ブログ「日々整体」

利き手の遺伝子から心臓の健康まで: 整体師の視点

どうして大半の人は右利きになるのか考えたことはあるでしょうか。
人間の体は左右対称だから左右均等に使うのが理想であると主張する医師やスポーツトレーナもいます。しかし、人間の90%は利き手が右手なのですから変だとは思ったことはないでしょうか。実は、私のような整体師であればこの疑問にたいしてかなり自信のある仮説を起てることができます。今回はその仮説を説明してみようと思います。

ただ、まずは一般的に学会で提唱されている2つの説を紹介します。

1つ目は戦争の影響です。
戦争の際に体の左側にある心臓を守るために左手に盾を持つようになったために右利きが有利になって右利きが増加したという説です。しかし、この説はすでに否定されていて、50~60万年前の化石の分析から、当時から人類は大半が右利きでした。これは米、カンザス州立大学の研究員が当時の人類の前歯を調査することによって明らかにしたものです。

2つ目は利き手を決める遺伝子があるという説です。
右利きの遺伝子をA型,左利きの遺伝子をO型だと仮に呼ぶことにします。A型の遺伝子が優性遺伝だった場合、生まれてくる子供は利き手の遺伝子を、AA,AO,OOという3つのパターンが存在することになります。左利きになるのはOOというタイプだけになりますから右利きが多いということになります。わかりにくと感じるようでしたら、血液型と同じパターンだと考えるとわかりやすいでしょう。ただ、遺伝子によって利き手が決まるという説については、ほかにも影響する遺伝子があるという考えが一般的になりつつあるようです。

これらの説は興味深いのですが、私が整体の実践を通じて見えてきたこととはかなり様子が異なります。
左右の腕の様子を確認すると左利きの人はたいてい何かしらの違和感を感じます。残念ながらそれがどのように違うのかというのを言葉にすることはできないのですが、手を取った瞬間に「あれ?」と気がつく程度には差を感じることできます。

その違和感の理由は、左利きの人は心臓の動きが弱いせいです。
整体においては、胸椎4番や腰椎3番は心臓の働きに深く関わっていると考えているのですが、左利きの人はこれらの骨になにかしらの問題を抱えていることが圧倒的に多いのです。

かつて利き手による寿命の違いについて調査が行われたことがあります。
その結果は、左利きの人は9歳寿命が短いというものでした。この説については様々な異論がありますし、9歳という差は参考程度という認識でよいと思います。しかし、整体師として意見を述べさせて頂くと、そういうことは実際にあり得そうだと思える程度に、左利きの人の心臓の負担は右利きの人より大きいということが言えます。

右利きが多い理由については、スポーツを例に考えてみるとわかりやすいでしょう。
陸上競技などは必ず半時計回りにトラックを走りますが、どうしてそうなのかは考えたことがあるでしょうか。理由はその方が早く走れるからというとてもシンプルなものですが、運動の経験があれば誰でもすぐに理解できることでしょう。このことはありとあらゆるスポーツに対してもいえることで、まっすぐ走っている状態から急停止して、180度反転するとき、右回り、左回りのどちらが速く反転できるかは実際に試してみるとすぐにわかることでしょう。

車の運転でも、左折と右折でどちらの方が事故が多いかというと、圧倒的に右折の事故が多くなります。余談ですが、左利きの人は右利きの人より事故に遭う確率が高いなどというデータもあるようです。

つまり人間の体は右側の方が使いやすく、左側の方が使うのが難しいという性質を持っているということがいえるのではないでしょうか。実際、人間の体は右側が頑丈で左側が弱くできているということは、ある程度、整体の経験を積み重ねるとなんとなくわかってくることでもあります。

人間の体が左右対称であるという考えが根底にあるせいで勘違いが生まれているのです。
ですから、当院にこられる方には最初、

「左右のバランスが悪いのです。」

と訴えてくる人も多いのですが、そういう方には、

「そもそも人間の体は左右がアンバランスですよ。」

と説明しています。

さて、結論です。
私の経験から言えることは、左利きの人は、

「心臓の力が弱いのを補うために左手を使っている。」

ということが言えます。

整体は学問ではなく、実践に基づく洞察から得られたものです。
様々な不調を抱える人の体の様子を観察していると、「たぶん、そういうことじゃないかな。」と思えることです。

ただ、この仮説は科学的な証明をすることが難しいのです。
当然、学術的な証明ではありませんが、確信のようなものは持っています。ですから、さらなる探求のきっかけとして受け取って頂くのがよいでしょう。もしかしたら、このようなことを知っていることで何かしらの気付きに繋がることもあるかもしれません。
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治療のジレンマ: コロナ後遺症と整体による自然回復

新聞を読んでいると定期的にコロナの後遺症についての記事をみかけます。
その後遺症について整体師として意見を述べてみたいと思います。最初に念押ししておかないといけないのは、これは整体師としての意見であるということです。整体など医学的根拠がないという批判を稀に受けるのですが、整体は医学とはその起源から発展そして現状に至る過程が全く異なります。つまり整体とは医学とは全く違う知識体系であり、整体の知識を医学にあてはめて理解するという考えがそもそも根本的に誤っているといってよいでしょう。例えるなら、日本語とその文化について、英語で考えるというようなものでしょうか。ですから、医師や医学とは違う側面の考えに触れてみたいという人にとっては有益なものだといえるでしょう。

まず、整体において、風邪は治す必要のある病気ではありません。
実は、風邪は病気という言葉すら当てはまらない特定の状態です。整体で使われる専門用語は難しいため、より理解しやすい言葉を選んで説明します。整体において風邪は、体に溜まった疲労と老廃物を体の外に排泄する作業を行っている状態です。ですから、風邪というのは体にとってはリフレッシュするためのものなのです。また、健康な人であれば年に1回ぐらいは風邪をひくものだという認識をもつとよいでしょう。生きて生活をしていれば、疲労や老廃物は必ず溜まっていくものだからです。逆側の視点から考えると、不摂生な生活をする人や自己管理が不十分な人は、体の弱い人、何かしらの問題を抱えている人は、疲労と老廃物を貯めやすいために頻繁に風邪をひくということが言えます。

もちろん、寒い日に裸で活動して体を冷やしてしまうという風邪の引き方をすることもあるでしょう。
この場合は体温が下がり、それに伴って低下した免疫力を向上させるために発熱しているといえます。この場合は、先述した風邪とはまた違ったことが体に起こっているということになります。全部をまとめて風邪と表現されているせいで全て同じものだと考えてしまう傾向がありますが、整体においては常に体に何かが起こっているのかに注目をして判断をします。それは熱がでているからとか、咳が止まらないからという症状から考えるのではなく、なぜ熱がでているのか、そしてなぜ咳をしているのかということに重点を置いて考えているのです。

医学では、インフルエンザやコロナのようにウイルスが原因の場合は通常の風邪と違うものと考えられる傾向があります。ウイルスによる病気は高熱がでる傾向がありますし、医学においての判断はその症状に重点を置かれているのでそのような考えになるのではないでしょうか。

しかし、整体的な知見から述べると、通常の風邪とウイルスによる風邪は同じものと考えて差し支えがありません。疲労と老廃物が溜まったときに、体はウイルスの活動を利用して排泄活動を行いリフレッシュを行うのです。近年は、過剰な風邪予防が行われているせいで風邪をひくことが難しくなっています。それはつまり、リフレッシュが行いにくくなっているということを意味します。そのためインフルエンザやコロナといった強力なウイルスの活動を利用しなくてはいけなくなっているのではないかと推測しています。

私の整体の師は、

「ガンになるのは風邪をひかない人ですよ。」

とよく口にしていました。
人の体に風邪によるリフレッシュが適切に行われていれば重い病気にかかることなどないということをわかりやすく説明するためにこのような表現をしていたのでしょう。

それで、コロナウイルス治療の後遺症についてです。
おそらく治療に使われる薬物が強力すぎることが原因なのではないかと考えています。コロナウイルスのワクチンを接種した人や治療をおこなった人の体を観察すると、明らかに風邪をひけなくなっている状態の人を何人も見ています。どういうことかという、熱や咳の治療を行った結果、熱を出せなくなり、咳をすることもできない状態になっているということです。

具体的には、のどの働きに問題が起こっていますから、呼吸が浅くなってその結果様々な問題が起こっているようだと観ています。ちなみに、大雑把な判断だと、前者は、のどの上部にしこりができてめまいや頭痛、後者の方は、のどの下部にしこりができて動悸、肩や腕の痛みなどが起こっているケースが多いかもしれません。

この状態を解消しようと思うと、風邪をひかなくてはいけません。
先に述べた通り、風邪というのはリフレッシュです。そして健康な体とは定期的に風邪をひいてリフレッシュする力がある状態であるということがいえます。しかし、ここで矛盾が生じているのです。コロナの治療で風邪をひけない状態にすることで治したということになっているからです。

ここに至って、重要な結論に達します。
現代の医学治療によって、人々は風邪を引く自然な能力を失いつつあるのです。これは非常に深刻な問題であり、整体の視点から見ると、本来ならば風邪を引いて自然に回復するはずの状態が、治療によって逆に阻害されているという状況です。要するに、

「風邪を引けば治るはずだが、風邪を引けないために回復ができない」

というジレンマに直面しているのです。

このような状況に陥っている人々にとって、医学的治療だけではなく、整体によるアプローチが非常に重要になります。私の経験上、整体は体が自然に持つ回復力を取り戻すための一助となることが多く、このような状態に陥っている人々に対しては、「一度整体を受けてみてください」と心からお勧めします。ご自身の体が何を必要としているか、そしてどのように回復へと導くかについて、具体的なアドバイスを提供することができるでしょう。
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ガンとの別の闘い方: 一整体師の考察

ガンについて私の考えをまとめてみようと思います。
読んでいただければお分かりいただけるかと思いますが、この記事は私が直感的に感じ取っていることです。だから、誰かから聞いた話ではありませんし、医学的な根拠なども全くありません。ただ、日々の整体の実践を通して、医学が大きな勘違いをしているのではないかと感じることがしばしばあります。そういう違和感が積もり積もっていることも大きく影響していると考えてもらうとよいでしょう。

私は整体師です。
医学とは異なる知識体系を持っているため、これから述べる独自の考えに至ります。医学や科学を否定する気はありませんが、医学や科学はまだまだ未解明の部分を多く残していると考えています。それにもかかわらず、医学はすべてを理解しているかのように語ることが多い現状に大いに不満を感じています。わかっていることと、わかっていないことをはっきりとさせて、医学に何ができて何ができないのかをきちんと説明する必要があるのではないでしょうか。

ガンに関しては特にそのような傾向が強いのではないでしょうか。
多くの人は、ガン細胞は一度発生してしまうと、その後は必ず増え続け、さらには体のあちこちに転移していずれは全身に拡がり必ず死に至るものだと考えているのではないでしょうか。実際、ガンの治療というとガン細胞を手術で摘出したり、薬物や放射線でガン細胞を弱らせて増殖と転移を防ぐというものというイメージをもっていることでしょう。今では先進医療で、他の様々な治療法が確立しているかもしれませんが、基本的にはガン細胞は存在してはいけないものという認識ではないでしょうか。

まず、この考えが変だと私には感じられます。
例えば、現実にはガンであると診断を受けてから十年以上生活している人と会って会話したことがあります。その方は、運が悪く信頼できる医師と出会うことができなかったということで、民間療法をアレンジして独自の治療を続けておられました。念のために、継続して医師の診断も受けているとのことでしたが、ガンが増えている様子もなく安定した生活を送っているとのことでした。ガンがあっても穏やかに暮らせるのであれば治療をする必要はあるのでしょうか。何かをきっかけに一気にガン細胞が増えるということもあるかもしれませんが、健康な人だって突然の交通事故で亡くなることもあるのです。本人の人生観や考え方次第ではガンとの共存というのも可能なのではないかと感じました。

次に、私は過去に何人かガンの方の整体をした経験の中で感じたことがあります。
それはガン治療を受けている人の体は日に日に弱っていくということです。私のこの弱るという判断は体の弾力が失われていくことで判別しています。赤ん坊や若者の体が持つ弾力と、寝たきりの老人の体の弾力の違いを想像していただくと、私の言いたいことがより明確になるでしょう。実際に、その変化を観察したのは30~50代の方だったのですが、ガン治療をしている人は皆、体が年老いて弱っていっていくように感じられました。

このことから思うのは、ガン細胞も人間の体の中で生まれる細胞だということです。
つまり体が弱るとガン細胞も弱るということなのでしょう。少し極端な表現になりますが、ガン治療というのは死なない程度に体から元気を奪って、その成果としてガン細胞の活動を弱めるということをやっているように感じられるのです。テレビドラマでガン治療をしていると髪の毛が抜けてしまうというのを何回か見ましたが、体から急速に元気を奪って、つまりは体が急速に老化しているせいで起こっていると考えると、何が起こっているのか理解できるのではないでしょうか。

そもそも、髪の毛が抜ける理由を、きちんとした説明をきいたことがありません。
ガンを攻撃する薬物が非常に強力だからその影響で髪が抜けるということのようですが、その理屈は飛躍しすぎているとは思わないでしょうか。

また、若い人の方がガンの増殖が速いという話はよく耳にします。
医学的な根拠がある話なのかわかりませんが、現実の医師がこのような発言をしているのも聞いたことがあります。このことも私の考え、つまり急速に老化させるとガン細胞の活動が弱まるということと辻褄が合ってるように思えます。

さらに、ガン治療をしてもしなくても余命が実はかわらないなんていう話も以前はよく聞かされました。具体的なデータはどうもないようなので、現在はどのような状況なのかはわかりませんが、ガン治療が本当に意味があるのかはよくよく考える必要があるのではないでしょうか。

もちろん、今回紹介した事柄から判断しているのではありませんが、以下の2点のことが言えるのではないかと考えています。

  1. ガン治療はしてもしなくても違いはなく、ガン細胞は放置してもよいのではないか。
  2. ガン治療を行って成果があったとしても、その代償として生きる力、活力を支払っているのではないか。

最初に述べた通り、ほとんどの人はガンは放置したら必ず増殖、転移して間違いのない死に至ると考えていることでしょう。だから、こんな話をしても耳を貸してくれる人はまずいないでしょう。でも、このことを踏まえてから、掘り下げて考えるとガン細胞は、実は我々が健全に生きるために必要な細胞なのではないかという発想が生まれてきます。

何しろガンはそのメカニズムがほとんどわかっていません。
亡くなった方の解剖をしたら、ガン細胞が拡がっているので、

「きっとこのガン細胞のせいでなくなったに違いない。」

と思い込んでいるだけではないでしょうか。
繰り返しますが、メカニズムがわかっていないのですから、

「少しでも長く元気で生きるためにガン細胞が増えているのではないか?」

という仮説を私が起ててもそれを否定することはできないのではないでしょうか。次回の記事で、この点についてもう少し掘り下げてまとめてみたいと思います。
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日本の教育は詰みか? 親子のろんぱー議論

正月に、息子と教育についての議論をしました。
私が日本の教育はもう改善が不可能、つまり詰みの状態であるという考えなのに対して、息子はそれでも改善をしていくべきだと考える点が争点です。

私の主張はこのようなものです。
もし仮に今年から理想的な学校教育が行われるとして、その成果がでるのは一体いつになるのか。どんなに速くてもそれは30年程度は先のことになります。その頃には、日本という国は今とはまったく違う姿をしていることでしょう。国家としての体裁を整えることができないかもしれないとまで思えます。しかし、このような急激な変革は不可能ですし、理想的な教育がどのようなものかということについてもはっきりとした形はありません。教育というものは試行錯誤をしながら時間をかけて少しずつ改善をしてゆく必要があると言えますから30年程度でどうにかしようというのは無理なのです。

それに対して、息子の主張はそれでも少しづつ改善をはじめてゆくべきだろうというものです。
その意見は気持ちとしてわからなくはないのですが、その改善は一体、誰によって行われるのかという点が大きな問題です。つまり、改革をまとめる役人がいったいどういう人間性をもっているのかという点が重要な問題点になってきます。

「役人がどういう人間なのか?」

この疑問が頭に浮かんだときに真っ先に浮かぶのは、飯塚幸三という人です。
新宿で幼児とその母親を運転ミスで死に追いやった人というと思い出す人も多いことでしょう。彼は、ずっと自身の誤りを認めようとしませんでした。裁判の結果に対して控訴しなかったことで非を認めたとする判断はできるかもしれませんが、一切の謝罪を行いませんでした。

この行動は、役人、特に高級官僚の判断と行動原理に完全則っているのではないかと感じられるのです。
一言でいうと、

「ミスがあってもその責任は絶対に認めない。」

ということです。
実際、飯塚幸三氏は勲章までもらっている人ですから、優秀でかなりの業績もあげていた人です。仕事と人間的な評価は別だと考えるのが正当と思えなくはないですが、車の運転ミスで2人を死亡10人に怪我をさせたことに対して一言も発することができなかったのでは擁護のしようがないと思えます。ちなみに、彼は通産省に勤めた後、測定技術に関する研究で重要な地位についていたようです。

それに加えて、先日のJAL便と海上保安庁の航空機の事故です。
海保機の機長は、管制塔から滑走路への侵入指示あったと発言をしているようです。しかし、空港での飛行機と管制塔のやりとりは記録が残っていて、そんな指示がなかったことははっきりしているのに現時点では、自分には一切の非がなかったと主張しているようです。

この海保機長の発言と主張には飯塚幸三氏と同じ匂いを感じます。
海上保安庁は国土交通省の組織になります。通産省と国土交通省の役人が全く同じような発言をしている、つまり決して自身のミスや過ちを認めることはないという行動規範が、役人全体に広まっているようだと思えるのです。

さて、そのことを踏まえて教育はどうでしょうか?
2022年の小学から高校生の自殺数は、500人を越えておりこれは1980年以来過去最多の数字です。また、不登校は50万人程度です。(※発表されている数字が複雑で全容がわかりにくいものになっていますのでおおよその数字になります。)少子化にも関わらずこの数字なのだということを付け加えておきたいと思います。

余談ながら加えておくと、自殺数に関しては厚労省、不登校は文科省の管轄になっているようです。これは根本的な問題の解決をする意志がない対応のように私には見えます。

このように断片的な情報を集めてみても、役人が自身の誤りを認めそれを反省して改善してゆくということができない人たちなのであろうというイメージが私の中で固まってきています。

さて、教育改革をするとなるとおそらく文科省が主導で行うことでしょう。
このような責任感、使命感を欠片も感じることのできない役人の集まりである文科省という組織で、時代の変化を捉えてそれに柔軟に対応しつつ適切な教育システムを作っていけるでしょうか。残念ながら、答えはノーといわざるをえません。

では、どうすればよいのか。
私は、外からの改革をするしかないという提案をしました。このような腐りきった組織の中で変革を行うのは不可能だからです。

ここまで話したところで、息子は私の考えを受けれるしかなかったようです。

「はい、ろんぱー!」

ということで新年の親子議論は私の勝利に終わったのでした。

なお、JAL便の事故についてはこれを書いている時点でまだ調査中です。この日の朝に新聞記事を見ながら、感想を話しあっていた流れがあっての会話なので、その後の調査で判断が変わる可能性は十分にあるとういことを踏まえておいてください。
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1年前の私と今日の私:整体師としての進化

毎年のように年末に思うことは、

「1年前の自分はよく整体師を名乗っていられたな。」

ということです。

今年のこの思いはかなり強いものになっています。
このように考えるのは、私自身が進歩しているからですが、振り返って考えると1年前の自分は半端な知識、経験、そして技術で整体に取り組んでうまく成果をあげられなかったのです。そのことを思うと人前にでるのが本当に嫌になります。だから、もう仕事を辞めて、すべてを忘れて放浪の旅に出たくなるというのも毎年末の恒例行事のようなものです。

私はそこから転じて宮本武蔵のことをよく思い出します。

宮本武蔵は晩年、絵や書を描いたりしていました。
兵法を極めたので、絵や書はそれを応用して描いていたそうです。刀を使った兵法は、体の動きや運動として捉えると理解しやすいかもしれません。その運動を極めたのですから、刀を筆に持ち変えても同様に巧みに扱うのはかなり容易だったのでしょう。

現代の感覚だと、野球を極めたら他のこともなんでもできるようになるというようなものです。
だからこの表現に多くの人は違和感を感じるかもしれません。しかし、私の見る限りダルビッシュやイチローなら野球以外のこともこなせそうな気がします。運動を極めるとは、体の動かし方を極めるということを意味しています。だから、野球しかできない、あるいは、刀しか扱えないというのでは極めたとは言えないのです。

自らの技術を振り返ってみて思うことは、私自身はまだまだその領域には達していないのです。
結局、来年以降も、多分ですけど、死ぬまで毎年、

「1年前の自分はよく整体師を名乗っていられたな。」

と思い続けることになるのでしょう。

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