ブログ「日々整体」

1分1秒でも長く生きたい人へ一言と休みのお知らせ

ちょっとでも長く生きたいと思うのでしたらその方法は簡単です。
ちょっと振り返って考えてみれば誰でもすぐに気がつくと思うのですけどね。


一言でいっちゃうと、


「寝たきりになって動けなくなった人ってなかなか死なない。」


たったコレだけのことです。
実際に介護をしている人なんかだとピンとくるものがあるんじゃないですかね。まぁ、もうちょっと的確な表現をすると人間は元気がないと死ねないということでしょうかね。


まあ、こういう言い方をすると角がたつこともあるかと思いますので、


「ぽっくり逝きたかったら元気がないと無理なんですよ。」


と言ってますけどね。


死ねない状態の人の世話をするのはなかなか大変なようです。
介護するのが辛くて心中したり、殺してしまったり、自殺しちゃうような人がでているわけです。表にでてくるのもそれほど珍しくない印象がありますから、実際にそういう事が起こっているのは日常茶飯事になっているのじゃないでしょうかね。


ある程度年配の人と話をしていると皆、


「介護されるようには絶対になりたくない。」


といっているんですが、やっている事は全部逆だったりします。
つまり1分1秒でも長生きしようとしているのです。世間で健康のためにいいと言われている事は私らみると要介護一直線だと感じるものが多いですね。そんな人には、


「元気に生きてぽっくり死にたかったら、無駄に生きてないで早く死ね!」


と話していますね。



なお、3月1日木曜は休みにしました。
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土俵を肴に考えてみる

20年ぐらい前にちらっと読んだだけの記事なのに、いまでも鮮明に記憶に残っているものがります。経済がらみのデータを発表する冊子の隅に掲載されていたコラムなのですが、妙に感銘を受けていまでも印象に残っているようです。

それはなにかというと相撲の土俵の話です。
土俵が一段高くなっている理由はなにかというと、実は怪我を防ぐためなのだそうです。私はそれまで相撲ってのは神前でとるみたいなもので、神棚というような意味があるのかなぁと漠然に思っていたのです。土俵の上には、派手な櫓もありますしね。


土俵は、周囲より高くなっていて、その上で相手を倒したり、土俵の上から落とすわけです。
落ちたら危ないし怪我の原因になるのではないかと思われるのですが、高くすることで怪我をする事がほとんどなくなってしまったのだとか。当時は、『へぇ!』とぐらいにしか思ってなかったのですが今から思うと案外理にかなっているのだろうなぁと。


土俵が高くなっている理由のう1つは踏ん張りすぎないようにするということでしょう。
交通事故なんかに多いのですが、骨が折れていればこんなに大変なことになってなかっただろうと思えるものが少なくありません。骨が折れることで力がそちらに逃げてくれますし、きれいに折れた骨はすぐに繋がってなんの後遺症も残りません。

つまずいてコケてとか、足首をひねったとかでも同じで骨が折れていれればキレイに治るからいいんですよ。これが、靭帯が伸びたとか傷ついたとかいうことになってしまえば、その後一生足をひきずって歩かなければいけなくなったりするわけです。このことを踏まえて考えると、平地に土俵があると無理に踏ん張るということが起こりやすいだろうと思えます。

このことは、逆を考えればわかりやすいですかね。
高いところで相撲をとっていると、死に体、つまり完全に負けの体制になっているのに無理に踏ん張って落ちると受け身がとれません。そうなると、命に関わるような怪我をしてしまうことがあるだろうと推測できます。

高いところからだとキレイに落ちなければ危ないのです。
ですから、死に体になったときに変な体の残し方をせずに諦めて安全に落ちるということが自然とできるのではないかと。


で、この考え方、普段の体調管理にも活かせる考え方だったりします。
風邪をちゃんとひいておけば体がすぐにリフレッシュするのです。それなのに予防したり、半端なところで止めるからおかしなことになってるわけです。骨おっておけばすぐにくっついて後遺症など何もないように、風邪もしっかりひいておけば後々変な病気になることもなくなるんですけどね。
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信用していい専門家の見つけ方

「なるほど、やっぱり突発性難聴と言われる人はこうなってるんだな。」


と思われる人がやってこられました。
ほぼ予想通りでしたが、思っていた以上に体の状態が悪くならないとこうはならないだろうと思えました。ついでにいうと、やはり突発でもなんでもないなぁと、体の状態をある程度観察ができれば原因不明にもならんだろうなぁと思えました。私からするとこれほどわかりやすい異常というのも他にないだろう、これがわからんといっていると人はいったい何をみているんだろうといいたくなってしまいます。


で、その内容を大きな声で叫びたいという気持ちもあるのです。
たぶん、もうちょっと突き詰めることができれば、突発性難聴なぞになるような人もなくなるでしょうし、仮に一時的に耳がきこえなくなっても多くの人が聴力を戻すこともできるのではないかと思われます。

しかし、困った事が1つあります。


「突発性難聴というのは体にこういうことが起こっているのでこうやってやれば耳はまた聞こえるようになりますよ。」

というような事をここで書くのはちょっとはばかられるわけです。
なぜかというと、日本の法を私が解釈すると、医者を上回る知識や技術を持つことは犯罪にになってしまうんですよね。まぁ、もしかしたら犯罪にはならないかもしれなけれどこういうところにうんちくを書くことが社会秩序を守る上でのルール違反になってしまったりするわけです。


確かに、いい加減な事を好き放題に書いている人もいたりするわけで、そういう事が原因で事故がおこったりするかもしれないですし、実際に起こっているわけですけどね。ただ、ルールを作ればすべて解決するというやり方には問題があるだろうなぁと。私である程度気がつけるような事なわけですから、もっと深く、詳しく理解している人などいくらでもいると思うのですけどね。


実際、今回来られた方も中国地方からこられたわけで、わざわざ私のところにまでこなくても近所で探せば私より経験も知識も上の人はいるはずなんですけどね。


やってきた当人は、


「私は自律神経の働きがおかしくなって耳が聴こえないんです。」


と、いうわけです。
こうなると私は決まって、


「それはいったい誰の判断なんですか?」


と聞きます。
すると、たいていは相談した専門家にそう言われてきています。


1つ知っておくといい事は、自律神経の働きを通して人の体を観ている人は、


「自律神経の働きが悪いことが不調の原因です。」


という表現は絶対に使わないということです。
誤っている表現だということが、自律神経の働きとは何かということをちょっとでも理解していればわかるからです。まぁ、私はちょっと性根がひねくれているので、この人の相手をするのは時間の無駄だろうと思ったときにいい加減にあいづちをうつのに使うときがありますけどね。


残念なことに、専門家というのは、自分にはわからない、治せないという時に、


「自律神経の働きが悪いのが原因です。」


といって、逃げる事が多いのですよ。


ですから、


「自律神経の働きが悪いことが原因です。」


なんていう一見もっともらしいけど、なんの中身のない説明をする専門家に会うことがあったら、少なくともその人は自律神経についてなんの理解のないままに自律神経について語っていると考えてもらっていいと思えますね。
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耳鳴りの止まる人と止まらない人の差

「私は耳鳴りがなっているかどうかの判定というのはできないなぁ。」


突然だけどそんなことに気が付きました。
こういうことが体に起こっていたら耳鳴りがなることがあるというのをおおまかに把握しているだけなのだから、どういう音がどれぐらいの大きさで鳴っているかいるかなんてのはあまり考えたことがないからなのでしょう。


まぁ、そんなわけだから、


「じーっという低い音がずっとなっているんですが、そういうのも実績がありますか?」


とか聞いてくる人には、


「音の質とかどうでもいいんで来る気がないなら他あたってください。」


なんていう雑な返事しかしてないわけですけどね。

まぁ、そういうことが気になるのはわからんことはないですがね。
耳鳴りについて大きな勘違いをしているからそういう質問をしてくるわけです。もう私とは明らかに別の道理としくみでしか考えられなくなってるのをいちいち電話で、


「あなたは間違えてますよ。」


なんて伝えても理解ができないわけです。


最近では、めんどくさくなってきてしまったのでしょう。
私のスタンスは、


「1回来い、そうしたらどうやったら止まるかちゃんと教えてやる。」


というものになってしまいました。
ただ、こんなつまらない話をしなくてもちゃんとわかる人はいるんですよ。

最近の人でいうと、三重県からきている人がいました。
割合ちゃんとした専門家に相談したのですけど、どうにもならなかったようでわざわざやってこられたようです。私はぱっと見でたぶん大丈夫だろうと思って鷹揚にやってましたが、本人とそのご家族は結構悲壮な気分でこられていたようです。

先週だったからこられたんですが、


「もうずいぶんよくなったように思います。」


と言ってまして、私が見ても体もこれならいいんじゃないかと思えたので、もうこなくていいように2~3アドバイスをしてそれじゃあさようならという具合になりました。

今から思うとこの方はとても素直でした。
私が言う事をきちんと守ろうとしていましたね。当然ですが、よくなるまでには山あり谷ありの物語があるわけなんですが、こられはじめて3ヶ月ぐらいで済みましたし、こられた回数も10数回程度じゃなかったですかね。

色んな人をみていて思うのは、よくなるかどうかの違いは実はこんなところにあるんだろうなぁと思ったわけです。

振り返って考えると、


「そちらで本当によくなるんですか?」


なんて聞いて来る人で良くなった人って一人もいないかもしれません。今度からこんな電話をかけてくる人がいたら、


「忙しいから邪魔すんな。」


と返事して電話を叩ききってやりましょうかね。
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辛いものは体によいのかという話

例によって何の気なしにネットを眺めていると、


「辛いものを食べた時の辛さは痛覚として認識され、脳はその刺激に耐えるために多幸感を感じる脳内麻薬のエンドルフィンを分泌する。辛いものが好きな人は辛さで自分の内臓を痛めて脳内麻薬でハイになっている。」


というような記述を見つけました。

これをみて確かにそれはそうだよなぁと思いました。
で、これについてちょっとだけ考えを掘り下げようと思って検索をかけてみると、


「辛いものを食べ過ぎると馬鹿になる。」
「味覚が鈍くなる。」


という具合に辛いものを食べていると体を壊すみたいな論調が予想以上に多いようです。

ただ、正直いって、見ている限りでは掘り下げが甘いなぁと。
まず、辛いものというものがどういうものかという話ですけど、私の味覚で考えると、マクドナルドやコンビニの食べ物は辛すぎてあまりおいしくありません。たまに疲れて味覚がボケているときに、こういう辛い味付けでないと味がわからなくなっているときがあるので、そういう時に選んで食べることがあるという具合です。

だから、


「ジャンクフードを好む人は、内臓を痛めるのと引き換えに脳内麻薬を分泌してい・・・。」


という論調であれば、たぶんそうだろうなぁと思うのだけど、辛いものをすべて駄目にしてしまうというのはおそらく間違いであろうなぁと思います。

ついでにいっておくと、辛さというのもいろいろあって旨味のある辛さと、単に辛いだけの食べ物とでは全然違うのですよ。キムチなんかがいい例でしょうけど、辛いだけのキムチと、辛いのだけど旨味があって箸が止まらないものと明らかに差があります。


スナック菓子でカラムーチョなんてのがありますがこれは辛いだけでちっとも美味しいと感じません。
本当に辛いものが好きな人は、カラムーチョなんて食ってもうまいなんて思わないはずですけどね。

気の向くままに書いていたら、いきなり結論がでてきてしまいました。
辛いものを食べて喜んでいる人は脳内麻薬が云々というのはおそらく間違いで、カラムーチョ食べて喜んでいるような人が駄目なのでしょう。そういう人は、内臓を痛めて脳内麻薬を分泌することで幸せを感じるようになって辞められなくなってしまった人という事がいえるかもしれませんね。まぁ、起こっている事は麻薬と同じなので、こうなってしまうと味覚の感覚を元に戻すのは結構苦労するかもしれませんね。


カラムーチョなどまずくて食えるかという真の辛党はどういう人か考えてみましょう。
著名人で真っ先に思い出すのは武豊だったりしますね。とんねるずの番組に出演しているときに異様なほどの辛党であるという事をいっていました。現在は、怪我のせいで全盛期ほどの成績は残せていませんが、間違いなく日本一の騎手であり、世界にでてもまったく遜色のない騎乗技術をもった人です。そういう身体能力をもった人は当然味覚も一流に近いものを持っていると考えてよいでしょう。

このあたりツッコミがはいりそうな気もするので、蛇足ながら念押ししておくと高い身体感覚を持つということは高い五感を持つということでもあります。体は動くけど味覚が馬鹿になっているなんていうことはありえません。例外でいうなら、プロレスラーなんかだと洗練された動きなんかまったく不要というか、洗練された動きをしていると迫力がなくなるわけで、最近でいうと相撲取りとか柔道家なんてのもちょっと怪しくなってきてるなぁと思ったりしますね。


で、辛いものを好む人は汗をかくのが苦手であると考えていいでしょう。
代謝をおこして老廃物を体の外に出しにくいという傾向があります。四川料理とか辛いといわれますが、そういう地域は多湿なせいでよい汗をかきにくいという傾向があるはずですね。香辛料を多量に使うインドあたりなんかも多分そんな感じなんじゃないかなぁと思いますけどね。韓国あたりじゃ湿度が低いらしいけど、そのせいで漬物を作りやすい風土があるとか聞いたことがありますね。それをどうして辛くしたのかは、ぱっと思いつきませんが、いずれにせよよい汗をかきにくい地域であるという事はいえると思いますけどね。なお、よい汗がどういうものかということについては書き出すときりがなくなってくるのでここでは省いておきますね。


で、本来、味覚とか好みというのは環境だったり体質に影響を受けて生まれるものなのです。
そういうものを無視して何人かの人に辛いものを食わせて内臓の状態と脳内ホルモンの分泌具合を調べて、



「こんなんでましたけど~。」



なんて言われても全く中身がないと思いますね。
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