ブログ「日々整体」

将来に確定している大後悔

京都アニメーションにお いてガソリンがばらまかれて放火された事件を知らない人はいないのではないかと思います。私はいわゆるマンガ、アニメオタクですから、それなりのショックを受けていたと思うのですけど、表面上は、 

「ひどい事になってしまった・・・。」 

と思う程度で割と平静にしていました。 
でも、京都にあるマンガミュージアムというところで寄付を受け付けていると聞いて少しだけでも寄付をしようと思ったのです。 

実は私はこの時まで寄付をしたことがありませんでした。 

「寄付はいいことだ。」 

と考えている人にとっては度し難い人間だと思うかも知れません。 
でも、私は、 

「良いことをしているフリをするために出すお金。」

という認識しか持つことができません。 
より具体的に述べるなら、寄付は自分が社会的に立派な事をしているのだという認識を持たせるための支出です。自分の内面や生活に、やましい事や、歪んでいる部分があるのだけど、それを寄付することによってうやむやにしてしまうためという感覚です。 

こういう言い方をすると怒る人もでてくるでしょう。
例えば、悪い事をしても教会にいって懺悔して寄付をすれば神父に許されてしまうのです。 
私は、 

「本当にそれでいいの?」 

って思ってしまう訳です。 
それじゃダメだろうと、お金を出すことで有耶無耶にしちゃいけないことから目を背けてしまうと、いろいろ大切にしているものを全部無くしてしまいそうな気がします。もちろん、人間は弱い生き物だからそうやって許してもらわないと生きていけない人はいると思うのですけど、私はまだそこまで追い詰められているとは感じていません。 

当然、立場や状況が違えば考え方はかわってきますから、寄付を募っている人をみてどうこういうつもりはありません。ただ、 

「困っている人がいる、あなたは金銭に余裕があるのだから寄付をしなさい。」 

と、こちらの罪悪感につけ込んで寄付をしてくれとかいう人を尊敬するのは難しいですね。 
何しろ、私は今の自分の幸福を守るために寄付をしないという選択をしているのに、その幸福を手放せといわれているように感じるのですから。 

そういう私が京アニの火災事件を聞いた時、寄付をしようとはじめて思いました。 
その時、なんでそういう気持ちになったのかと、自分でとても不思議に感じていました。でも、この時、少しでも被害者の方や遺族の方たちに対して、 

「自分にも何ができることはないのか?」 

という考えが浮かんできました。 
それで、先に述べた京都マンガミュージアムに足を運んだ訳です。でも、繰り返しになりますけどこの時も私は平静で、悲しいとか、悔しいとか、苦しいとか、そういう気持ちは一切沸いてくることはありませんでした。 
それで、マンガミュージアムについたら運がよかったのか悪かったのかテレビ局が取材にきていたのです。
何と聞かれたのかはもう忘れてしまいましたけど、カメラとマイクを向けられた時、突如として涙があふれてきました。 

「自分はこんなにもショックを受けていたのか・・・。」 

と気がつきました。 
自分のこのような感情の爆発には驚きました。そして、その悲しみの感情を沈めるために寄付をしにきたのだという事に気がつかされました。後で落ちついてふり返ってみたのですけど、感情が制御できなくなってしまったときに寄付をするといいのだなと、そういう事を理解したように思います。 

話がちょっと変わります。 

最近知ったのですけど、人間は受け止めきれない気持ちを感じる事がないよう、感情をブロックする機能をもっているようです。親が死んだ時に、全然、実感が沸くことがなくて、後になって悲しくなったという話を複数の人から聞きました。たぶん、悲しい辛いという気持ちを受け止められるような状態になった時にあふれてくるのでしょう。 

私は寄付にいった時、京アニが燃えて多くの人が亡くなったという事実に耐えられない状態だったのです。それをなんとか処理するために寄付をするという行動を無意識にとった訳ですが、テレビ局の人間が余計な事をして感情のダムを決壊させたために、私は大恥をかいたという事なのでしょう。 

結論としては、 

「テレビ局クソ、なくなってしまえ!」 

という事でいいかもしれませんね。 

それで、最近考えている事が1つああります。 
両親の思考能力が衰えてきてるのですけど、そうなるとタガがはずれて、 

「これほど薄っぺらい人間だったのか・・・。」 

という事実に直面しています。 
いわゆる認知症になっている訳ですけど、 

「とっとと死んでしまえ。」 

という事を考え始めています。 
母はあれこれと世話をしてくれる嫁に対して、 

「ありがとう。」 

という事すらいえなくなっています。 
私にだったらまだいいのですけど、嫁や息子に対してこういう接し方をするのを受け入れる事ができません。 

死ねばいいとまで思うのは感情がブロックされているからでしょう。 
これまで尊敬していて孝行しようと思っていた両親がとんでもないクソ人間だったという事実を私は受け入れる事ができないのです。だから、いつか亡くなった時にも 

「やっと死にやがったか。」 

と思うのだろうと思います。 

でも、死んでしばらくしてからきっと大後悔をするのでしょう。 

「どこでボタンを掛け違えたのだろうか?」 

と思うのですけど、私が関わり用のないところでそれが起こっていたような気がします。結局、そう遠くない未来に悔やんでも悔やみきれない大後悔をすることになるのだろうと思います。多分、これはもう変えられない未来なのでしょうね。 
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三種体癖の幸福

前回、三種体癖の人が自身の奇矯な行動で幸せをつか見損ねてしまう話を書きました。それを読んでいる事を前提に書いているので読んでいない方はまずはそちらからどうぞ。


それで前回の内容ですけど、心当たりのある人が結構いて、

「私って三種体癖ですよね?」
「うちの息子って三種体癖ですよね?」

といった事をかれました。

三種体癖の人は、丸いあるいはぽっちゃりという体型の方が多いです。
いつもニコニコしていて、そこにいるだけで雰囲気を明るくするようなタイプの人は三種傾向をもっていると思っていいでしょう。森公美子や石塚英彦なんかが典型的な三種体癖だろうと思いますね。

ただ、聞かれた人の半数ぐらいは三種ではなく四種体癖の人でした。
三種と四種は同じ左右型に分類される体癖で、どちらも体の重心を左右にゆらしながら体を動かす特徴があります。どちらも感受性が豊かなのですが、その性質が陰とでるか陽とでるかの違いでしょう。

四種傾向の人は、気の流れ、エネルギーの発散が陰に向かう傾向があります。
一般的にネガティブ思考なんていわれる事が多いでしょう。こういう人は気持ちが前向きにならなければとか、ポジティブ思考にならなければと考えてしまって、おかしくなっている人が多いです。しかし、三種の人は陽の方向にしか発散できませんし、四種の人は陰の方向にしか発散できませんし、表裏の性質なので両方の気質を持つことはありません。

四種の人は気の流れを陰に向けないとうまく発散できません。
ぱっと思いつくのだと絵描きがわかりやすいでしょうか。そういう人は怪我をして包帯を巻いている人物だったり、廃墟だったり寂しさを感じさせる風景の絵を描いているのじゃないでしょうかね。あと、ドロドロの昼ドラなんてのを見て発散しているとか。歌手だと中島美嘉は陰に向いていますが、宇多田ヒカルは陽に向いているような気がしますかね。書いていて思った事ですが、オタク界隈でヤンデレといって病的な恋愛をする女性の表現があるのですが、それも四種傾向かもしれません。

四種タイプに人には

「他人の悪口を日記で書いてもいいんですよ。」

なんてことをよく話ます。
まぁ、他人に見られたらちょっと困るので、ばれないように上手に隠さないといけませんけどね。

こういう具合に気の発散(世間ではストレス発散なんていわれていますかね。)をやるのは体癖により向き不向き、様々な方法があり、落ちるところまで落ちなければ気持ちがあがってこない人だっています。安易に、

「物事をプラスに捉えて前向きになろう。」

なんていう事は不可能な人もいるのです。
心や気持ちの問題をポジティンブなれば解決だなんて横着に考えない事です。

四種傾向の方は、細見の体型になる傾向があります。
細身なので周囲からは

「もっと太れ。」

とか云われ続けていて、そのせいでノイローゼ気味になる人も少なくありません。
しかし、四種傾向のある人が太るとかえって病気になると思った方がいいでしょう。体重というのは身長に対して適切な重さがあるのではなく、骨格にあわせた適切な体型、体重があるという事を理解しておいた方がいいでしょう。厳密にいうなら、たぶん、骨の重さで肉付きがかわるので骨だけの体重を計算できるものがあるといいのですけどね。

あと、こんな話をすると私は細身の体型だから四種だと考える人がいます。
しかし、三種傾向のある女性なんかは出産後に太り出すとか、男性でも歳をとるにつれて太っていく傾向になる人も少なくありません。だから、若いうちの体型で自身がどういう体癖なのかを安易に判断しない方がいいかもしれません。

また、似たタイプに十種体癖があります。
十種はちょっと珍しい体癖なのですけど骨格と見た目だけで判断するのはとても難しいです。だから、もしかしたら三種だと思っていても十種だったりすることもあるかもしれません。

話が大きくそれてしまっていますが続けます。

ドラゴンボールの主人公孫悟空が陽であるのに対してベジータは陰であると考えればわかりやすいのではないでしょうか。ベジータがスーパーサイヤ人になったのは、格闘家としての実力が孫悟空には及ばないという、自分自身に対する怒りが引き金でした。孫悟空がクリリンという親友を殺したフリーザ対する怒り、つまり外に対しての怒りがきっかけであった事と対称的です。ベジータは孫悟空に近づくために相当なのトレーニングを積みましたがスーパーサイヤ人になる事はできませんでした。でも、そうやってトレーニングという形で外に向かっていたエネルギーを、内に向けた、つまり自分自身に向けた瞬間に、ベジータはスーパーサイヤ人として覚醒したのです。

三種を理解するためには四種のとの違いを理解するのがわかりやすいのかもしれません。

三種体癖の人は感情の量が豊富でそれを発散させる事で幸福を感じる事ができる体癖です。
感情の量というのがピンとこなければ、エネルギーや気、なんでもとっつきやすい言葉を置きかえてもらっても問題はありません。だから、芸術の分野に興味をもつ人が多い印象です。しかし、芸術分野にしか活躍の場がないわけではありません。

例えば、将棋という分野で考えてみましょう。

「将棋というのは頭のなかで棋譜を考えるので頭脳型といわれる一種の人たちばかりだ。」

体癖の事を学んでいるとそのように考えてしまいがちです。
しかし、将棋には様々なスタイルがあります。じっと座って次の一手を考えるのが一種的な傾向、庭を散歩したり扇子を振りながらながら次の一手を考えるのが五種的傾向、直感で次の一手を思いつくのが三種的傾向です。羽生善治や加藤一二三などは三種的な棋士で、最近話題になっている藤井颯太はおそらく一種のタイプです。将棋界のこれまでは生まれついての天才と呼ばれるような三種タイプの人が強かったのですが、AIが進化してきた事もあってAIと将棋を打つことに疑問を感じない一種体癖の棋士がこれからは活躍をはじめるのかもしれません。五種的な将棋の打ち方をする人は知りませんが、実力を発揮するような人はじっとせず落ち着きが無いような印象になるはずです。

こういう具合に、どんな分野にもその体癖に沿ったアプローチがあるものです。
だから、自身がどんな分野にいるにしても自分らしさを忘れないように取り組むことが大切です。実力のある指導者は、そんな体癖、個性にあわせた指導をしてくれます。しかし、そんな指導者は希有な存在だとおもいますのでどのような人に教えてもらうかということはとても大切なことだという事も踏まえておくとよいでしょう。

三種の人を苦しめる言葉は、

「もっとよく考えてしゃべろ。」
「意味がわかるように話せ。」

などでしょう。
最近はこんなのばっかりだという印象です。直感を無視して合理性だけ、損得だけで物事を判断してしまう人が重要なポジションについているケースが多いのかも知れません。

「なんか嫌。」

という気持ちを他人に合理的に理解できるように説明するのは無理だと思った方がいいですね。


前回、三種体癖の女性が旦那さんに気持ちをうまく理解されず離婚してしまう話を紹介しました。

どこかでボタンを掛け違ってしまったのでしょう。
私は、女性が奇矯な行動をするまで追い詰めたのは男性の方だと思います。男性は良識をもった常識人だとは思いますが、常識人であったが故に奥さんの直感や心の動きが理解できなかったのでしょう。男性の方が仕事を通じて少しづつ頭が硬くなっていったのか?頭髪がない禿げだという事でしたら、体に問題があってだんだん柔軟な思考ができなくなっていったのかもしれません。

天真爛漫な三種の人が、頭の硬い人と一緒に暮らして幸せになれるか?
と考えるとこちらで紹介する男性のような気持ちをずっと保っていられるか?というのがポイントになるとおもいます。



そして、

「なんか嫌だ。」

そう思った、感じた時には素直にその気持ちを相手に伝える事です。
パートナーがその気持ちについてちゃんと考えてくれるかが大切なポイントだと思います。生活、人間関係は合理的、理性的な判断だけではうまくいかないのだという事をよく話しておけるといいのかもしれませんが三種体癖の人はそういう話し合いを好みませんから注意が必要です。
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三種体癖の不幸

最近、Youtubeで2chスレッドのまとめを動画にしたものをみるのが日課になっています。

スレッド、スレというのはその掲示板のテーマの事です。私は2chはなじめなくて見る事など皆無です。ただ、ごく希に神スレッドとなる書き込みがあって、それをまとめたサイトをみる事がありました。書籍化、そしてドラマ化された電車男などは多くの人がご存じではないでしょうか。


それで私が今見ている動画は主に修羅場スレのまとめです。

修羅場というのは男女間、主に夫婦間のいざこざから離婚までの流れの事です。知らない事を知るというのは興味をかきたて、大いに私の好奇心を満たしてくれます。


「どのように浮気の証拠集めて、それをどのように活かすのか?」


そして興信所や弁護士の活用方法などなど、様々な知識を得た私は離婚手続きについてはプロ並みの知識を得てしまったかもしれません。


「パートナーが浮気をしたときにどのように対処すればよいか?」

「パートナーと浮気相手に賠償金を支払わせた上に社会的制裁にを加える方法。」


などは、おそらく、たぶん、きっと私には不要な知識のはずなんですけどね。


ただ、まれにこのケースで離婚してしまうのは気の毒だなぁと思うシチュエーションがあります。

それがこちら


【修羅場】【第1話】美容師を追いかけて出ていった嫁に帰る場所はない

https://youtu.be/x9_nnGDWdck


【修羅場】【第2話】美容師を追いかけて出ていった嫁に帰る場所はない

https://youtu.be/S4y-GawBZog


【修羅場】【第3話】不倫嫁の恋心が止まらない

https://youtu.be/zIjX9_-yERg


【修羅場】【坊主シリーズ】別れた嫁がストーカー化した



動画4本にも及ぶ長編ですけど、側から見ている分には楽しめるのではないかと思います。


奥さんが


「彼を愛する気持ちが止まらない。」


といって家をでていったので愛想が尽きて離婚をするという話です。

常識と良識をもった人であれば彼女の考える事を理解する事は難しいと思います。でも、この女性はかなり色濃い三種体癖なのは明白です。ここまで三種傾向が強いと天才的な才能を発揮する可能性が高いと思うのですけど、時代が悪かったのか、それとも環境が悪かったのか、その天武を発揮する機会に恵まれなかったのだろうなぁと思います。


三種傾向が強いと一般的には天然キャラと言われることが多いです。

知性ではなく感性で物事を捉えるタイプになります。私が三種を説明するときによくやる説明は、


「初めて会った人でも一目見ただけでいい人かどうか判断できる。」


というものです。

直感的になんでも一瞬でわかってしまうのです。でも、欠点としてそれを言語化して説明できない傾向が強くなります。まぁ、これは本当は欠点ではないのですけどね。三種でも自分の直感を原語化できちゃう人がいますけどそれはきわめて希な才能です。直感と言語化能力というのは人間の機能としては相反するものなので両方を兼ね備える事はまずありません。芸能人でいうとマツコデラックスがそういうタイプの人になりますかね。彼?のような人がそこら辺りで普通に出会う事がまずあり得ないのは想像がつくのではないかと思います。


SNSで言うとTwitterとインスタグラムの違いといえばわかってもらえるでしょうか?

私は文字で表現するすることを得意にしているのでTwitterが楽しいと思うのですけど、インスタで映像や画像で表現することは邪魔くさいと感じてしまうのです。インスタを楽しんでいる人はきっとその逆でしょう。


この女性、一般的には天然ボケといわれるタイプです。

その天然ボケがかなりきついですね。思っている事、考えている事、そして伝えたい事が言葉にならずそれでもなんとか伝えようと歌を歌うという具合に、他人から見ると奇矯な行動になってしまうのです。


心のキレイな純粋な人間でしょう。

それをわかってくれる男性と出会うことができればたぶん幸せになれることでしょう。例えば、美容師にすがりついて袖にされた後、


「かえりましょうか。」


と、言った時に頭を叩いて、


「あほっ!」


と突っ込みをいれてくれるような男性だったらいいのでしょうけどね。

そう考えると天然ぼけの人は関西人のもつ笑いのDNAをもった人をパートナーに選ぶとよいのかもしれません。他人からみたらおかしな行動をしても、


「面白い奴。」


と笑いに変えようとする精神をもっている人は少なからずいますから。


たぶん、ご主人の側に何らかの問題があって彼女はそれが不満だったのでしょう。

その不満の解消として美容師に惹かれてしまったのだろうと思われます。理性による判断ではなく、この美容師が信頼のできる男性であることを直感的にわかっていたのでしょう。ただ、それを言葉でうまく説明できないし客観的にみて合理性がないから頭が変だ、おかしいと思われてしまうのです。ちなみに、この動画、うちの嫁にも面白いからと見せたのですけど、


「気持ち悪い人だ。」


といっていました。

うちの嫁も三種傾向の強い人間でもしかしたら共感できる部分があるのではないかと思ったのですが、残念ながら理解をするのは難しかったようです。だから、今回私が言っているような事を理解してもらえる人はまずいないだろうと思いますね。


動画はご主人の視点で表現されていますから、そういう部分は一切ありませんでした。もちろん会った事のない人だから、たぶんそうだろうという話でしかありませんが。


ただ、


「三種体癖の人は生きていくのが辛い世の中なんですよ。」


とよく話をしています。

物事を客観的にとらえて言葉にかえないと頭が悪いとか、おかしいとかいわれてしまいます。勘なんていうのは理性ではなく直感なのですが、それを言語化して他人に説明するのはとても難しい事です。


私は感が鈍いタイプの人間なので、嫁の直感をよく利用しています。

例えば、初めて会った人の印象を嫌な感じなのか、それともいい人だと感じるか?と聞くのです。それで、嫌な人だ、なんかおかしいと感じたという時はその人を警戒するようにします。仕事や金銭が絡む時にはこの直感を120%信用して付き合わないようにしています。


繰り返しますけど、3種の人は考えている事をうまく言葉にできないだけです。

そして、それは能力が劣っているからではなくとても優秀だからです。どういうことかというと、私のような凡人にはそれを解らせるようにうまく説明できないだけで、こちらが劣っているだけなのです。

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好奇心と興味が全生には大切です

健康であるとはどういう事かをよく考えなければいけません。 
健康であるという事は生を全うする全生が可能な状態です。だから、引き込もりや寝たきりの人間は健康ではありません。 

特に引きこもりについては、個人の努力が足りないせいだと思っている人が多いのかもしれません。しかし、人間という生物は非常に好奇心が強い生き物です。だから、人間は健康であれば必ず何かに興味をもってそれに熱心になる性質をもっています。 

ジョジョの奇妙な冒険に川尻耕作という人物がいます。 
彼はあらゆる分野で3番目の評価をうけていました。理由は、平凡であるという事にこだわる人物で、そのためには殺人すらも厭わないという異常者として描かれていました。平凡であろうとすることもまた興味の対象であると考えれば、好奇心を持つ、興味を持つという事の選択肢が増えるのではないでしょうか。

子育てがうまくいかないと嘆く人に話を聞くと、こういうものに興味を持って欲しいと興味を持つ対象を親が限定してしまっているケースが多いように感じます。その結果、子供は、 

「興味を持つことがいけないことだ。」 

と考えるようになります。 
子供が興味をもったものに大して親が

「そんなものには価値がない、もっとこっちのものに興味をもて。」

と、子供が好奇心を向けたものをダメだと否定するのですから当然です。結果として子供の才能を潰してしまうことになります。 

例えば、しみけんという人がいます。 
アダルトビデオにでてくるAV男優なのですが、彼は高校生の時には性風俗産業に興味をもっていてその仕事に就きたいと考えていたそうです。その結果、この分野では知らない人がいないという人物になり、本も何冊も出版するようになっています。私も若いころから、見たことはないけど名前は知っているという人でして、最近いくつかの本を読んでみたのですけど、かなり面白い人物だと感じました。Youtubeにチャンネルがあるので見てみてもいいかもしれません。 

私だって、息子が、 

「AV男優になりたい。」 

なんて言い出したら、本気で嫌だと思います。 
でも、息子の興味や好奇心が本当にそっちに向いてしまったのならそれを応援こそすれ止めるような事はしてはいけないのです。

極端な例かもしれませんが、、 

「こういう事に興味を持て!」 

というような誘導をしてはいけないのです。 

このような発想は生を全うする全生には必須です。 
健康であるということは、まず、 

「適度な好奇心を発揮できる状態である。」 

という事をまず第一に考える必要があります。 

もし、このことがわかれば引きこもりになる理由は簡単にわかりますね。 
それは、 

「好奇心が働いていないから。」 

なのです。
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歳を実感できず、現実も見えない男の話

ちょっと前に競馬場に息子と2人ででかけました。息子が、ウマ娘というアプリのゲームで競馬に興味をもったから一度、生の競馬を見せてやろうと思ったのです。


自宅は京都競馬場の近くなのですが、現在改修工事中という事で仁川の阪神競馬場です。

出かける時には、三冠馬のディープインパクの2戦目のレースを見に行った時以来だなぁと考えていました。でも、よく考えれば息子が幼稚園のころに、馬を見せてやろうと思ってピクニックがてらでかけた事を思い出しました。だから6~7年ぶりぐらいですね。その時は馬、牛、豚といった家畜がもつウイルスに触れておくと体が丈夫になるなんていう論文だったかの情報をみかけて、直接、馬に触れる機会を作っておこうと考えていたと思います。だから馬をさわりに行ったという感覚で、競馬を楽しむという形で競馬場にいくのはやはり15~20年ぶりぐらいになります。


そんな訳で、私の競馬に関する知識は15年前で止まっています。

その日は天皇賞の日だったのですけど、出走する馬の血統をチェックしようとすると、父親をにはキングカメハメハ、ディープインパクト、ステイゴールドとか私が競馬場で応援していた馬たちの名が並びます。


また、リーディング1位の騎手が武豊じゃないんですよね。

この日は関東で天皇賞がありましたから、他の有力騎手がそろって関東へ出張していたのもあってか武豊は大半のレースに乗っていました。私にしたら武豊が天皇賞に乗鞍がないというだけでも驚きなのです。この日は、それなりのレース数に乗っていても1勝もしていませんでしたからちょっと残念な気持ちになったりします。15年前なら、このレースで武豊は勝つか?なんていう思考が中心になるレースも珍しくなかったですから、ずいぶん大きな変化です。


武豊は私より4つ年上で、大きな落馬事故にもあっています。

だから、いまでもよく乗っていられるなぁというのが本当なんですけどね。15年ぐらい前だと、岡部幸雄といってシンボリルドルフの主戦騎手だった人の引退のころで、確か55歳あたりだったように思います。そういうところから踏まえると私が当時岡部という騎手に感じていた印象を、現在の若い競馬ファンたちは感じているのかもしれないなぁと思うわけです。ちなみに、私の岡部幸雄に対する印象というと年寄りがでかい顔をしてんじゃねぇって感じでしたね。


ちょっと嬉しかったのは幸英明という騎手がリーディングの10位以内に入っていた事でしょうか。

彼は若手の騎手の中でかなり注目している人でした。馬の実力を堅実に発揮させる実力のある騎手だったのですけど、その力量に見合わない成績だなぁと思っていたのです。そういう人が、ちゃんと周囲に認められて力量に見合う成績をあげるようになっているのはちょっと嬉しく感じます。


阪神競馬場の一番大きな変化はコースが大きく変わっていた事です。

阪神競馬場はちょっと変な形のコースで枠順での有利不利があったりしたのですけど、それがほぼなくなっているという印象でした。コースも大きくなっていましかたらかなり大規模な用地買収が行われたのだろうなんて事を考えていました。


ただ、かわっていないところがって、それはフードコートだったりします。

当時は改装がおわった直後という感じのきれいな食べ物のお店が並んでいるという印象でした。ところが、古ぼけた商店街という雰囲気が漂っていました。設備としては大きな問題はないから今でも使われているのだと思いますが、変わらないでいると寂れた印象があるのだなぁというのが印象的でした。


自分は日々歳をとっていくのですけどそれを自覚する事はあまりないのです。

高校生だったころをつい先日のように思ってしまうぐらいです。ところが、競馬場に行くと自分がかなり歳をとってしまっているという事に気がつかされてしまいました。とても当たり前の事なのですけど、そういう当たり前の事に気がつけていないということを確認してしまった時、自分がお伽話の登場人物になったような不思議な気持ちになりました。


たぶん、現実感がまったくないんですよね。


「この歳になっても、まだ自分の存在がぼやけている。」


というのは、ちょっと恥ずかしい事のように感じていました。


さて、朝一番からメインレースまで馬券はかすりもしませんでした。

それで最終レースは荒れて大きな配当がでそうな気配がプンプンしていましたので一発当ててやろうと。そのレースには目を付けた馬がいてその馬から総長しで確か1400円買いました。予想通りその馬は1着でしたが配当は1000円程度で的中したのにマイナスになってしまいました。勝負には勝ったけど、馬券で負けるという競馬によくある奴です。


私は帰りの電車で、


「息子には予想と馬券をあてるところを生で見せる事ができたので父親としての面目はかろうじて守られたはずだ。」


自分にそう言い聞かせるのでした。

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