ブログ「日々整体」

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世の中は腹立つ事をばかりか?

世の中は面白くない事ばかりです。

テレビのニュースなんてみていると腹がたってくるのでほぼ見ることはありません。ただ、出張の時の食事やお風呂なんかにいくとテレビが備え付けられていたりするのでどうしても目と耳に飛び込んできます。それで、今朝もそんな感じの食事だったのですけど、腹の立つニュースがいくつも流れていました。


まず1つめは第3波という報道です。

感染者数が増えてきてるそうですね。PCR検査の陽性を感染者として扱うのは問題があるなんて数ヶ月前には言われてたのですけどそういう話はもう聞こえなくなってきました。アンケートでは不安を感じると答えた人が84%になったそうです。昨日、上野駅前のホテルに宿泊したのですが、繁華街の様子をみていると嘘だろうと思えますね。


次は、オリンピックの会長のなんたらとかいう人が日本にやってきたというニュースです。

チャーター機でやってきたのだとか。開催するかどうかなんてのは開催国じゃなくて他の国に参加できるかと聞いてまわればしまいのはずですけど、何の目的でやってきたのやら・・・。まぁ、日本と中国の2カ国で開催しますっていうのであれば構わないのですけどね。結局、泥をどこになすりつけるかというババ抜きをやるためのチャーター機でしょうか。もしかしたら、端なる接待で呼びつけて呼ばれただけかもしれません。


その次は、全集中です。

宇宙飛行士の野口聡一氏が宇宙に飛び立つそうです。それにあたって、


『全集中で頑張りたい』


と述べたのだとか。

で、それを聞いた私は、


「お前ってそういうキャラだったか?」


と感じて嫌いになってしまいました。

全集中の呼吸っていうのは鬼滅の刃にでてくる奥義みないたものです。これを習得するためには、ひょうたんに息を吹き込んで割るぐらいの肺活量が必要になります。この宇宙飛行士はたまに見かける印象だと誠実な人って印象でしたからマスコミ受けを狙ってのコメントなのでしょう。でも、私はこれを聞いて腹が立ちました。


鬼滅の刃の登場人物の大半って家族だったりを鬼に惨殺されているわけですよ。

たぶんですけど、鬼に対する怒りとか悲しみとかどうにもならない感情をコントロールすることでしか全集中の呼吸っていうものを身につける事ができない訳なんです。まぁ、野口聡一氏の人となりをしりませんから、完全ないいがかりですけど、


「エリート様がキレイ事をいっている。」


という印象をもってしまったのでしょう。


そしてなんか腹が立つなぁとホテルをでて駅に向かいました。

駅へ向かって階段を降りていると、登ってくる人がどう考えても私にぶつかるコース取りをして登ってきました。その人は、前を登る人を追い越そうとして反対側に飛び出してきたのです。


「こいつはいったいどうするつもりなのだろか?」


と思いましたが、体をかわさずにまっすぐに階段を降り続けると、やはりガツンと私の肩にぶつかっていきました。


おそらくですけど、相手の人は私にぶつかりたかったのでしょう。

そして私もぶつかりたかったのでしょう。お互いになんかむしゃくしゃして、怒りを抱えていたのだと思われます。だから、とにかく入ってくる情報がすべて面白くなくて腹を立てていたのでしょうね。


ちなみに相手の人は何も私に言わずに去って行きました。


私は、


「なるほどなぁ。」


と、肩をぶつけて発散できた私はそういう怒りの感情と向き合う事ができたのでしょう。


これはどういう事が起こっていたかを分析しておきましょう。

もうちょっと遡ると前の日から、寝付きがよくありませんでしt。まぁ、疲れていたのですぐには眠れましたけど寝付くのにちょっと時間がかかっていました。朝起きたのは6時半ぐらいと私にすればちょっと遅めの時間帯で寝起きもよくありません。そして、コーヒーを飲みながらテレビをみていたらイライラしてきて落ち着かなくなってきていました。どうもいつもとちょっと違う疲れ方だったようです。


その疲労が体にねじれを起こしていたのでしょう。

だから何を聞いても腹がたってきていたのだと思われます。それで駅でたまたま通りかかった似たような人とお互いに肩をぶつけてすっきりできた訳です。


まぁ、もしかしたら相手の方は、


「こいつ、なんで避けないんだ。くそっ!」


って感じで、さらにフラストレーションを溜めていった可能性もありますけどね。

こういう体と心の動きというのは、ストレス解消みたいな簡単なワードで説明されちゃうことが多いですけどね。ストレスとはいったい何を意味しているのか?それがわかっていないと解消だってちゃんとできんという話です。


あと、一つだけ注意ですが、肩をぶつけてすっきりしたいときはちゃんと相手の様子をみて大丈夫そうな人を選んでください。やばい人にやったらおかしな事になりますからね。

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インドア派とアウトドア派

「自分の事はインドア派だと思い込んでいた。」 

ある方から、そんな話を伺いました。 
世間で言われているような言葉のイメージだと確かにそんな印象のある人かもしれません。 

たぶん、このセリフをいった方は、 

「自分はインドア派だから、家の中で発散要求を満たせる。」 

と思い込んでいた事になります。 
それで、緊急事態宣言の前からほとんど誰にも会わずに引き籠もっていたらしいです。でも、そろそろ溜め込みすぎたエネルギーを発散したくなってきたので整体にこられたのはではないか、そんな風に私は感じた訳です。 

それで整体を受けた後に、足を伸ばして美術を鑑賞にいかれたそうです。すると、ずいぶんエキサイティングな体験ができたのだとか。 

インドア派っていうのはどういうタイプの人間でしょうか? 
1人でできること、屋内でやる事、なんていうのがインドア派のイメージでしょうか。芸術に触れて発散させるみたいな事はインドア派でしょうか。私みたいに、考えている事を文にまとめるなんていうのはインドア派の行為でしょう。 

でも、考えてみたら、インドアとアウトドア派の違いって、発散欲求をどこで発散させるかというだけの違いでしかありません。貯まったエネルギーを家の中で発散させるか、家の外で発散させるかの違いでしかない訳です。こう考えてみると、インドア派とアウトドア派の違いはずいぶんと雑な派閥だと言えますね。 

例えば、私なんかは読書やら文を書くのが好きな訳です。 
インプットした情報をアウトプットすることに興味を持つわけです。おそらくそこにアイデンティティみたいなものがあるのでしょう。いわゆるインドア派な訳ですが、私は考えるより先に行動を起こすことの方が多いのです。だから、あれこれとはじめてみてから考える方がうまくいく訳で、アウトドア派みたいな行動を好む傾向がある訳です。 

まぁ、最初の、 

「自分の事はインドア派だと思い込んでいた。」 

という発言をした人は別にこんな事を考えていたのではないと思いますけどね。 

インドア派、アウトドア派というカテゴライズを捨ててみるといいのかもしれません。 
例えば、 

「どんな行動、活動をしたときに気持ちが晴れやかになったのか?」 

と考えてみるといいでしょうか。 
アートに触れて気持ちが晴れたのだとしても、そこにはいろいろあると思う訳です。アートそのものに心が動かされたのか、そのアートの制作者とのコミュニケーションで心が動かされたのではやはり全然意味がかわってきますよね。まぁ、相手が芸術であれば、そんなに簡単に色分けできるものじゃないでしょうけどね。 

さっきもいった通り、そこまで考えてたらインドア派なんて言葉はでてこなかったでしょうけどね。 

「インドア派ってずいぶん古い言葉かもしれない。」

なんていう具合に、私が勝手に拡げてみただけの話です。
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季節と体の変化の話

ここ2週間ほど、多くの人の頸椎7番に硬直が現れています。 
そのために動悸が起こったり、めまいが起こったりなんて事をいう人がやたらと多いです。厄介な事になっていた人たちがちょっと落ち着きが見えてきていたのに、また症状が辛くなっているという事でなかなか悩ましい事になっています。 

体の様子をみるとそんなに悪い事にはなっていないと感じています。 理屈で考えると急に冷え込んで来たのでその影響を受けているのでしょう。

昨年も同じような変化はあったのかもしれませんが、胸椎7番に影響がでているというのはみてとれていませんでした。だから、今年になってわかるようになったという事でしょう。たまにでてくる経験を積んだ結果、今まで気が付かなかったことがわかるようになったという事ではあります。


実は、私自身の体にもたぶん同じ事が起こっています。 
妙に体がへたってしまっていまって首の付け根から力が抜けないでいました。日記をきちんと書いていれば昨年の今頃にも同じような事を書いていたのかもしれません。でも、あれこれ書いていても自分の体調についてはあまり興味がわかないのか書き残していなかったりするのでいまいちよくわかりません 

これを書いているのは11月4日です。 
やっと体がしっかりしてきたのですが、2週間近くはタガタだったように思います。やはり季節的なものという解釈で間違いはないと思っておきましょう。 

自分の体に起こった変化をみると、どうも腰の力が抜けていたようです。
腰の力が抜けて、胸椎の力が抜けなくなるのはなんとなくピンと来る人もおおいでしょうか。肩の力を抜くには、腰がパンとする必要があるわけです。
 
自分で背骨を読めればはっきりとわかるんですが、どうも胸椎12から腰椎1番にかけて妙な緊張がでています。
また、胸回りにも妙な緊張がでていますから、それの影響で心肺の動きが悪くなっています。ただ、この緊張は以前からあったもので、解消しようとあれこれ苦心していたものであろうと思われます。それが以前よりはっきりと自覚できるようになったわけです。 

そう考えると、この変化、不調はそう悪い物ではないかもしれない。 
そんな風に感じてはいます。体の不調というか、動かない骨がどこかということを以前よりはっきりと自覚できるわけですからね。 

「うまく解消できればあと20~30年ぐらいは生きていられるかもしれないなぁ。」 

とそんな事を考え始めています。 
10年ぐらいで終わるかなぁと思ってましたが、もうちょっと長生きできるかもしれないと思いはじめました。そこで、今朝から木刀をもって体を動かしてみることにしました。とりあえず20分ほど体を動かしてみたのですが、うまく動かないのは自覚できましたので続けてみようと思います。

どうもこのあたりが私という人間の死に方を大きく左右するような気がしています。
ただ、どうも体がうまく動かないのが影響しているせいか、でてくる文がどうも固くていけませんね。もうちょっと柔らかく毒のある内容にしなくてはいけないと思うのですが、書くものの内容はやはり体のまんまということになるようです。
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作品と商品、サービスと技術の違う

私は小学2年生の頃からパソコンゲームで遊んでいました。

周りはみんなファミコンで遊んでましたから当時からマイノリティな存在だった訳です。当時、発売されているゲームもありましたけど、プログラムが掲載されている本や雑誌を買ってきて自分で打ち込んという遊び方が当時は行われていました。


小学生にはなかなかハードルの高い遊び方でしたね。

プログラムは基本は英語ですし、中学から高校ぐらいの数学の知識がないとプログラムの中身なんて理解するのは難しいからです。プログラム言語の仕様書と英語の辞書を片手に四苦八苦して遊んでいました。


そういう経験があるとゲームで遊ぶというのは他人の作品で遊ばせてもらうという感覚を持つようになります。掲載されいている通りに打ち込めばいいだけと言えば簡単に思うかもしれません。しかし、プログラムがちゃんと動いているのかわかならいといけませんし、動作がおかしければ自分で修正をしなくてはいけません。だから、それなりの知識と技術がないからゲームで遊べないのです。コンピュータゲームという遊びの初期はそんな雰囲気があったわけで、その感覚がなんとなくいまでも続いているのでしょう。たいていのゲームの好きは、ゲームのことを『作品』と呼びます。


しかし、ゲームの事について詳しくない人にゲームのパッケージを見せて、


「これは作品だ。」


と言われてもピンとこないと思います。

任天堂スイッチのゲームのパッケージを見ても、それは商品だとしか思えないでしょう。かくいう私も、ジョーシンやヨドバシカメラのゲーム売り場に行っても、作品が並んでいるとは思えません。作品と商品という言葉には明確に違う物を指している訳です。


ただ、私の場合にはごく一部の商品の中には作品だといっていいゲームが含まれている事を知っています。

その違いがどこからくるかを一言でいってしまうと、作っている人が知識や技術をもった職人であるということではないかと思います。


わかりにくければ身近な物に置き換えて考えてみるといいでしょう。

映画だったり小説だったりで、作品と商品を分類してみるといいかもしれません。三谷幸喜や宮藤官九郎が脚本を書いたドラマや映画は作品といっていいと感じる事がおおいですね。


洋画だとスターウォーズのエピーソード6までは作品として作られていたように思えます。今年見たのだと、ジョーカーは商品っぽい内容でしたが、主演男優が作品に昇化させていたと感じました。


ヒットしているから作品という訳ではありません。

話題になっていたドラマの逃げ恥なんかは商品じゃないでしょうか。私は見てないですけど新垣結衣を主演にしてしまうと商品っぽさがでてきてしまいます。以前に、紹介した映像研には気をつけろなんかは原作が好きで、間違いなく作品として描かれた漫画ですが、キャストにAKBが使われると商品になってしまいます。


見ていない映画なんで評価はできませんが、『カメラを止めるな!』っていう奴はきっと作品なんでしょう。伝わってくる話を聞くとそんな風に思えます。商品と作品の分類には、個人の感覚で多少の差があるのかもしれませんが、割とはっきりと線引きできるような気はしますね。


先日、体のケアを目的にあるお店にいってきました。

中国では医療として認知されている技術なのですけど、実際に受けてみるとこれはサービスだなぁと感じました。技術的にはちゃんとしているのですけど、サービスとして提供しようとするのでなんかずれが出てくるわけです。


我が身に置き換えて考えてみました。

整体においての作品と商品の違いは、技術とサービスという言葉に置き換えるとわかりやすいかもしれないなぁと。私自身には、


「技術者であろう。」


という考えはずっと根底にあります。だから、私にぶれはあまりないように思います。

しかし、


「サービスを求めているのか、それとも技術を求めているのか。」


整体を受けられる方にこのサービスを求めるという認識があると成果があがらないように思います。いつもいうセリフですけど、人間はロボットじゃありませんせんから何をしているかより何を考えているかの方が重要だからです。


「考えるのが面倒くさいので毎朝早起きしてラジオ体操をしています。」


そういうスタンスでは、何かが違うと言わざるをえません。

整体っていうのは、本来、


「よい生き方とは?」

「より幸せを感じる生活とは?」


こういう事に対して、体の様子を見ながらアドバイスとサポートをする技術じゃないかと思うわけです。


すると、


『思考を省略できるようにする物が商品やサービス』

『思考を掘りさげる助けになるものが作品や技術』


こんな風に言葉にするとわかりやすいかもしれませんね。

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