ブログ「日々整体」

耳鳴りが半年で解消した事例(有料記事)

非常に原因がわかりやすくてスムーズに終わることができた事例です。
私が電話なんかで質問されてもまともにとりあわない事が多いのは、この事例のように本人の自覚だったり、記憶だったり、考えだったり、他の専門家の判断がほぼ間違いなくあてにならないからだったりもします。見れば一発でわかることを何も見せないでわかれと言われても困るわけです。


耳鳴りで困っている方でしたら、参考になる内容かもしれません。





興味がわくようでしたら、登録してみてください。
関連カテゴリー< 耳鳴り(耳なり)

耳鳴りの原因(有料記事)

こちらの内容は、テストの回答としては50~60点ぐらいであろうと考えています。
耳鳴りに関してはかなり正解に近い答えを見つけていると考えています。つかみかねているところがあるのも確かですが、こちらを読んでもらえばさしあたって耳鳴りが辛いのですという人には少し希望がみえてくるのじゃないでしょうか。


聴力を低下させたり破壊する方法で音をやわらげる方法をよくみかけますが、私はそれはナンセンスだと考えています。耳鳴りのせいで暗澹たる気分で過ごしている方には読んでいただけるとそれなりに希望がみえてくるのではないかと思います。
関連カテゴリー< 四面楚歌耳鳴り(耳なり)

客観的に自分をみた話

ある日、


「耳鼻科にいって、ほっておくと耳が聴こえなくなるから、薬をちゃんと飲むように。」


なんていわれたそうですが、


「医者がいまいち信用できないし、薬も嫌だから飲んでない。」


なんていう人がやってきました。
いわゆる突発性難聴というやつで、耳鳴りもかなりきつめに鳴っているようです。


平たく言うと非常に私の考えに近い方といえるのです。
しかし、実際にそういう人が目の前に現れた時に、私は、


ドン引き


しました。
それで、


「私に接した人は私にこういう印象を持つわけか・・・。」


と、いうことに気が付かされたわけです。

似たもの同士は反発するといいますからそのせいかもしれません。
ただ、ちょっと掘り下げて話を聞いてみたら、それなりに筋の通った考えをもっておられる方でした。だから、むやみに医療に対して不信感をもっているというわけではありませんでした。

医療に対する考え方は人それぞれでいいのじゃないでしょうか?
ところが、今は、医療に対して120%信頼して自分と自分の家族の体を全て託さなければならないみたいな風潮があったりします。

例えば、


「子供が熱をだしたときにどうするか?」


というケースです。
病院に連れて行かないのは虐待だとか言われるケースが増えてきているように感じています。病院は全知でも万能でもないのですし、ついさっきこられた方なんかは、


「風邪なんか長くても2日寝ていれば治る。」


と言っていました。
薬で強引に症状を抑え込むのをよしとせず、本人の体の治癒力で治すのがいいなんて考える親がいたって別にいいと思うのです。ところが、それを許さない人がかなりいたりします。

起立性調節障害なんかは医療のやり方が原因で起こっているケースがあります。
ほかでは、ニュースになっていましたが、ネプチューンの名倉潤さんはお医者さんの言うとおりにしたら仕事ができなくなりました。これ、私は同様の事例をいくつもみていますのでどういうことが起こっているかは四面楚歌の方に書いておきました。さっき述べたとおり医療が全知でも万能でもないという例はいくらでも転がっているわけです。


それで、ドン引きしてしまった理由ですが、盲目的に医者に身も心もすべてを投げ出さなくてはいけないというのと逆に、


「医療はまったく信ずるに足りない。」


と言ってるように最初は感じてしまったのだろうと思えます。


「極端な物言いは相手をドン引きさせるのだなぁ。」


と、ちょっとだけ我が身を振り返って反省してみようと思いました。
関連カテゴリー< ブログ突発性難聴耳鳴り(耳なり)

それは前世の因縁が原因です

どの本だったか忘れましたが、整体という技術の創始者である野口晴哉氏の著書に息子さんが大腿骨を折ってしまった時の逸話があります。ぶらんこに乗って遊んでいたら転落してその際にへし折れてしまったそうです。

いわゆる完全骨折という奴だったと思われます。
大腿骨は人間の骨で一番堅いと言われている骨でそれが完全にへし折れてしまうなんてのは他で聞いたことがありません。しいてあげるならいうならゴミ収集車のプレスに挟まれたとか、そういう事故の話を聞いたことはありますがそれぐらいの出来事がなければ起こることはまずない怪我といえるでしょう。

私の感覚からすると大腿骨が折れてしまうと、生きる力を失ってそのまま亡くなってしまう事もありそうな気がします。そして、もし安静な体勢を保って骨が繋がっても、元通りに歩けるようになることもほぼないのじゃないでしょうか。骨は折れてもまた繋がってさえいればいいというほど単純ではありません。

そういえば以前に、スキーで足の骨を折った後、食品アレルギーで頻繁に寝込むようになったなんていう人が整体にこられていました。
骨の故障が元になってアレルギーを起こすなんてのは理解できない人の方がおおいのじゃないでしょうかね。よく勉強して頭のいい人ほど、関係なんかあるはずがないというかもしれません。でも、骨というのが体を支えるためのものではなく、もっと他の役割の方が大きいはずなんですけどね。そういうことがわかっていれば、生まれついてのアレルギーなんてのは発育にちょっと問題があるだけというケースがほとんどだと思われます。


さらに余談が続きます。
当時だとこのあたりの関連についての理解が浅かったです。しかし、この方のアレルギーの事も今ならわかるかもしれないと、ここのところずっと考えていました。実は、この記事のテーマもそうなのですが、わからなかった事がわかるようになるというのは、たいていある日突然です。皆目見当がつかない、手の施しようのなかったものが、ある日突然にどうにかできるようになったりします。日頃の行いのよい人なんかだとそういうタイミングで私のところへやってきて、ささっと解決して、ささっといなくなったりしますね。


話を戻します。

野口晴哉氏の骨折の手当は独特でした。
骨がおれた場合、曲がってくっつくといけないからギブスで固定するというのが常識的な感覚でしょう。しかし、野口氏はガチガチに固定せず太ももに新聞紙を巻いたそうです。当然ですが、新聞紙には固定する力はありませんから、ぷらんぷらんの足の状態です。

「人間の体には、骨をまっすぐにつなげようとする力がある。」

という考えだそうです。
骨自身、骨の周囲の筋肉やその他の細胞などすべてが足をまっすぐに伸ばそうという働きをするからギブスがあるとそれを邪魔してしまうということのようです。他の部位の骨でしたら多少は曲がってくっついても誤魔化しはきくのでしょうけど、大腿骨ですとそういう訳にはいきません。大腿骨がうまく機能しなければ走るどころか、歩くことすらままなりません。もし、多少は歩けてもすぐに足が痛くなって動けなくなるというような状態では、骨がきっちりくっついて治ったとは言えません。

そういえばちょうど私がいま見ている人に、腕の骨折が原因でパニックを起こしている人と、同じく腕の骨折が原因で耳なりで困っている人がいますね。一人は10年以上前、もうひとりは30年以上前の怪我です。こういうのは骨の状態がきちんとみれる人でなければどうしたらいいのか検討もつかないでしょう。

さらに付け加えて、


「どうしても辛くてどうしたらいいのかわからなくて前世を見てもらったことがあります。」


なんて人が最近来られました。
別に、そういう事を吹聴しているわけでなく、あまりに辛かったからでしょう。かなりがっついて原因を教えてくれといってくるので、


「前世でなんか悪いことしたみたいですね。」


と冗談で言ったら、冗談になっていなかったという話です。
まぁ、この方はまた全然違うことが原因だったみたいで、まだはっきりとは言えないけど多分体のここにこういう問題があるからですよと伝えたところちょっと安心したようです。


話を戻します。


他の本で見たと思うのですが、雪山で遭難して骨折したけど、その骨折した足で自力で山を下りてきたなんていう人の体の状態を観察した事があるようです。

「折れていても歩けるじゃないか。」

と、そういうことが事実として起こったわけです。
私自身でもそんな話は2~3聞いたことがありますから、雪山を歩いておりるぐらいであれば骨は折れていても大丈夫らしいというのは間違いないわけです。そこから端を発して骨、骨折というものについて考えを深めていくと、こういう結論というか発想にたどり着くのではないでしょうかね。

もちろん、折れた足を新聞紙でくるんでおわりではありません。


「もし、うまく繋がらなかったらは僕は整体を辞めるよ。」


そういって目に手当てをしはじめたそうです。
先ほど述べた骨をまっすぐにくっつけようという働きを高めるために、目に意識と力を集めたわけです。


「どうして目なんだ?」


この記述をみたのは5年前だったか、10年前だったか忘れました。ただ、目に意識と力を集めることで折れた大腿骨がまっすぐにくっつくなんていう理屈が私の想像や理解の完全な外にあります。それで、


「いつかわかる時が来るのだろうか・・・?」


死ぬまでたぶん無理だろうなぁなんて思っていたのですけどね。


それがつい先週のことですけど、


「なるほど、そういうことか・・・。」


と突然、気がつくことができました。
確かに、目がしっかりしていると太ももの力というか働きがたかまりますね。それは逆もいえて太ももが力を失っていると目がうまく見えなくなってくるはずです。

なんで気がついたかというと、大腿骨の力が抜けている人の体を見ていたからなんですけどね。で、その人が訴えているのは、


「膝が痛くてまともに歩けない。」


という事だったりします。
おそらく読んでいる人は、私がいったい何を伝えようとしているのか全くわからないと思いますけどね。こんなものは現時点での私にはうまく説明なんてできませんから、詳しい説明をするなんて事はもう諦めてしまおうと思います。そのうち、気が向いたらというか、言葉になりそうになってきたらこっそり開始している闇ブログの方へまとめてみようと思います。

それまでは、こういう事は、


「前世の因縁が原因です。」


ということにしておこうと思います。


いい忘れていましたが折れた大腿骨はちゃんとくっついて、数年たった時には、


「どっちの骨を折ったんだっけ?」


と本人でもわかららないぐらいなんの後遺症もなくきれいに繋がったそうです。

日本くよくよ協会の発足を提唱します

「くよくよ考えるのはダメなことだ。」


誰が言い出したか知りませんが、とんでもない勘違いです。
くよくよ考えてしまうのであれば、そうして考えて迷っておけばいいのです。ところが、プラス思考でなければ人間としては認めないみたいな世の中になってきてしまっているせいでしょうかね。くよくよと考えこんでいると人格を否定するような事をいってくる人がかなり増えてきてしまっています。まぁ、確かに周囲にそういう人がいて、心配してもしょうがないような話を延々とされるのは私だって煩わしいですけどね。

ただ、この煩わしいというがポイントです。
煩わしいから聞いてられないだけなのです。で、


「プラス思考で前向きにならなければダメだ。」


なんて言って口封じをしてしまうわけです。


ただ、これは共感できない人に話かけるからそうなるだけだといえます。
ですから、共感してもらえる人にくよくよと話かければすべて解決するはずです。ですから、くよくよと考えこんでしまう人たちが週に1回ぐらい集まって、日々の心配事についてお互いに話あえばみんなが幸せになれるはずなんですけどね。


くよくよするという事はどういうことでしょうか?
辞書を紐解くと、『いつまでも気にかけて思い悩む様子』なんて書いてありました。このいつまでもっていうのはどれぐらいの期間を意味するのでしょうかね?それで思うわけです。


「人間というのはどれぐらいくよくよし続けていられるものでしょうか?」


いつもくよくよしてしまうという人はどれぐらいの時間くよくよできるか試してみるといいのです。
おそらくですが、かなり頑張って1~2日ぐらいじゃないでしょうかね?くよくよするというのは結構エネルギーを消費するもので、そんなに膨大なエネルギーを抱えている人はあまりくよくよはしませんから、すぐにくよくよする力を不足させてしまって、気持ちが切り替わってしまうはずです。つまり、半端にくよくよするから延々とくよくよしてしまっているわけですね。


このエネルギーってのはどういうものかはうまく説明するのがなかなか難しいのです。
整体においてだと気の集まりとか、気の流れとかそういう表現になってしまうのですけどね。ちょっと誤解をさせてしまうでしょうけど、平易な言葉で解説すると、胃に力が集まっているとか、頭に力が集まりすぎているとか、そういう状態のときに人間っていう生き物はくよくよしはじめます。ただ、今の世の中ってこういうものをストレスとかいう言葉で説明しようとするから、耳鳴りとか、めまいとか、不安症とか、そういう体の問題が原因不明みたいな事になってしまうのです。つまり、ストレスなんかとはまったく別物なんです。


単純に、手を握りしめて拳を作ってください。
ぎゅっと握りしめれば手に力が集まっている事はどんな人でも自覚ができることでしょう。また、隣にいる知人、友人に、


「手を強く握ってください。」


と頼んで、その拳の様子を観察してみてください。
ある程度の観察力のある人だったら、手の様子をみているだけで拳に力が集まっていることがわかるでしょう。そして見てわからない人でも、手で拳にふれてみてください。すると、手にどれぐらいの力が集まってどれぐらい固くなっているかを確認することができるはずです。


ところが、これをレントゲンとかMRIで確認しようとしたらどうなりますかね?
私が言う、気の流れとか、気の集まりとか、体のどこにどう力が集まっているかなんてことはわからないんじゃないでしょうか。ちゃんと観察できているようなら私のところへやってきてトンチンカンな事をいう人はもっと少ないはずです。

おそらくある程度経験を積んだ人が見ればわかるはずですけどね。
ただ、撮影する人も、それを確認する人もそういう視点をもっては見てないのであろうと思われます。だから映っているけどそれを認識できていないというのが正確な表現になるのじゃないでしょうか。まぁ、ひと目見てわかるようなことを、わざわざ何億円もするような機械を使って確認しようなんて事をやってりゃ見えるものも見えなくなってしまうのでしょう。



さて、くよくよするというのは頭だったり胃だったりに力が集まったときにするものです。
何のためかと言うと、集まった力を発散するためのものです。だから、ちゃんとくよくよしていれば、発散されてくよくよしなくなるし、たいした量の力が集まるわけではありませんから、そんなに長い間くよくよしていられません。半端にくよくよして、気持ちを切り替えようとするから、うまく力が発散されなくて延々とくよくよしてしまうわけですね。人間、落ちるところまで落ちればあとは這い上がるしかないなんていうのはこういう体の変化を表現している言葉だと思いますけどね。


ついでにいうと、こういうのは頭とか胃に力が集まりやすい体質みたいなものです。
ですからくよくよしないようになりたいなんていうのであれば、1回死んで生まれ変わるしか方法がありません。来世があるとして、生まれ変わっても人間として生まれてくるかなんてのは怪しいし、ミジンコあたりに生まれ変わったら目もあてられませんから諦めてくよくよしておくことですね。


ただ、そうでない体質の人に向けてそういうエネルギーを発散するのはあまり面白くありません。
そこで、私は日本くよくよ協会というものの発足を提唱しています。くよくよしてしまうという、似たもの同士で集まって一緒にくよくよしておけばよいのです。定期的に近所のファミレスあたりに集まって、お互いにくよくよ自慢をしましょう。そして、もっともくよくよしている人を表彰して称えましょう。そうすれば、きっとみんなが幸せになれるのは間違いありません。





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