強迫性障害と体の記憶のよもやまばなし
2016年02月02日
実はわたしは
「鍵をかけたか心配になる。」
という人間です。
専門用語で、強迫性障害というそうです。原因はわかっていて子供の頃の経験からくるものです。
小学生4年生ごろだったと思うのですが、親にこづかいをもらって留守番をしていたときのことです。
おやつを食べたくなったので、近所の駄菓子屋でおやつを買って家に帰ってきました。すると、ちゃんと占めたはずの玄関のドアが全開の状態でした。留守番を任されたからには、
「最後までちゃんとまっとうしなくてはいけない。」
そう考えた私は野球のバットをもって家の中を点検して回ることにしました。
もしかしたら、自分で締め忘れただけかもしれないけど、もしかしたら泥棒がはいったのかもしれないと考えたからです。すべての部屋を点検しおわって泥棒がいないことを確認した時には本当に安心しました。その時の恐怖感が原因で、これ以後、
「ちゃんと閉めたつもりだけどもしかしたら閉め忘れたかもしれない。」
そういう風に考えてしまうようになりました。
そのためひどいときには外出してはもどって玄関のドアを確認するという作業を5回ほど繰り返すようなこともありました。最近では、ひどくてもせいぜい3回までとずいぶん緩和されました。また、こうならないようにするために鍵を締める作業は必ず妻に任せるようにします。そして、
「ちゃんと鍵を占めたんだろうな。」
と5回ほど妻に確認することで確認のために戻る作業を省略するわけです。
ちなみに、この鍵の確認がひどくなるときがあります。
それは、
「気力が充実している時」
だったりします。
意欲に満ち溢れている時に、こうなるというのはちょっと意外に思うかもしれません。ちょっと投げやりの時には、
「この私が鍵閉めを忘れるはずがない。」
と開き直ることができるのですが、気力が充実しているときには戻って確認するという作業が億劫ではなくなってしまうようです。
また、以前に、こんな私とはまったく逆の強迫性障害の方の話をある心理学者から聞いたことがあります。
女性だったそうですが、その方は鍵を閉めることができないそうです。本人がいうには、
「鍵を閉めると幸せが逃げてしまいそうな気がする。」
と感じるのだそうです。
仕事から帰って、玄関のドアをあけて、家の中に異変がないのを確認したその時に幸せを感じるのだとか。本人にはそうなった原因となる記憶はないとのことでしたが、もしかしたら私とまったく逆の体験をしたのかもしれませんね。
さて、これは心の話だと思うかもしれません。
しかし、体でも同じような事がおこります。例えば、交通事故を経験したことのある人はわかっていただけると思うのですが、車を運転していて似たような状況になると身がすくんでしまいます。
また、大きな地震のあとの余震で身がすくんだという経験はないでしょうか?
私は阪神淡路大震災のとき大阪でその揺れを経験しています。地震の後、3年ぐらいは地震のたびに身がすくんでしまって動けなくなっていました。なお、身がすくんでしまうというのはおそらく胸が緊張してしまうという状態ではないかと思います。
プロボクサーが強烈なパンチでダウンしてしまった後に、同じようなパンチを見ると目をつむってしまって選手としての活動ができなくなるなんていう話もありますね。この場合は、首が強く緊張しているはずです。
このような反応は脳が反応しているのではなくて、反射的に起こっているものではないかと思います。
ボクサーがパンチに対して目をつむる、交通事故にそなえて身構えるというのはそうでなければ間に合いませんし、脳であればかえって危ないということを判断できるのではないでしょうか。そう考えれば、脳の記憶ではなくて、体が何かを記憶していることがいえるのではないでしょうか。
そう考えた場合、強迫性障害というのも体のどこかが強く緊張して、それが原因で起こることがあるのではないだろうと思ったりもします。背骨のすぐそばを通る迷走神経が強く緊張すると人は強い恐怖心にかられることがあるからです。
心と体というのはついついわけて考えてしまいがちですが、迷走神経の状態は無意識に直接的に影響をしますから、体の状態が心にそのまま影響するといえるのではないかと思います。