ブログ「日々整体」

まずは元気になりましょう

先日、片耳がほとんど聞こえなくなったという人がこられました。 
それで、医者にかよっていて様々な治療を試したそうです。でも、医療においてはもうやれることがないという事を言われたのだとか。 

それで困って私の所へこられたとのことでした。
医者で行った治療や何を言われたかなんかを一生懸命に言ってこられます。でも、話を聞いていて、根本的なところで間違えているというのを思うわけです。 

どういう事かというと、医者は難聴になる体というものがどういう状態なのかを一切考えていません。 
だから、彼らが治療として行っている事は、 

「なんかよくわからんけど、こういう薬物を体にいれたら難聴が回復することがある。」 

という事でしかありません。 

難聴の原因というのは一言でいうと頸椎の狂いです。
でも、この頸椎の狂いで人はすぐさま死んだりはしません。医者はこういう具合に死に直結しない問題を、

「心の問題です。」

いって、深く考えないで切ってすててしまうことがおおいですね。

頸椎に狂いが生じた時には、めまい、難聴、膠原病などの自己免疫疾患、生理不順、腰痛、肩こり、頭痛、膝痛などなどありとあらゆる事が体に起こります。頸椎が狂うと一言でいってもその狂い方でいろんな事が体に起こるのです。 

それでこの方の場合についてです。 
頸椎が狂って耳が聞こえなくなっているわけですけど、他にもいろいろ不都合が起こっていました。そのいろいろな不都合について1つ1つ対処が必要かというとそんな事はありません。原因は、頸椎の狂いなわけですから、頸椎がしっかりすればすべて解決してしまうでしょう。 

私ならこのように考えて整体をするわけです。 
でも、お医者さんって縄張りを決めて、その縄張りをお互いに荒らさないように医療行為を行っています。難聴でいえば頸椎の狂いを正せば解消するはずですけど、頸椎が狂ったまま難聴を解消しようとするから無理がでてきます。結果、一時的に聞こえるようになったけどまた聞こえなくなるとか、耳は聞こえるようになったけど膝や腰が痛むとか、結局、音さえ聞こえればいいという考え方でしか治療がおこなわれませんから体の問題はなにも解消していないという事になります。 

よくあるのは、 

「耳は聞こえるようにしたから、膝が痛むのは他の科へ行け。」 

なんて言われるわけですけど、これはおかしいのだという事です。 

私はいつも、 

「まずは元気になりましょう。元気になれば今抱えている体の問題はすべて解消するはずだから。」 

とお話ししています。 
体の異常がいくつもあるというのは普通というか99%ありません。おかしいのは1箇所だけで、それさえ正されれば全ての問題が解消されるのです。
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聴力検査の可能性と聴力の話

先日、魚がどのような音に反応するかを観察する映像をみました。
釣りなんかやっていると魚を音で誘うなんていう謳い文句の釣り具がたくさんあるので、魚は音に敏感なのかと思っていました。ところが、大半の音にたいして魚は無反応で、特定の特殊な音に対してだけ逃げ去ってしまう行動をとりました。魚の場合、音として認識しているのか、水中の振動として認識しているのか、わかりませんが、聞く必要のある音だけ聞いているいう事がいえるのではないでしょうか。

聴力というのはなかなか不思議な能力です。
なぜなら、音が鳴っていれば聞こえるというほど単純ではないからです。私の身近には名前を呼んでもなかなか反応しない人間がいます。何回呼んでも返事がないので、

「(名前)のあほー!」

と声をかけてはじめて返事が返ってきます。
これは1回や2回でどうこうではなく日常茶飯事な事で、周囲の人間に、

「あほって言ったら聞こえるで。」

と予告してからやってもその通りになります。

この人がずいぶん残念なのは明白です。
耳が自分に対する誹謗中傷や悪口だけを拾っているからです。こうなる理由は、ずっと他人の評価を気にしながら生活をしているからでしょう。

こういう一面は私にもないわけではありません。
ただ、私の場合は評価されたいという気持ちの方が強いでしょうか。だから、私が考え事をしている時に声をかけても聞こえていないようで返事がない場合は、


「天才整体師舟木っ!」


と、声をかければ聞こえるはずです。


まぁ、私の場合は、評価されたいという気持ちはそれほど強いものではなく、


「自分が納得できる仕事をしたい。」


という気持ちが一番強いと思われます。ですから、私の耳は音を聴く能力はあまり高くありません。


簡単にいうなら人間の聴力は聞きたい音だけを聞くという性質をもっているわけです。
都合の悪いことは聞こえないふりをする人なんかがたまにいますが、本当に聞こえていないと思う方が無難でしょう。なんでもかんでも自分に都合よく解釈するのも、本当に都合のよいところしか聞こえていないわけです。

補聴器なんかを使うとなんでもかんでも増幅してしまうのが辛いそうですね。
かなり性能がよくなったなんていわれているようですけど、聞き取りたいであろうと思われる音だけを大きくしているだけでしょうか。言われたくない、聞きたくない言葉をシャットアウトするような性能はないでしょうから、補聴器を使いながら生活するというのはかなり苦痛であろうと思われます。


さて、耳鼻科でやる聴力検査に意味があるでしょうか?
私はずっと、

「低い音が聞こえにくくなっています。」

というセリフを言うためだけの検査だと考えていました。
ところが、改めて考えてみるとこの検査が画期的なものであることがわかります。
何しろ、低音が聞こえない場合は、


「となりに住んでいて毎日顔をあわせるおっさんがすごい嫌な奴で、しかも低音ボイスである。」


という事がわかるからです。
聞きたい言葉はよく聴けるようになるということは、当然、その逆も起こります。聞きたくない言葉は聞こえないようになってゆくのは当然の事です。

聴力の検査では、どのような言葉なら、どのような波長なら、どのような大きさならよく聞こえるのかをもっと詳しく調べるべきでしょう。その結果を解析することによって、その人の周囲にどのような人がいてどのような影響を受けているのかを把握できるようになるはずです。


なお、聴力は、頭骨の状態に影響される能力です。
頚椎4番、あと7番が影響することもあります。胸椎でいうと、胸椎2,10番、腰椎だと3番、あと実は膝の状態が大きく影響します。2019年には気づきがいくつかあったのですが、膝の状態がどのように聴力に影響するかについては、その中でももっとも大きな事柄かもしれません。この事がわかると人間の体の見え方ががらりと変わってしまいました。

このことについては、四面楚歌の方に書いてあります。
28日、午前あたりまで会員登録のみで読めるように公開しておきますので、興味がわいたかた方は読んでもらうといいでしょう。



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何を考えいるかは結構重要だという話

「こんなに痛いのはもう嫌です。」


先日、整体にこられた人がこんなことを言い出しました。
人間の体というのはよくできたもので、そんなことを考えていると本当にそういう風に体は変わってゆきます。

痛みというのは、怪我だったり病気だったりを解消する、つまり治るという働きがでているときに感じるものです。
だから、痛いのが嫌だとかいっていると治らなかったり、治りが悪くなります。怪我をしたときに傷跡が残ったりするのは、そういう考えがあったり、痛みをなんらかの方法で和らげているときですね。

たとえば、大半の腰痛なんてのは1~2週間も我慢していればそれで終わるんです。
ところが、痛いのが嫌だからちょっとでも早く痛みがなくなって欲しいと湿布なんて貼っていると、死ぬまで痛みが消えないなんてことになるわけです。


不必要に痛みを感じ続ける必要はありませんが痛みというのは必要なものです。
さて、痛いのは嫌だと本気で考えていると、体が元気になろうという働きが止まってしまいます。プロボクサーが意思の力で出血を止めているのをマンガなんかでみかけたりしますが、これは本当にできることだったりします。人間の意思とか思考というものにはそれぐらいの力が実際にあるわけです。
ただ、痛みを消すというのは痛みを感じないように体を変化させるということです。
この点についてはよく考えてみる必要があるんじゃないですかね。少しの期間、過ごし方を工夫すれば、それでおしまいなものを死ぬまでの何十年も抱えることになったりするわけですから。



ついでにいうと、


「熱がでるのは嫌だ。」


なんていうのも同じですね。
熱、くしゃみ、せきがでるのは、主に肺や腎臓の動きをリフレッシュしようとしたときですね。リフレシュッシュがおこらない体で何年も生活していればおかしくなるのはあたりまえで、そういう人がいきつく先は、最近はメニエール、めまい、耳鳴りだっりしますね。


本当は、たまに38~9度ぐらいの熱をだして何日か寝込むぐらいでちょうどいいんですよ。


「風邪ぐらいで死ぬなら諦めて死んだ方が幸せですよ。」


なんて話を最近ではほぼ全員にしているんじゃないですかね。
耳鳴りやめまいが辛くて死んでしまいたいとか考える人が実際にいるわけで、笑えない冗談といいきれなくなってきています。




さらに似た話で、


「こんなに辛いのは嫌だ。」


とか考えていると、辛いという気持ちが本当に起こらないような体に変わってゆきます。
辛いというのは心の中のものだと考えている人が多いのですが、感情というのは内臓の状態が反映しておこるものですね。

胸がぎゅっと苦しくなるのは本当に胸にそういう変化がおこっているわけですから



ちょっと乱暴な説明ですが、辛いという気持ちを感じないようになろうと思うなら、心臓の動きを弱めればいいですかね。脈の動きが弱くなれば喜怒哀楽が薄くなってゆきます。で、実際そんな事になっている人は珍しくなかったりします。だから、


「こんなに辛いのは嫌だ。」


なんてずっと思っているのは結構具合が悪いわけです。
私が見ている印象だと、家族に虐待とかそれに近い接し方をされている人がそんな事になっていますかね。

ただ、こういうのも何人かみてくると、


「仕事のストレスが辛くてそれで体がおかしいのです。」


なんていっている人が本当にそうなのかもある程度わかるわけですよ。


「嘘をつけ、まじめに仕事をするのが嫌ならとっとと辞めてしまえ。」


仕事を理由にあげる人はたいてい、こんなことをいいたくなりますね。
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耳鳴りと難聴とメニエールと

「耳鳴りと難聴とメニエールっていうのは一括りにしてもいいかもなぁ。」


そんなことを考え始めています。
もちろんケースバイケースではあるのです。特にメニエールなんかは、原理がわからないまま本人が訴える症状だけで判断しているのが実情のようです。ですから、


「メニエールなんです。」


なんて本人がいっていても、起こっていることが人によって全然違うということになりがちです。

まぁ、私からみた場合、メニエールだろうが、そうでなかろうが、回転性だろうが、平行性だろうが、というのは実はかなりどうでもいいことだったりはするのですけどね。

ただ、どうやら世間でメニエールと言われているものは、体に何が起こっているのを表しているのかが、たぶんだいぶわかってきました。で、整体の知識や経験があれば、ある程度はわかるのでしょうけど、そういうのがないお医者さんなんかではまったくわからんだろうなぁというのもわかるわけです。

そうであればめまいがしていればメニエールだとか、回転性だからメニエールじゃないとかそうだとか、相談しにいった先にどんな人がいるかでメニエールに対する解釈が全然違うというのも仕方のない事かなぁと思ったりもします。

ついでにいうと、前にもちょっと書いたことがあったと思いますが、メニエールについては詳しい人になればなるほど、はっきりと、


「よくわかっていないんです。」


と、教えてくれ、浅い理解しかない人ほど熱心にあれこれ説明してくれるという傾向があるので注意が必要ですね。これは私のところに相談にこられた人に話を聞いていると強く感じることですので知っておくといいかもしれません。


で、話の本題はここからです。
メニエールというものがどういうものかという理解がすすむと、メニエール、耳鳴り、突発性難聴は分けて考える必要がないケースが案外多いですね。起こっていることが全然違うのに分けて考える必要がないというとピンとこないかもしれませんけどね。

なかなかうまく例えるのが難しいのですが、地震が起こったとします。
その地震の影響がどのように及ぶかと考えてみましょう。山手の高いところだと土砂崩れが起こり、海の近くに住んでいる人だと津波にがやってきて、都会に住んでいる人だと水道がとまって脱水症状を起こしたりという具合に、住んでいる周辺の環境によって起こる問題が違ったりするわけです。その場の対処であればショベルカーひっぱってきて土をどけたり、水浸しになった家具を片付けたり、トラックで飲料水を運んでくればいいわけですが地震がまたおこれば同じことをまたやらなくてはいけません。

で、メニエールというとなにかというとずっと地震がおさまらないみたいな状態だと考えると案外わかりやすいなぁと。体質とか生活習慣の影響で起こる問題がちょっと違うというような事ですね。


もちろんすべてがそうだというわけではないんですけどね。
なんでもかんでもそれっぽいのは全部メニエールにしちゃっている傾向があるのでなかなか説明に苦労するわけです。


つまり、一部の耳鳴りや難聴、特に突発性難聴なんていわれるやつはその傾向が強いのですが、メニエールとほぼ同じで地震が起こっているだけだということがあったりします。


ただ、やっかいなことが1つあります。
それはなにかというと、地震というのがなにかということに私がうまく説明ができないでいるんですよね。私自身は感覚的にこういうもんだというイメージは固まってはきているんですけどね。そのまま言葉に置き換えると一般の人には理解ができないのですから、まぁ、ちょっと厄介なわけです。こんな感じで、こうすりゃ地震はとまるんだよっていうことは概ね大丈夫そうなんですけどね。

まぁ、そうはいってもさしあたってめまい、耳鳴りなんかで困っている人が、こういう理屈を理解する必要はなかったりしますんで困っているのでしたら相談してもらえるといいのじゃないかと。

なお、7月には品川までいきます。
あと3名まで枠はあいていますので、困っているということでしたら早めに申し込んでください。


日時:7月8日(日) 11:00~17:00
場所:東京都 品川区 小山4-13-11 向後ビル 1F
   Tempslie(タンリエ)

必要な用意:ハンドタオル、靴下
      ※平易、ラフな服装でいらしてください。
時間:45分程度
費用:1万円

受付可能な人数は7名までです。(あと3名)
申し込みは電話にて予約してください
  TEL 075-954-0036
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話を聞いても時間の無駄だろうという話

よくする説明ですが転んで膝を擦りむいて血がでてきたとします。
この時、その傷からは痛みを感じるが正常で痛みを感じていないというのはおかしいのです。

耳なりだったり、難聴だったりと、めまいだったりと、やっかいなことが起こっている人はほぼ間違いなくこういうことが起こっています。血がでているのに痛くないというようなことになってるわけです。何が起こっているかというと、体の感覚が鈍くなったり、なくなってしまったりしているわけです。


余談ですけど、電話であれこれ訴えてくる人がいるのですけどそういう具合に身体感覚がまともじゃないで、そんな人の話をいくら丁寧に聞いても時間の無駄なんですよね。


そういうことが起こる理由は簡単です。
痛みがなくなることが治るということだと考えてしまうことですね。
体になんらかの問題があって痛みなり不快感なりを感じていたのに、それを感じないようにして元気になった気でいるわけです。


こういう人は決まっていうわけです。


「耳なりさえ止まればいい。」
「めまいさえなくなれば元気に暮らせる。」
「耳が聞こえない辛い状態から抜け出したい。」


実は、耳なりがなっているのも、めまいがするのも、耳がきこえないのも、ケガをして血がでてれば痛いのと同じで正常な状態なんですよ。ちゃんと理由があってそうなっているのですけどね。ふと思いましたが、この考えに到達できないでいると、そのうち、脳とか神経に針でも刺してどうにかしようとしはじめるかもしれませんね。

ついでにいうと、そういうもの関心が向いてしまうような人には何をいっても、何をしても無駄だろうなぁと思いますね。


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