ブログ「日々整体」

極論はだめだろうという話

最近は食事を減らすとよいというのが流行り始めているようです。
書籍というのは極論しないと売れないという傾向があるので仕方がないとは思うのですが、タイトルだけ並べてみると無茶苦茶という印象がありますね。


「3日食べなきゃ7割治る!」
「軌跡が起こる半日断食」
「できる男は超少食」
「生き残る男は細マッチョ」
「食べない人は病気にならない」
「食べない健康法」
「断食が健康のための最高の方法だ!」


ささっとAmazonでチェックしてみるとこんなところでしょうか。
内容とタイトルが一致していないものもあるでしょうから、良書も混じっていると思いますけどね。

確かに、私も、


「朝飯を抜きなさい。」


と指導します。
しかし、朝飯を抜けば健康になるとは一言もいっていません。


いつもいいますが、これが、


「お金持ちになる方法」


だということであればみなさん慎重に判断されるのです。しかし、体のことになると途端に幼稚になったりします。

わかりやすい言い方をすると、


「適切で適度な運動は健康にプラスに働きますが、運動すれば健康になるわけではない。」


ということです。
体を壊している人は、運動のやり方がまずいことも少なくありません。健康というものはとてもかけがいのないものですから、常にもうちょっと踏み込んで考えてみて欲しいのです。
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人間がなぜあくびをするのか?

「人間がなぜあくびをするのか?」

というのははっきりとわかっていないそうです。
諸説紛々あるようですが、私はあくびというのは肋骨を広げるためにやっているのではないかと考えています。肋骨の中にはいくつかの臓器が収められていますが、特に肺の動きをよくするためのに横隔膜を大きく動かして肋骨を広げているというわけです。あくびにともなって手を動かしたりするのも、そう考えればピンとくるところはないでしょうか。

ボディビルダーなどで異様に持久力のない人がいます。
これは胸の筋肉を鍛えすぎた結果、肋骨の動きが悪くなって肺の能力が落ちているからではないでしょうか。検証したわけではないですが、ほぼ確信めいたものはあります。

そう考えれば眠くないのに、あくびがでるのは胸が緊張して肺の動きが悪くなっているからだといえます。
胸の緊張をゆるめたいという欲求があるときに起こる運動というわけです。でも、学校での授業であくびをしていたら先生に怒られたりするかもしれません。そんな時には、


「ちょっと胸が緊張していて。」


と言い訳してもおそらくは聞いてもらえないので注意しましょう。

あくびを止めるには上唇をなめるとよいといいます。
上顎というのは体の運動の起点になる部位なので、そこを意識することであくびをとめることができるということなのでしょう。口を舐めるのに抵抗がある人は、上顎を意識するだけでもずいぶん違うかもしれません。

ただ、体が自動的に行う運動、これを自律運動といいますが、自律運動というのは体の調整をするために行う運動です。ですから、無理やり止めるのはあまりよい判断とはいえません。

あくび以外の自律運動というと、胸椎5番の動きが悪くなった時にはくしゃみをして胸椎5番をゆるめます。咳をするのは、腰椎2番をゆるめるための自律運動です。


「咳やくしゃみを無理にとめてはいけないよ。」


とお話することがあるのは、こういうことです。
ちゃんと体にとって重要な意味があって起こる運動ですので、薬で無理やりとめてしまうのは面白くありません。

ただ、あくびというのは人から人へ伝染るというのが確認されています。
犬なんかでも伝染るそうですね。単純な呼吸器のための運動の他にもなにか意味はありそうです。
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強迫性障害と体の記憶のよもやまばなし

実はわたしは

「鍵をかけたか心配になる。」

という人間です。
専門用語で、強迫性障害というそうです。原因はわかっていて子供の頃の経験からくるものです。

小学生4年生ごろだったと思うのですが、親にこづかいをもらって留守番をしていたときのことです。
おやつを食べたくなったので、近所の駄菓子屋でおやつを買って家に帰ってきました。すると、ちゃんと占めたはずの玄関のドアが全開の状態でした。留守番を任されたからには、


「最後までちゃんとまっとうしなくてはいけない。」


そう考えた私は野球のバットをもって家の中を点検して回ることにしました。
もしかしたら、自分で締め忘れただけかもしれないけど、もしかしたら泥棒がはいったのかもしれないと考えたからです。すべての部屋を点検しおわって泥棒がいないことを確認した時には本当に安心しました。その時の恐怖感が原因で、これ以後、


「ちゃんと閉めたつもりだけどもしかしたら閉め忘れたかもしれない。」


そういう風に考えてしまうようになりました。
そのためひどいときには外出してはもどって玄関のドアを確認するという作業を5回ほど繰り返すようなこともありました。最近では、ひどくてもせいぜい3回までとずいぶん緩和されました。また、こうならないようにするために鍵を締める作業は必ず妻に任せるようにします。そして、


「ちゃんと鍵を占めたんだろうな。」


と5回ほど妻に確認することで確認のために戻る作業を省略するわけです。

ちなみに、この鍵の確認がひどくなるときがあります。
それは、


「気力が充実している時」


だったりします。
意欲に満ち溢れている時に、こうなるというのはちょっと意外に思うかもしれません。ちょっと投げやりの時には、


「この私が鍵閉めを忘れるはずがない。」


と開き直ることができるのですが、気力が充実しているときには戻って確認するという作業が億劫ではなくなってしまうようです。

また、以前に、こんな私とはまったく逆の強迫性障害の方の話をある心理学者から聞いたことがあります。
女性だったそうですが、その方は鍵を閉めることができないそうです。本人がいうには、


「鍵を閉めると幸せが逃げてしまいそうな気がする。」


と感じるのだそうです。
仕事から帰って、玄関のドアをあけて、家の中に異変がないのを確認したその時に幸せを感じるのだとか。本人にはそうなった原因となる記憶はないとのことでしたが、もしかしたら私とまったく逆の体験をしたのかもしれませんね。


さて、これは心の話だと思うかもしれません。
しかし、体でも同じような事がおこります。例えば、交通事故を経験したことのある人はわかっていただけると思うのですが、車を運転していて似たような状況になると身がすくんでしまいます。

また、大きな地震のあとの余震で身がすくんだという経験はないでしょうか?
私は阪神淡路大震災のとき大阪でその揺れを経験しています。地震の後、3年ぐらいは地震のたびに身がすくんでしまって動けなくなっていました。なお、身がすくんでしまうというのはおそらく胸が緊張してしまうという状態ではないかと思います。

プロボクサーが強烈なパンチでダウンしてしまった後に、同じようなパンチを見ると目をつむってしまって選手としての活動ができなくなるなんていう話もありますね。この場合は、首が強く緊張しているはずです。

このような反応は脳が反応しているのではなくて、反射的に起こっているものではないかと思います。
ボクサーがパンチに対して目をつむる、交通事故にそなえて身構えるというのはそうでなければ間に合いませんし、脳であればかえって危ないということを判断できるのではないでしょうか。そう考えれば、脳の記憶ではなくて、体が何かを記憶していることがいえるのではないでしょうか。

そう考えた場合、強迫性障害というのも体のどこかが強く緊張して、それが原因で起こることがあるのではないだろうと思ったりもします。背骨のすぐそばを通る迷走神経が強く緊張すると人は強い恐怖心にかられることがあるからです。

心と体というのはついついわけて考えてしまいがちですが、迷走神経の状態は無意識に直接的に影響をしますから、体の状態が心にそのまま影響するといえるのではないかと思います。
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考えるのではなく感じてください

年が明けてから、駆け込みで整体にこられる方が増えています。
こられる方の状態はみな同じです。胸椎3~5番に問題が起こっています。人間の体が季節の変化に影響を受けるのは当たり前なのですが、みな、


「突然、調子が悪くなった。」
「なんか妙な不調を感じる。」


という具合です。
なかには、問題が起こっているのにそれに気がつかない人もいます。こういう人たちには、


「季節を感じて生活しましょう。」


という話をします。
あれこれと体に気を使うのに、季節の変化を一切考慮しない人がほとんどです。暑くなった、寒くなったぐらいのことは言葉は口にしますが、その影響で体が変化しているとうことにほとんどの人がまったく気がついていません。

今回の冬でいうと冬至の日を境にほぼすべての人の体の様子が変化しています。
そしてそのまま正月を過ごして、正月あけから、


「どうも体の調子が変なのです。」


という具合です。
こんな調子にもかかわらず、


「私は健康に留意している。」


なんて恥ずかしげもなく発言している人もいます。
これまたいつもお話することですが、体の調子というのは、考えるのではなく感じてください。日本には四季とうものがあって、そこにすむ我々日本人は四季にあわせて体の状態を変化させています。それを感じて、1日1日を大切に過ごすことですね。健康に留意するのはこういうことができた人がやることです。
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良い人生

「いい人生とはどんなものか?」


というちょっとしたコラムを読みました。

この話を読んだ時には、


「あぁ、そうですか。」


と思ったのですが、正月明けに整体にこられた人にこの話をしたら、ひどく共感してもらえたようです。

で、本題のどういう人生がよい人生かというと、


「生まれた時にはあなたは泣いていて周りの人が笑っている。
そして、あなたが死ぬときにはあなたが笑っていて、周りの人が泣いているのがよい人生だ。」


と、いう地域があるそうです。

笑って死ぬというのはそれほど難しいことではないと私は思います。
なぜなら、人間という生き物は笑ってしねるようにできているからです。私からすると非常に当たり前のことなのですが、世間の人たちはどうもそうは考えないようです。

周りを見渡してみて、笑って死んでいるという人はどれぐらいいるでしょうか?家族や親族がいよいよ亡くなられようとしている時に何をしているかというと、笑えなくしてしまっているのではないでしょうか?

人間はいつか必ず死んでしまいます。
ですから、どんな風に自分は死にたいかということを考えるのはとても大切な事です。さしあたっては、


・笑って死ぬ。
・何も考えられないような状態になって気がついたら死んでました。
・そのほか。


というぐらいのことは一度は考えてみるとよいのですけどね。
ただ、こんな話をすると、たいていの人は、


「苦しむのは嫌だ。」


といいます。
人間は死ぬときには苦しまないようにできていますから安心してください。ですから、苦しまないように死にたいなんていっているうちはよい人生とはどういうものかについて何も考えていないということになります。認知症になりたくないなんて思っている人はよくよく考えるのがよいでしょうね。
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