ブログ「日々整体」

8月の品川、日暮里受付はじめました。

何日か前のことですが、長く通ってこられていた人方が、


「お世話になりました。これからは体とちゃんと向き合っていけると思います。」


とおっしゃっていました。
私は、


「まともな人間にもどれたのですから、もう二度と帰ってくるんじゃないよ。」


と送り出しました。

そういや、最初なんていって来ていたのか忘れちゃいましたね。
確かめまいがするとかじゃなかったでしょうか。そこそこ元気になったのですけど、まだ体調に自信がもてないので月に1回のペースで通っておられました。そういや先週の東京でも、めまいが起こらなくなったということで一区切りつけた方がいました。


こういう時に確認しなくちゃいけないことがあります。
それは、本来、わたしのような存在などは不要でなければいけないという事です。


「自分の面倒は自分でみる。」


というのが基本ですからね。
それで、


「この二人はそういう風にできたか?」


と自問してみるわけですけど、うまくいったようなそうでないような微妙な感触です。


整体というのは案内人みたいなもんだなとずっと考えています。
案内される人は、自分の荷物は自分で持って、自分の足で歩きます。私はただ案内するだけでなくてはいけないなぁと。何年か前に行った旅行のガイドなんて名前どころか顔も覚えていませんがそういう存在であることが整体師として理想でしょう。私は自我が強いというか、ついついでしゃばってしまって妙な印象を残してしまう傾向があるのはダメなのだろうなぁと、そんな事を考えています。

さて、そんなわけで8月の品川、東京の受付をはじめています。
関東への出張もはじめてから1年が過ぎてしまいました。振り返ってみると、やたらと難しい人ばかりやってくるものだから、よくもまぁ、


「東京でやってみよう!」


と思ったもんだと思います。
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それは前世の因縁が原因です

どの本だったか忘れましたが、整体という技術の創始者である野口晴哉氏の著書に息子さんが大腿骨を折ってしまった時の逸話があります。ぶらんこに乗って遊んでいたら転落してその際にへし折れてしまったそうです。

いわゆる完全骨折という奴だったと思われます。
大腿骨は人間の骨で一番堅いと言われている骨でそれが完全にへし折れてしまうなんてのは他で聞いたことがありません。しいてあげるならいうならゴミ収集車のプレスに挟まれたとか、そういう事故の話を聞いたことはありますがそれぐらいの出来事がなければ起こることはまずない怪我といえるでしょう。

私の感覚からすると大腿骨が折れてしまうと、生きる力を失ってそのまま亡くなってしまう事もありそうな気がします。そして、もし安静な体勢を保って骨が繋がっても、元通りに歩けるようになることもほぼないのじゃないでしょうか。骨は折れてもまた繋がってさえいればいいというほど単純ではありません。

そういえば以前に、スキーで足の骨を折った後、食品アレルギーで頻繁に寝込むようになったなんていう人が整体にこられていました。
骨の故障が元になってアレルギーを起こすなんてのは理解できない人の方がおおいのじゃないでしょうかね。よく勉強して頭のいい人ほど、関係なんかあるはずがないというかもしれません。でも、骨というのが体を支えるためのものではなく、もっと他の役割の方が大きいはずなんですけどね。そういうことがわかっていれば、生まれついてのアレルギーなんてのは発育にちょっと問題があるだけというケースがほとんどだと思われます。


さらに余談が続きます。
当時だとこのあたりの関連についての理解が浅かったです。しかし、この方のアレルギーの事も今ならわかるかもしれないと、ここのところずっと考えていました。実は、この記事のテーマもそうなのですが、わからなかった事がわかるようになるというのは、たいていある日突然です。皆目見当がつかない、手の施しようのなかったものが、ある日突然にどうにかできるようになったりします。日頃の行いのよい人なんかだとそういうタイミングで私のところへやってきて、ささっと解決して、ささっといなくなったりしますね。


話を戻します。

野口晴哉氏の骨折の手当は独特でした。
骨がおれた場合、曲がってくっつくといけないからギブスで固定するというのが常識的な感覚でしょう。しかし、野口氏はガチガチに固定せず太ももに新聞紙を巻いたそうです。当然ですが、新聞紙には固定する力はありませんから、ぷらんぷらんの足の状態です。

「人間の体には、骨をまっすぐにつなげようとする力がある。」

という考えだそうです。
骨自身、骨の周囲の筋肉やその他の細胞などすべてが足をまっすぐに伸ばそうという働きをするからギブスがあるとそれを邪魔してしまうということのようです。他の部位の骨でしたら多少は曲がってくっついても誤魔化しはきくのでしょうけど、大腿骨ですとそういう訳にはいきません。大腿骨がうまく機能しなければ走るどころか、歩くことすらままなりません。もし、多少は歩けてもすぐに足が痛くなって動けなくなるというような状態では、骨がきっちりくっついて治ったとは言えません。

そういえばちょうど私がいま見ている人に、腕の骨折が原因でパニックを起こしている人と、同じく腕の骨折が原因で耳なりで困っている人がいますね。一人は10年以上前、もうひとりは30年以上前の怪我です。こういうのは骨の状態がきちんとみれる人でなければどうしたらいいのか検討もつかないでしょう。

さらに付け加えて、


「どうしても辛くてどうしたらいいのかわからなくて前世を見てもらったことがあります。」


なんて人が最近来られました。
別に、そういう事を吹聴しているわけでなく、あまりに辛かったからでしょう。かなりがっついて原因を教えてくれといってくるので、


「前世でなんか悪いことしたみたいですね。」


と冗談で言ったら、冗談になっていなかったという話です。
まぁ、この方はまた全然違うことが原因だったみたいで、まだはっきりとは言えないけど多分体のここにこういう問題があるからですよと伝えたところちょっと安心したようです。


話を戻します。


他の本で見たと思うのですが、雪山で遭難して骨折したけど、その骨折した足で自力で山を下りてきたなんていう人の体の状態を観察した事があるようです。

「折れていても歩けるじゃないか。」

と、そういうことが事実として起こったわけです。
私自身でもそんな話は2~3聞いたことがありますから、雪山を歩いておりるぐらいであれば骨は折れていても大丈夫らしいというのは間違いないわけです。そこから端を発して骨、骨折というものについて考えを深めていくと、こういう結論というか発想にたどり着くのではないでしょうかね。

もちろん、折れた足を新聞紙でくるんでおわりではありません。


「もし、うまく繋がらなかったらは僕は整体を辞めるよ。」


そういって目に手当てをしはじめたそうです。
先ほど述べた骨をまっすぐにくっつけようという働きを高めるために、目に意識と力を集めたわけです。


「どうして目なんだ?」


この記述をみたのは5年前だったか、10年前だったか忘れました。ただ、目に意識と力を集めることで折れた大腿骨がまっすぐにくっつくなんていう理屈が私の想像や理解の完全な外にあります。それで、


「いつかわかる時が来るのだろうか・・・?」


死ぬまでたぶん無理だろうなぁなんて思っていたのですけどね。


それがつい先週のことですけど、


「なるほど、そういうことか・・・。」


と突然、気がつくことができました。
確かに、目がしっかりしていると太ももの力というか働きがたかまりますね。それは逆もいえて太ももが力を失っていると目がうまく見えなくなってくるはずです。

なんで気がついたかというと、大腿骨の力が抜けている人の体を見ていたからなんですけどね。で、その人が訴えているのは、


「膝が痛くてまともに歩けない。」


という事だったりします。
おそらく読んでいる人は、私がいったい何を伝えようとしているのか全くわからないと思いますけどね。こんなものは現時点での私にはうまく説明なんてできませんから、詳しい説明をするなんて事はもう諦めてしまおうと思います。そのうち、気が向いたらというか、言葉になりそうになってきたらこっそり開始している闇ブログの方へまとめてみようと思います。

それまでは、こういう事は、


「前世の因縁が原因です。」


ということにしておこうと思います。


いい忘れていましたが折れた大腿骨はちゃんとくっついて、数年たった時には、


「どっちの骨を折ったんだっけ?」


と本人でもわかららないぐらいなんの後遺症もなくきれいに繋がったそうです。

体とは恋愛するつもりで付き合う

ほとんどの人が、私のところへやってきてまず最初に、


「元気になるにはどうしたらいいのですか?」


と聞いてきます。
でも、私に言わせれば、


「こんなことを真顔で聞いてくるからダメなのだ。」


という事になります。


体の調子を整えるというのはどういうことかというと、


「どうしたら元気になれるか自分でわかるようになる事。」


だからです。

私はいつも体と恋愛は同じもんだと説明しています。
あなたが、友人に、


「あの子の事が好きになったので、彼女に好かれるためにはどうしたらいい?」


と聞かれたどう答えますかね?
プレゼントしてデートに誘えとか、気持ちを手紙に書いて伝えろとかアドバイスしたとしましょう。まぁ、最近はそういうストレートな事はやらないみたいですけど。別に的はずれなアドバイスではないと思いますが、プレゼントしてデートに誘えば必ず気持ちが伝わるとか、好きだという気持ちを丁寧に手紙に書いて伝えれば絶対に相思相愛の仲になれるといってしまえば嘘になります。

プレゼントしたり、手紙を書いたりするのはきっかけを作るためのものといえます。
たいてい自分のことを理解して好意を持ってもらうためには時間をかけて少しづつ自分を伝えていかなくてはなりません。まぁ、何かしらのアクシデントや出来事で急に伝わったり、わかってもらえたりとかいうこともあったりするかもしれませんけどね。


ラブコメといわれる映画やマンガなんかは、お互いを気にし合う男女の距離が近づいたり離れたりする様子を見ながらやきもきするから面白いのでしょう。夜景のきれいなホテルに連れていっておいし食事と高級なお酒を差し出せば100年の恋が始まるみたいな展開を見たらあなたはどう思うでしょうか?ところが、女性によってはそういうシチュエーションだったり、そういう具合に丁重に接してもらうことで大切にされていると感じることもあるかもしれません。

私だったら、相手の様子を見ながらどんなことを考えて、どんなことを望んでいるのか、そういう事を理解できるようになる事が恋愛において大切だと思いますが、


「俺についてこい!」


みたいな男性を望む女性だっているわけで、


「こうすれば必ず恋は実る!」


なんていう100%間違いないやり方なんてないわけです。


さて、恋愛している相手に、


「あたなのこういうところがダメだ。」
「あなたのこういうところが気に食わない。」
「もっとこういう風であってほしい。」


なんて、毎日毎日、小言を言っていたら考えるまでもなく、すぐにさよならすることになるはずです。体でも同じことが言えるわけで、


「体のここが痛みを出すからダメだ。」
「体のここに違和感があるから気に食わない。」
「体のせいで私は元気に、幸せになれない。」


なんて事を毎日のように言っていれば体はうんざりして何もきいてくれなくなります。

体の調子が悪いというのであれば、まず、


「体はいったいどんな事を望んでいるのか?」


という事について考えてみるといいのじゃないでしょうかね。
サプリメントや薬を使って、


「私の言うとりにしていろ!」


なんてやっていたら、体はすぐにそっぽを向いてしまうはずです。
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