辞世の句を考えてみよう その1
2021年02月17日
『おもしろき ことのなき世を おもしろく
すみなしものは 心なりけり 』
高杉晋作の辞世の句です。
ただ、実際に高杉が考えたのは、上の句である
『おもしろき ことのなき世を おもしろく』
までで、下の句は臨終を見届けようとした坊主がつけたとかいう話だったと記憶しています。
下手くそな下の句をみて、高杉は、
「おもしろいのぉ。」
そう言ってそのまま亡くなったそうです。
高杉晋作という人は萩藩の名家の生まれです。
小説やドラマなんかだと萩藩は、長州藩と表記されています。しかし、実は長州藩という藩は存在していなかったそうです。明治の世がはじまった時にどうも明治政府が歴史をかなりねつ造したようですね。その捏造の1つが萩という小さな地域の地名じゃなくて長州と中国地方一帯をイメージするような表記に変えられた訳です。
実は、明治後の歴史のねつ造はかなりすさまじいものがあります。教科書に書いてある事や司馬遼太郎の小説にもかなり嘘があるので注意が必要です。
彼が松下村塾に通っていたことは有名です。
伊藤博文、木戸孝允などと同じ門下生でしたが名門の生まれということでかなり立ち位置が違います。高杉は毛利家に高い忠誠心をもっていたのに対して、この2人は毛利家を大切にしようなどという気持ちはほとんどなかったようです。
伊藤博文の発言に、
『松下村塾には読み書き算盤を習いに通っていただけでなんの思い入れもない。』
なんていうものも実際に残っています。
塾生たちは、吉田松陰の事を敬愛していたみたいな印象がありますが実際はそうでもなかったのです。そして、萩藩は伊藤博文、井上馨、木戸孝允らの3人によってクーデターが起こり毛利家は力を失ってゆきます。これはどうも日本で内乱を起こして武器を販売しようとするイギリス商人から資金が流れ込んでいたようですね。彼らが日本の未来を考えて倒幕したなんてのは実はかなり怪しいのです。
高杉晋作はこの流れを苦々しいと考えていたようで、
「万が一の時には、朝鮮に毛利家を逃がして私は一生奉公をする。」
なんていう発言の記録が残っていたりします。
小説やドラマなんかでは萩藩は長州と名を変えて美化されていますが、萩藩の実際はかなりドロドロしたものだった訳です。
高杉晋作ほどの人であれば自分がもう亡くなるというタイミングで、
「毛利家はもう残らない。」
という事はわかってたことでしょう。
先にあげた彼の発言からもそれはみてとれますね。
萩藩と毛利家の繁栄を守る立場として、萩の名家に生まれたのに、それを為す事ができす。状況に応じては、毛利家の衰退に手を貸すというような行動まで取ってしまった高杉晋作が、
「おもしろき このなき世を おもしろく」
と詠んだのです。
高杉晋作ほどの才能のある自分でも世の中はまったく思い通りにならかったのです。
それに対して、
「すみなしものは 心なりけり」
世の中は考え方次第で面白くなるという下の句はまったく見当はずれだと思いませんか?
高杉晋作はとても高い詩作の才能をもっていたのですけど、
「面白い事のない世を面白おかしく生きるのは、自分の心次第だ。」
なんていうまったく面白みのない辞世の句になってしまいました。
辞世の句すら思い通りにいかない高杉晋作は、自分の一生を振り返って、
「面白いのぉ。」
そう皮肉をいって笑って死んでいったのじゃないかと私は思うのです。
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