インドア派とアウトドア派
2020年11月11日
「自分の事はインドア派だと思い込んでいた。」
ある方から、そんな話を伺いました。
世間で言われているような言葉のイメージだと確かにそんな印象のある人かもしれません。
たぶん、このセリフをいった方は、
「自分はインドア派だから、家の中で発散要求を満たせる。」
と思い込んでいた事になります。
それで、緊急事態宣言の前からほとんど誰にも会わずに引き籠もっていたらしいです。でも、そろそろ溜め込みすぎたエネルギーを発散したくなってきたので整体にこられたのはではないか、そんな風に私は感じた訳です。
それで整体を受けた後に、足を伸ばして美術を鑑賞にいかれたそうです。すると、ずいぶんエキサイティングな体験ができたのだとか。
インドア派っていうのはどういうタイプの人間でしょうか?
1人でできること、屋内でやる事、なんていうのがインドア派のイメージでしょうか。芸術に触れて発散させるみたいな事はインドア派でしょうか。私みたいに、考えている事を文にまとめるなんていうのはインドア派の行為でしょう。
でも、考えてみたら、インドアとアウトドア派の違いって、発散欲求をどこで発散させるかというだけの違いでしかありません。貯まったエネルギーを家の中で発散させるか、家の外で発散させるかの違いでしかない訳です。こう考えてみると、インドア派とアウトドア派の違いはずいぶんと雑な派閥だと言えますね。
例えば、私なんかは読書やら文を書くのが好きな訳です。
インプットした情報をアウトプットすることに興味を持つわけです。おそらくそこにアイデンティティみたいなものがあるのでしょう。いわゆるインドア派な訳ですが、私は考えるより先に行動を起こすことの方が多いのです。だから、あれこれとはじめてみてから考える方がうまくいく訳で、アウトドア派みたいな行動を好む傾向がある訳です。
まぁ、最初の、
「自分の事はインドア派だと思い込んでいた。」
という発言をした人は別にこんな事を考えていたのではないと思いますけどね。
インドア派、アウトドア派というカテゴライズを捨ててみるといいのかもしれません。
例えば、
「どんな行動、活動をしたときに気持ちが晴れやかになったのか?」
と考えてみるといいでしょうか。
アートに触れて気持ちが晴れたのだとしても、そこにはいろいろあると思う訳です。アートそのものに心が動かされたのか、そのアートの制作者とのコミュニケーションで心が動かされたのではやはり全然意味がかわってきますよね。まぁ、相手が芸術であれば、そんなに簡単に色分けできるものじゃないでしょうけどね。
さっきもいった通り、そこまで考えてたらインドア派なんて言葉はでてこなかったでしょうけどね。
「インドア派ってずいぶん古い言葉かもしれない。」
なんていう具合に、私が勝手に拡げてみただけの話です。
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