最善の治療と最良の人生
2023年11月02日
「死んでから3日は救急車を呼んではいけないよ。」
冗談まじりにそんな助言をすることがあります。
なんらかの体の不調があって動けなくなった際に、すぐさま救急車を呼ぶというのはほぼすべての人が当然だと考えることでしょう。しかし、私は数年前からこういった当たり前と思われる判断と行動について考え直した方がよいと思うようになりました。なぜなら、脳梗塞を起こして倒れた人が病院から帰ってきたときには人が変わっているケースを何回か見てきたからです。
実際に、私自身の母にもそのようなことが起こっています。
救急車で運ばれる前と後では明らかに人格が変わってしまっていました。他の場合では、自分一人では話すどころか、体を動かすこともできずかなり重度の要介護状態になってしまった人もいます。そういう状況を見るにつけ、医師はいったいどういうつもりで治療を行ったのだろうかという疑問が沸いてきます。当事者になってみて感じたのは、
「とりあえず心臓だけは止まらないようにしたから、あとはあなたたちの心の問題です。」
と突き放されたということでしょうか。
こういった経験を経て思うことがあります。
それは、医師は『死んではいけない』という否定することが難しい正義を振りかざしているだけではないかということです。医師たちが、死は憎むべき敵であり、絶対に受け入れてはいけないものであると主張しているように感じるのです。心臓さえ止まらなければ、何をしてもいいとまで考えているのではないかと思うことすらあります。
医師たちが持つ「死んではいけないという」正義の解釈は、ある意味で、強い権力を持つ人々や組織が持つ正義の解釈と重なる部分があるのではないでしょうか。
死に直面した人を救うためには、医師たちはこう言っているように感じられます。
「心臓を動かし続けるためには、今、生きている人の人生や夢といった、その人の人生に関わるあらゆることを犠牲にしてもよい。」
人格が変わってしまった人、一人での生活ができなくなった人、そういう人たちを見ているとそのように感じてしまいます。命さえ守られれば、命を奪うのではなければ何をしてもよいというのでしょうか。
さて、人間はいつか必ず死んでしまう生き物です。
死を迎えて世代交代をしてゆくことは、地球環境の変化に適切に対応するための人類の能力の一つです。我々は、世代交代をしてゆくことでDNAを適切に変化さてきたのです。つまり、世代交代をしてゆくということはホモサピエンスが繁栄していくために最も必要なものだということができます。
だから、充実した人生を送って、最後には、「よい人生だった。」と自身の人生を振り返りながら亡くなるというのがもっとも人にとって幸福な人生だといえるのではないかと思います。だから、「死んではいけない。」という理由で、その幸福な人生を台無しにしてしまうのは間違いなのではないでしょうか。
あと、私は、自分が自分で無くなるのは絶対に嫌です。
そうなってしまった結果、私の息子が何かを諦めなくてはいけないことになったら生きてきたことをすら後悔するようになるかもしれません。それだったら、さっさと死んだ方がいいと私は思います。だから、もし倒れでもしたときには、
「心臓が止まったのを確認してから3日後に病院なり119番なりして欲しい。」
と、そう思うのです。
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