ブログ「日々整体」

医学の進歩と患者の置き去り--エビデンスと経験の狭間で

最近、整体に訪れた人が、

「最近の若い医師は、エビデンスがどうのこうのという話しかしない。」

と話していました。
私は医師と直接話をする機会などほぼありません。ですから新鮮な情報のように感じたのですが、その一方で、

「やっぱりな。」

という思いも沸き上がります。
医師がエビデンスしか語らないことについて不満を述べた人は、おそらく専門家としての立場から、自分の体の状態について意見を聞きたかったのではないでしょうか。それにも関わらず、研究ではこうで、こういう論文が発表されていると、エビデンスの話を延々と聞かされるのです。自分のことをきちんと診断してくれていないと感じるかもしれません。

整体師として意見を言わせて頂くと、医学と医療はとてもおかしな方向に突っ走ってしまっている。
その結果、患者さえ置いてけぼりにしてしまっていると感じることがしばしばあります。実際に聞いた話を1つ紹介しましょう。ある医師の集会で、患者の薬の消費量を増加させる方法についての講演した医師が拍手喝采を受けたそうです。具体的には、特定の病気は遺伝による影響があるから、その患者の家族、親族すべてに予防のための投薬をするべしという内容でした。そうすれば薬の消費量が現状の数倍以上になるという訳です。

論としはわからなくはありません。
しかし、特定の病気になりやすい遺伝子要素をもつ可能性が高いから予防のために薬を飲みなさいというのは無茶すぎるとは思わないでしょうか。実は、その講演で語られた病気はガンだったのですが、現在の日本人のどの程度がガンがなるかを国立がん予防センターが平成19年に発表したデータがあります。それによると、男性の二人に一人、女性の三人に一人がガンを発症するというデータがあります。これはつまり、そのガン患者の親族すべてと考えると、おそらく日本人全員にガン予防の薬を飲ませようという内容の講演だったと考えてよいでしょう。また、この話を直接聞いてきたのはとある整体師ですので、好意をもってその話を聞けるような人間ではなかったということも念のために付け加えておきます。

現在のところ、そのような薬物の開発は現実になったという話は聞いていません。
しかし、現状の健康保険の負担がどのような状況になっているかを踏まえて考えてみてください。おそらくそのような薬が開発されれば日本という国は、健康を維持させるために国家財政を破綻に導く可能性も十分にあるでしょう。補足で付け加えると、最近、ある病気に効果があるとされて開発された先進医療にかかる費用は1000万円を越えているのですが、そのような情報も知っていると理解が深まることでしょう。


エビデンスの積み重ねで医療は確かに進歩しているのかもしれません。
その進化がさらに進んで高度な医療が広く受けられる社会になる可能性もあるかもしれません。しかし、紹介した講演において拍手喝采の話を聞くと、医師や医学者たちは我々とは違う方向を向いているような気がしてなりません。もしかしたら、すべてのガンが予防できるかもしれないとうことに拍手喝采する人もいるかもしれませんが、私には今日の医師たちがそのような志をもっているようには思えないのです。

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2024年から整体指導料を変更します。

2024年1月より整体指導料を変更します。

初回      8,500→ ¥9,000.-
2回目以降  7,500→ ¥8,000.-

回数券 11回分  75,000 →  ¥80,000.-
回数券 24回分 157,500 → ¥168,000.-

出張      ※変更なし

現在、整体に来ておられる方は年末までにはおおむね体調は改善する見込みですが、もし来年以降にも通うつもりの方は、年末までに回数券を購入してください。
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断と生命:整体師から見た斬首の謎

江戸時代には、打ち首という処刑がありました。ほぼ全ての人が知っているでしょうが、あえて説明を加えておくと、人の首を切り落とす処刑方法です。

実は、この処刑を行うには達人といっていいほどの技量が必要です。

「刀を振り回せば、首なんて簡単に切れるだろう。」

と思う人もいるかもしれません。
しかし、頸椎3番と4番の間に正確に刃を当てないとうまく刀が通らないそうです。骨に当たると刃がはじかれますし、おそらく刃こぼれもしてしまうことでしょう。技量のない人間が斬首をしようとしても、うまく首を切り落とせず、相手を苦しめ、刀もダメにしてしまうのです。また、達人と呼ばれるような人でも失敗することがあったそうで、切り落とす動作は3回までと決められていたそうです。

打ち首をするのは特殊な地位の人間だったそうです。
繰り返しますが、刀の扱いに相当長けていなければいけません。ですから、処刑人としての役割を請け負うためだけに武芸の技を高める一族があったそうです。どれぐらいの人間が斬首を行っていたのかはわかりませんが、それほど多いとも思えませんからほんの一握りの人間が日本中の斬首を請け負っていたのかもしれません。ちなみに、私は歴史の勉強をしていて、そういう人がいたとういことを知りました。ちなみに、とんでもない高給取りだったそうですが、その収入の大半を首を落とした人の供養のために使っていたそうです。

そんなことを知ったときに、ふと、

「首が切断されるのはどのような感覚なのだろうか?」

ということを疑問に思いました。

首が落ちてもほんのちょっとの間は意識があって、その時に目を開いていたら目が見えていたりするのでしょうか。そして、その間には痛みや苦しみを感じるものなのでしょうか。

それとも首が落ちた瞬間に意識がなくなるのでしょうか。
すると、刀が頸椎に到達して、首の神経を切断した瞬間に意識や思考が断ち切られてしまうということになるのでしょうか。そう考えると刀が首にから頸椎に至るまでのほんの一瞬は痛みを感じるのかもしれません。

そこまで考えて、自分が整体師だったことを思い出します。
整体という技術を通じての理解で答えを考えてみます。すると、正解は後者だとはっきりとと言えます。どういうことかというと、頸椎を通る神経が切断された瞬間に人間は生命体ではなくなるからです。生命の中にはプラナリアのような体を切断しても生命であることを保っていられる生物も存在していますが、多細胞生物である人間では事情が異なります。

人間という生き物は複雑すぎるのです。
その複雑さを保っているためには幾つかの要素があって、その中の一つが頸椎の神経が健全に繋がった状態であるということです。手や足なら切断されても生存は可能ですが、頸椎が切断されると生存は不可能です。

昔の人もそういう事がわかっていたから、首を切断するという処刑方法を採用したのではないでしょうか。
斬首というのは、日本だけでなく、西洋でもギロチンによる処刑というのが実際に存在していました。科学的な知識ではなく、経験や直感から人の命を確実に奪う方法を理解していたのでしょう。
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体は繋がっている:頸椎と腰痛の不思議な関係

「頸椎の異常が影響していますね。」 

このような私の説明を聞いて不思議そうな顔をしていたのは腰痛で相談に来た方です。 頸椎の狂いのせいで腰痛が生じるというのは理解できない人がほとんどでしょう。ただ、体の繋がりをなんとなく感じている人などは、 

「繋がっているんですね。」

と言って納得する方もそれなりに存在しています。 

そういう方は、医師の説明に納得できずに整体師である私のところにこられるのでしょう。今回の方は、ご家族に無理矢理連れてこられた方だったので理解の及ばぬ範疇の話だったようです。

気の毒だと思うのは、腰が痛いから腰に問題があるはずだとしか考えられない医療を完全に信頼してしまっている人たちです。そういう人たちは、 

「整体師の考えなど信用できない。」

と考えることがほとんどですから、私などの言葉に耳を貸すことはないでしょう。
それでもそういう人の中には、医師の言うとおりに様々な治療を済ませた結果、どうにもならなくなってから相談にこられることがたまにあります。鎮痛剤が体の感覚に影響を与えていたりすると、その改善にはかなりの時間が必要になります。また、背骨にメスを入れてしまっているとどうしようもないことも多いので緩和する方向で対処を考えるしかない人もいます。

それにもかかわらず、

「やはり整体なんぞ信用できない。」 

と言い出す訳ですから、

「最初からこちらに来てくれていれば今頃は腰痛のことを気にすることなどなくなっているだろうに。」

と愚痴りたくなってしまいます。
結果、腰痛をとやかくいう人にはあまり関わりたくないなぁというのが私の本当の気持ちになっていたりします。 

そういえば、今、腰が痛いといって3ヶ月ほど通っている人がいます。 
かなり辛いようで、早く何とかならないかと私に催促してくるので、

「おそらく数年前から体がおかしかったはずですけど今までほったらかしにしていたんでしょ?そういう長年かけて悪化した体の問題が1~2ヶ月で治るはずがありません。どうししてもというのなら病院へ行って優しい先生に相談してください。」

と返事をしました。
どうやら3年ほど前から体の調子がおかしかったようで、いままで薬漬けになってしまっていたようです。その結果、不眠になってさらに腰痛が悪化となるわけですから、時間がかかるのは当たり前だと考えるべきです。私から見ると、随分と様子がよくなってきて、睡眠導入剤なしで眠れるようになってきているので、かなり回復が早いと感じます。

「余計なことをする前にまずはこっちに相談してくれませんか?」

と、つい言いたくなってしまうのでした。
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生きるとは何か:認知症の拡大と寿命の延長についての考察

認知症に対して整体師として意見を述べさせていただくと、認知症に対する治療や手当は根本的に間違っていると思います。2025年には5人に1人が認知症を発症する予測です。そして2060年には3人に1人が認知症を発症する見込みです。


認知症の人の推定人数・有病率の将来予測


このグラフは、生命保険文化センターというところが発表している認知症患者数と将来の予測をグラフにしたものです。棒グラフが認知症患者の人数で、折れ線グラフが認知症を発症する割合です。


一方で、こちらは厚労省が発表している平均余命と推移です。



この2つのグラフからのみで判断するのは早計です。

しかし、そんな悠長なことをいっている場合ではないということははっきりとわかります。女性は90歳、男性は84歳まで平均寿命が伸びる見込みです。2060年で80~90歳ということは現時点で45~55歳の人たちがそれにあたるのですが、実は私がちょうどこの年代です。


悪い方の予測を元に考えると、この世代が長生きした場合、30%の確率で認知症を発症するということです。そして、もし結婚していたら夫婦両方ともが認知症を発症していない確率は約44%です。数字がまろやかな予測を元に考えるにしてもその差は8%程度です。その差は、100人中33人が認知症になるか、25人が認知症になるかどうかの違いしかありませんから重要ではないといえるでしょう。


認知症を発症しないようにするノウハウというのは現在のところありません。また、カリフォルニア大学が発表している2050年までに達成される医学的な成果にも認知症の治療の成果はあがっていません。



自分が認知症になった時、


「家族、子供、親族が果たして自分を介護をする余力をもっているのか?」


と、考えてみてください。

ほとんどの人は、そんな余力はないだろうと思うのではないでしょうか。もし、そうであればこれはもう認知症と寿命についての認識を改めるべきではないでしょうか?


私は認知症について話をする時に、


「生きているとはどういうことかという定義を考え直す必要がある」


といつも話をしています。


私は生きているということはどういうことかというと、


「自分で考えて行動して、そして幸せを感じられる状態が人間が生きている状態である。」


と考えています。

そして、


「長生きすることに至上の価値を見出さない方がいい。死ぬまで精一杯生きることがもっとも幸せなことで、100歳まで生きたからといって100年分の幸せを享受できるとは限らない。」


と思うのです。

ところが、医療においては「心臓さえ動いていれば生きている。」という認識が根強く残っているように思います。そのため、私自身にも覚えがありますが、


「とりあえず心臓が止まるのを防いだから、あとはあなたの心の問題です。」


と言われてしまうことがよくあるように思います。

私の近所にも入院して帰ってきたら、認知症をかなり悪化させて完全な介護が必要な状態に陥っている人がいます。奥さんが世話をなさっていますが、ベッドの下などにへたり込んでしまったりすると、動かすことができず助けてほしいと頼まれることがしばしばあります。


昨年の出生数は80万人を下回っていました。

その世代が働き盛りの30代になったころの話になります。そのうちのどの程度の人がこのような老人介護の仕事に就いているのかデータをチェックするのは恐ろしいとはおもいませんか?ネットではすでに介護職の人手不足は深刻だという話をよく耳にするようになってきていますね。


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