ブログ「日々整体」

健康になるための目的が大切

またまた英語にちなんだ話です。
最近は、英語の勉強に身が入りすぎて他に興味がもてなくなっています。悪いことではないで、まぁいいかとも思いつつも、仕事がそっちのけになるのはちょっと問題かもなぁとも思ったりもします。

最近、高校3年の時に通っていた予備校の英語の講師の事を思い出しました。
その先生は、英語の先生なのに日本語の本を薦めてくれるのです。薦められた本のタイトルはもう忘れてしまいましたが、哲学のものが多かったように思います。
それで、

「この人は英語の先生なのに、なぜ日本語の本を薦めるのだろうか?」

と疑問を感じていました。
確か、

「ちゃんと英語を話そうと思ったら本をたくさん読まなくてはいけない。」

とか言っていたように思います。
影響されて1~2冊、薦められた本を買ってみたのですけど、当時の私には内容が難しすぎて読み切ることができませんでした。一応、そのころから読書は割合と好きでいろいろ読んではいたのですけどね。

当然ですけど、この先生、あまり人気はありませんでした。
大学受験のための英語の講義を受けているのに日本語の本をすすめられる訳です。そんな本を読んでも入試の点数があがる訳がありません。

でも、最近になってはじめてこの先生の意図を理解したように思います。もうその時から30年経っていますからずいぶん気がつくのが遅くなってしまいましたね。

それがどういう事かというと、

「英語を話せる事が大切なのではなく、英語で何を話すかが大切だ。」

という事です。

この事に気がついた時は、NHK英会話のテキストのヒアリングをやっていまいた。

『最近、彼が私に冷たいのだけどどうも彼は私が大切ではないらしい。』
『そんな事はない、たままたそんなタイミングなだけだよ。二人で旅行へいかないか誘ってみるといい、日本はとてもいい国らしいよ。』

という、若い女性と、その彼女よりちょっと年上の男性の会話です。
それで、

「私が英語を身につけてもこんな会話をする事は絶対にないだろう。」

と、思った訳ですけど、まさにその時に気がついて、学生の頃の講師の事を思い出した訳です。ちょっと神経質そうで知的な話し方するという印象は記憶にありますけど、名前は思い出せませんけどね。

「だから、日本語の本をたくさん読め。」

と言っていたのかと。
もっとわかりやすく表現すると、

「馬鹿が英語を話せても、英語で馬鹿な事を言うだけ。」

「外国の方と英語でコミュニケーションをとる機会があっても、そこで恥をかかないように教養を身につけておくのだよ。」

そういう事だったのでしょう。
今思うと良い先生だったのだろうなぁと思いますけど、こんな事、高校生の時に言われてももわかるはずがありません。せめて、もうちょっとわかるように説明してくれてればなぁと思ってしまいますね。

ただ、こういう事ってあらゆる事に通ずる考え方です。
健康についても同様で、健康になる事が目的ではダメで、健康になって何をするかが大切なのです。体を起こせず学校へもいけないみたいな生活をしていた学生が、元気になって回転寿司のお皿にいたずらできるようになりましたでは残念すぎますからね。

何かに取り組むときは常に何のためなのかをよく考えなければいけません。
そして、その目的は常に見直して必要があればどんどん方向修正していく必要があります。当時は、学生、大学生か院生の講師でしたから、私より3~4歳ぐらい上のはずです。そうであればまだまだ元気にしている可能性が高いので、どこかで会う機会があればお礼をちゃんといいたいと思うのでした。

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カスタマイズの必要性

私が英語の勉強をはじめた事は何度か書いてきましたが、英語の勉強方法を大きく変える必要がでてきました。英語の勉強をするにあたって、意識していることは

「目的意識を明確にする。」

という事でした。
意識していたから常に頭の中に考えはあったのですけど、どうもその考えが甘かったらしいという事に気がつきました。こういうのって、実際に勉強してそれなりに実力がついてこないと気がつくことができないものなのでしょう。

英語の勉強というと、文法を勉強してその文法を使った会話のオーディオを聞いてその内容を理解する。また、最近だとオンラインレッスンで教師と英語で会話してという流れになるでしょう。でも、私の場合はこれだけだとダメだなぁという事に気がついてしまいました。最初の述べた英語を身につける目的に照らし合わせた場合、このまま英語の勉強を続けても身につかないだろうと言う事にも気がついてしまいました。

今回の場合、オンラインレッスンへのモチベーションが急激に下がってきた事で気がつきました。

「続けても意味がないかも知れない。」

と感じ始めた訳です。
それで、どうしたものかとあれこれと模索してみたのですが、よい助言をしてくれる方に出会う事ができました。最初からこの人の話を聞いていればよかったのですけど、先に述べた通りある程度勉強したから話を聞く事ができるようになった訳で、ちょっと遠回りをしてしまった感がなくもないですが、おそらく必要な過程だったのだろうなぁと思われます。

こういう経験をして、

「この流れは健康に関しても同じ事がいえる。」

と思いました。
英語の勉強も様々な情報が魑魅魍魎のように跋扈していますから、とても似たようなというか全く同じ状況といっていいと思います。

私のところへ相談にこられる方は、その時が一番苦しいし、辛いからだと思います。
でも、

「苦しみから逃げる。」

という目的だけでは、本当の意味で健康になるのは難しいと思うのです。
だから、健康になった状態で、何をしたいのか、どのような生活を送りたいのか、そういう所までサポートできると今までとはまったく違う整体ができるような気がします。
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金を払えば健康になれるか?

「私は謎の機関に監視をされているのかもしれない。」


そんなことを考えてニヤついています。
実は、新しくサイトを作りました。まだ中身は空っぽなので器だけおいていあるような状態なのですけど、


「新しいサイトを作られたのを確認しました。それに関して提案をさせてください。」


なんていう電話がすでに4件なっています。
公開状態になったのは先週の金曜日の17時ごろで、日月と私は休んでいました。だから、私の時間の経過で考えるとほんの数時間での出来事です。


これは私の勝手な推測なのですけど、ドメインの監視でもしているのでしょうかね。
新しく発行されたドメインを監視しているとか、そのドメイン情報を販売している業者などがいるのかもしれません。コンピュータ関連の技術についてある程度の知識は持っていますが、現在、それがどのように運用されているのかは全く理解していないのですけど、そんな風な事がおこなわれているのかもしれません。

直感的にわからない場合は、少し前からネットで調べ物をしていると、cookieがどうのこうのみたいな表示を見た事はないでしょうか。cookieがどういうものかというと、どのような情報にアクセスしているかを第3者が知る方法だというとわかりやすいでしょうか。正確とはいえない説明ですけど、ネットの利用者という立場からしたらそれ以外の何物でもありません。

この技術を利用すれば、「自律神経」というワードで検索をしている人に対して、


「自律神経の不調でお悩みの方に朗報です。」
「自律神経が整えば人生が薔薇色になります。」
「狂った自律神経を正常な状態に戻す方法。」


というテーマでメール、メッセージ、場合によっては電話がでてきる訳です。
これはオレオレ詐欺の業者が、効率的に営業活動できる名簿を簡単に手に入れる事ができる状態だと思うとわかりやすいでしょうか。悪意をもった人間が利用できないように、そして真っ当に使えるようにしましょうという取り組みはなされているかもしれません。しかし、このような技術上手に使えるのは詐欺師だけだと思った方がよいかもしれません。何しろ現代の詐欺師は法にひっかからないように徹底的に知恵を絞っていますからね。


それで、この手の詐欺商品やサービスに騙されないでいるために大切なことをお知らせしておこうと思います。気をつける事は2つだけです。

1つ目は、


「健康はお金を払って手に入れるものではない。」


ということです。
自律神経や健康について何かしらの情報に触れた時に、


「金を払えば健康になれる。」


その結論になっていないかよく考えてみてださい。


そして、2つ目は、


「ストレス解消、リラックスしましょう。」


なんていう中身のない情報には価値がないということです。


「がんばって練習すればオリンピック選手になれる。」
「毎日勉強すれば東大に入学できる。」


みたいに言い直すとわかりやすいかもしれません。
これを体に関する言葉に言い直すと、


「自律神経が狂っているからめまいになる。」
「交感神経が高まりすぎているから耳鳴りが鳴る。」


という具合です。
完全な嘘ではありませんから否定はしにくいかもしれませんが、人間の体はこんな一言で簡単に説明できるほど単純ではありません。


さしあたっては、1つ目の

「金を払えば健康になれるか?」

についてだけはよく考えてみることをおすすめしておきます。
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人を見たら詐欺師だと思え

「2年かな?」

英語の勉強をはじめたことは以前に紹介しました。
はじめてから5ヶ月ほど経ちますが、まだ会話ができるほどの力は身についていません。それで、突然、身につくまでの期間が、直感的に浮かんできました。

英文法に関してはさらっとおさらいする程度でなんとかなります。
でも、会話となるこれまで全く経験がありませんからそう簡単にはいきません。おそらくなのですけど、英語脳を育てる必要があると感じています。私の脳の中には、様々な知識がベースにあってそのベースに日本語脳が乗っかっているのをイメージするとよいと思います。半世紀ほど日本で暮らしている私の日本語脳はそれなりの能力をもっていると思いますが、それと同じ事を英語でもやろとういう訳です。それで5ヶ月ほどかけてやっと核になるものが形になってきたかなと感じています。今後はこの核に肉付けすることを主体に勉強をしていけばいいのだろうと考えています。

英語を身につける方法は2種類あります。
第1言語として学ぶ方法と、第2言語として学ぶ方法です。日本人がが日本語を覚えるように、英語圏で生活して英語を身につけるのが第1言語として学ぶという事です。私の場合は、第1言語としてすでに日本語を身につけてしまっているので第2言語として学ぶしか方法がありません。

ところが、

「世間ではネイティブが英語を学ぶように英語を身につける。」

なんていうコピーをよく見かけます。
聞き流すだけで英語が身につくとかいうあれです。この手のサービスや商品は詐欺といってしまっていいと思いますね。

それで、この流れの商品やサービスは健康に関してもまったく同じものがあります。

「毎日、食べるだけで健康になる。」
「1日30分の運動で健康になる。」

というのとまったく同じです。
はっきりいって詐欺と言えるような商売が世の中にあふれてしまっているわけで、多くの人が時間とお金を無駄にしてしまっているのだろうなぁと思うわけです。

「宝くじが当たれば幸せになる。」

なんていうのも全く同じで、英語の学習で騙され、健康に関する事で騙され、そしてお金に関することで翻弄されて、多くの人が本当に望んでいる人生から遠ざかってしってしまっているのはとても残念な事です。

英語の勉強なのですけど、英語のネイティブが日本語を身につけようとすると平均で2200時間ほど必要だというデータがあるそうです。1年で身につけようとすると1日約6時間英語の勉強をする必要があります。さすがにそれはしんどいと思うので、1日3時間勉強して2年という勘定になる訳で、直感的に2年必要と感じたのは案外適切なものだったのかもしれません。

私の場合は、学生の頃に文法の勉強をしていました。
ざっと計算して、約500時間ぐらいになるのでもしかしたらもうちょっと早める事はできるかもしれませんね。まぁ、言語を学ぶという事に終わりはありませんし、どれぐらいのレベルが身についたなんて基準があるわけでもありません。また、ベースとなる知識の上に言語が乗っかっている訳ですから、ベースになるものがなければ言語だけ身に付けても意味がありません。

わかりやすく、ちょっと不適切な表現をするなら、

「あほが英語を話せたって意味がない。」

という事です。

なお、2200時間という数字は、英語ネイティブが日本語を学ぶ場合というデータです。
だから逆の場合は多少差が生まれるかもしれません。なお、日本語と英語は言語としての位置づけが最も遠いそうで、日本人が英語を身につけようと思った時にはかなり時間がかかると考えた方がよいようです。

英語学習に関しての情報を集めていると、

「聞き流すだけで英語が身につく。」
「爆速で会話できるようになる。」
「3ヶ月で英語が身につく。」

等々、というキャッチコピーを頻繁に目にするようになります。
今の世の中は、こういうものに振り回されない程度の教養がなければ英語を身につける事ができなくなっているという事を感じるわけです。

先にも少し述べましたが、これは健康に関しても全く同じだと思うわけです。
健康に関しての方が市場が大きいですから、詐欺としか思えないような物がさらに多いでしょうね。私自身は、健康、自律神経、めまい、耳鳴り、起立性調節障害なんていワードで調べ物をする事がありませんから、そういう事に気がつけないでいたように思います。

「人を見たら詐欺師だと思え。」

それぐらいでないと自分らしく健康に生活することが難しいのかもしれないなぁなんてふと思うのでした。
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リラックスできていない理由

「肩の力を抜きなさい。」

運動でも、習い事でも、何かに取り組もうと思ったら必ず言われる事ではないでしょうか?
これはどういう事かというと、体をうまく動かそうと思うのであれば力をこめてはダメだという事を意味しています。走る、ジャンプするという運動もそうですし、字を書く、お茶を淹れるという日常的な作法や動作についても同じ事がいえます。

ところが、世間では、

「筋肉を身につけて体を支えなくてはいけない。」

全く逆の事が信じられています。
筋肉で体を支えるという事は、体に力をこめる必要があります。不思議に思うかも知れませんが、筋肉で体を支えるということはそういう事なのです。だから、力む必要があるといいかえるとさらにわかりやすいでしょうか。飛んだり、跳ねたり、走ったりみたいな運動では力を抜かないといけないのに、立ったり、座ったりみたいな動作では力をこめなければいけないなんておかしな事を言われている訳です。大きな矛盾があるのですが、多くの人が気がつくことができないようです。スポーツなんかで卓越した成果をあげる人はこういう矛盾の事をわかっています。だから、

「筋肉なんかつけても意味がないよ。」

なんていうことを有名なスポーツ選手が発言しているのを聞いた事はないでしょうか?

さて、最近、ある方と習字に対する考え方について話をする機会がありましたのでその内容を説明してみることにします。

その方は他の方と比べて上達が早かったそうです。
字が上手にかけるという事は体を使ってうまく筆を使えているという事を意味します。字を書くのだって体を使う運動と捉えて考えてみるとわかりやすいでしょう。運動はあまり得意ではなかったそうですが、肩に力をいれていたら筆がうまく使えないのを想像するのは難しくないと思います。
この話で興味深い点は、

「力が抜けたらからキレイな字を書けた。」

のではなく、

「上手に字を書こうとしたら体の力を抜いて字を書けるようになった。」

という事です。

おそらくよい先生に教わっていたという事もあると思いますね。ダメな先生なら筋肉を使って筆を巧みに扱うのだとか言う無茶な指導をする訳です。

大事な点なので繰り返しますが、上手な字を書こうとしたら結果的に体の力が抜けたという事です。このことをふまえて世間に回っている言葉を見てみると、

「リラックスする事が大切だ。」

とかいう情報で溢れかえっています。
そのせいで却って力がリラックスできなくなっていると考えてみるとよいかもしれまん。
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