として加老に原因をもとめる事がせいぜいあるぐらいです。 
医療と医学は老いというものを『歳をとったら衰える。』程度のものとしてしか捉えていないようです。その程度の認識しかもてていない人たちには、季節の巡りによって起こる体の変化というものがあるという事すら理解できないのかもしれません。 

それで、 

「医者にわからないことがなんで私にわかるのか?」 

という事についてです。 

続きは四面楚歌で掲載しています。
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