息子の未来: 技術の時代における進学と教育の考察
2023年10月12日
私の最近の最大の関心は息子の進学についてです。
時間ができると、ずっとそのことばかり考えてしまっています。理想は、息子自身が自主的に自身の将来について考えるのがよいとは思うのです。そうすれば、何に取り組んでもモチベーションの持ち方が全く異なる物になるでしょう。しかし、社会経験のない学生に将来について自身で考えろというのはやはり無理があるようです。時間をかけて話合いをしましたが、自身がこれから先、どのような人生を送りたいのかということについて形にできるような考えを現時点で具体的にさせるのは不可能だと思えました。
これは以前にも書きましたが、世界が大きく変わるかもしれないタイミングだと考えています。
例えば、AIについての書籍を読んでいると、2014年の段階で今ある職業の47%が10~15年後には消失しているかもしれないという記述がありました。鵜呑みにする訳ではありませんが、そうならないという確信もありません。つまり、今の息子が大人になって成りたいものについて具体的な望みがあっても、当人が成人する頃には存在していない可能性も十分に考えられます。
すると、
「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応する。」
という判断がもっとも適切なのかもしれません。結局、ぶっちゃけてしまうと何も決めずにとりあえず勉強だけしておこうかという結論にならざるをえません。
先日、進学を志望する高校へ個別相談にいってきました。
するとやはり、教師からは
「明確な目的意識をもって勉強に取り組まなければいけない。」
というような性質のことを言われました。
海外のカリキュラムを取り込んでいる学校ですので、日本の学校よりこういった考えはより強いのであろうと思われます。しかし、
「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応します。」
なんていう返答をする訳にもいかず、お茶を濁したボケた受け答えになってしまいました。それで、消化不良の学校訪問になってしまったかもしれないと思っていました。
さて、話がちょっとそれます。
最近の学問の流行はクリティカルシンキングというそうです。
クリティカルという言葉は日本語にすると『批判的に』という意味です。このクリティカルシンキングという言葉についての私の感想ですが、
「アカデミー分野で実利のない、くだらない分野を作って学費を巻き上げようとする魂胆が見え透いている。」
と考えていたのです。
でも、もしかしたらちょっと違うかもと思った瞬間がつい先日ありました。
新聞の情報では、ウクライナから一方通行で発信される物ばかりで信頼に足る物がほとんどないという話をしていました。例えば、ゼレンスキーがロシアの支配地域への反抗の準備を整えている報道に対して、その反攻作戦がどういうものか、その作戦にどのように戦略的なものかを、地図をみて分析していくと明らかに違和感を感じる箇所がいくつもでてくるのですが、そういうことを説明してゆくわけです。
そういう事を繰り返していると、ある日、
「これってこういうことじゃないのか?」
ということを言い出したのです。
それは私から見ても鋭い指摘だと思えました。そしてその時、
「これがクリティカルシンキングか。」
と、気がついたのです。
教育者がこのような思考のできる人間を育成することを目標としているのはとてもいいことかもしれません。クリティカルシンキングとは、ジグソーパズルの一部分のみのパーツから、完成される絵を想像するようなものと言えるでしょう。言い換えると、すでにあるものをベースに、不足を補って目標を達成することを目指すのです。普段から、権威に対して喧嘩をふっかけるような論調でばかり発信をしているせいで、私は権威を疎かにしてしまっていたのかもしれません。
しかし、このように思考が進んでも
「高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応します。」
というのが正解のような気がします。
世の中では決めることが重要と考えられていますが、今は、決めることのリスクの方が高いということなのかもしれません。息子には、明日にでも、
「とりあえず世界平和でも目指しとくか。」
と話をしてみようと思います。
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