ブログ「日々整体」

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人を呪わば穴二つ

新幹線にのって自分の席に到着すると親子が座っていました。
反対側の席をみると祖母と思われる人が頭を小さくさげていました。夏休みということで、家族旅行でディズニーにでもいくのでしょう。母親は私が来たことを察して、すぐに移動を開始しました。

祖母、母、娘二人の家族4人ですが子供が小さいということで席を3つしか確保していなかったようです。
それで空いているシートに座っていたわけです。そこまではいいのですが、移動の時に親子が私に恨めしそうな視線を向けてきます。

「なんで私が楽しい家族旅行を邪魔したみたいな図になっているのだ。」

と感じました。
気分悪いなぁと思いましたが、ふと、常日頃から、気持ちを前向きにいろんな事に挑戦してみようと考えていた事を思い出しました。そこで、これはよい機会だと、この親子を呪ってみることにしました。

しかし、頭に浮かんできた言葉は、

「この忌まわしき血脈を受け継ぐ家系に災いあれ。」

なんていう工夫もセンスも感じることのできないチープなセリフでした。

どうも私は三流の悪者にしかなれないようです。
きっと悪い事とかしようと思っても、万引きとか、オレオレ詐欺とかくだらない悪事を働いた末に、薬物中毒患者に刺されて、

「なんじゃこりゃー!」

とか言いながら死ぬみたいな結末しか待っていないのでしょう。
こんな使い古されたセリフとシチュエーションで死んでしまうのはかなり嫌です。まっとうに働いて普通の人として生活していくのが自分には向いているのであろうと再確認できました。普段やらないことをやってみると今まで気がついてなかったことに気づける事があるのだなぁと、前向きに生きる事の大切さを再確認することができましたね。


さて、この親子に呪いの視線を向けたときにある事に気がつきました。
それは、眉間の奥、頚椎4番、頚椎6番に異様な力みが生じていたことです。この場所は体にとって非常に重要な場所です。あらゆる不調はこの場所をの力を抜いてあげることで解消してしまうといってもいいぐらい、私が今行っている整体のキモなる場所といってもいいでしょう。

逆の事は当然のように起こります。
つまり、他人を呪う、妬むという気持ちをずっと抱えているとどんな病気になってしまっても不思議はないといううことでもあります。

「人を呪わば穴二つ」

という言葉があります。
言葉をストレートに解釈するなら、他人を呪うような人間は呪い殺した相手と同じように死んでしまうので墓穴が二つ必要になるというような意味でしょう。でも、私には他人を呪いで殺してしまうような力はありませんから実際に穴が必要になるのは1つだけという事になりますね。

ここまで考えたときに、車内販売がやってきたのでモーニングセットを頼む事にしました。

気持ちを切り替えようと考えたわけです。
サンドイッチを食べ終えて、コーヒーを飲みながら隣の列に座っている4人の家族を見たときに、思った事は

「ミッキーに蹴られて泣かされてきやがれ。」

ということでした。
頚椎4番の力は抜けており、コーヒーを飲み終える頃には晴れやかな気分でした。
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感受性の話

「感受性を高めていく事が元気になるということですよ。」

私がいつも言っているセリフです。
今回はこの感受性というものを掘り下げて考えてみようと思います。

基本的には、感受性というのは暑い時に暑い、寒い時に寒いと感じる事ができるという事です。
私は長袖のシャツを着ているのに周囲の人は半袖半パンで過ごしている。春から夏にかけて私がよく見かける光景です。暑さの感じ方は、個人差があるものですがいくらなんでもちょっと早いだろうと思うタイミングで薄着になる人がいます。そういう方は、夏真っ盛りになるとエアコンの設定温度を馬鹿みたいに下げてしまうのではないかと思われます。女性から職場のエアコンがきつい、買い物にいったスーパーが寒くて困っているという意見を聞かされる事が多いですね。

近年は熱中症という大義名分がありますからやりたい放題です。
私がそれを強く感じるのは新幹線でしょうか。5~6月あたりだと1枚余計に着込んでおかないと寒くて仕方がありません。エアコンでは凍死するほどは冷えないのに対して、暑さだと30度を超えたぐらいで呼吸が止まってしまう人がいるわけですからなかなか苦情をいいにくいのです。

夏、日差しの強い日だと、暑さで人が倒れましと救急車が増えるそうです。
それで救急医療に関わっている人が、30度を超える日はエアコンで室温の調整をして涼しく過ごさなくては駄目だと、強く訴えている文を読んだ事があります。でも、日常的にエアコンで過ごしていると暑さに弱い体質に変化していきますから、結果として熱中症で倒れる人が増えていく事になります。

これまたよく言うことですが、体は自分で作っていくものです。
ですから、30度を超えたら呼吸が止まってしまうような体づくりをして、日差しを恐れて生活するというのでいいか?1回ぐらいは考えてみてもいいのではないでしょうか。


暑さ寒さに関しての感受性は個人差があるのは間違いありません。
人間社会だと個人差だからと割り切ってもいいのですけど、野生の生物に置き換えた時にもそういう個体差がどのように影響するか考えてみます。

草食動物は食べものとなる草が生い茂る地域に移動しながら生活しています。
ドキュメンタリー映像で、ヌーやガゼルなどの草食動物が群れで移動しているのを見たことがあるのじゃないでしょうか。サバンナ地域など日本のように四季があるわけではなく、雨季と乾季という具合に気候の変動が極端に分かれます。基本的には、雨季に雨が降って、その水分で植物が増えて、乾季になったらカラカラに乾いてしまうので食べものがなくなります。

移動をするタイミングは雨が降って植物が青々としてくるタイミングである必要があります。
早すぎると十分な草が生えていませんし、雨季で降った雨が濁流となって移動を妨げる事があります。足止めをされてしまうと周囲には餌となる植物がありませんからそれで餓死してしまう事すら起こります。また、遅すぎれば、他の群れに食い荒らされたあとで十分な草が残っていません。

この移動のタイミングを見極めるのは感受性といえます。
鹿、象といった種はリーダーが群れを率いているのですが、そのリーダーが移動のタイミングを見極めます。リーダーの感受性が鈍いと群れを全滅させてしまう事があるわけです。私が見たドキュメンタリー番組では、鹿の3つの群れを追跡できるようにしてその移動のタイミングと経過を観察していました。

観察では群れによって移動するタイミングが異なっていました。
Aという群れが最初に移動を開始、Bが遅れて出発、Cがかなり遅れて出発するという流れでした。興味深いと感じたのは2番目に出発したBの群れが一端引き返した事です。タイミングが早すぎたと感じたBのリーダーは引き返して出発をやり直すという判断をしたのです。

最初に移動を開始してまっさきに目的地に到着したAの群れはどうなったか?
その群れは数を半数に減らしていました。そして生き残った鹿には負傷をしてるものがいました。移動が早すぎたので飢えてしまい、そのタイミングで肉食動物に襲われてしまったのです。一方で、BとCの群れは十分に草の生えているタイミングで無事に移動することができました。

たぶんなのですけど、鹿は気温、風向き、湿度といった状況をなんとなく感じ取って、それに経験を加味して判断をしているのであろうと思われます。観測して論理的に判断するのではなく感受性で感じとって、適切な判断をしているというわけです。

ほかでは、象の群れを追いかけた番組を見たことがあります。
若く経験が浅い象がリーダーの群れだったのですが、群れにいた子供の象が、川を渡る際に流されてしまっていました。このときは、移動するタイミングは悪くなかったのかもしれませんが、自分が率いる群れがどの程度の流れまで渡ることができるか、判断を誤ったわけです。

記憶があいまいですが、ヌーの群れなんかだとリーダーがいなくて集合知というか、群れ全体の感覚でなんとなく移動していたように思います。感受性は個だけのものではなくて、群れ全体としてのものもあるといえるわけです。そう考えると、人間の場合は、専制政治も民主政治もどちらも経験しているわけで、リーダーをおいてそれに従うという生き方と、話し合いをしてこうしましょうみたいな、どっちのやり方にも対応できるのかもしれません。

書いていて思いましたが、ヌーなんかは何万頭というような大きな群れを作ります。
人間だって昔はリーダーがいる専制でやっていたのが、今はほとんど民主的にやっています。数が増えてくるとそれを一人でまとめるのが困難になってきて、民主的にやるほうが効率がよくなってくるのかもしれません。空気を読めなんていう言葉は、群れ全体の感受性に従えという事なわけですね。ただ、これは今はあまり関係のない話なのでおいておきましょう。

野生の場合だと、感受性がにぶいということがそのまま死に繋がる事があるわけです。
群れを作る生き物だとリーダーの感受性が群れ全体の生死に関わります。日本に住んでいるだけだと、暑さを見誤って亡くなるぐらいでしょうか。そういや昨年だったかは、実力が不十分な登山家が無茶な挑戦をして凍死したなんてニュースがありましたが、感受性が不十分だと自然とは向き合えないということでしょう。

もっと手近で考えれば農業がわかりやすいですかね。
種をまくタイミング、水を引くタイミング、雑草を抜くタイミング、こういったタイミングを適切に判断するのは感受性で、感受性が豊かな人がおいしいお米だったり野菜だったりを作る事ができるわけです。基準を決めて機械的にやっていれば品質は安定するでしょうけど、高品質なものを作ろうと思うと感受性が豊かである必要があるのじゃないでしょうか。

さしあたっては、私たちの日々の生活に置き換えるなら、体を休めなければいけないタイミングなんてのは意識して感じてみるといいのじゃないでしょうかね。サラリーマンは休めない、主婦は休めないなんて言っている人がいますけど、健康と引き換えにしてまで働く必要があるかについて、たまには自分の感受性に問いかけてみてもいいのじゃないでしょうかね。



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9月品川、日暮里の募集をはじめました

9月は関東へは4回出張します。
4回行けるのは今年はこの月が最後になる見込みです。

1日に受け付ける人数を大幅に増やしたのもあってか、1日(日)と29日(日)はちょっと空き気味です。
耳鳴りやめまいでお困りの方がおられましたらご相談ください。体にどういう問題が起こっていて、どうすればいいかを説明できると思います。




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平均化訓練へ注をいれてみる

「野口晴胤という、野口晴哉氏の孫にあたる方が本を出版した。」


ということを教えてもらったので早速読んでみました。
整体協会は「体を育てる」と書いて体育という事について考えていると理解していました。以前は勉強させてもらいにいっていたのですが、今はどういう取り組みをしているかはわかっていませんでした。それで本を読んでみて、


「なるほど。」


と今はこういう事をやっているのかと知らされた感じです。

私が感覚的に捉えていた事をうまく文に落とし込んで説明してくれていましたので何箇所か気になったところを紹介してみようと思います。


私達は体を自分の意思によって動かしているように思っていますが、体の多くは無意識的なものです。
(中略)
これは筋肉の働きにおいても同じことが言えます。
例えば、歩いていても、どういう筋肉をどのように使うかは、意識して行っていませんし、椅子から立ち上がる時にも、いちいち意識して筋肉に指令を出してはいません。


これは体の様子を見る時には非常に大切な事です。
歩く動作などはもっともシンプルな動きと思うかもしれません。しかし、その歩くという動作においても筋肉の動き方、使い方というのは人それぞれ異なります。

ラジオ体操でも同じことがいえます。
皆、同じように手足を動かしていると思うかもしれませんが、すべての人の動作、筋肉の動きは異なります。

こういった動きの違いは偏った疲労を生んでしまう事があります。
癖があると考えるとわかりやすいでしょうか。妙な癖のあるウォーキングやラジオ体操をしていると部分的に疲労が集中してそれが抜けなくなってしまう事があります。つまり、ウォーキングやラジオ体操で体を痛めてしまうということがあるという事です。テレビ、雑誌、インターネットなどで「○○によい体操」といったものを私が歓迎しない理由はこのような考えがあるからです。

ウォーキングは体に良い、ラジオ体操は体に良いという考えはすべての人が全く同じように筋肉を動かしているという前提からくる考えといえます。手の伸ばし方、足の上げ方、よく観察すれば人によって違うことはすぐわかることでしょう。ウォーキングやラジオ体操で健康になる人はいるが、かえって体を痛めてしまう人がいるというのが現実です。



(平均化体操について)
この体操は一般的な体操と違って、決まった形がありません。
偏り運動は、それぞれ固有のパターンなので、眠らせている筋肉に力が流れる形=平均化している姿勢は、一人一人で違います。


スポーツにおける優秀なコーチがどういう事ができているのかというのを考えるとわかりやすいでしょうか。
運動能力の高い人でも、運動には固有の偏りやパターンをもっているものです。その偏り故に高い能力を発揮することもありますが、さらなる向上を目指した場合こういった偏りをなくしていく事が必要になる場合があります。これをうまく見極める事ができる人が優秀なコーチだといえます。

私が心当たる人でいうとマラソン選手高橋尚子のコーチだった小出義雄監督、野球の星野仙一監督などでしょうか。こういった方たちはどのような選手であろうともそのパフォーマンスをさらに高めることができた人たちではないかと思います。



押し合うことによって偏り緊張が強調され、体には不快な力感が生まれます。
しかし、体には不快なぶつかりを、より快適な状態にもっていきたい本能的な要求、言い換えれば、偏りを分散して平均化しようとする要求があるのです。

その要求が働くから、体が自動的に動き出すような感覚があり、その動きに抵抗せず、あえて任せていくということで、全身に緊張が行き渡る平均化状態になるのです。

ですから、このぶつかり状態強くして、耐えるほど、姿勢を変えた後の運動の勢いが増します。水圧をいっぱいまで高めてからダムを開けるようなものです。

そのように平均化体操は、体に本来備わっている、バランスを保とうとする無意識の要求を、意識的に引き出して、体操に活用しているのです。


平均化体操についての具体的な説明です。
理解できる人など一般の方にはほとんどいないのじゃないでしょうか。例えば、私がイチローのバッティング理論について噛み砕いて説明したとします。それを聞いた方は、イチローと同じように打てるようになるでしょうか?イチローまでいかなくててもプロで通用するレベル、高校野球で通用するレベルの説明でもかまいません。

バットの持ち方、構え方、スイングするときの体重移動、ボールを目で追いかける方法について丁寧に説明されればどんな方でもヒットが打てるようになるか?

答えは、ならないです。
違うと思うなら、ベースボール入門なんていう本を買って読んでからバッティングセンターにいってみればいいのです。猿でもできる野球入門、運動能力のない人が書いたヒットを打つ方法、無駄な動きを捨てれば運動能力は一瞬で目覚める!、練習は30分で済ませろ!、などなど、そういう書籍は探せばいくらでもでてくる事でしょう。


たいていの場合、何も考えずにバットを振り回している方がよほどバットがボールにあたるはずです。


「説明されればわかる、できる。」


というのは誤った考えです。
野球はできないけど、ヨガ、体操、瞑想なんかだったら簡単にできると思うのも考え違いです。

お手軽、簡単というのはたいていの場合、大事な部分を省略しているということです。
大事な部分というのは理解することが非常に難しいのだということは落ち着いて考えればわかってもらえるのではないでしょうか。

体にまつわることは、実際に体験して、指導をうけてみなくてはまずわからないと思っておくほうがいいでしょう。ラジオ体操ですらちゃんとできていない、うまくできていないとう人の方が圧倒的に多いのです。

人によってはこの記述を実際に体感できるようになるには数ヶ月、1~数年かかっても不思議ではないぐらいものといえます。



偏り運動というのは、簡単にいうと、ある場所に力をいれすぎる癖なのですが、体の筋肉の動き自体にはほとんど無自覚なので、普段はあまり気が付きません。
ところが、体や心になんらかの負担がかかった時には、この偏り運動は色濃く表れます。


なくて七癖なんていいますが、体の動きには無自覚な癖があるものです。
比較的多いものに、かばんなどを持つ時に左肩から腕にかけて力みがでる癖なんていうのがありますかね。


「左右の負担に偏りがでないように両手、両肩で荷物を持ちましょう。」


なんていう事は誰でも言われた事があるのじゃないでしょうか。
しかし、こういう癖があると右手で荷物をもっていても左手に力みがでます。右手でかばんをもっても左手に負担と疲労が発生するわけです。

このような癖のある方が、バランスよく両肩で荷物を持つようにする事に意味があるか?


「そんな癖はない。」


と思うかもしれませんが、両手に偏りなどなくバランスよく使えるというのはイチローレベルのスポーツ選手でしかできないことだということは知っておいてもいいでしょう。あなたはイチローがやっている事をやれとアドバイスされていたわけです。



ここで言っている、心、というのは、感受性といってもよいです。感受性というのは、刺激の受け止め方と、リアクションのことです。

体の筋肉がいちいち意識しないで反応しているように、私たちの心の働き方も、全ての刺激に対していちいち、こういう反応をしよう、こういう受け止め方をしようと意識的におこなっているわけではありません。


「大阪湾にゴジラが現れた!」

そんなニュースを聞いた時にどう反応するかが感受性といえるでしょうか。
逃げるという人が多いと思いますが、見に行くという人も結構な数がいるのではないでしょうか?そんなアホなと知らんぷりをする人もたくさんいそうですね。

東北で地震が起きたときには、津波がくると急いで高台に避難した人がいたそうです。
避難の途中で、近隣に津波がくるぞと知らせてまわっても意に介さなで、テレビ見ながらご飯を食べていた人がいたそうです。

付き合っているカップルで同じ映画を見てもその感想が異なったりもします。
同じトレーニングをして同様の負荷を体にかけたとしても、感受性が異なればトレーニングの効率や成果には差が生まれるのは当然のことです。

元気になりたいと、肩こりを解消したいとか、耳鳴りを解消したいとか考えて、運動をしたとしましょう。
感受性が異なれば、外からの刺激に対して体がどのように反応するかは異なります。この感受性の違いを検討にいれないで、


「耳鳴りを解消するストレッチ」


なんかを一生懸命にやっても成果があがるかどうかは、運まかせにしかならないわけです。



私が気になったところ、一般の方読んでわかりにくいのではないかと思ったところに私なりに補足をしてみました。もしかしたら著者本人が見たら、


「全然、違う!」


というかもしれませんけどね。

まぁ、それだって感受性の違いというものです。
興味がわくようでしたら、写真入りで平均化訓練の紹介をしていますので読んでみるとよいでしょう。運動に対する捉え方が変化するかもしれません。



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