ブログ「日々整体」

残りの人生プラン

50歳以降の人生プランを考えています。
今の所、

・畑付きの家で半自給自足
・物価の低い国に移住する

という2つの案があります。
前者は来週からでも物件の下見ができますが、後者は現状の社会状況を踏まえるとそう簡単にはいきません。

一応、現状のすまいでも半時給生活は可能ですが、古いマンションで今後の見通しがはっきりしていないので引っ越しも視野にいれています。外国については、先日、思いついたものなのでどこの国がいいかなんてことも、まだなんにも考えていないんですけどね。

現状、こういう具合にぶれるところがあるという訳で、まだまだ検討が足りないという事なのかもしれません。

私には所得が年収100万台だった時期が何年かあります。
その経験があるせいではっきりとわかるのですけど、日本は所得が低い方が生活が楽になります。つまり、中途半端な向上心はかえって生活を苦しくしてしまうだけだという事を体感しているのです。今後、消費税が上昇をつづけるとちょっと様子が変わってくるので、当時はという但し書きは必要かもしれません。

ついでにいうと、さらに消費税があがると生活が成立しない個人や家庭が、かなり増えてくると思うのです。すると、戦後みたいに闇市が当たり前になってくるかもしれませんね。消費税を律儀に払っていると生活できないのですからこれは当然の流れだと思えます。それを防ぐための電子マネー化と、我々の生活は本当にがんじがらめにです。そう考えると、地域通貨とかポイントとかをやりだす流れも当然出てくるわけで、日本という国そのものの存在意義が失われていってしまうかもしれません。

ちなみに、闇市がさかんになると、メチルアルコールを酒だといって飲んだり、妖しい甘味料をおかしだといって食べる人間がたくさん出てくるわけで、そういう具合に、今、あるものは全部壊してしまってもいいのかもしれないと思ったりもします。

話を戻します。

所得を追いかけない生活は実はかなり楽しかったりするわけです。
だからかもしれませんけど、今でもしっかり稼ごうとい気持ちはほとんどありません。もちろん、潤沢なお金があったらこれが欲しいなぁと思うことは頻繁にありますけど、お金で手に入るものってその時の気分だけのものなんですよね。すでに、本当に欲しいのは物じゃないという事には気がついているわけです。

また、低所得とは別に収入ゼロという時期もあります。
それはそれでまたちょっと違う感覚です。この事は以前にどこかで書いたようにも思いますけど、その間は私にとって非常につまらない時期でした。

「仕事をしないで生活する。」

というのは、多くの人が憧れるものかもいれません。でも、仕事をしないでいる日々は、生活をとんでもなくつまらなくするものでした。

専業主婦が社会との繋がりがなく孤独になっているなんて話を聞いたことがあるのではないでしょうか。たぶん、それと同じかもしれません。


「私のような人間でも仕事を通じての社会との繋がりを必要としている。」


という事なのでしょう。

さて、そういう事を踏まえたこれからの人生プランは、

・死ぬまで仕事をする
・所得は最低限度のレベルでよい

という事が大きなポイントになってくるわけです。

こう考えると物価の低い外国に行くという選択は理想とはちょっと離れているかもしれません。ただ、医療が不十分な国へ地域へいって整体をやっていくという案はなかなか捨てがたい考えでもあったりします。この辺りは今後の社会状況の変化をみながら判断してゆきたいところです。


さて、これを書いている時に、

『人生は100年の時代に突入する。』

という本の紹介をみました。
年々、寿命が延びているから今の若者は100歳を超えるのが当然で、80歳ぐらいまでは元気に仕事をしてられるみたいな事が当然の世の中が来るなんて書いてあるそうです。

この予測は私は多分違うだろうと思います。
なぜなら、現状の医学はそんな立派なものじゃないからです。また、人間という生物を観察していて思うことは、充実した人生を送る人は寿命が短くなるし、長く生きる人は細い生き方をするという事です。医療が進歩しても、ホモサピエンスという種の寿命が伸びる事はないと確信を持って思います。中途半端に進歩を、大きな一歩だと勘違いしてる学者がおかしな事を言い出しているだけの事だと思います。

少なくとも私は希薄に長く生きるつもりはありません。
日々を充実させて、

「ざまーみろ。100歳まで生きれる訳がないだろう!」

と言い残して死んで行くつもりです。
でも、そう考えるとあと10年ぐらいしか余命はないかもしれないですね。死にそうな気配がでてくればたぶん、気が付くとは思うのでまだもうちょっと大丈夫だろうとは思いますけど。

30年はもう無理だと思います。
だから、あと10年生きた場合、あと20年生きた場合の2パターンの生き方を考えるのがよいかもしれません。で、それ以上生きてしまったときの事は、ちょっとだけ考えておくという事でよいような気がします。

繰り返しますけど、私は死ぬ直前まで仕事をしているつもりだから、考えなければいけないことはそれほど多くはありませんね。
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小6で人生が終わる話

息子が小学6年生なのですけど、


「同級生が頻繁に学校を休んでいる。」


そんな話をしていました。

別に興味はなかったのですけど、私が寝転がっている横でそういう話題の会話が行われていました。どうやら、


「食道炎が辛くて休んでいる。」


という事でした。


今の世の中はこんな事ぐらいであっさり人生が終了してしまいます。

ストレス性とか逆流性とか医師によって多少、診断はかわってくるでしょうけど、この『○○性食道炎』で適切な治療が行われているケースを私は観たことがありません。


本来、治療が必要なものでもありません。

たいていの場合、ほっておけばよいものを余計な事をして返って悪化させてしまっています。こうなってしまうのは、大きな勘違いが3つほどあるからでしょうか。


その3つとは、


・しっかりと栄養を取らなくてはいけない

・吐いてはいけない

・風邪をひいて熱をだしてはいけない


という事です。


1.しっかりと栄養をとらなくてはいけない

朝食を食べろとか、3食食べろとか、それなりに説得力を感じるかもしれません。でも、人間は栄養が必要になればお腹が空くのです。ですから、お腹が減った時に食べればいいだけで、それが朝なのか、1日3回なのかは個人差があると思っておくほうがいいでしょう。個性を大事にするのであれば食事だって個性的で問題ないはずなんですけどね。


2.吐いてはいけない

医療に携わる人間は、吐くという事がどういうか事をまったく考えていません。

解りやすいのは悪い物を食べたとき、健全な人は吐くのです。理由は簡単で、吸収してしまうと体を痛めてしまうからですね。悪い物を食べて吐けない時は、たいていの人は亡くなってしまうのじゃないでしょうかね。


吐き気というのは意味と必要があって起こるものです。

だから、吐き気は止めるのは体にとって有害でしかありません。体に問題があるときに、その問題を解消するために吐き気が起こるのです。ですから、吐き気を感じるままに嘔吐していれば体の問題はそれだけで解消します。うまく自力では解消できなくて吐き気がずっとつづくときに、本当は医師の助けが必要なのですけど、その助けは吐き気を止める事ではなく、吐き気を起こす原因を解消してあげることです。


3.風邪をひいて熱をだしてはいけない

私は73年生まれですが、私と同世代であれば、子供の頃、高熱を出して寝込むとか熱をだして吐くとかいう経験はたいていの方はあるのではないでしょうか。実は、我々はそうする事で丈夫な体になって大人に成長する事ができたのです。ところが、今はちょっと咳がでたとか、熱がでたとかでも薬で強引に症状をとめてします。その結果、子供たちは体を丈夫にする機会を奪われてしまっています。


例えばニートなんかがわかりやすいでしょうか。

ニートは体が貧弱だから気持ちが弱っているだけです。体が丈夫になる機会を奪われて年齢だけ20歳になったからしっかりしなさいというのは無理な要求です。病気をする機会を奪っているとそういう人間ばかりが増えてくるはずです。男性が草食化しているなんていわれているのもこういう事が大きな理由の一つでしょうね。


熱を出して風邪をひくというのは、頑健な体を作っていくためには必要な事です。病気もしたことのない人間が立派な大人になれるはずがないと思っておくことです。


さて、話を息子の同級生にもどしましょう。

○○性食道炎で通院した人は人生から潤いというものがなくなります。なぜなら、吐くという事は健全な状態に戻ろうとしたときに起こるものだからです。今の医療であれば死んでしまうような事はないでしょうが、体が健全に元気になろうとしているのを薬で全力で止めてしまうわけですから。その結果、中身のないスカスカの人生を送っている人を私は何人もみています。


彼はこの先の人生において、心から幸せだと感じる事はもうできないかもしれませんね。

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『隠れ○○』 の話

『隠れ○○』 

ずいぶんとバカな言葉がまた生み出されたのじゃないでしょうか。 
隠れ歯周病、隠れ貧血、隠れ糖尿病、隠れコロナ、隠れ脳梗塞、隠れアスペルガー、隠れうつなんかをよく耳にするでしょうか。この『隠れ○○』という病気ともなんとも言えない問題の解決を謳うサービスだったり、商品を見かけることが増えてきました。まぁ、隠れうつなんかは、仮面うつと同じように使われていたりするので逆の意味で使われてもいるみたいですけど。 

「阿呆も極まってきた。」 

私の偽らざる感想です。 
言っている方は間違いなくバカですし、これに踊らさせる人はもっとバカなのでしょう。 

「健康診断というものは元気な人間を病人にするために行われている。」 

この発言は、私と会話をしたことがある人なら聞いた事があるセリフじゃないでしょうか。 
つまり、『隠れ○○』は健康診断じゃ病気にできない人をなんとか病気にするために生み出された言葉だということです。これを考え出した人は、他人に幸せな、充実した人生を送ってもらうことなど微塵も考えていないのでしょう。シンプルにいうなら病人を増やすことで自分の利益を増やしたいと考えている訳です。 

わかりやすい例を1つ紹介しましょう。 
最近、歯科医の入り口のポスターで、 

『歯周病を放置すると安全な出産ができません。』 

なんてキャッチコピーを見かけました。 
歯周病の原因が歯周病菌などの菌であると考えるからおかしくなるのです。口の周辺に菌やらウイルスやらが存在してもなんの問題もないのです。なぜ、歯科医師は歯周病菌が増殖するのはなぜかと考えないのでしょうか?歯磨きをちゃんとするなんて事は確かにうたっていますけど、増殖してしまい歯周病にまで発展してしまうのは頸椎に狂いがあって、顎あたりを通る三叉神経が緊張を起こしているからです。 

当然ですが、三叉神経が緊張を起こしたからといって必ず歯周病になるわけではありません。 
三叉神経は目や鼻の働きにも影響を及ぼすことがありますから、緊張の起こり方によって目が見えにくいとか、花粉症になるとか、そうういう事も十分起こります。つまり、歯周病の原因は頸椎の狂いなのですけど、頸椎の狂いははあご部だけではなく生殖能力にも影響を及ぼす事が結構あります。 

余談ですけど、生理痛が辛い人なんかも頸椎に問題がありますね。肩が痛いとか頭がいたいとか起こるのはそういう事です。 

話を戻します。 

これはどういう事かというと、頸椎の狂い方によっては胎児に影響することがあるし、そういう方は歯周病になりやすいという事です。たぶんですけど、データを洗った時にそういう傾向がみつかったのでしょうね。 

さて、ここで考えてみて下さい。 

「歯周病を治したら、妊婦さんは元気な赤ちゃんを出産できるか?」 

答えは明確です。 
まず、歯医者で歯周病を完治させることは不可能です。なぜなら、歯周病の原因は歯周病菌が増殖しやすいあごの状態にあるからです。もちろんちゃんと歯磨きをしてなかったからなんていう話は今は除外して考えます。 
だから、一時的に歯周病の症状が治まってもまたすぐに再発しますね。 
そして、当然ですが歯周病菌が一時的に減少してもそれは胎児によい影響を与えることはありません。なにしろ根本的な原因は頸椎にあって、それが原因で歯周病と胎児の問題がそれぞれ別におこっているのですからね。 
それで、そういうトンチンカンな事をやっている人たちが、 

「隠れ歯周病を治せ!」 

とかいっている訳です。 
そんな人たちにどういう評価をするのが妥当かをよくよく考えてみることです。 

10年ぐらい前だったでしょうか? 
スーパーでPOSレジが導入されたときに、 

「乳児用のミルクを買う人は、大人用のおむつを同時に買う事が多い。」 

なんてデータがでてきて、スーパーでは陳列をどうするべきかなんか考えている人をみかけました。その時、ミルクとおむつを並べて陳列したら売り上げが増えるはずだとか真剣に発言している人をみかけました。その後どうなったのかは知りませんが、陳列を工夫したら利用が便利には感じるでしょうけど、それで売り上げが増えるなんてことはないと思いますけどね。データなんてものは、扱いを誤るとおかしな理屈に発展してしまいがちだというのはよくよく理解しておいた方がいいと思います。 

話が広がりすぎたので、ちょっとまとめてみましょうか。 

1.検査でひっかからない人を病人にするために『隠れ○○』という言葉が生まれてきた。 

2.データをいじっていたら関係はあるけど、短絡的に解釈してバカな理屈を持ち出した人たちがいる。 

3.とにかく病人を増やしたくて仕方ない人たちがいるらしい。 

という3つにまとめられるでしょうか。 
最初にいいましたけど、他人を食い物にして自分の利益につなげたい嫌な人たちがいるらしいというところがだけちゃんと理解しておくといいのじゃないでしょうかね。 

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京都で日曜日にやります。

月に1回ですが、日曜日に京都、長岡京市で整体を行います。
日曜日はずっと出張する日にあてていたのですけど、中部地域に余力がでてきたのでその分を京都に当てることにします。
日曜日しかこれないという方がおられたら、電話で申込ください。

3月28日(日)
4月25日(日)
5月30日(日)


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自分の存在を消し去りたい

推拿という手技はご存じでしょうか?

実は、私は最近この推拿が気にいってあるお店に通っていたりします。中国では漢方、鍼灸に並ぶ療法の一つなのだという事は最近まで知りませんでした。


一応言っておくと、基本的に手技にいいとか悪いの差はあまりないと考えています。

その手技を実際に行う人の技量の差の方が大きなポイントだとは考えています。実際、私の整体だって


「同じ先生から教わっているのになんでこんなにへんちくりんな事を考えている奴なんだ。」


なんていう人も少なからずいたりします。現実は私の方が変わっているというのが正解なのでしょうが・・・。


私の見ている感じだと、治療家には大きく2種類の人がいます。

1つ目のパターンは


「こんな病気や怪我を治した俺すげー!」


って、言いたいタイプです。

残念ながら、こちらに属する治療科はダメですね。理屈と現実がずれたときに、理屈の方を優先します。医者なんかだとわかりやすいでしょうか?薬の効果がちゃんとでていない時に、


「きちんと薬飲んでいないのじゃないか。」

「なにか生活習慣に問題があるに違いない。」


とか言い出す人がそうです。

こういう事を踏まえて世間を見渡すと、


『ほとんどの治療家はこちらに属している。』


そういう事にすぐに気が付くと思います。スマホが、パソコンが、電磁波が、姿勢がとかいろいろ言ってくるのですけど、これは、


「自分の知識や技術が十分だから私は悪くない。」


という事が前提の話なのです。

こういう人は、今、目の前にいる体調が悪くて困っている人に元気になってもらうことより、自分のプライドを守る事を優先してしまいます。


私は違う存在、


「医とは医なきをもって良しとする。」


というもう1つの存在でありたいと考えています。

以前の話ですが、私は、


「難しい人は相談に来ないで欲しい。」


と本気で思ってしまう事がしばしばありました。

なぜなら、整体にこられた人がよくならないのはすべての私の技量や知識の問題だからです。だから、難しい人が相談来た時は、自分の力量不足を思い知らされる事が本当に辛かったのです。


まぁ、いくつかの覚悟が決めたというのもあって、こういった類いの恐れというのはほとんどなくなってきました。ただ、恐れがないというのは、また問題で、成果があがらない事に対して何にも感じなくなってしまってはそれはまた問題外ですからね。


ただ、成果があがらない時にいちいちへこんでいたら仕事にならないものですから、


「私が死ぬときに、そこそこ成果があがっていれば良しとしよう。」


という状態に身を置くことで淡々と仕事をこなせるようにしているつもりです。

それで、いつかは関わることができた人たちがすべてそれなりに満足した生き方ができて充実した生活をおくれるようになっていたらいいなぁとそんな風になるつもりです。でも、もしそうなってもそれは私のおかげではなく本人がそう望んだ結果そうなったと思うのが理想だと思う訳です。だから、私は最後にはみんなに忘れられて野垂れ死ぬことができたらたぶんいい人生になっているだろうと考えています。


こういうとちょっとわかってもらえるでしょうか。

治療家には自分の存在を誇示したい人と、自分の存在を消し去りたいと考える人の2種類がいるという事なのでしょう。私は後者でありたいと考えていますが、残念ながら同じような考えの人には会った事がありません。たぶん、これが私が1人で仕事をやっている理由なのでしょう。


推拿の話に戻します。


推拿は整体に通じるような発想の手技があって、古くからあるもののようです。だから、たぶん整体の考えにも影響を与えていると思われ余す。繰り返しときますけど、だから推拿がおすすめだという訳ではありませんからね。私が行ってみたお店がたまたま私に合っていたとうだけかもしれません。


ただ、受けていて思うのはもったいないなぁという事だったりします。

もうちょっと掘りさげて考えればもっといい技術の行使ができるだろうなんて思ってしまうのです。基本的な発想が、


「固まった部分をほぐせばいい。」


というところから抜けられないのです。

そういう人だと、


「だからストレッチしてほぐしましょう。」


なんていうアドバイスをしてくれるのですよね。


固い所が柔らかく動けばいい。

それはその通りではあるのですけど、そこをもうちょっと掘りさげると、


「どうしてここが固くなるのか?」


に到達することができると思うのです。

そこまで思考がたどりつくことができれば、きっと自分の存在を消し去れるのじゃないだろうかなんて思います。まぁ、それは自分の事は忘れられるという事を意味しますから、なかなか簡単にそう考える訳にもいかないのでしょうけど。

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