認知症が増える理由
2020年04月12日
「どうやら完全に死に損なったらしい。」
昨日、集中治療室の母から突然電話がかかってきました。
正直いってもう、まともな状態では帰ってこないだろうと思っていたのです。しかし、多少、しゃべりにくそうにはしていたもののはっきりとした意思をもった声でした。半端にではなく、完全に死に損なったようです。まぁ、ICUにいる状態で姿をみていませんから、いざ対面したらひどいことになっているかもしれませんし、体がうまく動かないなんて事はあるかもしれませんが、頭がしっかりしていれば、そんなものは後からでもなんとかなるでしょう。電話をしてきた内容が、
「昨日、予約をしていたやつをすっぽかしていたから電話して謝っておいてくれ。」
ですから、たぶん、ひとまず大丈夫でしょう。
母は、ずっと介護を受けなくてはならない状態になるのを恐れていました。
仲のいい友人が、そういう状態になってしまったのを見ていて、心底、こんな風にはなりたくないと何回もこぼしていました。
「死ぬときは長引かせないでぽっくりあの世に行きたい。」
多くの人がそう言います。
私なりにどういう体であればぽっくり行けるかなんていう考えはあります。例えば、ガンの方なんかがどんどん弱ってついには整体にこれなくなってみたいなところまでの変化は何人かみていましたから、
「死に近づく過程には体がこういう風に変化していくのか」
という事はある程度は経験があります。
しかし、
「ちゃんとぽっくりいけるか試してみましょう。」
なんて事を実際に試す機会はなかなかありませんし、試すわけにもいきません。
結果的に、うまく逝けたようでよかったという事はありますが頭に浮かぶのはほんの数人です。たいていは来なくなってどうなったかわかりませんという事になるからです。今の医療はそれはちょっとやりすぎでしょうというぐらい優秀だったりしますから、体が完全に駄目になっても心臓は動いているみたいなこともあったります。私が目指すのは、
『元気に生活できる体を保つ』
であるのに対して、医療が目指しているのは、
『生命活動の維持』
だったりしますので、根本的に話が噛み合いませんしね。
もうちょっと具体的に考えてみましょう。
いわゆる植物状態になっている人間の脳波を計測すると、「生きたい」という意思が観測できるそうです。脳が外部からの刺激になんの反応をしなくなっても、胃腸は栄養を吸収して、肺は呼吸して、心臓は体中に酸素を送り込んでいるのです。これは自律神経が生きるという意思をはっきりと持っていると考えていいのではないでしょうか。どういう脳波でそういう事がわかるのかはよくわかりませんが、たぶん脳幹の働きが健全という事なのだろうと思います。
そう考えるのは、こういう理由です。
例えが、かなり悪いですが、拳銃で確実に自殺するには、ピストルを口にくわえて後頭部、つまり脳幹に弾丸を送り込まなければいけないそうです。弾丸の小さいピストルで半端に頭を撃っても生命活動は止まらない事があるのだとか。
だから、ドラマなんかで崖の上で頭にピストルをあてて、
「死んでやる!」
なんて言っているシーンでは、
「そんな撃ち方では障害が残って生き残ってしまうから辞めるんだ。」
と説得するのが正しく適切な対応と言えます。
書いていて思いましたが、私が目指しているのは、
『脳が健全に働いている状態』
だということですね。
それに対して、医療は
『脳幹の機能を失わせない。』
という事になるのでしょう。
たぶん、認知症が増える理由はきっとこういう事なのでしょうね。
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