ブログ「日々整体」

青竹踏みについて動画で補足しました

青竹踏みについて骨の模型で補足をしてみました。
四面楚歌の方にあげてありますので、のぞいてみてください。




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ウイルスとはなんだろうか?

神戸や大阪で行われた抗体検査によるともう数万人単位の人がすでに感染して抗体を確保していると推測されるという結果がでました。




私にとっては、たぶん、そうだろうなぁと思っていたのが、どうも様子が変だなぁと思い始めたところで、やっぱりそうでしたかという感じです。


世間の様子を見ていると、多くの人はウイルスを敵だと認識してるようです。
世界各国のリーダは、これは戦争だと発言しています。日本でもウイルスとの戦いに勝たねばいけないと発言しているのをよく見かけます。以前にどっかで書いたのですけど、戦争という捉え方には大きな違和感を感じるので、


「ウイルスって大気成分みたいなもので、その成分がちょっと変わっただけだから環境に適応するという発想の方がいいのではないか?」


なんて事をいっていたように思います。
まぁ、過去にはペストみたいなとんでもない事になったウイルスもいますけど、この考えだと都市封鎖なんてやってしまうと人間の体を弱めて返って亡くなられてしまう方が増えてしまうはずです。


こう考えるのは、私が整体師だからでしょう。
病気と呼ばれる様々な症状は、体を安定化せるために起こるもので、体を壊すためのものではないという前提があり、そこが医療の考えとは全く違います。よくやる例え話ですが、地球が1つの生命だと考えた場合、


「地震というのは病気だと思いますか?」
「もしそうだと思うのでしたら台風は?」


ということです。
大地は歪がでたときに振動することで安定して、大気は気圧に偏りがでたときに風を吹かせることで安定するのです。だから、地球を地震が起こらないようにしようとすると割れてしまうと思いますし、台風が起こらないように大気を改造するにはたぶん海の温度を調整したりする必要があって、そんな事をすれば海の生物のほとんどが死んでしまうはずです。

人間の体に置き換えて考えるなら、頭が痛くなったり、腰が痛くなったり、めまいがしたり、耳鳴りがなるのは、体の安定を取り戻そうという働きがあるからです。
でも、これらの症状は敵だから倒さなくてはならないみたいな事を考えると、免疫力をなくしたり、骨をいじって機能を失わせたり、耳を聞こえなくしてしまえ、みたいに体の機能を破壊するという発想になってしまいます。それで症状は確かにでなくなったりするかもしれませんけど、元気に生活できる体ではなくなってしまうことがあります。そして、その状態の人に、


「あとはあなたの心の問題だ。」


なんて言って、突き放していると私は指摘をしているわけです。


話がちょっとそれました。


それで、ウイルスというのが生命だと考える共存という選択肢があるのではないかと思うわけです。
ウイルスが生命かどうかなんてのは、生命の定義から考えなおさなければいけないのですけど、ここではそれはおいておいてください。ただ、単独で生きる事ができないので他の生物に寄生することで生きているのです。ですから、寄生した相手(ウイルスの場合感染というのかな?)が死んでしまうと、寄生している自分も死んでしまうわけですから、無闇やたらと殺そうとしているという事はありえないと思うわけです。

じゃあ、なんで死んじゃう人がいるかというと、寄生に適さない個体に寄生してしまった時に、他の個体に乗り移るために過剰に増殖するのであろうと思うわけです。そう考えれば、感染しても元気な人がいる理由も理解しやすくなってきませんかね。その答えは簡単で、


「共存できる人は感染しても平気。」


という訳です。

人間は理性をもってしまったんで、ちょっとおかしな事を言うわけですが、


「人間が生き残るために他の種の動物のすべてを殺し尽くしてもかまわない。」


というと、それはちょっとまずいというのは、感覚的にわかるのではないでしょうか?
でも、ウイルスを収束させるっていうのは、人間の命がもっとも至上の価値をもつから、そのためには他の生物を滅ぼしてしまってもかまわないという発想になるんじゃないでしょうかね。

理性をもたない他の生物って必ず共存しようとするはずなんです。
そう考えれば、ウイルスは必ず人間と共存しようとしているはずで、そのために一生懸命になってんじゃないかと、その結果が大阪や神戸で数万人が感染、寄生している見込みなんていう検査結果がでたんじゃないかなぁと。

まぁ、日本はイタリアやアメリカなんかと比較して亡くなられる方が少ないからそう考える事ができるというのもあるでしょうし、身内で誰かが亡くなったなんてことになったら、


「ウイルス憎し!許さん!」


という気持ちになってしまうかもしれませんけど、そうではないから客観的に物事を考えることができるという面もあるように思えます。


そう考えると、私達が目指すのはウイルスと共存できる体になるわけです。
簡単にいうなら、『元気で丈夫な体』、というだけの話で、実は、ウイルスと共存する事はとっても簡単な事なんじゃないでしょうかね?
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体の変化は波で捉える

「感染したのではないか?」


ここ2~3日、多くの人がそんな事を考えていたのではないかと思います。
ただ、これは私が口を酸っぱくしている5月病という奴ですので心配はいりません。4月終わって、一気に気温があがってくるわけですが、それに応じてリンパの活動が活発になるようで、体がぼーっとして、人によっては熱がでたりするだけです。

体がぼーっとしているので、行楽いったりして発奮することで元気をだすという事が定着したのでしょう。
それがゴールデンウィークとという言葉になったのであろうと思われます。ただ、今年は、外出ができていませんので、ただただ、


「なんかしんどいわ。」


みたいな事になってしまう人が多いかもしれません。
それで私が考えた手っ取り早く解決するには、


「高級食材を買って食べましょう!」


という方法です。

だいぶ息もつまっているのではないでしょうか?
これは文字通り、呼吸が浅くなっている状態です。不安を抱えながら1ヶ月も引きこもっていたら病気しやすくなるのが当然です。ちょうど10万円もでることですし、それを使って普段口にすることができないようなものを買ってみるといいでしょう。今、肉、果物なんかが全然売れなくてとんでもなく値段が下がっているそうです。先が見えないので、貯蓄したいという気持ちになる人が大半でしょうけど、先が見えないからこそ体調には気を配っておくのがいいと思います。ここで体をへたらせて、元気をなくしてしまうとあとあと困った事になることでしょう。全部を気前よく使う必要はないですから、普段だとちょっと手がでない、出せないと思えるようなものを買ってみるといいかと思います。

私が以前に試した特Aのお肉なんていかがです?Facebookで紹介している記事はこちら


季節感ですが、体が緩むタイミングと引き締まるタイミングがあると考えるといいですね。
バイオリズムなんていう言葉を聞いた事がある人もいると思いますが、緩んだり締まったりが波のように交互にやってきます。この波には12年周期の大きな波、1年の四季に合わせた中期の波、1ヶ月単位の小さな波の3つがあると考えるといいでしょう。女性だと、海の干満を知ることができる潮見表と自分の体調を照らし合わせると体調管理がやりやすいかもしれません。

12年周期については干支が12であるという事と符号しているのは偶然じゃないでしょう。
13番目の干支のねこが仲間はずれにされたなんて話があって、13を不吉として考えるのは西洋だけじゃなくて、日本にもあったりします。そういや、今、ちょうどフルーツバスケットというアニメをやっていて、それが干支をテーマに盛り込んだストーリの展開をしているので見てみるといいかもしれません。女性には人気のある漫画ですので知っている方も多いことでしょう。

心理学を勉強している人だとペルソナに置き換えるとわかりやすいのじゃないでしょうかね?
あまり詳しくないですが、人間の内面には12の仮面があるというようなものです。タナトスなんていう仮面は死を意味するわけですが、タナトスの面が強くでる周期に来ていると人間は死にたくなったりするわけです。

タロットカードはこれをさらに細かく分けて22に分類したものです。
デスという死を意味するカードは13番目で、その前後にはあまりいい意味をもたないカードが並んでいますね。

ほかではアーサー王の円卓の騎士は12人で、13人目がはいった時に国がおかしくなりはじめて、聖杯を手に入れることでそれを治めたというような話だったと思います。
まぁ、そんな訳で12という周期は人間の生活とか生き方に大きく関わってくる数字だなんていう事を意味するというのを知っておくと波の事をちょっと理解しやすいかもしれません。


波というのは、個人だけのものではなくチーム、集団や国にも存在します。そこに、集まった人たちの波がさらにおおきな波を作っている訳です。


それで、今起こっている事を、この波、周期で説明するのであれば、タロットカードがわかりやすいでしょうか。
今年からの変化は、タロットカードで表現するなら、

「ワールド」

で間違いないですね。
ワールドの意味するところは、世界の統合です。いままで無秩序だったもので1つに統合されるというような意味あいですが、たぶん、国というものの存在感が強くなって、個の繋がりが強くなるという事になるんじゃないでしょうかね?
下世話な表現をするなら、大きくなりすぎてしまった格差が一気に縮まるであろうと推測しています。昨日、首相が演説を見た人は、


「こいつは何をいっているんだ?」


と思いませんでしたか?
いわゆる上級国民の人達は我々の気持ちを理解できなくなっているわけです。大きな溝があるわけですが、その溝が一気に埋まるんじゃないかと考えています。たぶん、結果としては悪くないどころか、かなりいい感じのところに落ち着くはずです。妙な混乱に巻き込まれたりしないようにだけ注意しておくのがいいと思います。

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足の踏み方

過去2回、青竹をつかった立ち方の練習をまとめてみました。



これを続けていると、肩やら腰やらに痛みがでたりする事があります。
人によっては胸が苦しくなったり、動悸がおこったりみたいな事が起こる人もいるということで相談してこられる人もいました。でも、経過としてこれはオッケーです。もっと時間がかかると思って触れずにいたのですが、上手にやれているということですので安心してください。この変化は、体の問題のあぶりだしでしかありません。

次のステップは問題の解消をやっていきます。
具体的には足の骨の調整です。肩、腰、やら胸の具合が悪いのに、足の骨の調整をして意味があるのかと思うかもしれませんが、体なんてそんなものですので今は深く突っ込まないでください。このあたりは私がいつもいっている、


「知識として知らないほうがうまくできる。」


という領域の話だからです。

いつも例にあげる野球のピッチャーで考えてみましょう。
速い球を投げれるピッチャーは、速い球を投げる理屈をしっているから投げられる訳ではありません。速い球を投げようと練習したから、速い球を投げれるようになったのです。理屈がわかればできるというのであれば、イチローに野球を教わったらみんなイチローになるし、野茂に教わったらみんなトルネード投法で投げれるという事になります。イチローも野茂も自分の骨格に合わせて練習したら、イチローと野茂になったのです。その結果、彼らなりの野球理論があるとは思いますが、その理論を知ったからといってイチローや野茂になれる訳ではありません。そもそも大奥の人は、自分が野手向きかピッチャー向きかすらも自覚していないので、ここの順番を逆にしてしまうと何をやってもうまくいかなくなってしまいます。だから、うまくやるには先に体の状態を変えてそれから、必要であれば理屈について考えるという事がポイントですね。


ただ、やる事は簡単です。


「青竹を踏むだけ」


です。
ただ、踏む時に足の骨を意識してみてください。


足の骨


で検索してみてください。
足の骨の絵がでてきますので、その絵を見ながら1本づつ、1個づつ骨の状態を確認しながら竹を踏んでみてください。すると、やたらと痛いと感じたり、うまく踏めない骨がみつかるはずです。種子骨、中足骨あたりだと思いますが、見つけたらその骨が力を取り戻すように踏んでみましょう。

難しいのはこの力が取り戻すという感覚でしょうか。
基本的な考えは、


「強い力は機能の停止、ゆるい刺激は活性化」


ということです。
多くの人が、強い刺激を与えて鈍らせてしまっています。足を踏む時に、ツボを刺激するような突起があるのを避けるようにいっているのもこの点の事を踏まえての事です。


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立ち方をもうちょっと深めていきましょう

自宅でできる簡単な体の整え方として立ち方の練習を紹介ました。
数人しかやらないかもなぁと思って言いましたが、結構な人数の方がためしてみているようです。それで、みなさんがおっしゃるのは、


「ふらふらして立てない。」


ということです。
まず、たいていの人がどこかにつかまりながらでないと立てないのは、普通ですので心配しないでください。
だから、最初は前に椅子をおくとか、壁に向かってとかやるといいですね。それとバランスを崩した時は、拇指球を地面につけてバランスをとるようにしてみましょう。意識としては、恥骨結合付近に上半身をのせて腹をつきだすような感じがいいですね。すぐは無理でも、しばらくやっていればコツがつかめてくるはずですから、慌てずにじっくり取り組んでください。自粛期間中にやる退屈しのぎにはちょうどいいと思います。

さて、立つという動作に限らず、すべての運動にとってとても重要なのにほとんどの人が意識していない事について説明します。
それは何かというと、


「眼」


です。
視線をどこに集中するかで体の動きはまったくといいほど変わってきます。
筋トレを私が否定する大きな理由の1つは、筋トレのトレーナーに視線についてレクチャーする人がまったくいないからです。例えば、野球のピッチャーであればキャッチャーミットを見ながら投げないとうまく投げれません。コントロールが悪いピッチャーは、たいていの場合、視線、眼の使い方に問題があるからですね。岡島秀樹というピッチャーは、ノールック投法なんて言われいてキャッチャーを見ていないわけですが、うまく眼を使えない人が、どうやったらうまく使えるか工夫したらこうなったという例で、普通はうまくいきません。おそらくですけど、眼の動作に一部問題があるのではないかと思いますね。ついでに、その理由もあげちゃいますけどたぶん足に問題があるはずです。怪我でもしたことがあって、それがちゃんと治ってないんじゃないでしょうかね。


身近な例で考えると包丁でしょうか。
肉を切る時に、肉をみないで切ろうと思うとうまく切れません。手を切るから危ないという理由ではなく、眼の使い方がまずいと刃物がうまく使えないのです。なんだったら、まな板の上に肉をおいて、片手で包丁をもって、反対の手はお尻でも押さえておくといいでしょう。それで、あさっての方向を向いて肉に包丁をいれてみてください。切れないのがすぐにわかると思います。

SNSにでてくる料理人で面白い人がいますね。
セクシーな塩振りということで有名になった人ですけど、

https
https://twitter.com/nusr_ett/status/1063661074262704128?s=20
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この人、肉を見ないでよく肉を切っています。
こちらの料理人は、イスタンブールの人ですけど、ずっとカメラ目線で料理ができてしまいます。



これはどういうことかと言うと、実際の眼の動きと意識としての視線の行き先が違うという事です。
わかりにくければ、視線が2つあると思うといいでしょうね。人間の目は2つありますが、1つの方向しか見れなくなっています。でも、意識とか感覚の目は複数以上持つことができるのでこういう事ができるわけです。

ゴルフが難しいのは、ボールとカップの両方を見なくてはいけないですからね。でも、この料理人たちはきっとゴルフが上手なはずです。


こういう発想は日本には古くからあります。
しかし、日本では視線という捉え方はあまりしません。線を拡散させて視野を広げる事に価値を見出す傾向があります。例えば、聖徳太子は複数の人の話が聞けたとかいいますけど、耳がいっぱいあるのではなく、視線、視野が眼の向いている方向以外にもあったと考えるといいですね。

剣術の達人が弟子に向かって、


「スキあらばいつでも切りかかってこい。」


なんてのは最近はあまり聞きませんけど、ドリフのコントに、




なんていうものがあります。
視野の及んでいない空間にまで、視線を拡散させることは別に変な事ではありません。また、その拡散した視線というのは自分の周囲360度あらゆる方向に伸ばせます。後ろに誰かいるような気がするなんていうのは誰にでも経験があるでしょう。目が光を捉えることができないと何も見えないというのは勘違いだという訳です。


人間が宇宙に住むようになって、上下左右がない、距離もキロ程度の単位ではなくて、光年なんてものを使い出すようになるとこの感覚が研ぎ澄まされていくのではないでしょうか。機動戦士ガンダムでは、そういう風に感覚が高まった人間を宇宙に適応した人間、ニュータイプと呼んでいました。主人公でニュータイプのアムロ・レイは、


「後ろにも眼をつけるんだ。」


なんていうセリフがあったりします。

聖闘士星矢では、五感を超えた六感と七感を研ぎ澄ますことで超人的な力を発揮します。
そのために必要なのは、小宇宙、コスモを燃やす事だったりします。漫画だアニメだと馬鹿にしてしまう人はいるかもしれませんが、実は、辻褄は合っていたりするわけです。これまた私がよく言う事ですが、SFや創作であってもあまりにも荒唐無稽なものを私達は受け入れる事ができません。ですから、ヒットした漫画や映画には必ず私達人間の体の感覚に存在しているものをうまく表現しいています。


話が大きく広がってしまいました。

立つという動作において、視線がどこにあるかは非常に重要です。
ただ、いきなり視線を拡大して世界を感じるのだなんていわれてもできる人は一人もいません。では、どうするかというと逆をやってみてください。


「視線を1点に集中する。」


のです。
それで、どこに集中するかですけど、会話をするときの距離感に点を探すといいでしょう。白い紙にマジックで2~3ミリぐらいの黒い点を打って壁に貼るといいですね。その点を見つめながら、立つ練習をしてみてください。立てない人は、すぐに視線が泳いでしまうはずですが、上達するにつれて集中できるようになります。そして、ある程度以上に視線を集中できるようになると、逆に拡散できるようにもなります。

野球のピッチャーでしたらキャチャーミットの距離感で、楽器の奏者であれば楽器に集中、絵描きだったりキャンパスに、物書きだったらモニターか原稿用紙に視線を集中するイメージがいいでしょうね。

と、いうわけで今回はステップ2でした。
前にもいいましが、不都合を感じていないからできているという発想は駄目なんだと思うといいですね。たいていの場合、うまく誤魔化してしまっているだけなわけです。人間の体がいかに優秀であるかという事ですが、その優秀さに甘えてしまっているといろいろ不都合が起こってきます。



蛇足ながら、うまく立てないという人はドラゴンボールの登場人物たちをイメージするといいかもしれません。
力を高めている時に、自分の周囲の地面に輪ができてそこから気が立ち上って波打っているシーンってのが思い浮かびませんか?


「クリリンのことかー!」


とかいいながら、自分の気が高まっている様子を想像してみるのも結構いいやり方です。
ヒット作っていうのはなかなか馬鹿にできないのですよ。
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