ブログ「日々整体」

体が弱ると気持ちも弱る

NHKから国民を守る党の党首立花氏が新型コロナウイルスの影響で肺炎になったそうです。それで入院していたのですけど、無事に退院しました。今は党名を『古い政党から国民を守る党』に改名、略称古い党に改名していましたが、更に嵐に変えるとかいっていました。もしかしたらコロナウイルスに頭がやられてしまったのかもしれませんね。 

立花氏が、政治家になった理由はNHKの職員だったころに裏帳簿の作成に関わっていたからだそうです。
正義感からか、それが許せなかった立花氏は、その情報を公開したらNHKを解雇されてしまったそうです。世の中にある不正を正そうとして行動をしたわけですけど、なんの成果もないまま、 

「それを正すためには政治家になるしかない。」 

と、裁判官に指摘されたのだとか。それで政治家になることをかんがえはじめたそうです。 
私は、彼の主張を聞いていると、共感を覚えてしまいます。 

「この人は私にそっくりだな。」 

と思うのです。 
彼の場合はダメだろうと思う相手がNHKという放送局で、私の場合は医療というだけの話だから似てくる部分もあるのかもしれません。 

でも、私は彼と仲良くなろうとかは思いません。 
人としての距離感が短くなれば喧嘩するだけだという事がわかるからです。たぶん、立花氏がもし私に興味を持つこ事があっても同じように思うのじゃないでしょうかね。 

私から見ると、嘘つきのおっさんです。 
政治家という立場がそれをさせるのでしょう、上品な言葉を選んで話をしています。例えば退院時に

「病院の方たちに感謝します。」 


なんて事を言っていました。
私だったら口が腐りそうな気がするので絶対に言わないと思います。
だからでしょうか、基本的な発想に下品さを感じる事が多いです。必要だから、そうしている訳で、目的のために手段を選ばないという事ではあるのでしょう。でも、それを隠してはいないから腹黒さを感じるのでしょうか。まぁ、私より言葉は丸いけど、より辛辣な事を考えている悪党という印象の人です。 

これは他の一般的な人たちからは私も同様に映るという事だろうなぁと。
自分が他人からどう見られているかというのがわかるので、それで注目しているというのもあるかもしれません。

話を戻します。 

立花氏はずいぶん前から、 

「コロナなんてただの風邪だろう。」 

といっていました。 

これは同意見です。 
だいたい風邪の定義だってはっきりとしていないのじゃないですかね。新型コロナウイルスは、重症化率が高いとか、後遺症がどうとかいう話が頻繁に流れています。でも、通常の風邪やインフルエンザと比べてどの程度リスクが高いのか、具体的な数字を見かけた事は1回もありません。私のところには、風邪の治療で無茶苦茶されて、体をおかしくした人が相談にくるケースが結構多いのです。でも、こういうパターンは全くカウントしていないでしょうから、数字なんてだせないでしょうけどね。 
最近だと、 

「変異株は若者も重症化リスクが高い。」 

なんて話が流れていますけど、かなり疑問を感じます。 
例えば、20代のコロナの重症者数は全体の0.0003%ぐらいだったように思いますけど、これが0.0009%に増えた時にリスクが高いといえるのか?確かに、数字は3倍に増えていますけど、こういうのを3倍というのはタダの誇張表現でしょう。平たくいうと、1人が3人に、3人が9人に増えて若者のリスクが高まっているという結論ですからね。 

ただ、 

「私自身が感染して重症化なんてしちゃったらどういう風に考えるだろうか?」 

という点には興味がわいていました。 
もしかしたら、自説を曲げるような事をいいだすかもしれないという不安を感じていたからだろうと思います。そういう不安を感じていた矢先に私と新型コロナウイルスに対する感じ方、考え方が似ている人物が感染してそれなりに重い症状で困っている様子を見て面白いと思いました。 

人間という生き物は、体が弱ると気持ちも弱り、体が元気になると気持ちも大きくなります。 
ところが、体が弱って気持ちも弱っている人に対して世間はとても冷たいのです。 

「あなたは考え方に問題があるから元気になれないのだ。」 

なんて、くじけて膝をつている人の尻を蹴飛ばすような事を平気で言う人があまりにも多いのです。このセリフって弱っている人にはとても残酷だとわかっている人はまずいませんね。
 
体が元気になれば人は物事を前向きに考えるようになるし、積極的に行動を起こすようになります。 
体は弱いけど強い意志をもっているとか、体は強いけど気がとても小さいなんていう人は絶対にいませんね。強いて言うならボディビルダーでやたらと怖がりなんて人がいますけど、そういう人は鍛え方を間違えて心臓とか肺の動きが悪くなっているからそうなる訳で、とてもじゃないですが元気とはいえない状態です。例えば、そういう人にマラソンでもさせればボロがすぐにでるはずです。 

それで、そういう人間という生き物の様子や特徴を、立花氏の変化を見ている事で理解できるのではないかと思いましたので紹介しておきます。YouTubeの動画ですが、入院前と退院後の様子を見比べてみるといいでしょう。たぶん、私の時もこんな風になると思います。

入院前 https://www.youtube.com/watch?v=dM6NPUBZ0wU&t=37s
退院後 https://www.youtube.com/watch?v=6HOVY3zC-TE
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今週、日曜日27日は名古屋駅前です。

日曜日は名古屋で整体を行います。

場所は名駅から徒歩2分程度です。


7月から場所がかわりますが、6月中は名古屋駅前ですので間違えないようご注意ください。
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資産運用とダイエットの関係

最近、晩年の過ごし方について考え始めています。 
私の考える晩年の過ごし方には、 

・悠々自適な生活 
・死ぬ直前まで仕事をしている 

という2パターンがあります。 

ただ、書き出してみてはじめて気が付きました。 
ぼんやり考えていたのですけど、この2パターンの両立は可能ですね。考えをまとめるときには、紙に書いてみるという作業はとても大切な事なのでしょう。そういう作業なしでの柔軟な思考、頭の中だけで考えるという行為はなかなか難しい事なのかもしれません。

それで、晩年の生活ですけど、年金がもらえているという状況には全くリアリティがありません。 
もちろんですけどちゃんと収めてはいますよ。私の場合、たぶん自営業だから元々それほど多くはもらえないのですけど、受給できる年齢がさらにあがったり、もしもらえても額が減少したりということが起こっているでしょう。 

現実的には、ちゃんと年金をもらえる人っていうのは、寝たきりになっている人たちだけじゃないでしょうか。何しろ、今の政策をみていると、老若男女全員働いて税金を収めろという事のようですからね。確か、月5万円を超える収入がある人は税なり社会保険なりを収めなければいけないという具合に法律が変更される予定なんていう話も聞こえてきています。

つまり、 

「年金をもらうために寝たきりになるか?」 

我々は今、そういう選択を突きつけられているのです。 

話が変わります。 

これから日本はかなり大きな混乱期に突入していくだろうと考えています。 
これは今後の世界的な傾向でしょうけどね。たぶん今後は経済がまともに回らなくなってくるでしょう。 

新型コロナウイルスとオリンピックの対応をみているとそれがよくわかります。 
既得権益者がその権利を守ることばかり考えているから、合理的で的確な判断ができていません。先日、息子が、 

「なんでオリンピックをやらないのだ。」 

と聞いてきたので、 

「政治家とその周囲の人たちが私腹を肥やすために必ずオリンピックは開催する。でも、おまえらは我慢しろよ。収入がなくなろうが、学校がなくなろうがそんな事は俺たちにとってはたいした問題じゃない。」 

という理屈は通らんだろうと説明したらそれなりに納得できたようです。 
それで、そういうあからさまに手前勝手だとしか思えない判断の結果、これまでに社会に大きな傷ができているし、これからもそれは大きく広がっていく事でしょう。 

その傷の痛みは当然のように我々一般人に全部なすりつけられます。 

「痛みを伴う改革が必要だ!」 

といっている人たちのふところは痛みどころか、痒みすらじていませんし、むしろ温まっているみたいですからね。 

そういえば、ちょっと前にIOCの偉いさんが、 

「日本人たちは、私たちの利益のために我慢をしなくてはいけない。」 

とかいっていましたよね。 
こういう発言を平然とやってしまうあたり、今の社会状況が末期的であると言わざるをえないでしょう。彼らは自分たちのもつ権益が当然のものだという認識しかもっていない訳で、これはありとあらゆる分野に共通した認識のようです。 

この大きな傷を埋めるような事はもう無理でしょう。 
このままどんどん傷口を拡げていって、最後はどうにもならないところまでいってしまう可能性が高いと思わざるをえません。 

似たような状況は100年ぐらい前の日本にもありました。 
広島と長崎に原爆を落とされて50万人ぐらいの方が亡くなりました。戦争での死者は確か300万人ぐらいでしたかね。そんな状況でも、東条英機をはじめとする政治家たちは戦争を辞めようとはしていなかったそうで、日本の国土を全部燃やされても戦争を継続するつもりだったようです。 

それを見かねた昭和天皇が、 

「何をやっとるんだ。」 

と言って止めてくれたわけですけど、今の日本にそういう立場の人がいるかというといなくなっていると思えます。 

今後は、当時と同じように、

「お国のために命を差し出す事は崇高な事だ。」 

みたいな理屈や理念、当時のように高まっていくかもしれません。 
例えば、 

「ワクチンを接種しない人間は周囲に迷惑だ。」 

みたいな理屈は、人間爆弾をやることに抵抗を感じなかった人たちの思考と同じだと私には感じられます。ワクチンを接種するという人たちの発言の多くが、 

「周囲に感染させないため。」 

というものだからです。 
社会の事が優先されて、個人の事はどうでもよくなっている訳です。これを全体主義というのですけど、このように考えるのが当然だと思ってしまう事が、そもそも異常な状態であるとはほとんどの人は気が付いていないようです。 

さて、あまり重要でない話が広がってしまいました。
日頃の不満というのが私にかなり貯まってしまっているのでしょう。でも、こんな事を訴えてもこの世の中の流れが変わる事はないと思っています。前提条件として私は今後の社会の変化についてかなり悲観的に捉えています。ただただ、そういう事を前置きとして述べておく必要があっただけです。 

それで、私はそういう状況で、

「悠々自適に仕事をしながら生活をするにはどうしたらいいか?」 

という事をそれなりの悲壮感をもって考えている訳です。 

そんな私の思考を踏まえた上での晩年の生活費についての話です。 
社会が混乱してしまうという状況でもっとも困るのが通貨の価値が下落していくという事です。平たく言うとインフレ負けという状況ですね。つまり、いままで100円で変えていたモノが200円とか300円とかに値上がりする状況が考えられます。まぁ、実際には、すでに起こっている事がダイソーにでもいけばすぐにわかりますけどね。 

この状況を想定するなら全ての資産を現金で持っているのは非常に具合が悪くなります。 
放置しているだけで価値がどんどん下がっていきますからね。それで資産の一部を、現金以外のもので持つようにしておくのがよいだろうと考えました。それでいくつかの投資信託を少々、という具合に現金を有価証券に変えはじめています。 

ちなみに、はじめたからにはこれから20~30年ぐらいは買い続ける事になります。 
もうすぐ50歳ですから、80歳まで買い続けてそこで暴落したら値を戻すのにさらに10~20年ぐらい必要かもしれません。そうなる事も想定して10~20年ぐらい先には切り崩していく必要もあるでしょう。今は現金で持ち続ける事の方がリスクが高いと判断していますし、はじめたのが遅くなったのでこういうリスクがあるのは仕方がありません。 

私の感覚からすると投資というのは数十年単位で考えるものです。 
でも、あれれこれと調べていると、長期で投資を考えることのできる人って案外少ないようだという事に気が付きました。 

多くの人は、日々の価格に一喜一憂しているようなのです。 
円の価値が永遠普遍なものだという感覚で生活しているからでしょうか。だから、株価の価格が上がったり下がったり、みたいな情報に踊らされてしまうのでしょう。通貨の価値もまた上がったり下がったりしているから、株価が上がった時に通貨の価値は下がっているはずで価値なんていうものはもっと相対的に捉えなくてはいけないものなんですけどね。 

ちなみに、私もさっき価格を確認したら数百円ほど目減りしていていました。 
円に換算しての価値なんてほとんど意味がないと思うのですけどね。円基準での目先の変化を気にしていたら投資なんてできません。それは投資ではなく投機、ただのギャンブルになってしまうからです。多くの人は通貨というものについての理解がまったくないのでしょうか。私にはそういう具合に株価の上がり下がりに一喜一憂する人たちの気分がまったく理解できないのです。 

だから、この先、株価が半値ぐらいに下がってもたぶん動揺するような事はないだろうと思います。 
お金という資産の価値なんていうのは泡みたいなものでふくらんだり、しぼんだりするもので、それ自体にはたいした価値を感じません。先に述べた通り、私は将来に対してかなり悲観的になっている訳で、どうしたものかとかなりあれこれと考えています。それでも、将来の苦難の大きな助けになるであろう資産の増減にたいして、私自身はそれほど不安を感じなかったりします。 


でも、ある朝、体重計に乗ったときに突然理解できました。 
私は、体重計に乗って減っていると嬉しくなって、増えているとがっかりしてしまっていたのです。体重なんてただの状況確認で、目先の変化にを気にしてたらダメだろうと頭ではわかっているのです。でも、どうしても日々の増減変化に一喜一憂してしまいます。それで、ついつい食事や水分を控えすぎてしまったり、運動をハードにやろうとしてしまいます。 

「株価の増減に一喜一憂する気分はたぶん、これと同じだな。」 

という事に気がついたのです。
こういう心理的な浮き沈みがある状態で株なんか所有してしまうと、絶対にうまくいかなくなって損しておしまいになってしまうでしょうね。私にはそういう風に確信できてしまいます。 



驚愕の事実じゃないですか? 
ダイエットがうまくいかない理由と投資に失敗する理由が実は同じだったのです。 成果が上がらないと継続するのが難しくなります。でも、常に現状を踏まえて体、体質を変えて、体の問題点を解消していけば必ず成果があがるものです。 これは株式相場だって全く同じなんですよね。

ただ、ダイエットなら自分の行いが反映されるのに対して、株価なんてのは自分の行いはまったく関係ないところで変動します。そんなものに対して一喜一憂していたら身も心ももたないでしょう。だから、資産運用をしようというに人は、まずは通貨というものについての理解する必要がありますね。円単位での資産価値など意味も価値もないという事を肌感覚でわかるようになる必要があるでしょう。 

ダイエットだと、大切なのはどのような体になりたいのかという目標を明確にする事ですね。 
キレイ、格好良くなりたいとかいうのではちょっと掘り下げが浅すぎです。キレイとは、イケメンとはどういう事か、最低でもそういうところまで掘り下げて目標が定まらないとうまくいく事はないでしょうね。 

株やダイエットだったりの経験がない人には、思い通りにいかないときの不安や怒りといった負の感情について理解できないかもしれません。だから、そういう人には、なんの話かまったくわからないでしょう。

まぁ、、つきつめて言葉にすると、 

「不安や恐れといった自分の負の感情とうまく向き合う事ができないと何をやってもうまくいかない。」 

というごくごく当たり前の、どこにでも書いてあるような話に落ちついてしまうっていう話です。 
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ダイエットをはじめた理由

5kg痩せた時は誰も気が付かなかったのか何もいわれませんでした。 
でも、それが9~10kgぐらいになるとだいたいの人が気が付くようで今月にはいって何人かの方に指摘されました。 

まぁ、実際、自分自身でも、 

「変わった。」 

と実感したのはつい最近になってからでした。
変化を感じるにはある一定の割合の変化、たぶん7~10%程度の差が必要なのかもしれません。 

それで、聞かれたのは 

「なんでダイエットをはじめたのですか?」 

という事だったりします。 
なぜかというと太ってきたからなんですが、私は体重なんて気にしていませんから体重を気にしてではありませんでした。 

実は、ダイエットをはじめた本当の理由は体調に不調を感じる事が増えてきたからです。 
少し前ぐらいから、 

「私は案外はやく死ぬかもしれない。」 

なんて言っていたのを、聞いた人もいるかもしれません。 
だから、本当はダイエットをしようと考えたのではなく、 

「もうちょっと生きてちゃんと仕事できるようになろう。」 

という気持ちを固めたというのが本当の所だったりします。 
だから、本当はダイエットをしようと思ったのではありません。クオリティの高い仕事をあと20年は続けようと思った時に体の調子を整える必要があると考えたのです。 

「華々しい必要はないから長く続けられるようなやり方をしていこう。」 

この仕事を始めたときに考えていた事ではありました。 
こういう事はたまに再確認をして自分はどうあるべきかを考えるのがよいのかもしれません。そうやってあと20年続ける事ができたら、体の事はそれなりに理解が深まって、様々な問題を解決できるようになっているはずです。 

まぁ、そうはいってもまずは目先の問題です。 
今、関わっている人たちをちゃんと元気に暮らせるようになってもらう事を考えると、私もそれなりにしっかりした体でないといけないのです。 

今朝、銭湯にいってきました。 
鏡に移る自分の体を見て、 

「腹回りの肉がおちればあと10kgぐらいは落ちるかもしれない。」 

と思いました。 
学生の頃、バスケットボールをやっていた時は72kgでした。 
それぐらいでリングに触れるぐらいは飛んだり跳ねたりしていました。また、フィジカル面でも負ける事はありませんでした。だから、その時の状態に+10%ぐらい、70kg台後半ぐらいの体重が私には理想的かもしれないなぁとそんな事を思いました。 

私のダイエットの目的は整体をするのにもっとも適切な体になることです。 
その目安として体重を見るのは解りやすいのじゃないかというだけです。言い換えれば理想的な整体ができる体になりたいのです。それで、100kg以上が理想ならそれをを目指してガンガン食うし、引き締まった体の方がいいのであれば引き締める、たったそれだけの話ですね。
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まずは元気になりましょう

先日、片耳がほとんど聞こえなくなったという人がこられました。 
それで、医者にかよっていて様々な治療を試したそうです。でも、医療においてはもうやれることがないという事を言われたのだとか。 

それで困って私の所へこられたとのことでした。
医者で行った治療や何を言われたかなんかを一生懸命に言ってこられます。でも、話を聞いていて、根本的なところで間違えているというのを思うわけです。 

どういう事かというと、医者は難聴になる体というものがどういう状態なのかを一切考えていません。 
だから、彼らが治療として行っている事は、 

「なんかよくわからんけど、こういう薬物を体にいれたら難聴が回復することがある。」 

という事でしかありません。 

難聴の原因というのは一言でいうと頸椎の狂いです。
でも、この頸椎の狂いで人はすぐさま死んだりはしません。医者はこういう具合に死に直結しない問題を、

「心の問題です。」

いって、深く考えないで切ってすててしまうことがおおいですね。

頸椎に狂いが生じた時には、めまい、難聴、膠原病などの自己免疫疾患、生理不順、腰痛、肩こり、頭痛、膝痛などなどありとあらゆる事が体に起こります。頸椎が狂うと一言でいってもその狂い方でいろんな事が体に起こるのです。 

それでこの方の場合についてです。 
頸椎が狂って耳が聞こえなくなっているわけですけど、他にもいろいろ不都合が起こっていました。そのいろいろな不都合について1つ1つ対処が必要かというとそんな事はありません。原因は、頸椎の狂いなわけですから、頸椎がしっかりすればすべて解決してしまうでしょう。 

私ならこのように考えて整体をするわけです。 
でも、お医者さんって縄張りを決めて、その縄張りをお互いに荒らさないように医療行為を行っています。難聴でいえば頸椎の狂いを正せば解消するはずですけど、頸椎が狂ったまま難聴を解消しようとするから無理がでてきます。結果、一時的に聞こえるようになったけどまた聞こえなくなるとか、耳は聞こえるようになったけど膝や腰が痛むとか、結局、音さえ聞こえればいいという考え方でしか治療がおこなわれませんから体の問題はなにも解消していないという事になります。 

よくあるのは、 

「耳は聞こえるようにしたから、膝が痛むのは他の科へ行け。」 

なんて言われるわけですけど、これはおかしいのだという事です。 

私はいつも、 

「まずは元気になりましょう。元気になれば今抱えている体の問題はすべて解消するはずだから。」 

とお話ししています。 
体の異常がいくつもあるというのは普通というか99%ありません。おかしいのは1箇所だけで、それさえ正されれば全ての問題が解消されるのです。
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