ブログ「日々整体」

病気によって体を安定した状態に戻せなくなった時が寿命

 羅病の因は前述の如く、抵抗作用の不全、即ち生理機能の弛緩、又は退行にある。而して羅病することによって、生理機能を刺激し、之に反応作用を生ぜしめてその亢進を図る。
 然らば之、生理的作用を恢復する自然的手段と云はねばならぬ。病は果たして不要なる存在であろうか。
 衣類も着てゐれば古くなる、埃を落とさねばならぬ、人体も古くなれば老廃物が留滞する、新しいうちでも胎毒と称する老廃物を蓄えてゐる。之を何とかせねば人体は健康状態を保てぬ。勿論、便、尿、汗等々の排泄作用は常に行われてゐるが、人にして歩むべきを歩まず、働くべきを働かず、食うべからざるに食ひ、智に飲み奔りて身を労せず・・・・・といふ風に不自然的生活を営めば、生理機能を鈍退せしめ、老廃物のみを製造するに至る。従つては排泄作用は全からず、老廃物のみ留滞する、茲に於いてか、排泄作用を旺盛ならしむる自然的手段が起こる、之が疾病である。

(現代語訳)
病気の原因は、前述のように、抵抗作用の機能不全であり、つまり生理作用の弛緩あるい衰退によるもだということです。その結果、病気にかかることによって生理機能を刺激して反応させてその働きを高めるのです。
 そうであるなら、病気とは生理作用を回復させるための自然の働きであると考えなくてはいけません。病気は不要なものではなく必要なものなのです。
 衣類は着ていれば古くなります。埃を落とさなくてはいけませんし、それと同じで人間の体も生活を営んでいれば老廃物が溜まってきます。もちろん、便、尿、汗などの排泄作用はいつも行われていますが、人しての倫理や道徳をわきまえず、働こうとしない、食べない方がよいのに食べ、知能だけを働かせて体を使おうとしない、そんな不自然な生活を送っていれば、生理機能は低下し、老廃物を作り出すだけの存在になってしまいます。すると排泄作用はうまく働かなくなって、老廃物が体の中に溜まってゆきます。そうなると、排泄作用を高めるための体の自然の働きが起こります。これが病気なのです。

(単語の意味)
亢進 高い度合いにすすむ事、過剰な状態になること

(注釈)
多くの人が病気に対して勘違いしています。
文献などを見ると、かなり昔からの勘違いのようで江戸時代の末期にはもうすでに誤った理解がひろまっていたようです。どういう勘違いかというと、

続きは、四面楚歌にて公開しています。
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死は罪なのか?

先日、唐突ある感覚に身を包まれました。
ゆっくりと眠るようにそして暗くなっていくというのが身体感覚として感じる事がができたように思います。そして、

「死ぬときってこういう感じなのだろうなぁ。」

と、そんな風に漠然とですけど、でも確信できたように思います。
正直いってかなり怖いとは思いましたけど、たぶん私が思う理想の亡くなり方ができるとそんな具合なのだろうと思いました。

最近、

「誰も死を味わっていないのに誰もが最大の罪であるかのように決めつける。」

なんて事をソクラテスが述べていたのを知りました。
私は、自分がソクラテスと同じような事を考えていたらしい事を知ってちょっと嬉しい気分になりましたね。

その人にとって理想的な生き方があるように、理想的な死に方があると考えています。
体には生きるための仕組みがあるのですけど、それと同時に死ぬための仕組みもちゃんともっていると考えています。別に詳しく実験で調べとかではなく、これまで学んだ様々な事に経験を付け加わったらそうとしか思えなくなっています。

生きているのはこの世界においてとても特殊な状態で、海から何かの衝撃で飛び上がった飛沫の粒のようなものだと感じられます。粒が飛び上がっているだけですから放物線を描いていつか必ず海に着水します。そして、その着水が死という事になります。

充実した人生を送るという事はキレイな放物線を描く事だと考えています。
生まれて成長し、歳をとっていけばいつかピークを越えてたら落下をはじめいつか命を全うするのです。こういう事が当たり前なのだとしか思えないのですよね。

逆に考えてみるとわかりやすいのではないでしょうか。
晩年において、自分はどのような存在でいたいのか?と問うと、ほぼ総ての人が、

「自立できている状態がいい。」

と答えるのです。
自立できていない、介護が必要な状態というのは飛び上がった飛沫の放物線の軌道が乱れている訳です。

このように思うのは私が人間の体について延々と考え続けているからでしょうね。
逆説的にいうと、このように考えられないという事は人間の体とその体の人生について何も考えていないからだとしか私には思えません。

先に紹介した、ソクラテスの、

「誰も死を味わっていないのに誰もが最大の罪であるかのように決めつける。」

という言葉について考えてみる事はよいヒントになるのではないでしょうか。

私はソクラテスの残した記述などほとんど読んだ事がありません。
無知の知という言葉ぐらいは知っていますが、この言葉自体も多くの人がその意味を誤って捉えているらしいというぐらいの事は知っているつもりですけどね。これを機会に近いうちに読んでみようと思います。

私は今回、理想的な死を掴む事ができたように思います。
今までずっと頭で考えてはいたのですけど、体の感覚として捉える事ができたように思います。だから、そのような死に方をしたいなぁと、多分、できるだろうと思うのでけどね。

ちなみに、

「我々のある所に死はない、死のある場所に我々はいない。」
エピクロス

「生は適切に活用すれば十分に長い。」
セネカ

なんて言葉もありますので、とっつきやすいところから考えてはじめてみるといいかもしれません。
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胃袋を無視するから自律神経失調症になる

「背中が痛いのですがこれはどういう事が原因なんですか?」

という具合の質問を頻繁に受けます。
実はあまり意味のない質問です。これまで何回も書いているように思いますが、何回も聞かれるので何回も書いているのでしょう。

わかりにくければ、恋愛を例に考えるとわかりやすいでしょう。
好きな異性がいたとします。交際をしましたが、ある日ふられて、傷つき気持ちが落ち込んで切り替える事ができなくなってしまいました。こういう時に、落ち込んだ原因を探って意味があるか考えてみるといいでしょう。


「好きになったのがいけなかった、もう恋愛をしない。」


なんていう結論にいたったとしても、問題解決がしたとはいえないでしょう。
また、


「新しい恋愛を探す。」


という心境になるためには失恋の原因を探しても意味がありません。清潔感がないとか、収入がないとか、そういう恋愛以前の問題があればまた話はかわってきますけどね。

実は、体の問題というのは恋愛と同じであると考えた方がうまくいきます。自分の体とどう付き合っていくのか?つまり、体と恋愛をしていると考えるといいでしょう。

欲求がすべて脳の働きからくるものだと考えているから間違えるのです。
例えば、体はミュージシャンをやりたいと欲求しているのに、頭は公務員で安定した収入を求めるなんていう状況を考えてみてください。そこで、趣味として仕事が終わってから仲間とバンドを組んで演奏をしているなんてやっていればいいのです。でも、結婚して子供ができたからと、嫁と子供のために趣味のギターを処分して仕事一辺倒の暮らしをしていると、病気になりやすくなり、怪我もしやすくなります。

こういう人が、病気になったり、怪我をして仕事を休んだとしましょう。
それは療養していれば治る訳です。それで、また仕事一辺倒な生活にもどったらどうなるか?答えは簡単で、しばらくすると再び病気や怪我をする事になります。

補足しますけど、ミュージシャンになってうまくいく人は、体から衝動してあがってくる欲求に従って音楽活動をする人です。異性にもてたいとか、ちやほやされたいとかいう考えでミュージシャンになろうとしたってうまくはいきません。確かに、レッドツェッペリンのように、『金儲けをしよう』といってバンドを組んで成功したケースもあって現実はそれほど単純ではありません。しかし、お金儲けするためになぜギターを持ち出したのかと考えるとうまくいった理由がわかるのではないかと思います。

こういう事を踏まえて最初の、


「背中が痛いのですがこれはどういう事が原因なんですか?」


という事について考えてみてください。

実は、今回、質問してきた方は、若いころに事故にあってその後遺症が残っているのでした。
だから、事故に会うような無謀な事をやってしまった事を十数年後の今になって反省して意味があるかというと全くありません。そして、その事故の後遺症は自力ではどうにもできないので私の所へ相談にきているのですから、


「体の事は私に任せて、どうすれば日々、元気に、快活に過ごせるかを考えるといいですよ。」


とお話しました。
元気に、快活に過ごすという事は、体から湧き上がってくる衝動をストレートに発散させるという事だからです。そういう生活ができていれば、健全で幸福な人生を全うできるのです。しかし、基本的に脳は現時点での損得勘定しかしていませんから体が求めている衝動について考慮することはほぼありません。

人の体は数え切れないぐらい多くの細胞その他が集まって成り立っています。
それらすべてが協力しあう事で私たちは元気に生きていけるのです。つまり、自分らしく、快活に、元気にいきるというのは、そういう細胞の集合体の意思を統一して生活をしていくことが大切になります。それが自律神経を健全に働かせるという事なんです。胃袋だけとか、肝臓だけとか、脳みそだけとか、なにか機関の1つに注目して振り回されてたらうまくいくはずがありません。簡単にいうなら、肝臓ばかりいたわって、胃袋のことを無視している状態が自律神経失調症だといえるかもしれません。
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すべての病気は抵抗作用の不足が原因

 林檎であるなら、その一部分に強き衝撃を加えれば、その衝撃を受けた部分の細胞は、忽ち(たちまち)破壊されて死滅し、その部分だけは段々と腐敗して行くが、他の部分は健全に生存し得るのである。しかし動物の場合は、之と大分現象を異にし、強く衝撃を受けた部分の細胞は、一時仮死状態になって、俗に云う黒死となるが、日を経るに従って次第に薄らぎ行き、遂に健全なる元の状態に恢復するのである。その代り一点の急所を強く刺激すれば、他の部分の細胞が完全であるにも拘わらず、忽ち死といふ転帰をとらねばならない。動物と植物とに於いては、その生活現象がこの如き大なる相違がある以上、細胞病理必ずしも当てになるとは限らない。
 予は飽くまで抵抗作用が鈍るから、障碍作用(しょうがいさよう)に冒さるゝのだと主張する。繰り返して云う、万病は一因、抵抗作用の不足からのみ発する。


(現代語訳)
 林檎の木を例にあげて考えてみる。木の一部分に強い衝撃を加えれば、その衝撃を受けた部分の細胞は、すぐさま破壊されて死滅します。その破壊された部分は少しづつ腐敗しますが、他の部分は健全に生きていく事ができます。それに対して動物の場合は、林檎の木のような植物とは違う経過をたどります。強く衝撃を受けた部分の細胞は、一時、仮死状態になって黒死という状態、いまでいう痣になります。しかし、月日を経過するにつれて痣は薄れてゆき、いずれ健全な状態に回復します。その代わり急所を強く刺激すれば、他の部分の細胞が完全であっても、すぐに死という状態になります。動物と植物においては、このような大きな違いあるため、細胞や病理が必ずしもあてになるとは限りません。
 私は、体に抵抗作用が鈍るから病気になるのであると主張をします。繰り返しますが、すべての病気は抵抗作用が不足したときにのに発症するのです。

注釈については、四面楚歌に掲載しています。
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アロマオイルから考える冷え解消

「あれ?なんか手が温かい!」


手先にアロマオイルを塗り込んでみたら手が温かくなりました。

オイルを使ってみはじめたのはちょうど1年ぐらい前からです。その頃は、手先が温かくなるという感覚はなかったように思います。なんか具合がいいなぁというぐらいの感覚で、春先までそのオイルを使っていたように思います。


私は普段、手先がかさつくという事はありません。

だからアロマオイルを使ってみようと思ったのもなんでだったのか覚えていません。多分、世間であれこれと言われているから、なんでそんな事が言われているのか確認してみようとぐらいのものだったのだろうか?なんて思ってましたが、やたらと手の消毒をやるようになったからなのは間違いありません。過剰な感染症対策は体を弱めてしまうという分かりやすい例と言えるでしょう。


私は、ハンドクリームなんかも嫌がる傾向がありました。

だから、せっせとアロマオイルを使っているのを嫁が、


「珍しい。」


とか言っていたように思います。

それが今年になって正月すぎからやたら冷え込むものだから、手先の皮膚が硬くなって逆むけまでいかないけどちょっとささくれ立っているなぁと思って、アロマオイルの存在を思い出し試してみたら手が温かくなるのを感じた訳です。


冷えというのは基本的に肺の活動が小さい人に起こります。

これは整体を通じて観察をしているとすぐに気がつく事なので、取り立ててどうこういうものではありません。だから、世間で言われている冷え解消メソッドがちゃんちゃらおかしいと感じます。


冷えのきつい方は、太り気味になるか、かなり細い体型になると思っておくとよいでしょう。

肺の活動が小さいと、食欲のコントロールがうまくいかなくなるので食べ過ぎるようになる、または、胃の働き、つまり栄養を吸収する力が小さくなるので太れない体質になります。そして、後者の場合は、骨格が華奢なので太ろうとしても太れないと思っておいた方がいいでしょう。


余談ですけど、この事がわかっていないとダイエットが絶対にうまくいかない人がかなり多いかもしれません。

なぜなら、ダイエットというと脂肪を燃焼しなくてはいけないと考えてしまうからです。脂肪を燃やすためには20分以上運動をしろとかいわれますけど、肺の活動が健全でないとうまく酸素が取り込めないので脂肪を燃やす事ができません。


そんな肺ではいくら運動したって辛いだけで長く続ける事ができません。

だから、まずは脂肪を燃やすのではなく、肺の活動を高める事を目標に体を動かさなくてはいけません。肺が酸素を取り込めるようになればそれだけで体型はがらりと変わってきますね。だから、整体を受けている方はスタイルが良くなってくるのですけど、自身では全く気がつきません。どれだけ自分の体に興味を持って見ていないのかといつも思います。


話を戻します。


そこで気がつくのですけど、この理屈ではアロマオイルを手に塗って暖かくなる事がうまく説明できません。


それでちょっと考えてみたのですけど、おそらく皮膚の油分の都合なのでしょう。

冷え性の人は手先、足先がかさついている事が多いのですが、皮膚の油分が十分であれば保温能力高まるのではないでしょうか。これまでは肺の活動が小さければ血液中の酸素が薄くなるという点にだけ注目してきました。しかし、冷えは酸素だけの問題ではなく、皮膚に含まれる油分の事も考えた方がいい訳です。だから、鍋を食うとか、ショウガのお茶を飲むなんていうのは、こういう基礎的な部分を抑えた上でさらに体を温めたいという人が取り組む事なのだという訳です。


というわけで、まとめです。

冷えを解消したい方は、


1.肺の活動が大きくなるように運動をする。(ジョギングなんかがいいでしょう。)

2.冷えを感じる部分、肌がかさつくところをアロマオイルを塗り込む。

3.冷え解消と言われる食品を摂取する。


という感じで考えると結構いい具合になるのじゃないかと思います。先に述べたとおり、1から順にやっていかないと成果はあがらないはずです。


問題は、肺の活動が小さい人は汗をかきにくいという事です。

そういう方は体を動かしても気持ちよく汗をかくという事ができませんので、運動が面白くないと感じるはずです。だから、快を感じる程度の運動がどれぐらいなのかという事をよく考えながら取り組む事です。有酸素運動を20分とかいう情報は、足をひっぱる要素しかないものだと考えるとよいでしょう。5分がちょうどよい、心地良いと感じるなら5分程度の運動で十分で、肺の活動能力にあわせて運動量を増やしてゆくのが上手にやるコツです。

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