ブログ「日々整体」

疾病は決して不要な存在ではあるまい

(本文)
 病に冒さるゝと云うことは、既に生理機能が弛緩し、退行してゐるからである。従つて羅病するということは、人体に反応作用を起こさしめ、生理機能の亢進を図る為の刺激である。而して刺激に反応して亢進した生理作用が発病であり、この現象が病症である。
 然らば疾病は決して不要なる存在ではあるまい。不自然的生活に対しての忠告であり、その調整である。健康の弛みを引き締める為の存在である。羅病するからには吾人は確かに不自然的生活をしてゐたに相違なく、発病するが故に正しき健康の保持を保証されるのである、それでこそ全生し得らるゝのである。

現代語訳と注釈は四面楚歌に掲載しています。
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病気は体の回復作用のために起こる

(本文)

 疾病は老廃物或は病菌等の刺激作用に反応して起こるところの人体の排泄作用である。老廃物を排泄せんとする生理現象である。換言すれば、疾病は肉体の大掃除、洗濯であり、健康状態を保たんとする自然的現象ー自然良能の作用である。何等恐るべきではない。蛇の皮を脱ぐが如く、蠅の殻を脱すると同様で、人体の更新作用である、古びた組織を改造し、鈍れる機能を旺盛ならしめる作用なのである。疾病こそ最善の健康恢復法であり、最良の治療法である。

 脳髄はその常態に於ては、アルカリ性の反応を呈してゐるが、知覚神経及び神経中枢より過度の刺激を受け、全く酸性化した場合には一種の不快を感じ、欠伸及び眠気を催し、如何なる刺激を受くるも、その印象を留むること能わざるに至る。この際、脳髄に休憩又は睡眠を与へると、再びアルカリ性に復して快く刺激を受け得るに至る。要するに、脳が疲れるから欠伸がでるので、出た欠伸が悪いのではない。欠伸は脳の疲労の進行を予防し、恢復する為の手段である。


(現代語訳)

 病気は、老廃物や病原菌などによって刺激されて起こる人体の排泄作用です。つまり、老廃物を排泄しようとする生理現象です。言い換えれば、病気は体の大掃除、あるいは洗濯であり、健康状態を保とうとする自然の働きであり、健康を保とうとする体の自然な働きです。ですから、恐れる事はなにもありません。蛇が皮を脱ぐように、蠅がうじから成長するのと同様で、体の新陳代謝であり、古い細胞組織を入れ替えて、働きの鈍くなった機能を健全な状態に戻すための作用です、病気こそ最善の健康回復法であり、最良の治療だといえます。


 脳髄は平静時は、アルカリ性の状態です。知覚神経と神経中枢より過度の刺激を受けて酸性化した場合、不快を感じ始め、欠伸や眠気を起こします。また酸性化の状態で脳髄が様々な刺激を受けても、その印象が残りにくくなります。このような状態の時に、脳髄に休憩や睡眠を与えると再びアルカリ性に戻って快く刺激を受ける事ができるようになります。つまり、脳が疲れるから欠伸がでるので、出た欠伸が体を壊したりとなにか悪さをするのではありません。欠伸は脳の疲労の進行を予防し、回復する為の手段であるという事です。


続きの注釈は、四面楚歌に掲載しています。

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病気によって体を安定した状態に戻せなくなった時が寿命

 羅病の因は前述の如く、抵抗作用の不全、即ち生理機能の弛緩、又は退行にある。而して羅病することによって、生理機能を刺激し、之に反応作用を生ぜしめてその亢進を図る。
 然らば之、生理的作用を恢復する自然的手段と云はねばならぬ。病は果たして不要なる存在であろうか。
 衣類も着てゐれば古くなる、埃を落とさねばならぬ、人体も古くなれば老廃物が留滞する、新しいうちでも胎毒と称する老廃物を蓄えてゐる。之を何とかせねば人体は健康状態を保てぬ。勿論、便、尿、汗等々の排泄作用は常に行われてゐるが、人にして歩むべきを歩まず、働くべきを働かず、食うべからざるに食ひ、智に飲み奔りて身を労せず・・・・・といふ風に不自然的生活を営めば、生理機能を鈍退せしめ、老廃物のみを製造するに至る。従つては排泄作用は全からず、老廃物のみ留滞する、茲に於いてか、排泄作用を旺盛ならしむる自然的手段が起こる、之が疾病である。

(現代語訳)
病気の原因は、前述のように、抵抗作用の機能不全であり、つまり生理作用の弛緩あるい衰退によるもだということです。その結果、病気にかかることによって生理機能を刺激して反応させてその働きを高めるのです。
 そうであるなら、病気とは生理作用を回復させるための自然の働きであると考えなくてはいけません。病気は不要なものではなく必要なものなのです。
 衣類は着ていれば古くなります。埃を落とさなくてはいけませんし、それと同じで人間の体も生活を営んでいれば老廃物が溜まってきます。もちろん、便、尿、汗などの排泄作用はいつも行われていますが、人しての倫理や道徳をわきまえず、働こうとしない、食べない方がよいのに食べ、知能だけを働かせて体を使おうとしない、そんな不自然な生活を送っていれば、生理機能は低下し、老廃物を作り出すだけの存在になってしまいます。すると排泄作用はうまく働かなくなって、老廃物が体の中に溜まってゆきます。そうなると、排泄作用を高めるための体の自然の働きが起こります。これが病気なのです。

(単語の意味)
亢進 高い度合いにすすむ事、過剰な状態になること

(注釈)
多くの人が病気に対して勘違いしています。
文献などを見ると、かなり昔からの勘違いのようで江戸時代の末期にはもうすでに誤った理解がひろまっていたようです。どういう勘違いかというと、

続きは、四面楚歌にて公開しています。
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すべての病気は抵抗作用の不足が原因

 林檎であるなら、その一部分に強き衝撃を加えれば、その衝撃を受けた部分の細胞は、忽ち(たちまち)破壊されて死滅し、その部分だけは段々と腐敗して行くが、他の部分は健全に生存し得るのである。しかし動物の場合は、之と大分現象を異にし、強く衝撃を受けた部分の細胞は、一時仮死状態になって、俗に云う黒死となるが、日を経るに従って次第に薄らぎ行き、遂に健全なる元の状態に恢復するのである。その代り一点の急所を強く刺激すれば、他の部分の細胞が完全であるにも拘わらず、忽ち死といふ転帰をとらねばならない。動物と植物とに於いては、その生活現象がこの如き大なる相違がある以上、細胞病理必ずしも当てになるとは限らない。
 予は飽くまで抵抗作用が鈍るから、障碍作用(しょうがいさよう)に冒さるゝのだと主張する。繰り返して云う、万病は一因、抵抗作用の不足からのみ発する。


(現代語訳)
 林檎の木を例にあげて考えてみる。木の一部分に強い衝撃を加えれば、その衝撃を受けた部分の細胞は、すぐさま破壊されて死滅します。その破壊された部分は少しづつ腐敗しますが、他の部分は健全に生きていく事ができます。それに対して動物の場合は、林檎の木のような植物とは違う経過をたどります。強く衝撃を受けた部分の細胞は、一時、仮死状態になって黒死という状態、いまでいう痣になります。しかし、月日を経過するにつれて痣は薄れてゆき、いずれ健全な状態に回復します。その代わり急所を強く刺激すれば、他の部分の細胞が完全であっても、すぐに死という状態になります。動物と植物においては、このような大きな違いあるため、細胞や病理が必ずしもあてになるとは限りません。
 私は、体に抵抗作用が鈍るから病気になるのであると主張をします。繰り返しますが、すべての病気は抵抗作用が不足したときにのに発症するのです。

注釈については、四面楚歌に掲載しています。
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医療は100年まったく進歩していない

 肺結核の如きは、本人の知らぬ間に菌に冒され、知らぬ間に治療して終ふことが、百人中九十五、六人まであるといふことが、屍体解剖によつて発見されたといふている。然らば結核菌は、臨床医家の説くが如く恐るべきものであるか。それにしては余りに結核菌に冒され、結核病になる人が少数ではないか。病理学者は日本人の結核菌保有者は、九十パーセント以上であると云う。而して実際に発病するのは、その何百何万分の幾つかではないか、之人体に抵抗作用の行われるといふ理由である。而して、抵抗作用正しければ羅病せぬといふ所以である。
 かうなれば、病恐るべきでないということが理解される。それにつけても、肺結核なる病名の診断を受けて、不治の病と思い込み、悲観の余り気力失せ、抵抗作用衰退して精神的に死んで行つた人々の如何に多いかを悲しまざるを得ない。薬物では不治であるが、かくの如く容易に自然治癒するものであるといふ事を知つたら、死なずともよかつたであろうものを。

(現代語訳)
 肺結核は本人のしらない間に菌に感染しても、100人いたら95~6人までは感染に気がつかない間に治ってしまう。この事は屍体解剖によってはっきりとしているそうです。臨床研究者は肺結核は恐れる必要があるというにしては結核病になる人が少数ではないだろうか。病理学者が言うには、日本人の肺結核菌の保有者は90パーセントであるといいます。かといって、実際に発病するのはその何百分のいくつかという程度ではないか。このように菌を保有しているからといって発病するわけではないのは、人体に抵抗作用があるからで、この抵抗作用させ健全な状態であれば病気になることないという事です。
 このことがわかると、病は恐れる必要のないのものであるという事がわかります。それなのに、医師のによって肺結核と診断を受けて不治の病と思い込み、悲観することによって、抵抗作用を弱めて死んでいった人々がどれほどたくさいんいるか、とても残念な事です。薬物では不治であるが、本当は抵抗作用によって簡単に自然治癒するものであるという事を知っていればしなずによかったのですから。




休日に電話がかかってきて、

「コロナの濃厚接触者になってしまった。感染してたら人生が終わりだ。」

という相談を受けた事があります。

続きは、四面楚歌に掲載しています。
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