「2040年の日本」から見える高齢化社会の真実
2023年07月10日
『2040年の日本』 野口悠紀雄著 幻冬舎新書を読んでいたら興味深い記述があったので紹介したいと思います。
世間でいういわゆる介護が必要な状態を要介護、要支援といいます。
薄々感づいている人もいるかと思いますが、85歳から90歳の人々が自力で生活できない、要介護または要支援の状態になる確率は50%、そして、その年齢が90歳を越えると、この数字はさらに増加して78.2%に達します。楽天家なあなたが、21.8%という介護不要の確率を見て、健康を気を配り、日々運動を続ければきっと大丈夫だと思うかもしれません。しかし、もしあなたが結婚して夫なり妻なりがいた場合、その夫婦が2人とも介護が不要な状態でいる確率は4.75%になります。四捨五入して5%として、自分がその5%に入ることがきっとできると思う人は、楽天家ではなく夢想家と言わざるを得ないのではないでしょうか。
しかも、悪い話はこれだけではありません。
これから老齢を迎える夫婦には両親がいるはずです。私は父が25歳のときに生まれたので、それを例にして考えてみますが、両親が80代を迎える事になります。結婚をしていますから、妻に両親がいる訳です。だいたい同じ年代だろうと考えて電卓を叩くと、私が55歳のときに4人の父母が介護が不要な状態である可能性は、6.25%、65歳になった時には全員が元気で介護が不要な状態である確率は0.21%になります。
現実としては、私と妻の父は既に亡くなっていますから状況は少し違いますが・・・。
厚生労働省が提唱する「人生100年時代」の現実は、実はこのような状況なのです。
もし日本という国が医療が行き届いておらず、これから医療状況が劇的に改善してゆく余地が残っているというのであればまだ希望も残っていたかもしれません。しかし、現実は医療が隅々にまで行き渡っており、必要と思われる医療的なケアは、既に十分に受けることが可能という状況です。しかも、私の家の近所には広場があるのですが、その広場では早朝に老人たちが集まってラジオ体操をしていました。そういう人たちはきっと食事などにも十分に気を配っていることでしょう。私は、医療の進歩が本当に我々を幸福にしているのか、そして、医療が本当に進歩しているのかを再評価すべきだと考えます。
さて、ここまでは現時点での医療技術の話で将来的にはきっと改善しているはずだと思う人もいるかもしれません。米カリフォルニア大学において、2050年までに達成される医療技術として以下のようなものが挙げられています。
・ガンが克服される
・バイオニックアイによって視覚障害者はいなくなる
・遺伝子編集が可能になる
・精神医療剤が抗生物質と同じぐらい効果がでるようになる
・人工内臓が開発される
・失った歯が再生される
などをあげているそうですが、残念ながら要介護の人がむくりと起き上がって元気に活動をしはじめるということについての医療技術の研究は達成される見込みはないようです。
医療技術の進歩は少し誤った方向に進んでしまっているのではないでしょうか?
実は、最も死ににくいのは認知症の寝たきりの状態です。必要な栄養を摂取して、心臓が止まらないように常に細心の注意が払われているのですから当然です。つまり、死なないようにしているとその行きつく先は寝たきりの状態だということがいえます。ところが、多くの人に、寝たきりになりたいですかと問うと、すべての人がそれは嫌だと答えます。
死なないようにするということと、生きるということは現在ではまったく違う意味を持っているのです。この書籍で紹介している数字を確認してもらうと私の意図する意味を理解してもらえるかもしれません。
なお、老いを克服するという研究に資金が集まっていますからその研究成果に期待するのでもよいかもしれません。しかし、もしその研究で成果がでなかったときにどういうことになるかは考えておいた方がよいのではないでしょうか。
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