ブログ「日々整体」

アカスリ通い

「あなた骨が堅いね。サウナばっかり入っているでしょ?」

と、言われたのは昨年12月末の事です。
趣味の釣りの帰りの時の事でした。その日は、深夜出発で昼過ぎまで釣りをして、睡眠不足な状態だったので帰りの運転が危ないと感じたので、銭湯に寄って一休みしてから帰る事にしました。普段ならマッサージ、リラクゼーションを選ぶのですが、いろいろ体験してみようということで昨年の中頃からいろいろ体験するようにしています。

アカスリの事はかなり前から知ってはいました。
銭湯が好きであちこちいってましたし、大きめのところへいけばかならずありますからね。ただ、素っ裸でごりごりと体をこすられるというのは正直いって抵抗を感じていました。でも、年をとって羞恥心がなくなってきたのでしょうか。試してみたら、案外というか予想以上に体がすっきりしたので、以後、時々利用するようになっています。

それで、5~6回目の時だったでしょうか。


「サウナで安易に汗をかいてばかりいると骨が硬くなる。」


という事を指摘されたのです。
言われてみれば全くその通りだと思いました。言われてみるまで気がつけなかった自分の迂闊さを恥じ入るばかりです。


アカスリをしてくれる方はどこへいっても片言の日本語です。
韓国出身または在日の方だと思うのですが、この時の方は老婆といってもいいぐらいの年齢の方でした。その分、年期がはいっているのでしょう。


「あなたぐらい体が大きいと時間が足りないから10分延長ね。」


と言われて、考えるスキも余地もないぐらいすぐさま『ハイ!』と返事していましたね。


その方が言うには、私はかなり垢がでにくいとの事でした。
一応、何回か経験がありますから、アカスリ前には30~60分ぐらいお風呂に入ってしっかり温まってから受けるという事は知っていました。それで、ちゃんと段取りを踏んでいたのですがそれでも、かなり垢が出にくいとのことでした。

以前から垢がでにくいという事はほぼ毎回指摘されてはいました。
温まり方が足りないからだと思っていましたが、どうもそうではなく骨が硬いのが理由だとはじめて指摘されたわけです。そして、骨を柔らかくするには、ぬるめのお湯に10分以上使って、水風呂でしめて、またぬるめに入ってということを3回以上は繰り返せと教わりました。

私は、お風呂は熱めを好み、熱いサウナでがっつりと汗をかくことを好んでいました。
どうもそれは体の反応が鈍い、つまり骨が硬いので汗がでにくくなっていたという事を意味していたわけです。そして、汗がでにくいという事は、当然アカもでにくいわけです。


ただ、でにくいとはいっても自分でみたらびっくりするぐらいのアカはでてはいます。
だから、


「これでアカがでていないと言われたら本格的にアカがでるようになったらどうなるのだ。」


と思っていました。


私が腑に落ちたというか素直に聞く気になったのは骨が硬いという表現だったからでしょう。違う言い方だったら、きっと素直に受け取ることができなかったかもしれません。


それで、


「それじゃあ、骨を柔らかくしてやろうじゃないか!」


と思った訳です。


この日を境に、熱いお風呂に入るのを一切辞めました。
サウナも厳禁です。サウナは短時間に大量の汗がでて爽快感があるのは確かです。しかし、そういう汗のかきかたを繰り返していると、強い刺激でなければ汗がでにくくなるという傾向がでてくるのは当然の事です。先ほども述べましたが、こんな当たり前の事にどうしていままで気が付かなかったのだろうかと思います。

自宅での風呂はぬるめにゆっくりつかり、週1~2回大きめの銭湯へ行ってぬるいお風呂に何回もゆっくりとつかるようにしてみました。


「骨が柔らかくなるまでにどれぐらいかかるだろうか?」


と思っていたのですが、3週間後、家の近所の銭湯にいきました。
アカスリも2~3度利用した事があるところです。で、アカスリをやってくれる方は私の事をちゃんと覚えていてくれて、


「今日はしっかり温まったんだね。しっかりアカでてるよ。」


と言われました。
自分で確認してみると、いままで2~2.5倍ぐらいの量の真っ黒なアカがでていました。


アカがでるようになっているという事は、多少は骨が柔らかくなっているのでしょう。
その結果、仕事での疲れ方がずいぶん楽になり、疲れが抜けるのもずいぶん早くなったように感じています。


「骨が変わるのはこんなにも早いのか。」


半年から1年かけてじっくり取り組むつもりでしたから、拍子抜けしています。まぁ、まだまだ上積みはあると思いますけどね。


入浴法として半身浴とかぬるいお湯に長くつかるなんていうのがあります。
それは今回私が体験したように骨が柔らかくするためのコツなのでしょう。とにかく汗をかけばいいんだろうみたいにあまり掘りさげて考えていなかったのはかなり具合が悪かったといえます。ただ、この入浴方法でも骨は柔らかくなってこない人もいますので、それはどういう訳なのかと掘りさげて考えるといろいろわかってくることもありそうです。


ちなみに、私の骨が硬い事をしてくれたのは和歌山県御坊市にある銭湯です。


「体がちゃんとするから週に1回来なさい。」


と言われましたが、高速道路を駆使して2時間ほどかかる場所なので通うのは厳しい距離感です。煙樹ヶ浜キャンプ場なんかが近くにありますね。遊泳は禁止ですが非常に気持ちのいい浜ですので、アウトドアがお好きな方でしたらキャンプがてら立ち寄られてみてもいいかもしれません。

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心ではなくまず体

知識や経験が増えてくると自分と意見が異なる人間を見たときに、その人を、

「こいつは馬鹿だ!」

と思うようです。

昨年、ニュースを見ていて韓国という国と人の考えがどうしても理解できませんでした。
私はどうしてそのような発想がでてくるのか気になりましたので、生まれてはじめて政治がらみの情報を積極的にとっていました。それで気が付いた事なのですけど、政治ネタ界隈にいる人たちは、わりと平気で他人を馬鹿する発言をしています。

さて、ある日、退屈しのぎにYouTubeの動画をみようとしたら、自律神経の学者が元大阪府知事の橋下徹氏に、

「6秒でできる心の落ち着け方。」

なんていうものの説明をして、橋本徹氏が絶賛したみたいな内容の動画を見つけました。

で、それを見かけたときに、

「こいつは馬鹿だな。」

と思いました。

登場しているのは私も知っていた人で、自律神経の専門家として結構な著名人です。
しかし、本が結構売れちゃったせいか、おかしな事をやりだしました。商業主義に走ったというか、自律神経にまつわる商品を提供しはじめたのですが、どう考えても役に立つとは思えない物ばかりです。

それで、愕然としました。

「それがいいとか、正しいと信じている物や事があるときに人は他人を馬鹿にするようになるのか・・・。」

と気が付いたわけです。


整体にこられた時に、

「人間は心臓さえ動いていれば幸せになれますか?」

と、よく質問します。
たいていの方は違うと思うと答えられます。

このテーマをちょっと掘りさげるには、

「寝たきりの年寄りは日々幸せを感じて生きているだろうか?」

と考えてみればよいのです。
お年寄りによっては自分の意思など持っているとは思えないような方もおられます。昨年だったか、介護施設の職員が老人を虐待しているということで、その映像がニュースで流れているのをみました。その老人は、会話ができず、自分の力ではトレイができず、着替えもできず、食事もとることができない方でした。

私は、

「そのような存在に人として接するのは難しいのかもしれない。」

なんていう感想を持ちました。
介護職員が行った行為は、人として許容できる行為は明らかに逸脱しているとは思います。でも、自分の心に暗い部分、影みたいな物があった時に、

「介護する相手が自分の意思をまったく表明できない状態の時に、その人を尊重して接する事ができるだろうか?」

と自分に問いかけました。
最初のうちは大丈夫でしょうけど、何年も介護の仕事をつづけて慣れてきたときには、正直いって自信が持てませんでした。

この老人に、

「日々、幸せに生活できていますか?」

と聞いても、その問いを理解して答えるような力はすでに失われてしまっているとの事でした。
そんな人に対して、

「心臓はちゃんと動いていて生きていますから、後はあなたの心の問題です。」

と言ってしまうのは明らかに何かを間違えていると思われます。


「心のありようさえしっかりしていれば、人間は幸せに生きる事ができる。」

今の日本の社会は、そのように考えているじゃないでしょうか。
しかし、人間の体を日々、観察していると、幸せを感じる事ができる状態というのがちゃんとあると確信しています。

体がしんどくて、毎日が辛い生活をおくらなくてはいけない人に毎日のように何人も接していています。
医者に治らないと見放され、

「気にせず前向きに暮らせば幸せになれます。」

みたいな事を言われた人の気持ちはどういうものでしょうか。

一生この苦しみが続くのかという絶望を抱えて生きている人の気持ちがどういうものか私は十分に理解しているつもりです。

体が辛いときには、胸に大きな穴があいて、その中に暗闇がひろがって、光なんかなんも見えなくて、このまま死んでしまってこの世からいなくなりたいって、人間ってそういう風に思ってしまう生き物じゃないでしょうか。

そんな状態の人に、


「気にしなければ幸せになれる。」


とか言ったって気休めにもなりません。


だから、心ではなくまず体なのです。
体さえしっかりすれば、元気になりさえすればこんな事を考えなくて済むのです。そして、私はこの事をこれまでの勉強してきた事と経験を踏まえて絶対に、この考えは間違いないし達成できるものだと確信しています。

いつの間にやら私にもそんな信念みたいなものが芽生えていたようです。


すると、

「6秒でできる心の落ち着け方。」

みたいな気休めを言って、専門家でございますなんて名乗っている人をみると、殴りつけて、全身の骨をバラバラになるまで踏みつけて、ぐちゃぐちゃのねちょねちょにしてやりたいとか思ってしまみたいですね。まぁ、よほど面とむかって神経を逆なでするような事でもされなければ本当にやってしまう事はないだろうと思いますけど。
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才能というのは寿命を消費して発揮するもの

「モーツァルトが36歳という年齢で死んでしまったのは、その才能を発揮し尽くしたからだ。」.


才能というのは寿命を消費して発揮するものです。芸術の分野でこの傾向は顕著なんですが、なじみやすい例であげるとマンガなんてわかりやすいかもしれません。

Dr.スランプ、ドラゴンボールの作者鳥山明はドラゴンボール以後マンガを描いていません。
多少は描いたりはしていましたけどあられちゃんやドラゴンボールなどに比べるべくもないものでした。何を描いたのか知らない人の方がおおかもしれません。そうなる理由は、描けなくなったと考えるとわかりやすいでしょう。


少年ジャンプの編集長をやっていた方に鳥島和彦という方がいて、


「ドラゴンボールを長引かせたのは失敗だった。そうすれば鳥山明はもう1本ぐらいマンガを描けたかもしれない。」


なんていう発言をしています。
Dr.スランプに登場するマシリトはこの鳥島さんががモデルなので知っている人もいるかもしれません。彼からみるとドラゴンボールで燃え尽きてしまった鳥山明はもう描けなくなってしまっているというわけです。それを無理矢理にでも書かせればどうなるのか?たぶん死んでしまうんじゃないですかね。


ジャンプには長期休みをはさみながら連載を続けているハンター×ハンターというマンガがあります。
私も1回は読んでみました。長期休みがはじまる直前までの話で想像とか才能を出し尽くしてしまったので、描けなくなっているのでしょう。

作者は冨樫義博という方なのですが、この方はハンター×ハンターの前に幽☆遊☆白書というマンガを書いています。興味深いのは、幽☆遊☆白書はとても中途半端な終わり方をしています。本人は、


「このままだとだらだらと続けらさせられそうになったので無理矢理終わらせた。」


というような発言をしています。
才能を枯渇させてを終わらせるのではなく、余裕がある状態で次につなげればハンター×ハンターという、前作を超えるような人気マンガがまた描けるわけです。


続きを楽しみにしている読者からは、


 「富樫仕事しろ!」


なんてよく言われていますが、無理矢理書いたら、おそらく死んでしまうのでしょう。
直感的にそういう事がわかるから、じっくり休養をとっているわけです。人気マンガの作者なんて、それぐらい命を削ってマンガを書いているということでしょう。


ちなみに、長く続いている漫画で私がぱっと思いつくものにゴルゴ13があります。
調べたら50年ほど続いているようです。本当かどうかはしりませんが、この作者は全部アシスタントに描かせて、自分は目しか描かないなんていう話があります。才能を消費することなく漫画を描くしくみを構築しているから長く続けられるわけです。


さて、こんな事を改めてまとめてみたのはリャナンシーという妖精の存在を知ったからです。
リャナンシーはアイルランドに伝わる女性の姿をした妖精です。厳密にいうと、アイルランドに住んでいたケルト人は文字を持たない民族だったらしいので、ケルト人の話を聞いたローマ人なんかが伝えてきた話らしいですけどね。

リャナンシーは、男性に求愛する妖精だそうです。
その求愛を受けた男性は、自分の精気つまり寿命と引き換えにして芸術の才能を手に入れます。ケルトの才能ある芸術家はみな短命だったらしいですね。そんなところから、芸術家たちはリャナンシーに命を差し出す見返りとして才能を手に入れ、素晴らしい作品を作り出しのだと考えられていたようです。


才能の量というのは生まれもったもので、それをすべて出し尽くした時に人は生きる力を失ってしまうという考えはある方の受け売りでなんですけどね。それがこういう古い伝承に残っているというのは、やはり間違った考え方ではないのでしょう。


こういう事を踏まえて、生きるということについて考え直してみると生き方がのヒントがみつかるのではないでしょうか。シンプルに考えるなら、


「才能を消費しなければ長生きできる。」
「才能を消費すれば寿命が減る。」


ということです


長生きできれば人生に満足できるわけではないと私は思いますね。
何を為すことも、何を残すこともなく、ただ生きて死んでいく人生に満足できるかと、1回ぐらいはきちんと考えてみてもいいんじゃないでしょうか。芸術だけでなく、スポーツの分野でも応用ができますし、才能を発揮するという視点から広げれば、日々の生活だって、仕事のやり方だった大きく変わってくるはずです。
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自律神経の読み方

年末年始の休みに溜め録りしてあったドラマ「まだ結婚できない男」を見ることにしました。

10月17日の記事で1話だけみて考察してみた記事はこちら

数ヶ月もあけて2話目以降をみてみたわけですが、ひどい内容になっていました。
放送はもう終わっていますが、もし見ておられた方がいたのでしたらこのあたり、具体的には2~6話で見るのを辞めてしまった人もいるのじゃないでしょうか。

単純なコメディドラマとしてだけみるのであれば、それなりに楽しめる内容ではあったかもしれません。でも、このドラマはあの結婚できない男の続編ですから私の期待値はもっと上です。

ダメだったところを上げてみると、

・桑野信介のキャラがぶれてタダの痛い男になっている
・桑野が指揮棒をもって指揮をするシーンがない
・桑野が食事をするシーンがない

一般の人から見ると奇矯だけど、桑野にとっては当たり前だというシーンはこのドラマにおいてもっとも重要なシーンです。ところが、2~6話では、桑野信介が鎌倉でお金を洗うシーンが1つあるというだけで、他にはまったくありませんでした。

また、桑野信介が言うはずがないセリフが延々と並んでいました。
阿部寛は1話できっちり役作りをやっていましたから、このセリフのブレにはかなり困ったのではないかと思われます。

このドラマの女性たちは、主人公に対して


「気持ちや考えはちょっと理解はできるのだけど、この人と結婚するとなるとちょっとね。」


というような微妙な心の動きを、1話では面白おかしく表現していました。

ところが、2~6話は、


「女性の気持ちに対する配慮や気づかいが全くできないダメな男を女性たちがあざ笑う。」


という内容になってしまっていました。
男性が草食化して頼りなくなったせいで結婚相手を見つけられないとぼやいている女性に、媚びを売る内容になり下がってしまったとでもいうところでしょうかね。

このドラマにおいて何がもっとも面白いのかを理解しない人間が雑な干渉をしてきて制作現場をぐちゃぐちゃに荒らしていったのでしょうか。

普通に考えるのであれば1話とそれ以降の体制に変化があったのは明らかであろうと思われます。
セリフとストーリから考えると、脚本を書いている人が変わっている可能性が高いと思えます。ただ、テレビのドラマって監督や脚本家の情報があまり表に出てこないので、何が起こっているのかが今ひとつわかりにくいのですけどね。

あるいは、1~6話まで収録した時点で、

「これではダメだと。」

監督がそんな事を言い出したのかもしれません。
それでてこ入れをしようとしたのだけど、制作スケジュールを考えるといろいろ直すわけにもいかないので、

「それじゃ1話だけでもしっかりやり直そう。」

とそんな事が起こったのかもしれません。

ただ、そう考えると1つ辻褄が合わなくなります。
1話では桑野信介の対極の存在としての立ち位置だった森山桜子という女性の立ち位置です。2話以降、出番が極端に減って、5話あたりからちらほらでてきて7話で桑野信介の仕事のパートナーである村上英治の結婚相手になっていました。村上が彼女と結婚するのは8話です。

桑野の真逆の存在であることを前回の記事で指摘しました。
その真逆の立ち位置は変わっていませんが、西にいたのがいつの間にか東側にいたみたいな変更をしてきましたね。その分、弁護士の吉山まどかがもともと森山がいたポジションにじわじわと寄っていきました。

1話であれだけしっかりキャラ立てをやっていたのに、こんだけキャラの立ち位置をいじってくるというのはかなり珍しいと思います。先ほど述べたとおり、制作陣のなかでかなり喧々諤々の何が起こっていたんじゃないでしょうか?ちなみに、これを書いている1月10日で私は8話まで見ましたので残り2話です。2話以降の崩壊ぶりからいってもうダメだなと思っていたのが、7~8話で建て直してきたでラストはちゃんとまとまっていそうな気配です。

さて、年末年始はずっとこのドラマ「まだ結婚できない男」の事ばかり考えて過ごしていました。
それでふと思ったのですが、私は体の状態をみる、つまり自律神経の状態を読む時も同じような見方をしていますね。セリフがぶれたり、ストーリ展開にスムーズさを欠いているなぁと思った時には、


「どうしてこういう脚本になったのか?」


という見方をします。
その原因は、監督がへぼなのか、脚本家の実力がたりないのか、役者の演技がダメなので妥協してこうなったのか、それともスポンサーが横槍を入れて改変したのか?なんて事を考えるわけです。


「面白くないのは脚本がダメだからだ。」


なんていう考えで、宮藤官九郎や三谷幸喜を起用すれば面白くなるというほどドラマは単純な物ではありません。面白いドラマを作ろうと思えば、監督、脚本、役者、その他様々なスタッフが一丸となって取り組むからいいものができるわけで、この監督がいれば全てがうまくいくなんて事はありません。制作スタッフがそれぞれの役割を自覚しつつ協力するから面白いドラマができあがるのです。


「面白いドラマができないのは、チームワークが悪いからだ!」


そりゃまぁ確かにそうですけどね。
チームワークを高めましょうと大きな声で訴えていれば皆が共感して一致団結するというほど人間は単純じゃありません。


この考えをそのまま体に置き換えて考えてみればいいのです。
めまいがするから、耳鳴りがするから、体が辛いから、それは自律神経の問題だみたいな発想はあまりにも短絡的ではあります。しかし、


「元気がでない、体の調子が悪いのは自律神経の働きが悪いからだ。」


と、ここまではよしとしましょう。
でも、自律神経の働きというのは、チームワークみたいにとらえどころのないものですからね。もうちょっと俯瞰して考えないと適切な対処というのはなかなか難しいわけです。
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俺たちは強い!

「ダーウィンの進化論では、生物の進化は説明できない。」

15年ぐらい前に読んだ本には既にそんな事が書いてありました。
ダーウィンの進化論では、生物の進化は偶然の起こる変化の中で環境に優位な個体が生き残って進化が起こるなんて説明されています。簡単な言葉でいえば、キリンの背が高くなったのはたまたま背がたかく生まれた個体が生き残る確率が高かった結果、キリンの背は高くなったという事です。

このような進化は、性が分かれて交配によって遺伝子を交換することによって起こります。
人間でいうなら男女が結婚して子供をつくることで、その子供の遺伝子に変化が起こるわけです。生まれてきた子供は両親の遺伝子、特徴を引き継いで新しい可能性を持ちます。そうやって生まれてきた可能性の中で優位な個体だけが生き残って遺伝子を残していくというのが、ダーウィンの進化論です。

ただ、進化論では新しく生まれてくる個体が優秀かどうか、環境に適応しているかどうかは運任せでしかありません。そんな偶然の繰り返しでゆっくり少しづつ進化してきたというのがダーウィンの考えです。私は学校で生物の進化についてはこのように教わりましたが、生物の進化についてこのダーウィンの進化論に異を唱えた人がいます。

遺伝子の変化によって起こる可能性というのは無限に存在します。
無限にあるもののなから偶然に優秀な個体が生まれてその個体の持つ特徴が主流になっていくというのは無理があるというわけです。砕けた言い方をしてみるなら、

「宝くじを的中させる人だけが生き残って子孫をのこしていけば、その子孫たちは全員宝くじを的中させるような個体になる。」

というような事です。

言われてみれば確かに変です。
例えば、ほかの多くの生物ももっていて、私たちにもある目という器官は偶然に生まれるでしょうか。最初に目として確認できる器官は、光を感じる事ができるものだったそうです。かなりうろ覚えですが、アメリカ大陸だったかどっかに、光を感じる事ができるアメーバみたいな生物が見つかっていて、どうもそれが目というものを最初にもった生物の子孫らしいなんていう話です。

明るさを感じる機能が偶然に偶然を重ねていけば色や形を明確に識別できるようなものに変化するか?町並み、人の暮らしと営み、自然の風景を見て美しいと感じる事ができるようなものがたまたま偶然生まれたものか?

整体で考えるなら目というのは脳の一部だと野口晴哉氏が説明しています。
ということは、明るさを感じる事のできる細胞が、生物として脳を持つという進化をしていく必要があります。遺伝子の数と、そこから生まれる可能性を計算してみた場合、目という器官が生まれてくる可能性はどういう確率になるのか?おそらく世界中のスーパーコンピュータを何台つないでも計算しきれないような数字になるはずです。つまり、生物の進化は偶然に起こるものではないという事です。そして、このことを裏付ける研究もすでになされていたりします。

私が知っているのはツバメの研究です。
あるツバメを調査したところ、その種には小型化が起こっていたそうです。そして、その変化はわずか2~3世代でした。

「どうもダーウィンのいうゆっくり少しづつというのは誤りで生物の進化は私たちが考えていた以上に急速に起こるものらしい。」

という事です。
考えてみれば、日本人だってその体型や見栄えは戦後あたりの人たちと、今の私たちではずいぶん変化しています。ちょっと前まで日本人は胴長で短足で小柄だったのが、足の長い長身の日本人は珍しくない程度にはみかけます。

実は、胴長になるのは腸が長いからです。
穀物主体の生活をしていると、腸が長くなります。穀物は消化吸収に時間をかける必要があるから腸が長くなるのです。一方、肉食主体だと腸が短くなります、肉が腸内に長く留まっていると腐敗して腸の働きに悪影響を与えるからです。

これはどういう事かというと、食生活の変化に適応、あるいは進化したということでしょう。その変化はやはりわずか2~3世代です。

また、こういう事を踏まえて考えると、環境保護という考えも非常にくだらないものだという事がわかってきます。どんな風に環境が変化しても私たちの子供や孫の世代はちゃんと環境に適応して進化していくのです。

ついでにいうと、二酸化炭素が増えると動植物にとっては都合が良い事の方が多いじゃないでしょうか。植物は二酸化炭素が多いほうが繁栄しやすいですし、植物が増えれば食物連鎖の底辺に厚みがでて動物たちにとっても生活しやすい環境になるはずです。二酸化炭素が増えて困るのは、今の時代を生きる我々だけで、そんな我々の都合を子や孫、子孫たちに残したって迷惑なだけだと私は思いますね。

だから、環境についてどういうこうい人がいたら、

「ダーウィンの進化論がもう石器時代の考えだという事はご存じですか?」

と質問してみるといいでしょう。
頭の中が古い人には未来の事を考えるのはちょっと難しいはずですから、そんな人の話は半分に聞いておくことです。

さて、話がまとまりを欠いてきましたのでポイントをまとめましょう。

ツバメは2~3世代で小型化しました。
その変化を観察した学者は、環境が変化したので小型化した方が都合がよくなったのだろうと考察していました。日本人は食生活が変化しましたが、その食生活の変化に対応するために内蔵と体型に変化がでてきました。

これは、

「生物には種全体としての明確な意思がある。」

という事を意味しているといえます。
『目という器官を持つ』という種の意思が働き、その上で、どのような進化をすれば目という物を見る能力を得る事ができるか、可能性の模索が行われた結果、今の私たちは目を持っているのです。そして、私たちの体は目だけではありません。私たちは、心臓、肺、肝臓といった五臓、血管、神経、筋肉、皮膚、血液、そして脳、様々な働きをもつものが集合して生きているわけですが、

「こんなんでましたけどー。」

みたいな偶然の産物だと思うでしょうか?遺伝子の可能性は無限に広がっている事を思えば、私たち人間をはじめとする様々な生物が偶然に生まれるはずがないのです。


「ダーウィンの進化論が生物誕生、そして世界生成の秘密だ!」


と考える人にはちょっとぶっ飛んだ考えにきこえるかもしれません。
ただ、15年ぐらい前に読んだ本にはそういうことが書いてありました。そして生物学だと、こういう考えが主流になっているなんて話も聞いたこともあります。

こういう具合に学問が進んでいるのにそれに私達がついていけていないなんて話はいくらでもありますね。

歴史だと4大文明なんて言葉を社会で習いますが、現在では同じ時期に10ぐらいの文明があったことがわかっているそうです。恐竜は爬虫類で肌がつるつるだと教わりましたが、羽毛をもっていて鳥類は恐竜から進化したのだというのはすでに常識になっていたりしますね。

種としての意識というのがどういうものかはまだまだ議論して研究をする必要があるとは思います。ただ、学校で教わったことでは説明できないことがいくつも確認されているという事ぐらいは知っておいてもいいのじゃないでしょうかね。


整体というのはこの種としての意識に思に働きかけた時にもっとも効果的になります。だから、生物の進化に種としての意識というものが存在しているという考えは私には割と受け入れやすい考えだったりはします。

具体的にやろうと思うと、まっさきに頭に浮かんだのはインディアンという言葉は差別用語になったんでしたっけ?北米の先住民族たちがやっていたサンダンスです。酒飲んで3日ぐらい踊りつづければ、そういう種としての意思みたいなものにアクセスできるような気はします。太古において、医療や治療が神事やまじないだったのはそういう事なのだろうと思えます。

ただ、このあたりの事を掘り下げるのは、


「この考えにはかなりときめきを感じるけど、私にはちょっと無理そうなのでごめんなさい。」


という感じがするので、もうちょっと優秀になってくるであろう2~3世代後の人たちに任せたいと思います。





最も大切な事は、


「私たちは、今の時代、社会に、環境にちゃんと適応している。」


という事を理解することです。
ストレス社会であるならそのストレスに耐えられるように進化していますし、環境が変化しているのであればその変化に応じて進化しています。私たちをはじめとすると地球に生きている生き物はそうやって進化することで38億年も生きてきたのです。霊長類に限定して考えても700万年も生きてきたのですからね。昨日、今日、ちょっと変化が起こったぐらいで病気になって生活もままなりませんなんて事になるはずがありません。

しょーもないことをいう人がいたら、

「ダーウィンの進化論についてどう考えていますか?」

と聞いてみればいいでしょう。
そして、


「生物を、人間を、そして私を舐めるなっ!」


と、言ってやればいいのです。


「私たちは強い。」


これは間違いないの事実です。
私たち人間がどのような進化、歴史を経て今を生きているのか?そのことを振り返って考えてみれば疑いようなどありません。生き物の、人間の、そして自分の強さはもっと自信をもって大丈夫です。

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