ブログ「日々整体」

本当に簡単なのに誰もやらない健康法

とても簡単に骨盤を締めて、綺麗な姿勢になる方法があります。
しかも、この方法はお金がかからないというメリットもあります。でも、とても残念なことですが、このことをお知らせしたら明日から全ての日本人は健康で病気知らずの薔薇色の人生を送れるようになるということは絶対に起こらないでしょう。

理由は簡単で、簡単すぎてお金がかからないからです。
人間という生物はお金を出したり、苦労して手に入れたノウハウや情報しか価値があると考える傾向があります。ダイエット情報のことを考えてもらうと、この意味をよく理解することができるでしょう。

もしあなたがダイエットをしたいと思うのであればやることはたった2つだけです。
1つは、食べる量を減らすこと、もう1つは適度に運動をすることです。そのほかの情報や知識などはほんの付け足しでしかありません。ダイエットに必要なことはこのたった2つだけなのに、何十万円、何百万円もの費用を払う人まで現実に存在しています。

このことは逆説的に表現すると理解が深まるでしょう。
ダイエットに必要な2つのことは、食べる量を減らすことと運動です。しかし、これらを行わないまま何十万から何百万円もの費用をかけてダイエットに取り組むと、成功するのは難しいこともあるでしょう。

さて、私が今回紹介するノウハウはとっても簡単です。
誰にでもできますし、誰にでも取り組むことができます。そして、実践して継続させればその効果は絶大です。ただ1つ欠点があるとすると、必要なのはそのことを常に意識することだけで、費用がまったくかからないし手間もかからないということでしょう。

その方法とは、

「あごを引く。」

ということです。
スポーツをやるときなどは、必ずあごを引けという指導があるのではないでしょうか。そうする理由は簡単で、あごをひくと骨盤が引き締まって、重心となる重要な骨に力が集まるからです。つまり、身体能力をもっとも発揮するためにはあごを引かなければいけないということです。あごをひく姿勢は、背筋がのびますから周りから指摘される背筋の曲がった姿もすぐに矯正されることでしょう。そして、このあごを引くという所作を身につけることができれば、ありとあらゆる病気や不調も解消されることでしょう。

もしあなたがお金を出さなくても健康になることができると考えているのであれば、今からすぐに実践してみてください。
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安易な質問、深刻な誤解:健康への半端な追求

「半端に知るよりは知らない方がいい。」

生兵法は大怪我のもとと言い換えると、理解しやすいかもしれません。
私は体について多くの質問を受けますがその大半は中途半端な質問です。このことは仕事だったり、趣味だったり、スポーツだったりである程度の能力や実績を積み重ねたことのある人には理解をしてもらいやすいかもしれません。しかし、多くの人は、

「ちゃんと教えてさえくれれば自分でも簡単に出来る。」

と勘違いをしてしまう傾向があります。
もちろんこのような発言をすることはほぼありませんが、内心でそのように考えてしまうのです。

日々、

「姿勢を正すにはどうすればよいのですか?」
「どのようにすれば健康に生活できるのですか?」

と、多くの人の整体をしていて聞かれるのです。しかし、このような質問に対して私はこのように応えます。

「私がイチローのバッティング理論を1から10まで丁寧に説明すれば、あなたはすぐにメジャーに行って活躍できるぐらいの結果を発揮できると思いますか?」

これは無理だということはすぐにわかるようです。
そして、

「もし野球のバッティングで成果をあげたいなら、何にも考えずにバッティングセンターにいってバットを振り回していた方が早いのです。イチローの技術理論など知っていたって返って足を引っ張るだけです。」

と、説明を続けます。

ここまで説明をすると半分ぐらいの人は理解するようです。
残りの半分の人は、「自分はイチローほどの成果あげたいのではないから。」とか「ちゃんと教えてくれたらイチローすら越えてみせる。」とでも考えるようです。そういう人たちには、

「小手先の知識や技術を使って横着をしていると手痛いしっぺ返しをくらうよ。」

と助言はしていますがおそらく聞こえてはいないでしょう。苦労や労力を惜しむ人間がどのような人生を送るかと考えてみればよいのです。

健康な生活を送りたいというのであれば昔からの格言がいろいろあります。

「笑う門には福来たる。」
「早起きは3文の得。」

笑っていれば心が晴れやかになるだけではなく、体も元気になってくる。早起きすると体にいいことがある、といった著名な諺は多くの人が知っていることでしょう。他だと、

「一汗かくと百病を防ぐ。」
「病は気から。」
「動くことは生きること。」
「心豊かに、体健康に。」

などなど山のようにあります。
このような古い言葉は様々な変化をして今の私たちの生活に溶け込んでいるのではないでしょうか。ほとんどの人は健康な生活を送るためにはどうすればよいのかを知っているはずなのです。

つまり、本当に健康でありたいのであれば、

「早起きするにはどうすればよいのか。」
「運動を継続するにはどうすればよいのか。」

などという質問が最も適切になるのではないでしょうか。当然、このような質問であれば私は私の知る限りの知恵を惜しみなくさらけ出すのですけどね。
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膵炎の理解と治療:整体の視点から

膵炎の整体についての質問がいくつか溜まってきたので紹介しようと思います。
膵炎とは膵臓がなんらかの理由で腫れるという病気です。ネットで調べてみるとすぐにわかるかと思いますが、簡単に説明すると、

"理由はよくわかりませんが、腫れているから炎症に対する処置をして様子をみましょう。"

というような治療が行われます。
膵炎はいくつかのケースに別れていて原因がはっきりしないケースの方が圧倒的に多いようです。急激に膵臓が腫れてしまうことがあるようですが、この場合は、急性膵炎といって、お酒の飲み過ぎや胆石といって胆嚢の異常が原因で急激に腫れてしまうことがあるようです。ただし、このケースでも、お酒の飲み過ぎが必ずしも膵炎を引き起こすわけではありません。実際、お酒の過剰摂取が膵臓の炎症を引き起こすケースは稀です。一応、このケースにおいては治療法が明確に確立されているようですが、結局のところは対処療法でしかありません。

以前に私が実際にみたケースも紹介しておきましょう。
その方は医師の診断ミスによって苦しんでいました。背中がいたいということで通院したのですが、腰痛という診断を受け、湿布薬を処方してもらっていました。しかし、どうも変だということで私のところへ相談にこられたのです。体の様子を観察して腰痛という診断は誤りであると判断し、内臓になんらかの変調が起きているからどうしても医者の治療を受けたければ、他の病院へ行くようにアドバイスをしました。すると、私の見立ての通り急性の膵炎だという診断を受けて適切な治療を受けていました。

余談ですが、この方は急性膵炎という診断を受けていましたが、体を壊すほどの飲酒はしていませんでした。

このように大半の場合は原因不明というのが現実であろうと思われます。
少なくともこれまで私が膵炎ということで関わった人たちの中に、なにかしらはっきりとした原因がわかっている人は皆無です。

さて、このように悩ましい膵炎ですが、整体的に診ると体のどこに問題があるかは割とはっきりとしています。ポイントになるのは、頸椎1,2番、7番、胸椎1番です。この4つの椎骨は深く関わりがあるのでそのうちのどれかに問題があると全てに問題が生じるといってよい関係性をもっています。また、頸椎1,2番に問題があると、医学的には自律神経失調症といわれる様々な不調や症状が起こります。

この点から考えると、自律神経の働きに不調が起こってその結果、消化器系の内臓である膵臓が炎症を起こすというのが正確な表現になるのではないかと考えています。多くの人にとって残念なことは、自律神経系と消化器系というように、複数の系統にわかれて生じる体の不調を解決するのは医学がとても苦手にしているということでしょう。

膵炎に関してはどのような問題なのかをきちんと把握できていなかった時期もあるのですが、最近、うまく解決できるケースが続いています。おそらくかなり正確に理解できるようになってきたのではないかと考えています。膵炎は症状が軽くても原因がはっきりしないので、延々と薬を飲み続けなければいけないという煩わしさもついてまわることもありますので、もししっかりと対処したいのであればご相談頂ければと思います。
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時間とともに変わる答え: 人生最後の日についての考察

20代後半に自己啓発セミナーに傾倒した時期がありました。。
その時に頻繁に投げかけられた質問に、

「明日、死ぬとしたら今日はどのように行動しますか?」

というものがあります。
自己啓発セミナーに参加しているということは現状に大いに不満を持っているのですから、この質問は私の心を大きく揺さぶります。しかし、熱心に仕事に取り組んでいる時期にこの質問を投げられたとしても、それほど大きな影響は与えないと思います。

この話は、癌といった不治の病に対しての医療の姿勢を思い出させます。
私が子供のころは、癌の本人への告知は行わないというのが当たり前でした。もうすぐ自分が死んでしまうという状況に直面したときに、ほとんどの人は生きる気力を失ってしまうと考えられていたからです。ところが、本人への病気の告知をしないままの病院での治療は家族の負担がかなり大きなものになるそうです。だからこそ、次第に本人へ告知した方がよいという考えが生じてきたようです。

そして、実際に病気の告知をうけた人の大半は、残された人生において自身の仕事に熱心に取り組むようになったそうです。自分の死に対して正面から向き合うことによって、残った時間を有意義なものにしたいと考えるようです。

この話を聞いて面白いと感じましたし、私自身もこうなるだろうと思えました。
だから、明日、死ぬとしたら今日はどのように行動しますかと問われたら、

「別になにも変わりません、いつもどおり仕事をすると思います。」

と答えるような気がします。
また、常にこのように答えられるよう、日々過ごしています。

ちなみに、日本人は、仕事とアイデンティティが密接に関わっているそうです。
その結果、自分の仕事への役割や責任感がとても大切だと考えられているようです。家族を顧みずに仕事に没頭するというと、問題があるような風潮があるようですが、それもまた生き方の1つと言えるのかもしれません。

さて、先日、ある本を読んでいて、

「明日、死ぬとしたら今日はどのように行動しますか?」

という質問がありました。
その時、思ったことは、

「息子にちょっといい肉を買って帰ろうか。」

ということでした。
年をとることで、自分の内面も結構変化しているなと自覚した次第です。
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LGBTQ+と社会:理解には時間がかかる

最近、LGBTQ+の話題を目にする機会が増えてきましたのでそれに纏わる話をしてみようと思います。
私は身体は女性だが内面は男性だと感じている人に会って話をしたことがあります。その方は、基本は男性的な感覚で生活をしているそうなのですが、まれに女性としての面がでてきて混乱してしまうようです。

それで、以前にテレビでみたある男性の話をしました。
その男性は自身の中に女性的な面があったそうです。それで休日に女装してでかけるようにしたそうです。女性としての振る舞いは最初うまくできませんでしたが慣れるにしたがって、周囲からも女性として扱われるようになったそうです。平日は男性として仕事をして、休日は女性として過ごす、この方はそのような生活でうまくバランスがとれたようです。

この男性を真似て、男性面が強くでているときは車でドライブに行ったりして、女性の面が強くでてきているときは料理したり、裁縫したりすればいいのじゃないかといいました。実際、その女は普段はフットワークが軽く車であちこちにでかけてましたし、女性面が強いときに裁縫や料理に興味が湧いてくると言っていたからです。うまくバランスがとれれば、休日に女装する男性のように、男性としての良い面と女性としての良い面が両方楽しめかもしれません。

彼女にとってこのような発想は新鮮だったようです。
若い頃には体が女性であることが受け入れられないようなこともあったそうです。ただ、この感覚は先入観や罪悪感といったものから生じるのではないかと考えました。おそらく、内面として男性であるという感覚があるにも関わらず、自身の体が女性の形であるという事実が受け入れられないことが原因なのではないかと私には思えます。

過去の中国の宮廷には宦官という地位がありました。
皇帝の後宮で仕事に従事するために、男性器を切り落とした役人です。著名な宦官に史記をまとめた司馬遷という人がいます。彼は、真っ当な発言をしたにも関わらずその内容が王の意に沿わず死刑になるか宦官になるかを選択させられた人です。それで、この宦官という役割は2000年ほど続いたのですが、宦官が男性器がないことを苦にしていたというような記述は見たことがありません。

また、アマゾネスという民族のことを聞いたことがある人もいることでしょう。
女性だけで部族を形成していてたまに男性をさらってきて子供を作ったらすぐに殺してしまうという生活をしていたとか。アマゾネスは、弓を引くときの邪魔になるという理由で片方の乳房を切り落としていたそうです。おそらくですけど、アマゾネスには乳房がないことを嘆くような女性はいなかったのではないでしょうか。

私の考えが一部の人には強引に感じるかもしれませんが、存在するべきでないものが存在しない、また存在するはずのものが存在するという事実、どちらも私にとっては同じ意味を持つのではないでしょうか。
もちろん全く違う性質や状況であれば話も変わってくるとは思うのですが、性に関わる体の特徴の問題だと捉えてしまえば同じものなのだろうと考えられます。そう考えれば、自身の体に関わる違和感の本質は、

「女の体、あるいは男の体についてのイメージ、先入観、そして周囲からの視線。」

という点に集約されるのではないかと私には思えます。

LGBTQ+の問題をこのように捉えると体と性の感覚がずれている人がいるということを多くの人が認識することができればそれでおしまいなのではないかと私には思えます。中国の宦官のように、宦官としてのその地位と立場が保証されていれば男性器がないことを苦にする人はおらず、むしろ宦官になることを自ら選んだ人が大勢いたのですから。

最近、LGBTQ+に関わる様々な問題はその認識を広める過程で必要な手順のほとんどを省略してしまっているせいで起こっているように思います。

先日見たニュースによれば、都心のある駅の女性用トイレを利用しようとした女性が、明らかに男性に見える人を見つけて、そのことを駅員に伝えたところ、駅員からは

「その方は、内面が女性なので女子トイレの利用は適切で注意ができません。」

という返答があったそうです。
男性にしか見えない人が女性用トイレを利用するという事態は、女性にとっては怖い経験になり得ます。しかし、この女性がトイレの利用について問題提起をしたことで、

「その女性の認識が古い。」

と批判されるような風潮があるようです。

この話を聞いて、私はタスマニア人が同じことを感じているのではないかと思いました。
タスマニア人はイギリスのクック船長がタスマニア島に到着した際に存在していた先住民族です。キリスト教信者ではないから未開の野蛮人であるという考えに基づいて西洋人の文化とキリスト教を教え込まれようとしました。しかし、タスマニア人は誰一人として、それを受け入れることができず全ての人が亡くなってしまいました。彼らには彼らの習慣や信仰があったと思うのですが、ある日、突然にそれらすべて間違っていると取り上げられてしまったら、生きていることができなくなってしまったのです。

もしかしたら、その思想を受け入れられなければ生きていけないとしても、今でもそれなりに快適に、そして幸せに暮らしてきた古い私の頭では、

「そんな急激に価値観や考えを入れ替えるのは無理。」

タスマニア人も同じように感じていたのではないかと思うのです。

もちろん、LGBTQ+の人々は自分たちのアイデンティティを認めてもらい、社会がそれを尊重し認識することを求めていることは理解しているつもりです。繰り返しになりますが、認識や価値観はすぐさま切り替えられるものではないということを念頭において欲しいと思うのです。
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