ブログ「日々整体」

自律神経の読み方

年末年始の休みに溜め録りしてあったドラマ「まだ結婚できない男」を見ることにしました。

10月17日の記事で1話だけみて考察してみた記事はこちら

数ヶ月もあけて2話目以降をみてみたわけですが、ひどい内容になっていました。
放送はもう終わっていますが、もし見ておられた方がいたのでしたらこのあたり、具体的には2~6話で見るのを辞めてしまった人もいるのじゃないでしょうか。

単純なコメディドラマとしてだけみるのであれば、それなりに楽しめる内容ではあったかもしれません。でも、このドラマはあの結婚できない男の続編ですから私の期待値はもっと上です。

ダメだったところを上げてみると、

・桑野信介のキャラがぶれてタダの痛い男になっている
・桑野が指揮棒をもって指揮をするシーンがない
・桑野が食事をするシーンがない

一般の人から見ると奇矯だけど、桑野にとっては当たり前だというシーンはこのドラマにおいてもっとも重要なシーンです。ところが、2~6話では、桑野信介が鎌倉でお金を洗うシーンが1つあるというだけで、他にはまったくありませんでした。

また、桑野信介が言うはずがないセリフが延々と並んでいました。
阿部寛は1話できっちり役作りをやっていましたから、このセリフのブレにはかなり困ったのではないかと思われます。

このドラマの女性たちは、主人公に対して


「気持ちや考えはちょっと理解はできるのだけど、この人と結婚するとなるとちょっとね。」


というような微妙な心の動きを、1話では面白おかしく表現していました。

ところが、2~6話は、


「女性の気持ちに対する配慮や気づかいが全くできないダメな男を女性たちがあざ笑う。」


という内容になってしまっていました。
男性が草食化して頼りなくなったせいで結婚相手を見つけられないとぼやいている女性に、媚びを売る内容になり下がってしまったとでもいうところでしょうかね。

このドラマにおいて何がもっとも面白いのかを理解しない人間が雑な干渉をしてきて制作現場をぐちゃぐちゃに荒らしていったのでしょうか。

普通に考えるのであれば1話とそれ以降の体制に変化があったのは明らかであろうと思われます。
セリフとストーリから考えると、脚本を書いている人が変わっている可能性が高いと思えます。ただ、テレビのドラマって監督や脚本家の情報があまり表に出てこないので、何が起こっているのかが今ひとつわかりにくいのですけどね。

あるいは、1~6話まで収録した時点で、

「これではダメだと。」

監督がそんな事を言い出したのかもしれません。
それでてこ入れをしようとしたのだけど、制作スケジュールを考えるといろいろ直すわけにもいかないので、

「それじゃ1話だけでもしっかりやり直そう。」

とそんな事が起こったのかもしれません。

ただ、そう考えると1つ辻褄が合わなくなります。
1話では桑野信介の対極の存在としての立ち位置だった森山桜子という女性の立ち位置です。2話以降、出番が極端に減って、5話あたりからちらほらでてきて7話で桑野信介の仕事のパートナーである村上英治の結婚相手になっていました。村上が彼女と結婚するのは8話です。

桑野の真逆の存在であることを前回の記事で指摘しました。
その真逆の立ち位置は変わっていませんが、西にいたのがいつの間にか東側にいたみたいな変更をしてきましたね。その分、弁護士の吉山まどかがもともと森山がいたポジションにじわじわと寄っていきました。

1話であれだけしっかりキャラ立てをやっていたのに、こんだけキャラの立ち位置をいじってくるというのはかなり珍しいと思います。先ほど述べたとおり、制作陣のなかでかなり喧々諤々の何が起こっていたんじゃないでしょうか?ちなみに、これを書いている1月10日で私は8話まで見ましたので残り2話です。2話以降の崩壊ぶりからいってもうダメだなと思っていたのが、7~8話で建て直してきたでラストはちゃんとまとまっていそうな気配です。

さて、年末年始はずっとこのドラマ「まだ結婚できない男」の事ばかり考えて過ごしていました。
それでふと思ったのですが、私は体の状態をみる、つまり自律神経の状態を読む時も同じような見方をしていますね。セリフがぶれたり、ストーリ展開にスムーズさを欠いているなぁと思った時には、


「どうしてこういう脚本になったのか?」


という見方をします。
その原因は、監督がへぼなのか、脚本家の実力がたりないのか、役者の演技がダメなので妥協してこうなったのか、それともスポンサーが横槍を入れて改変したのか?なんて事を考えるわけです。


「面白くないのは脚本がダメだからだ。」


なんていう考えで、宮藤官九郎や三谷幸喜を起用すれば面白くなるというほどドラマは単純な物ではありません。面白いドラマを作ろうと思えば、監督、脚本、役者、その他様々なスタッフが一丸となって取り組むからいいものができるわけで、この監督がいれば全てがうまくいくなんて事はありません。制作スタッフがそれぞれの役割を自覚しつつ協力するから面白いドラマができあがるのです。


「面白いドラマができないのは、チームワークが悪いからだ!」


そりゃまぁ確かにそうですけどね。
チームワークを高めましょうと大きな声で訴えていれば皆が共感して一致団結するというほど人間は単純じゃありません。


この考えをそのまま体に置き換えて考えてみればいいのです。
めまいがするから、耳鳴りがするから、体が辛いから、それは自律神経の問題だみたいな発想はあまりにも短絡的ではあります。しかし、


「元気がでない、体の調子が悪いのは自律神経の働きが悪いからだ。」


と、ここまではよしとしましょう。
でも、自律神経の働きというのは、チームワークみたいにとらえどころのないものですからね。もうちょっと俯瞰して考えないと適切な対処というのはなかなか難しいわけです。
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俺たちは強い!

「ダーウィンの進化論では、生物の進化は説明できない。」

15年ぐらい前に読んだ本には既にそんな事が書いてありました。
ダーウィンの進化論では、生物の進化は偶然の起こる変化の中で環境に優位な個体が生き残って進化が起こるなんて説明されています。簡単な言葉でいえば、キリンの背が高くなったのはたまたま背がたかく生まれた個体が生き残る確率が高かった結果、キリンの背は高くなったという事です。

このような進化は、性が分かれて交配によって遺伝子を交換することによって起こります。
人間でいうなら男女が結婚して子供をつくることで、その子供の遺伝子に変化が起こるわけです。生まれてきた子供は両親の遺伝子、特徴を引き継いで新しい可能性を持ちます。そうやって生まれてきた可能性の中で優位な個体だけが生き残って遺伝子を残していくというのが、ダーウィンの進化論です。

ただ、進化論では新しく生まれてくる個体が優秀かどうか、環境に適応しているかどうかは運任せでしかありません。そんな偶然の繰り返しでゆっくり少しづつ進化してきたというのがダーウィンの考えです。私は学校で生物の進化についてはこのように教わりましたが、生物の進化についてこのダーウィンの進化論に異を唱えた人がいます。

遺伝子の変化によって起こる可能性というのは無限に存在します。
無限にあるもののなから偶然に優秀な個体が生まれてその個体の持つ特徴が主流になっていくというのは無理があるというわけです。砕けた言い方をしてみるなら、

「宝くじを的中させる人だけが生き残って子孫をのこしていけば、その子孫たちは全員宝くじを的中させるような個体になる。」

というような事です。

言われてみれば確かに変です。
例えば、ほかの多くの生物ももっていて、私たちにもある目という器官は偶然に生まれるでしょうか。最初に目として確認できる器官は、光を感じる事ができるものだったそうです。かなりうろ覚えですが、アメリカ大陸だったかどっかに、光を感じる事ができるアメーバみたいな生物が見つかっていて、どうもそれが目というものを最初にもった生物の子孫らしいなんていう話です。

明るさを感じる機能が偶然に偶然を重ねていけば色や形を明確に識別できるようなものに変化するか?町並み、人の暮らしと営み、自然の風景を見て美しいと感じる事ができるようなものがたまたま偶然生まれたものか?

整体で考えるなら目というのは脳の一部だと野口晴哉氏が説明しています。
ということは、明るさを感じる事のできる細胞が、生物として脳を持つという進化をしていく必要があります。遺伝子の数と、そこから生まれる可能性を計算してみた場合、目という器官が生まれてくる可能性はどういう確率になるのか?おそらく世界中のスーパーコンピュータを何台つないでも計算しきれないような数字になるはずです。つまり、生物の進化は偶然に起こるものではないという事です。そして、このことを裏付ける研究もすでになされていたりします。

私が知っているのはツバメの研究です。
あるツバメを調査したところ、その種には小型化が起こっていたそうです。そして、その変化はわずか2~3世代でした。

「どうもダーウィンのいうゆっくり少しづつというのは誤りで生物の進化は私たちが考えていた以上に急速に起こるものらしい。」

という事です。
考えてみれば、日本人だってその体型や見栄えは戦後あたりの人たちと、今の私たちではずいぶん変化しています。ちょっと前まで日本人は胴長で短足で小柄だったのが、足の長い長身の日本人は珍しくない程度にはみかけます。

実は、胴長になるのは腸が長いからです。
穀物主体の生活をしていると、腸が長くなります。穀物は消化吸収に時間をかける必要があるから腸が長くなるのです。一方、肉食主体だと腸が短くなります、肉が腸内に長く留まっていると腐敗して腸の働きに悪影響を与えるからです。

これはどういう事かというと、食生活の変化に適応、あるいは進化したということでしょう。その変化はやはりわずか2~3世代です。

また、こういう事を踏まえて考えると、環境保護という考えも非常にくだらないものだという事がわかってきます。どんな風に環境が変化しても私たちの子供や孫の世代はちゃんと環境に適応して進化していくのです。

ついでにいうと、二酸化炭素が増えると動植物にとっては都合が良い事の方が多いじゃないでしょうか。植物は二酸化炭素が多いほうが繁栄しやすいですし、植物が増えれば食物連鎖の底辺に厚みがでて動物たちにとっても生活しやすい環境になるはずです。二酸化炭素が増えて困るのは、今の時代を生きる我々だけで、そんな我々の都合を子や孫、子孫たちに残したって迷惑なだけだと私は思いますね。

だから、環境についてどういうこうい人がいたら、

「ダーウィンの進化論がもう石器時代の考えだという事はご存じですか?」

と質問してみるといいでしょう。
頭の中が古い人には未来の事を考えるのはちょっと難しいはずですから、そんな人の話は半分に聞いておくことです。

さて、話がまとまりを欠いてきましたのでポイントをまとめましょう。

ツバメは2~3世代で小型化しました。
その変化を観察した学者は、環境が変化したので小型化した方が都合がよくなったのだろうと考察していました。日本人は食生活が変化しましたが、その食生活の変化に対応するために内蔵と体型に変化がでてきました。

これは、

「生物には種全体としての明確な意思がある。」

という事を意味しているといえます。
『目という器官を持つ』という種の意思が働き、その上で、どのような進化をすれば目という物を見る能力を得る事ができるか、可能性の模索が行われた結果、今の私たちは目を持っているのです。そして、私たちの体は目だけではありません。私たちは、心臓、肺、肝臓といった五臓、血管、神経、筋肉、皮膚、血液、そして脳、様々な働きをもつものが集合して生きているわけですが、

「こんなんでましたけどー。」

みたいな偶然の産物だと思うでしょうか?遺伝子の可能性は無限に広がっている事を思えば、私たち人間をはじめとする様々な生物が偶然に生まれるはずがないのです。


「ダーウィンの進化論が生物誕生、そして世界生成の秘密だ!」


と考える人にはちょっとぶっ飛んだ考えにきこえるかもしれません。
ただ、15年ぐらい前に読んだ本にはそういうことが書いてありました。そして生物学だと、こういう考えが主流になっているなんて話も聞いたこともあります。

こういう具合に学問が進んでいるのにそれに私達がついていけていないなんて話はいくらでもありますね。

歴史だと4大文明なんて言葉を社会で習いますが、現在では同じ時期に10ぐらいの文明があったことがわかっているそうです。恐竜は爬虫類で肌がつるつるだと教わりましたが、羽毛をもっていて鳥類は恐竜から進化したのだというのはすでに常識になっていたりしますね。

種としての意識というのがどういうものかはまだまだ議論して研究をする必要があるとは思います。ただ、学校で教わったことでは説明できないことがいくつも確認されているという事ぐらいは知っておいてもいいのじゃないでしょうかね。


整体というのはこの種としての意識に思に働きかけた時にもっとも効果的になります。だから、生物の進化に種としての意識というものが存在しているという考えは私には割と受け入れやすい考えだったりはします。

具体的にやろうと思うと、まっさきに頭に浮かんだのはインディアンという言葉は差別用語になったんでしたっけ?北米の先住民族たちがやっていたサンダンスです。酒飲んで3日ぐらい踊りつづければ、そういう種としての意思みたいなものにアクセスできるような気はします。太古において、医療や治療が神事やまじないだったのはそういう事なのだろうと思えます。

ただ、このあたりの事を掘り下げるのは、


「この考えにはかなりときめきを感じるけど、私にはちょっと無理そうなのでごめんなさい。」


という感じがするので、もうちょっと優秀になってくるであろう2~3世代後の人たちに任せたいと思います。





最も大切な事は、


「私たちは、今の時代、社会に、環境にちゃんと適応している。」


という事を理解することです。
ストレス社会であるならそのストレスに耐えられるように進化していますし、環境が変化しているのであればその変化に応じて進化しています。私たちをはじめとすると地球に生きている生き物はそうやって進化することで38億年も生きてきたのです。霊長類に限定して考えても700万年も生きてきたのですからね。昨日、今日、ちょっと変化が起こったぐらいで病気になって生活もままなりませんなんて事になるはずがありません。

しょーもないことをいう人がいたら、

「ダーウィンの進化論についてどう考えていますか?」

と聞いてみればいいでしょう。
そして、


「生物を、人間を、そして私を舐めるなっ!」


と、言ってやればいいのです。


「私たちは強い。」


これは間違いないの事実です。
私たち人間がどのような進化、歴史を経て今を生きているのか?そのことを振り返って考えてみれば疑いようなどありません。生き物の、人間の、そして自分の強さはもっと自信をもって大丈夫です。

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聴力検査の可能性と聴力の話

先日、魚がどのような音に反応するかを観察する映像をみました。
釣りなんかやっていると魚を音で誘うなんていう謳い文句の釣り具がたくさんあるので、魚は音に敏感なのかと思っていました。ところが、大半の音にたいして魚は無反応で、特定の特殊な音に対してだけ逃げ去ってしまう行動をとりました。魚の場合、音として認識しているのか、水中の振動として認識しているのか、わかりませんが、聞く必要のある音だけ聞いているいう事がいえるのではないでしょうか。

聴力というのはなかなか不思議な能力です。
なぜなら、音が鳴っていれば聞こえるというほど単純ではないからです。私の身近には名前を呼んでもなかなか反応しない人間がいます。何回呼んでも返事がないので、

「(名前)のあほー!」

と声をかけてはじめて返事が返ってきます。
これは1回や2回でどうこうではなく日常茶飯事な事で、周囲の人間に、

「あほって言ったら聞こえるで。」

と予告してからやってもその通りになります。

この人がずいぶん残念なのは明白です。
耳が自分に対する誹謗中傷や悪口だけを拾っているからです。こうなる理由は、ずっと他人の評価を気にしながら生活をしているからでしょう。

こういう一面は私にもないわけではありません。
ただ、私の場合は評価されたいという気持ちの方が強いでしょうか。だから、私が考え事をしている時に声をかけても聞こえていないようで返事がない場合は、


「天才整体師舟木っ!」


と、声をかければ聞こえるはずです。


まぁ、私の場合は、評価されたいという気持ちはそれほど強いものではなく、


「自分が納得できる仕事をしたい。」


という気持ちが一番強いと思われます。ですから、私の耳は音を聴く能力はあまり高くありません。


簡単にいうなら人間の聴力は聞きたい音だけを聞くという性質をもっているわけです。
都合の悪いことは聞こえないふりをする人なんかがたまにいますが、本当に聞こえていないと思う方が無難でしょう。なんでもかんでも自分に都合よく解釈するのも、本当に都合のよいところしか聞こえていないわけです。

補聴器なんかを使うとなんでもかんでも増幅してしまうのが辛いそうですね。
かなり性能がよくなったなんていわれているようですけど、聞き取りたいであろうと思われる音だけを大きくしているだけでしょうか。言われたくない、聞きたくない言葉をシャットアウトするような性能はないでしょうから、補聴器を使いながら生活するというのはかなり苦痛であろうと思われます。


さて、耳鼻科でやる聴力検査に意味があるでしょうか?
私はずっと、

「低い音が聞こえにくくなっています。」

というセリフを言うためだけの検査だと考えていました。
ところが、改めて考えてみるとこの検査が画期的なものであることがわかります。
何しろ、低音が聞こえない場合は、


「となりに住んでいて毎日顔をあわせるおっさんがすごい嫌な奴で、しかも低音ボイスである。」


という事がわかるからです。
聞きたい言葉はよく聴けるようになるということは、当然、その逆も起こります。聞きたくない言葉は聞こえないようになってゆくのは当然の事です。

聴力の検査では、どのような言葉なら、どのような波長なら、どのような大きさならよく聞こえるのかをもっと詳しく調べるべきでしょう。その結果を解析することによって、その人の周囲にどのような人がいてどのような影響を受けているのかを把握できるようになるはずです。


なお、聴力は、頭骨の状態に影響される能力です。
頚椎4番、あと7番が影響することもあります。胸椎でいうと、胸椎2,10番、腰椎だと3番、あと実は膝の状態が大きく影響します。2019年には気づきがいくつかあったのですが、膝の状態がどのように聴力に影響するかについては、その中でももっとも大きな事柄かもしれません。この事がわかると人間の体の見え方ががらりと変わってしまいました。

このことについては、四面楚歌の方に書いてあります。
28日、午前あたりまで会員登録のみで読めるように公開しておきますので、興味がわいたかた方は読んでもらうといいでしょう。



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脳はとんでもなく優秀という話

「心理学の人とか、カウンセラーの人と話している印象がする。」

たまに言われることがあります。
整体も心理学も人間という生物に注目されたものだから、似たような印象があるのかもしれません。

しかし、大きな違いがあります。
なにかというと、人間という生き物の行動が脳ですべてコントロールされていると考えるのが心理学のようです。実は、整体ではそうは考えていません。うまく表現をするのが難しいのですが、


「脳の働きを排除したときに、人間としての生き物の能力は最大限に発揮される。」


ということでしょうか。

ただ、言葉にしてみると違うのがわかります。
思いをつなげるとか、後を託すとか、そういう人間独自の性質はやはり能力に影響します。だから、このあたりをほじくっていくと収集がつかなるなるので、私自身は心理学にはいろいろちゃちゃをいれたくなっているという点だけ踏まえておいてもらえるといいでしょう。

さて、脳というのは人間らしい生き方をするために必要で非常に優秀な働きをします。
しかし、優秀であるが故に影響してほしくない部分にまで干渉してきます。この事について詳しく解説している動画を見つけました。メンタリストDaiGo氏がある研究をもとにした解説をしています。普段、私が口にしていることを心理学者が解説するとこうなるという、非常に面白い例だなと感じました。




ただ、先に述べたとおり私の理解とはちょっと異なる部分もあります。
もしかしたら本質的に同じ事をいっているのかもしれませんが解説を聞いていてかなり強めに違和感を感じました。それは、


「ストレスを受けると脳がバカになる。」


という部分ですね。


ストレス、不安というのは脳で感じるものではありません。
胃や腸といった消化器で感じるものです。人間は、その不安をかき消すために脳がでしゃばって不合理な行動をとることがあります。動画での解説内容から補足すると、借金がある状態にストレスや不安を感じた人間は、そのストレスや不安をかき消すために、再び借金をするという行動をします。不合理に感じるかもしれませんが、借金して消費することで目先の不安が解消されてしまうのでそれを最優先してしまうわけです。

このときに非常に厄介なのは脳が非常に優秀だという事です。
他人が、一見、一聴したぐらいは判別のつかないような大義名分を掲げ、自分すら騙してしまう見事な屁理屈をこねて借金を繰り返します。人間の脳の力は不合理な判断と行動をするときにもっとも高まるという側面があるかもしれません。その事を踏まえて人間を観察していれば、ある程度は見ぬけるようにはなってきますけどね。


例えば、


「立派な事をいうけど結果がともなっていない人」
「誠実そうな発言をしているけど家庭が円満でない人」


みたいな人は周囲にいませんか?
そういう人の発言と行動をみていると脳に振り回されて生きている人間がどういう存在かちょっとわかるかもしれません。


この事を踏まえると優秀な人、いわゆる成功者といわれる人がどういう人かわかってきます。
平たく言うと、


「消化器の丈夫な人。」


です。
しかし、中には消化器が弱いのに大きな成果をあげている人もいたりします。
こういう人は、脳に振り回されることなく常に妥当だったり、適切な判断ができているという事がいえます。
優秀で素晴らしいと尊敬を集めるかもしれませんが、こういう人の日常には、


「不安と恐怖しかない。」


という事がいえ
常に、土壇場、崖っぷちにいるような心境で日々を過ごしているはずです。一般人は踏み込んではいけない領域ですので、真似をしない事をおすすめしますね。
                                                                                                                                 
ほぼすべての人が、


「自分は常に適切な判断して間違った行動などしていない。」


と感じて生活しているはずです。
しかし、大半の人はそんな立派な生き方ができているはずがないのです。借金を繰り返すというようなわかり易い愚行をしているような人は少数でしょうが、ほとんどの人は似たようなことをやってしまっている人はいくらでもいるはずです。私だってそうならないように気をつけてはいますけど、自分を客観的にみるというのはかなり難しいことですからね。

この点、脳が優秀すぎて困るのです。
その非常に優秀な脳は、ありとあらゆる論理と思考によって、体が感じた不安をすぐさま消し去って、私たちに安心と安定を提供してくれるのです。まぁ、こんな事を言っても大半の人には理解はできないでしょうかね。わかったと感じる人の99%は、わかったつもりになっているだけでしょう。わかっていないという、不安、ストレスを感じなくするために、脳はわかったつもりにさせてくれるわけです。脳っていうのはそれぐらい優秀なんです。
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羽生結弦はもう駄目だ

スケート選手の羽生結弦が世界大会で優勝したみたいですね。
整体にこられた方に聞いたのですが、子供の頃に呼吸器に難あったそうです。虚弱といっていい体質だったそうで、そんな体の状態を克服して大きな成果をあげたのだとか。似たような境遇というか、同じように体が弱かった人には励みになる話でしょう。ただ、そんな事に気がついたのは、


「彼はもう駄目だと思う。この先は怪我ばかりになるはず。」


という無神経な発言をした後でした。



今回の大会の前にも怪我をしていたそうです。

「また潰したか・・・。」

と私は思いましたので、それで興味をなくしていたのです。

スケート競技に関わる人たちは体作りについて根本的な間違いをしていると思われます。
浅田真央、高橋大輔たちは、優秀な選手だったと思うのですが、そのパフォーマンスを最大に発揮したのはデビュー直後までで、その後、怪我をして尻すぼみになっていったのじゃないでしょうか。

今、振り返ってみると、私が知っている選手でうまく体作りをしていると感じられたのは、キム・ヨナと安藤美姫だけです。安藤美姫なんかは練習をちゃんとやっていないとか批判されている時期があったのはご存知でしょうか?スケートの人たちは感覚がずれていると私が考える理由でもっともわかりやすいのはこういうところでしょう。

スケートに関しては中学生ぐらいの頃から興味を持ってみていました。
いまだと民放が大騒ぎして番組をつくっていますが、当時はNHKが放送するぐらいでしたね。ただ、名前を覚えている選手は伊藤みどりと村主章枝ぐらいでほとんど記憶がありません。まぁ、年に数回だけ放送される世界大会だったりを新聞のテレビ欄をチェックして、見つけた時に見るというぐらいですから、記憶に残りようがありません。ロシアにとんでもない選手がいたとか、アメリカの選手でカウボーイの格好をして滑る人がいたとかそういうのはちょっと記憶に残っていますけどね。

浅田真央の最初の世界大会もテレビで見ていました。
いきなりトリプルアクセルを2回飛んで優勝しちゃって、とんでもない子がでてきたなぁと思っていましたが、その1~2年後にはあからさまに違う選手になってしまっていて、スケート競技は駄目だなぁと考えるようになりました。

さて、羽生結弦については怪我をしたという話を聞いて興味をなくしていました。
優勝したって、どうせ、

「怪我を克服しました!」

みたいなチープな話に落とし込まれてしまいますしね。
フィギュアスケートの選手は、淡々と練習してほどほどの好調をキープ、大会では当然のように優勝するというのが理想です。ですから、怪我をするという時点ですでにいろいろ間違えています。マスコミやファンを喜ばせるために怪我なんぞする必要はないのです。

怪我というものは、ほとんどの人が運が悪いせいで起こると考えるのじゃないでしょうか。
しかし、私からすると怪我というのはするべくしてしているものです。一部の例外をあげるなら、接触がある競技だけですね。

サッカー、バスケットボールなどがわかりやすいでしょうか。
私はバスケットの経験がありますが、激しくぶつかり合ってもお互いが怪我をしない、させないように最大の配慮をしながらプレーするのがあたりまです。ところが、どうしたって不可抗力というのが起こることがあって怪我は起こることがあります。

フィギュアスケートだと練習中に他の選手にぶつかってみたいな事は起こるかもしれません。しかし、スケーティング中に足に痛みがでるとか、ジャンプの着地に失敗して怪我をするなんていうのは、不可抗力ではなくて起こるべくして起こっている怪我です。

わかりにくいようなら、疲勞の蓄積がおこってそれが原因でバランスを崩したり、思ってもいない動きをやってしまって怪我をしてしまうのだと考えるとよいでしょう。これは骨折をした人の骨折箇所を確認したりするとよくわかりますね。運動中の骨折の場合、ほぼ間違いなく折るべくして折っているのを見てとることができます。


「体に何にも問題なく、いい状態を保っているのに突然怪我をする。」


というのはありえないのです。




さて、羽生結弦の話題をだした方に、


「顔をみれば状態がある程度推測できるんですよね?」


なんていう挑戦的な課題を出されました。


「おのれっ!この海原雄山を試そうというのかっ!!」


なんてモノマネしそうになりましたけどね。


それで家に帰ってからネットで顔写真をチェックしてみました。
すると、


「あれ?こんな顔だったっけ?」


と思ったので4年ぐらい前の顔と比べていたら明らかに人相が変わっていました。
羽生結弦は顎が小さい顔立ちをしています。これは呼吸器の働きが弱いという事を表現していて、子供の頃に喘息で苦しんでいたなんていう話と符号します。その影響で繊細、華奢、柔和というような印象の青年でした。

ところが角張った顔立ちで堀が深くなっていました。
眉のラインに力がこもるようになっていて、これはスケートという競技において好ましくない変化です。まぁ、こんな変化はどの競技でも駄目ですけどね。この顔立ちでは、足首の柔軟性がなくなってしまっているはずです。この先は怪我ばかりになるはずだという私のセリフは、どうやら間違いないと思われます。

どこを怪我したのかしりませんが、怪我を克服するために筋トレをやったのでしょう。そして、やり過ぎてしまって今の顔立ちに変化したわけです。

4年ほど前の写真を探すのはなかなか骨が折れますけどね。
びっくりするぐらい人相が変わっていますから興味がわいた方は探してみるといいでしょう。そういや、

「大人の色気を身につけた。」

なんてコメントを紹介しているニュースもみかけましたが、華やかな成績を残してしまえば影の部分なんてかき消されてしまうのでしょう。

こうなってしまったのは、彼が練習熱心だったせいでしょう。
彼は、長時間練習しない方がいいタイプだと思われます。なぜなら呼吸器の能力が低いからです。ですから、練習量より、練習の質を重視して体作りとスケートの技術を高めるのが望ましい選手です。

今回は、これまでの経験と才能でカバーしましたが、今後、また熱心に練習をしてしまうようになれば再び怪我に悩まされるようになると思われます。そうならないためには、練習とトレーニングはほどほどにしておいて、本番に望むのがよいはずです。羽生結弦は柔和で優しい顔立ちをしている時にもっとも高い能力を発揮する選手だと思われます。
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