ブログ「日々整体」

とっとと離婚することですな

「ブログに私のことが書いてあった!」

と、ついさっき言われました。
どこをみてそう思ったのか聞いてみたら、その方のことを頭に描いて書いたものではない記事でした。

実は、こういう事を言われるは珍しくありません。
ブログには普段考えている事をそのまま記事にしていることが多いのですが、通りがかかりの思いつきでこられたような人の事を書くことの方が多いかもしれません。その方が書きやすく過激な表現もしやすいですね。過激である必要はありませんが、過激な言い方をした方が伝わりやすいようには思います。当たり障りのない、気休めなどほとんどの人にとって必要ないものでしょう。


でも、最初にいった、自分のことがかいてあったと思った記事には実はちょっと過激すぎて、控えめに書いてありました。それはどういうことかというと、その人がいうには、


「主人の存在がストレスでそのせいで自律神経が乱れている。」


ということを一生懸命に主張するのです。
ですから、


「もしそれが事実であれば、ご主人を殺して山に埋めなければいけませんね。今日は、その殺し方と埋め方について教えればいいですか?」


と、私は答えました。
すると黙ったので、


「自分が何も悪くないのに体がおかしいということは絶対にありえません。体の調子が悪いのを他人のせいにしていたら何をやっても体が整うことなどありません。」


さらに、


「生きていれば嫌なことや辛いことがあるのは当たり前です。そのたびに体の調子を崩して病気になるつもりですか?」


と説明をつづけました。
そして、


「殺すのが嫌ならとっとと離婚することですな。」


と言って帰ってもらいました。
実は、こういう人は少なくありません。月に何人か必ずこられます。
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座右の銘

私にも座右の銘というものがあります。
それは、

「人の価値はネガティブな感情がわいたときの言動で決まる。」

というものです。

例えば、交通事故にあったとします。
事故の原因が相手の過失だったとしたら。世の中は立派な人ばかりではありませんから、こちらが怪我をしているのにニヤニヤしていたり、誰かに電話して、

「さいてー、事故っちゃたよ、あはははー。」

とか笑っているかもしれません。
こんな時に、どういう言葉を発して、どう行動するかでその人の価値が決まると私は考えています。

そんなことを思っていると、

「トラブルが起こったときにその人の本質がでる。」

という事もわかってきます。
問題が起こったとき、トラブルが起こったときのその人の言動をみていると、その人が本当に信頼できる人がどうかがわかったりします。

すると、トラブルや問題が起こるのが待ち遠しかったりするようになるときもあったります。まぁ、これは別の話なのでおいておきます。


さて、この考え方は、体に置き換えてもそのまま使えます。


「人の価値は、痛みや不快感を感じた時の言動で決まる。」


この場合、価値は人生と置き換えてもいいでしょう。


「仕事がしんどい、辛いのでチョコレートを食べて憂さをはらさずにはいられない。」
「主人が私の気持ちをちっともわかってくれないのでついやけ食いしてしまう。」


という人が後を絶ちません。
これはどういことかというと、

「仕事が辛いということは解決するべき問題があるということです。」
「結婚して一緒に生活しているパートナーとわかり会えていない。」

ということです。
こういう問題から目をそらすために食べていれば、体と人生はどのようなことになるか?ちょっと考えてみてください。今起こっているのがその結果のはずです。
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ゴールデンウィークの予定

「ゴールデンウィーク中は休みですか?」

という質問をいくつか頂いています。
ゴールデンウィークは通常通り整体をしています。いつもどおり日、月曜日が休みなだけです。


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ちょっとぐらい切っても大丈夫?

先日、


「あなたは腸が長いからちょっとぐらい切っても大丈夫だ。」


そう言われて腸の手術をしたという人がきました。
確かに、生きるということについては問題ないかもしれませんで。しかし、腸というのは神経を通じて脳につながっています。その一部がなくなるというのに全く影響がないか?という事はないだろうと考えています。

東洋医学では、腸は悲憂との関連があるとされます。
憂う、つまり心配しすぎると腸がゆるくなって下痢をしてしまうという人がいるのは聞いた事があるのではないでしょうか?ですから、腸の一部を切り取ると悲しい、憂うという感情が乏しくなるといえます。

感情の動きというのは数値化してあらわせるようなものではありません。
また、


「以前に比べて悲しいという気持ちが以前より乏しくなった。」


などということに自分で気がつくことはほぼ不可能でしょう。
以前は、「北の国から」というドラマをみて泣いていたけど、最近は泣かなくなったからといって、腸をきったからだと考える事はないはずです。

もし絵画や音楽など芸術に関わる事を生業としているなら、


「以前に比べて何かがうまく表現できなくなった。」


というような事に気がつくはできるかもしれませんけど。
もしかしたら、役者で腸の手術をしたあとに、演技ができなくなったという人は探せばいるかもしれませんね。


さて、最初に紹介したい方ですが、整体していておかしいなぁと思う点がありました。
それは、


「痛いはずの箇所に触れているのに痛みがない。」


ということが起こっていました。
簡単にいうと、


「傷があって血がでているのに痛みがない。」


という状態です。
このような人はこれまで何人もみています。感情だけでなく、体の感受性も悪くなると考えてよいと思います。生きる上で問題がなければ何をしてもいいというのはちょっと違うといっていいのではないでしょうか。
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整体の成果について

「整体を受けてから2、3日体がどう変わるか様子をみたい。」


なんていう人ははっきりいってダメですね。
例えば、学力や体力と置き換えて考えてみてください。


「塾の講義を2時間うけて学力があがるか試してみたい。」
「名コーチのトレーニングを受けて上達するか試してみたい。」


というのに似ています。
勉強でも運動でも、レクチャーを受ければ、その場ではわかったようになったり、上達したような気分になってもそれが定着するか?というとまた別問題です。


「桑田真澄にコーチを受けたらすぐさまピッチングが上手になるか?」

と考えてみてください。
世界一の名教師に指導をしてもらってすぐさまスラスラと難しい問題が解けるようになるわけではありませんし。世界一の名トレーナーのコーチをうけてすぐに名選手になるわけでもありません。実力をつけるには時間がかかるのです。

整体の成果はすぐに得られる人もいれば時間の掛かる人もいます。
また、体の悪い人というのは体の感覚が鈍くなっています。ですから、体がよくなっていてもそれに全く気がつかないこともすくなくありません。体が軽く階段をすいすい登れるようになっているのに、そのことに全く気が付かなかったり、表情が明るくなって笑顔が増えてきて、家族に、


「最近、明るくなってよく笑うようになった。」


と、言われても、まだ、それを自覚できていない事もあります。


「整体を受けて体がどう変わるか様子をみたい。」


なんていっている人にあは、


「そんな事をいっているから体を悪くするんですよ。」


と指導しますが、理解できる人はまずいませんね。
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