ブログ「日々整体」

息子の未来: 技術の時代における進学と教育の考察

私の最近の最大の関心は息子の進学についてです。
時間ができると、ずっとそのことばかり考えてしまっています。理想は、息子自身が自主的に自身の将来について考えるのがよいとは思うのです。そうすれば、何に取り組んでもモチベーションの持ち方が全く異なる物になるでしょう。しかし、社会経験のない学生に将来について自身で考えろというのはやはり無理があるようです。時間をかけて話合いをしましたが、自身がこれから先、どのような人生を送りたいのかということについて形にできるような考えを現時点で具体的にさせるのは不可能だと思えました。

これは以前にも書きましたが、世界が大きく変わるかもしれないタイミングだと考えています。
例えば、AIについての書籍を読んでいると、2014年の段階で今ある職業の47%が10~15年後には消失しているかもしれないという記述がありました。鵜呑みにする訳ではありませんが、そうならないという確信もありません。つまり、今の息子が大人になって成りたいものについて具体的な望みがあっても、当人が成人する頃には存在していない可能性も十分に考えられます。

すると、

「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応する。」

という判断がもっとも適切なのかもしれません。結局、ぶっちゃけてしまうと何も決めずにとりあえず勉強だけしておこうかという結論にならざるをえません。

先日、進学を志望する高校へ個別相談にいってきました。
するとやはり、教師からは

「明確な目的意識をもって勉強に取り組まなければいけない。」

というような性質のことを言われました。
海外のカリキュラムを取り込んでいる学校ですので、日本の学校よりこういった考えはより強いのであろうと思われます。しかし、

「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応します。」

なんていう返答をする訳にもいかず、お茶を濁したボケた受け答えになってしまいました。それで、消化不良の学校訪問になってしまったかもしれないと思っていました。

さて、話がちょっとそれます。

最近の学問の流行はクリティカルシンキングというそうです。
クリティカルという言葉は日本語にすると『批判的に』という意味です。このクリティカルシンキングという言葉についての私の感想ですが、

「アカデミー分野で実利のない、くだらない分野を作って学費を巻き上げようとする魂胆が見え透いている。」

と考えていたのです。
でも、もしかしたらちょっと違うかもと思った瞬間がつい先日ありました。

新聞の情報では、ウクライナから一方通行で発信される物ばかりで信頼に足る物がほとんどないという話をしていました。例えば、ゼレンスキーがロシアの支配地域への反抗の準備を整えている報道に対して、その反攻作戦がどういうものか、その作戦にどのように戦略的なものかを、地図をみて分析していくと明らかに違和感を感じる箇所がいくつもでてくるのですが、そういうことを説明してゆくわけです。

そういう事を繰り返していると、ある日、

「これってこういうことじゃないのか?」

ということを言い出したのです。
それは私から見ても鋭い指摘だと思えました。そしてその時、

「これがクリティカルシンキングか。」

と、気がついたのです。
教育者がこのような思考のできる人間を育成することを目標としているのはとてもいいことかもしれません。クリティカルシンキングとは、ジグソーパズルの一部分のみのパーツから、完成される絵を想像するようなものと言えるでしょう。言い換えると、すでにあるものをベースに、不足を補って目標を達成することを目指すのです。普段から、権威に対して喧嘩をふっかけるような論調でばかり発信をしているせいで、私は権威を疎かにしてしまっていたのかもしれません。

しかし、このように思考が進んでも

「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応します。」

というのが正解のような気がします。
世の中では決めることが重要と考えられていますが、今は、決めることのリスクの方が高いということなのかもしれません。息子には、明日にでも、

「とりあえず世界平和でも目指しとくか。」

と話をしてみようと思います。
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医学の進歩と患者の置き去り--エビデンスと経験の狭間で

最近、整体に訪れた人が、

「最近の若い医師は、エビデンスがどうのこうのという話しかしない。」

と話していました。
私は医師と直接話をする機会などほぼありません。ですから新鮮な情報のように感じたのですが、その一方で、

「やっぱりな。」

という思いも沸き上がります。
医師がエビデンスしか語らないことについて不満を述べた人は、おそらく専門家としての立場から、自分の体の状態について意見を聞きたかったのではないでしょうか。それにも関わらず、研究ではこうで、こういう論文が発表されていると、エビデンスの話を延々と聞かされるのです。自分のことをきちんと診断してくれていないと感じるかもしれません。

整体師として意見を言わせて頂くと、医学と医療はとてもおかしな方向に突っ走ってしまっている。
その結果、患者さえ置いてけぼりにしてしまっていると感じることがしばしばあります。実際に聞いた話を1つ紹介しましょう。ある医師の集会で、患者の薬の消費量を増加させる方法についての講演した医師が拍手喝采を受けたそうです。具体的には、特定の病気は遺伝による影響があるから、その患者の家族、親族すべてに予防のための投薬をするべしという内容でした。そうすれば薬の消費量が現状の数倍以上になるという訳です。

論としはわからなくはありません。
しかし、特定の病気になりやすい遺伝子要素をもつ可能性が高いから予防のために薬を飲みなさいというのは無茶すぎるとは思わないでしょうか。実は、その講演で語られた病気はガンだったのですが、現在の日本人のどの程度がガンがなるかを国立がん予防センターが平成19年に発表したデータがあります。それによると、男性の二人に一人、女性の三人に一人がガンを発症するというデータがあります。これはつまり、そのガン患者の親族すべてと考えると、おそらく日本人全員にガン予防の薬を飲ませようという内容の講演だったと考えてよいでしょう。また、この話を直接聞いてきたのはとある整体師ですので、好意をもってその話を聞けるような人間ではなかったということも念のために付け加えておきます。

現在のところ、そのような薬物の開発は現実になったという話は聞いていません。
しかし、現状の健康保険の負担がどのような状況になっているかを踏まえて考えてみてください。おそらくそのような薬が開発されれば日本という国は、健康を維持させるために国家財政を破綻に導く可能性も十分にあるでしょう。補足で付け加えると、最近、ある病気に効果があるとされて開発された先進医療にかかる費用は1000万円を越えているのですが、そのような情報も知っていると理解が深まることでしょう。


エビデンスの積み重ねで医療は確かに進歩しているのかもしれません。
その進化がさらに進んで高度な医療が広く受けられる社会になる可能性もあるかもしれません。しかし、紹介した講演において拍手喝采の話を聞くと、医師や医学者たちは我々とは違う方向を向いているような気がしてなりません。もしかしたら、すべてのガンが予防できるかもしれないとうことに拍手喝采する人もいるかもしれませんが、私には今日の医師たちがそのような志をもっているようには思えないのです。

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2024年から整体指導料を変更します。

2024年1月より整体指導料を変更します。

初回      8,500→ ¥9,000.-
2回目以降  7,500→ ¥8,000.-

回数券 11回分  75,000 →  ¥80,000.-
回数券 24回分 157,500 → ¥168,000.-

出張      ※変更なし

現在、整体に来ておられる方は年末までにはおおむね体調は改善する見込みですが、もし来年以降にも通うつもりの方は、年末までに回数券を購入してください。
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断と生命:整体師から見た斬首の謎

江戸時代には、打ち首という処刑がありました。ほぼ全ての人が知っているでしょうが、あえて説明を加えておくと、人の首を切り落とす処刑方法です。

実は、この処刑を行うには達人といっていいほどの技量が必要です。

「刀を振り回せば、首なんて簡単に切れるだろう。」

と思う人もいるかもしれません。
しかし、頸椎3番と4番の間に正確に刃を当てないとうまく刀が通らないそうです。骨に当たると刃がはじかれますし、おそらく刃こぼれもしてしまうことでしょう。技量のない人間が斬首をしようとしても、うまく首を切り落とせず、相手を苦しめ、刀もダメにしてしまうのです。また、達人と呼ばれるような人でも失敗することがあったそうで、切り落とす動作は3回までと決められていたそうです。

打ち首をするのは特殊な地位の人間だったそうです。
繰り返しますが、刀の扱いに相当長けていなければいけません。ですから、処刑人としての役割を請け負うためだけに武芸の技を高める一族があったそうです。どれぐらいの人間が斬首を行っていたのかはわかりませんが、それほど多いとも思えませんからほんの一握りの人間が日本中の斬首を請け負っていたのかもしれません。ちなみに、私は歴史の勉強をしていて、そういう人がいたとういことを知りました。ちなみに、とんでもない高給取りだったそうですが、その収入の大半を首を落とした人の供養のために使っていたそうです。

そんなことを知ったときに、ふと、

「首が切断されるのはどのような感覚なのだろうか?」

ということを疑問に思いました。

首が落ちてもほんのちょっとの間は意識があって、その時に目を開いていたら目が見えていたりするのでしょうか。そして、その間には痛みや苦しみを感じるものなのでしょうか。

それとも首が落ちた瞬間に意識がなくなるのでしょうか。
すると、刀が頸椎に到達して、首の神経を切断した瞬間に意識や思考が断ち切られてしまうということになるのでしょうか。そう考えると刀が首にから頸椎に至るまでのほんの一瞬は痛みを感じるのかもしれません。

そこまで考えて、自分が整体師だったことを思い出します。
整体という技術を通じての理解で答えを考えてみます。すると、正解は後者だとはっきりとと言えます。どういうことかというと、頸椎を通る神経が切断された瞬間に人間は生命体ではなくなるからです。生命の中にはプラナリアのような体を切断しても生命であることを保っていられる生物も存在していますが、多細胞生物である人間では事情が異なります。

人間という生き物は複雑すぎるのです。
その複雑さを保っているためには幾つかの要素があって、その中の一つが頸椎の神経が健全に繋がった状態であるということです。手や足なら切断されても生存は可能ですが、頸椎が切断されると生存は不可能です。

昔の人もそういう事がわかっていたから、首を切断するという処刑方法を採用したのではないでしょうか。
斬首というのは、日本だけでなく、西洋でもギロチンによる処刑というのが実際に存在していました。科学的な知識ではなく、経験や直感から人の命を確実に奪う方法を理解していたのでしょう。
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体は繋がっている:頸椎と腰痛の不思議な関係

「頸椎の異常が影響していますね。」 

このような私の説明を聞いて不思議そうな顔をしていたのは腰痛で相談に来た方です。 頸椎の狂いのせいで腰痛が生じるというのは理解できない人がほとんどでしょう。ただ、体の繋がりをなんとなく感じている人などは、 

「繋がっているんですね。」

と言って納得する方もそれなりに存在しています。 

そういう方は、医師の説明に納得できずに整体師である私のところにこられるのでしょう。今回の方は、ご家族に無理矢理連れてこられた方だったので理解の及ばぬ範疇の話だったようです。

気の毒だと思うのは、腰が痛いから腰に問題があるはずだとしか考えられない医療を完全に信頼してしまっている人たちです。そういう人たちは、 

「整体師の考えなど信用できない。」

と考えることがほとんどですから、私などの言葉に耳を貸すことはないでしょう。
それでもそういう人の中には、医師の言うとおりに様々な治療を済ませた結果、どうにもならなくなってから相談にこられることがたまにあります。鎮痛剤が体の感覚に影響を与えていたりすると、その改善にはかなりの時間が必要になります。また、背骨にメスを入れてしまっているとどうしようもないことも多いので緩和する方向で対処を考えるしかない人もいます。

それにもかかわらず、

「やはり整体なんぞ信用できない。」 

と言い出す訳ですから、

「最初からこちらに来てくれていれば今頃は腰痛のことを気にすることなどなくなっているだろうに。」

と愚痴りたくなってしまいます。
結果、腰痛をとやかくいう人にはあまり関わりたくないなぁというのが私の本当の気持ちになっていたりします。 

そういえば、今、腰が痛いといって3ヶ月ほど通っている人がいます。 
かなり辛いようで、早く何とかならないかと私に催促してくるので、

「おそらく数年前から体がおかしかったはずですけど今までほったらかしにしていたんでしょ?そういう長年かけて悪化した体の問題が1~2ヶ月で治るはずがありません。どうししてもというのなら病院へ行って優しい先生に相談してください。」

と返事をしました。
どうやら3年ほど前から体の調子がおかしかったようで、いままで薬漬けになってしまっていたようです。その結果、不眠になってさらに腰痛が悪化となるわけですから、時間がかかるのは当たり前だと考えるべきです。私から見ると、随分と様子がよくなってきて、睡眠導入剤なしで眠れるようになってきているので、かなり回復が早いと感じます。

「余計なことをする前にまずはこっちに相談してくれませんか?」

と、つい言いたくなってしまうのでした。
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