ブログ「日々整体」

幸せに生きる戦略

「文明の利器を使って効率的に仕事こなそう!」

そんな事を考えたわけでもないですが、Ipadを購入しました。
現状、月の半分ぐらいは電話にでれない状態なのでその状況を変えたいと考えたわけです。それで何ができるかなぁとみていたのですが、図やイラストが書けるということで、それを試してみる事にしました。

今日、整体にこられた方と病気の概念について話をしていたのでそれを図にしたらわかりやすいかもと考えました。まずは、人間の生きる目的がいったいなにかという事は以下のようにシンプルに表現できるでしょう。

tohappy.jpeg
考えてる事を図にできるっていうのはいいですね!


人は幸せになるために生きています。
当たり前の事なのですが、これがわかっていない方が非常に多いのです。そして、忘れてはいけない事が一つあります。それは、


「人にはいつか必ず死がやってくる。」


ということです。
人間というのは世代交代をしながら繁栄し、幸せに生きる種ですから人生の終わりには必ず死がやってきます。

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非常に大切な事なのに、ちゃんと考えられずにいる人が多すぎると私は思います


つまり、生きるといことは死に向かっていくことです。
さて、この時、幸せと死というものの位置関係はどのようになるでしょうか?

tohade.jpeg
当たり前の事だと思うのだけど・・・


人は幸せになってそして死んでいくのです。

ところが、死を恐れるあまりこの道程をそれていく人が多いのです。今の日本人の9割以上は道を間違えてしまっているのではないかと、私にはそんな風に感じられます。

todark.jpeg
死から目を背けると幸せも見えなくなります。

死を恐れるあまり幸せからもそれてしまっていないでしょうか?
さて、病気を恐れる理由はなにでしょうか?その向こう側に死があるような気がするからじゃありませんか?

ここで、


「あれ?」


と気が付きませんか?


test.jpeg
これぐらいの課題はこなしてもらわないと困ります

死というのは幸せの向こう側にあるのです。それじゃあ、この図において病気というのはいったいどこに位置しているのか?もう答えをいってしまったようなものですけどね。この事が理解できた時に、自律神経の働きっていうのは整うわけです。
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10月品川、日暮里の受付はじめています。

片付いたなんて言い方するとまずいのかなぁと思わないでもないですが、他に適当な言葉が思い当たらない上に、言葉選びに頭を悩ます時間がもったいない気がするので、そのまま表現してしまいますが、ちょっとややこしい人たちが何人か片付いたせいか比較的空きが増えているなぁと、


「これはもしかしたらちょっとやばいかも?」


と思って、予約表をよくみたら整体している人の人数は増えていたりします。

受け付ける人数を増やすために予約表を修正したのですが、作りが悪いのか見た目の印象だと空き時間が多いという印象をもってしまうようです。予約表という書面は忙しく感じるように作るのが上手に仕事をこなすコツなのかもしれません。

品川、日暮里の受付開始しています。
体のことで困っている方がおられましたら電話で申し込んでください。

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丹田の四方山話とその見極め方

「呼吸をする時にはおへその下の丹田を意識しましょう。」

そんな言葉は誰でも聞いた事があるでしょう。
実は、丹田というのは1つだけではなく体にいくつかあります。有名なのはおへその下の臍下丹田で、丹田というそれを意味すると考えている人も多いのじゃないでしょうか。

そういや、チャクラなんて言い方をすることもありますかね。
チャクラについて勉強したことはないので、もしかしたらチャクラと丹田は違うという人がいるかもしれませんが、ほとんどの人にとっては、まぁ同じようなもんだろうと大雑把に思っておいていいのじゃないでしょうかね。

さて、外科手術で腹部を切り開いても丹田という器官は見つける事ができません。
すると丹田は空想とか想像の存在という事でしょうか。科学者なんかはそんな事をいうかもしれませんが、多くの人は呼吸をしたり体を動かしたりしたときにその存在を感じる事ができるはずです。感覚的にはあるけど、目で見たり、写真に撮影することができないものについて、研究者たちはどういう見解をとっているのでしょうか?

宇宙の研究をしている人なんかだと事情が違ってきたりします。
相対性理論から導き出される推論として、ブラックホールというものがあってその中心には特異点があるなんて事をアインシュタインは言っていたそうです。

「ただ、それは実際には見つからないだろう。」

と補足していたのだとか。
ところが、きっとあるはずだと長い間観測が続けられた結果として宇宙には無数のブラックホールの存在を確認する事ができました。そして、そのブラックホールの観察を続けた結果、ブラックホールが地球をはじめとする様々な星を誕生させるきっかけを作っている事までわかってきました。ブラックホールがなければ私たち人間は存在することはできなかった可能性が高いのだとか。

丹田というのは人間の体の中にあるブラックホールみたいなものじゃないかと考えています。
人間というのは、手に触れる事ができる存在だと、すべてが見えていると思ってしまうようです。だから、人間の体の中に何か特別というか重力みたいな力を発揮するようなものがあるとはあまり考えないみたいですね。体が発揮する力は全部筋肉だなんていう説明でわかった気になっているからいろんなものが見えてこなくなるといえるでしょう。

ブラックホールは自身の重力であらゆるものを吸い寄せます。
吸い寄せる物の大半はチリとかガスとかそういうものらしいですが、吸い寄せる過程でチリやガスを加速させます。その加速によって得られたエネルギーで吸い寄せたガスやチリを頻繁に放出しているのだとか。あらゆるものを吸い込んで離さないなんて考えられていましたが、実際は吸い寄せてから放出してまき散らすという運動をずっと続けているそうです。

この運動っていわゆる丹田呼吸と同じものじゃないかと私なんかは思うわけです。
力の集中と解放、体の場合だと緊張と弛緩といった方がわかりやすいですかね。人間が生きていく上で一番大切な運動です。収縮して血液を送りその後弛緩してまた収縮する心臓や、空気を吸い込んだり吐き出したりしている肺の動きをイメージするとわかりやすいのじゃないでしょうか。

丹田というものは人が生きている間にだけ存在するものです。
だから、死んだ人間の体を細かく切って分解していっても丹田は見つけることができません。しかし、生きて活動している人間を観察していると丹田の存在を感じる事はそれほど難しくありません。存在感の大きな人というのは重力をもっているようなものです。なんとなく気になる人、なぜかずっと注目してしまう人なんかは丹田の力が大きいと考えてみるとよいのじゃないでしょうか。

私が思いついたのは、芸能人のスカウトの話です。。
たくさんの人がいてもその人だけ光って見えるとか、存在感が違うなんていう生まれきってのスターだなんていう話はきいた事がないでしょうか。確か松田聖子にそんな話がありましたよね。この光って見えるというのは、丹田の存在を感じ取っているからだ思えます。

最近、半沢直樹というドラマをちょびっとだけ見たんですが、堺雅人や香川直之といった役者の存在感は非常に大きいですよね。これは丹田にしっかりと力が集まっているからでしょう。

「演技力=丹田の力」

という事をいってしまっていいと思います。。
歌舞伎役者は子供ころから舞台に上がって丹田に力を集める練習しています。だから表現力や演技力が他の役者より1枚も2枚も上手であることが多いのでしょう。宝塚なんかでも若いうちから演技や表現力を高める練習をしていますし、楽器の演奏なんかも物心つく前からはじめるのが当たり前にになっていますよね。だから、子育てっていうのは丹田の力を高めてあげるという事だと考えてみるといろいろ気が付くことがあるかもしれません。

書いていて思いましたが、麻酔で眠って手術している人なんかだと丹田の存在はかなり希薄なはずです。
腹に穴があいているときに丹田が存在感をだしてしまったら痛すぎて普通の人は我慢なんかできないはずです。ですから、麻酔というのは丹田の存在を消してしまうものだという事がいえますね。

寝たきりのお年寄りには丹田がない、またはその存在が希薄になっているという事がいえるでしょう。そうであれば、丹田の存在をもっと重要視していれば寝たきりになってしまうような人はかなり減ってくるはずです。

振り返ってみれば、丹田をなくしている人は老人だけではありません。
10代までの子供で丹田がなければ起立性調節障害なんて言われています。ちょうど今、出産後の女性で体を動かせなくなっている人がいるのですが、その人は産後鬱なんていわれたようです。この女性もやはり丹田がない状態であるといえます。

丹田について思いつくままに言葉を並べてみようと思って書いてきたのですが、今の世の中は丹田をなくしている人が増えてきていますね。

丹田が力を失っているのに、丹田の存在なんて見えないから知りませんという立場をとっている人たちは、

「その原因はストレスです。」

なんて事をいっています。


丹田の存在を認識するのは私にとっては日常茶飯事ですが、ストレスの存在を感じる事は私にとってはかなり珍しかったりします。ストレスだって目に見えていないから、丹田やブラックホールと同じような扱いにして考えていかないといけないのじゃないかと私には思えますけどね。


丹田の存在を無視する、考慮しないという事は、


「目に見えていないものは存在しない、あるいは考慮しなくてよい。」


という事につながるわけで、それだったらストレスの事だって存在しないとか、考慮しなくていいという具合に思考を進めなくては辻褄が合わなくなってきます。丹田だと存在する場所はほぼ確定していますから、ストレスだって同じく存在するのであれば体のどこか決まった場所に力が集まっているはずなのですが、今のところ、


「ここがストレスの集まる場所だ!」


なんて話は聞いた事がありません。


あと、丹田に似た存在に魂なんてものがあります。
魂というものの定義がはっきりとしているか知りませんが、おそらく生きている間だけ存在して、死んでしまうと体から離れていってしまうものだと思われます。これは似ているというより、同じものと考える方がいろいろすっきりしそうな気はしますね。


さて、こんな事を考えてしまった私は困りました。
より多くの人の幸せを達成するために思いついた事は、


『丹田と魂の存在についてもっと考えて!』


そんなメッセージを書いたプラカードや横断幕を用意して駅だったり、病院の前に立つことです。
しかし、そんな事をしても誰も相手にしてくれないとでしょう。奇人、変人扱いならまだましで、新手のカルト教団扱いか、気がふれてしまった凶人というような目で見られそうな気がします。いくら私が浮世離れしてしまっているとはいえそれぐらいの事はわかりますね。


あと、


「自分の丹田はどれぐらいしっかりしているか?」


という事を確認するいい方法を思いつきました。


「倍返しだ!」

とか、

「土下座しろっ!」

なんて具合に、半沢直樹のモノマネをしてみるといいのです。
似る必要はないのですが、半沢に比べてどらぐらい迫力があるか?というのを比べてみると自分の丹田の力がどらぐらいかというのを測る事はできるはずです。
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本日、日暮里の整体について

電車が止まっていますね。
HPによると山手線は9時運転再開とのことです。私、自身はすでに現地におりますが、こられない方もおられるかもしれません。

その場合は、院への電話は私に転送されますので電話をいただけると助かります。

TEL075-954-0036

今、三河島の駅にいるのですが大きな問題がないようでしたら午前中にはほとんどの電車は動きはじめそうなアナウンスをやっています。
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音と体のバランスと

東京へいく新幹線にのる際にある曲が頭の中でずっと回っていました。
こういう時は頭の緊張が強くなっているものです。頭の緊張というのは睡眠の様子を見ればわかりやすいでしょうか。5時に起きれるよう目覚ましをセットしていたのですが、3時半に目が覚めて、でもちょっと寝たりない感じがあるなぁと、そういう感触でした。

こういう時は、いったん起きて眠気が再びやってきた時に10~30分ぐらい眠れば深く眠れてスッキリするものです。それじゃあ、新幹線でちょっと眠ればいいやという事で体を起こしてごそごそと遊んでいました。ただ、新幹線に乗る京都駅へ向かう途中である曲がえんえんとループしはじめたのです。

曲はsumikaというグループのフィクションという曲です。
「ヲタクに恋は難しい」というアニメの主題歌だったりします。ゲーム、アニメ、漫画が好きなカップルの恋愛にちょっと特殊な面があることに注目したラブコメです。

ちなみに、この略してヲタ恋が面白いかなのですが、評価がちょっと難しかったりします。
私は基本的にアニメや漫画が好きなわけですけど、バリバリの体育会系ヲタクというちょっと特殊なポジションにいます。わかりやすくいうなら、一般人の中に入るとでかい顔をしてヲタクのふりができますけど、本家のヲタクたちにまじると肩身が狭くなるという感じです。そういう半端なオタクからすると、ちょっと共感しにくい内容とストーリーです。あと書いていて気がつきましたけど、本題に関係ない事でちょっと語りをいれたくなるのはヲタク気質の現れといえるでしょう。

話を戻します。

ある日、このフィクションという曲が頭の中でループしていたのです。
しかし、私はこんなこともあろうかとスマホにこの曲をダウンロードしてありました。それで、これはいい機会だと延々とループさせて曲を聞いてみることにしました。5~6回も聞いていると、いろんな音を聞き分けられるようになってきます。すると、


「ジャズっぽいピアノの演奏をしているなぁ。」


そんな事に気がつき始めます。
ピアノの音から始まるのですが、木琴の音が唐突にはいってきます。それからバイオリンがピアノをサポートして、タンバリンで拍子をとって、こっそりと鉄琴の音もまじってきます。そして、終盤に女性のコーラスが1カ所だけはいっていてという具合に様々な音を使って曲としてまとめている事がわかってきます。

普通、グループが曲を作るというと、メンバーそれぞれ好きな楽器を担当して演奏しているという事になるのじゃないでしょうかね。でも、この曲はメンバーたちが、あるテーマに沿って音を作って曲にまとめあげている感じられました。だから、こういう個性的な曲になるのじゃないかなぁと、多分ですけど、ピアノ、バイオリン、タンバリンっていう楽器はヲタクな楽器、少なくとも音を出している人たちはそういう想定で音を作っていると思えました。


さて、こんな事を考えているとあることに気がつきます。
それは、


「同じ楽器でも演奏する人によって様々な性質を持たせることができる。」


という事です。
人によって得手不得手なんてのがあって、タンバリンでヲタクっぽく拍子はとれないけど、元気溌剌オロナミンCなら任せろって言う人もいるでしょうし、悲しくリズムを刻むのが得意だなんて奏者もいるでしょう。

ピアノはジャズ専用の楽器ではありません。
もともとはクラシックと分類される分野の楽器なのではないでしょうか。でも、ジャズっぽく演奏して、それをちょっとアレンジするとヲタクっぽい演奏になっていると私には感じられます。同じ楽器でもそれを演奏する人の音の出し方、そしてそのイメージに沿った音の性質に変化が起こるわけです。


さて、これって体でも同じ事が言えるなぁ、と思ったわけです。
例えば、心臓という臓器はみんなが持っています。すべての人の心臓は鼓動して、血液を体中におくっているわけですけど、皆がすべて同じように動いているでしょうか?常に元気溌剌と動いている心臓、しずしずと控えめに血を送っている心臓、ヲタクっぽく動いている心臓もあることでしょう。センスのいい人なんかだと、その場の状況に合わせて動かし方を変えているかもしれません。

当然ですが、内蔵は1つだけではありません。
肺、肝臓、腎臓、脾臓という五臓にそれを助ける六腑があるわけです。さらに血管があり、筋肉があり、リンパがあるわけで、それぞれに個性があり、その個性が複雑に絡み合って人間としての個性を形作ってゆきます。音楽であれば、その個性がギターが得意だとか、ドラムが得意だとか、アップテンポの曲が得意だとか、悲しい曲が得意だとか、そういう個性が生まれてくるわけです。人間の体だったら、どんな個性が生まれてくるのか?数え始めればキリがありませんよね。


五臓六腑、血管、筋肉といった体を構成する要素を楽器に例えてみて考えられないでしょうか?
音楽家は様々な楽器の音を組み合わせて曲を作ります。それと同じように、わたしたちは内蔵や血管といった体の働きを調和させる事で生活しているわけです。これはもうバンドというレベルではなく、オーケストラといっていいと思います。

内蔵たちの性質に影響を受けて当然、得意、不得意が生まれます。
コミュニケーションが上手な人、人付き合いが苦手な人、体を動かすのが得意な人、頭を使うのが上手な人、他人の長所を引き出すのが得意というリーダ向きの人もいるでしょうし、頭を使うのが苦手なので指示をもらう事で120%の実力がを発揮するという人だっていることでしょう。


「あなたが指揮をするオーケストラはどういう曲を奏でるのが得意でしょうか?」


そして、


「どういう曲が苦手でしょうか?」


もしかしたら、あなたが演奏したいと思っている曲と、あなたが得意な曲は全く違うかもしれません。
オーケストラで、ピアニスト、バイオリニスト、オーボエ、ホルン、チューバなど一流の人たちを集めたとしましょう。一流の人たちが出す音ですから、音がずれたりはずれたりすることはないでしょう。でも、皆が好き勝手に音をだしたらどんな演奏になるか考えてみてください。演奏には指揮者が必ず必要で、その指揮者に従ってメインになる音を出す人がいて、その音に合わせて音を出すから調和のとれたよい演奏になるはずです。

体をオーケストラだと考えたら、体のためと取り組んでいる事におかしな事はないでしょうか?
心臓、肺、肝臓、腎臓、脾臓すべてばっちりであっても、好き勝手に動いていれば演奏は不協和音になるのです。こういう状態を自律神経失調症というのだと私は思うのですけどね。

そう考えれば、自律神経失調症の原因なんてのは簡単です。
ストレスでもなく、性格でもなく、生活スタイルでもなく、環境でもない、単に指揮者がヘボなだけという事です。ベートーヴェンという作曲家は耳が聞こえない状態で、名曲といわれる曲を残しています。これはどういう事かというと、体になにか問題があってもよい人生、よい生活ができないわけではない事を意味しています。自分が指揮者としてヘボなのを、自律神経のせいにしないことですね。

そういや現代には乙武洋匡さんなんていういろいろ体に難があるのに結構しっかり生きている人がいますね。私は彼の本を手にとった事はありませんが、彼の著作には指揮棒を上手に振る秘訣なんかがいろいろ書いてあるんじゃないでしょうかね。


さらに、そういえばですが、私がやっている事っていうと調律でしかないとういことですね。
いくら私がパーフェクトな調律をやっても演奏する人が下手くそだったらいい曲どころか、いい音すらでませんからね。まぁ、パーフェクトな調律ができるかというと、残念ながらそこまではまだまだ遠いなぁというのが現状ですけどね。
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