ブログ「日々整体」

人を見たら詐欺師だと思え

「2年かな?」

英語の勉強をはじめたことは以前に紹介しました。
はじめてから5ヶ月ほど経ちますが、まだ会話ができるほどの力は身についていません。それで、突然、身につくまでの期間が、直感的に浮かんできました。

英文法に関してはさらっとおさらいする程度でなんとかなります。
でも、会話となるこれまで全く経験がありませんからそう簡単にはいきません。おそらくなのですけど、英語脳を育てる必要があると感じています。私の脳の中には、様々な知識がベースにあってそのベースに日本語脳が乗っかっているのをイメージするとよいと思います。半世紀ほど日本で暮らしている私の日本語脳はそれなりの能力をもっていると思いますが、それと同じ事を英語でもやろとういう訳です。それで5ヶ月ほどかけてやっと核になるものが形になってきたかなと感じています。今後はこの核に肉付けすることを主体に勉強をしていけばいいのだろうと考えています。

英語を身につける方法は2種類あります。
第1言語として学ぶ方法と、第2言語として学ぶ方法です。日本人がが日本語を覚えるように、英語圏で生活して英語を身につけるのが第1言語として学ぶという事です。私の場合は、第1言語としてすでに日本語を身につけてしまっているので第2言語として学ぶしか方法がありません。

ところが、

「世間ではネイティブが英語を学ぶように英語を身につける。」

なんていうコピーをよく見かけます。
聞き流すだけで英語が身につくとかいうあれです。この手のサービスや商品は詐欺といってしまっていいと思いますね。

それで、この流れの商品やサービスは健康に関してもまったく同じものがあります。

「毎日、食べるだけで健康になる。」
「1日30分の運動で健康になる。」

というのとまったく同じです。
はっきりいって詐欺と言えるような商売が世の中にあふれてしまっているわけで、多くの人が時間とお金を無駄にしてしまっているのだろうなぁと思うわけです。

「宝くじが当たれば幸せになる。」

なんていうのも全く同じで、英語の学習で騙され、健康に関する事で騙され、そしてお金に関することで翻弄されて、多くの人が本当に望んでいる人生から遠ざかってしってしまっているのはとても残念な事です。

英語の勉強なのですけど、英語のネイティブが日本語を身につけようとすると平均で2200時間ほど必要だというデータがあるそうです。1年で身につけようとすると1日約6時間英語の勉強をする必要があります。さすがにそれはしんどいと思うので、1日3時間勉強して2年という勘定になる訳で、直感的に2年必要と感じたのは案外適切なものだったのかもしれません。

私の場合は、学生の頃に文法の勉強をしていました。
ざっと計算して、約500時間ぐらいになるのでもしかしたらもうちょっと早める事はできるかもしれませんね。まぁ、言語を学ぶという事に終わりはありませんし、どれぐらいのレベルが身についたなんて基準があるわけでもありません。また、ベースとなる知識の上に言語が乗っかっている訳ですから、ベースになるものがなければ言語だけ身に付けても意味がありません。

わかりやすく、ちょっと不適切な表現をするなら、

「あほが英語を話せたって意味がない。」

という事です。

なお、2200時間という数字は、英語ネイティブが日本語を学ぶ場合というデータです。
だから逆の場合は多少差が生まれるかもしれません。なお、日本語と英語は言語としての位置づけが最も遠いそうで、日本人が英語を身につけようと思った時にはかなり時間がかかると考えた方がよいようです。

英語学習に関しての情報を集めていると、

「聞き流すだけで英語が身につく。」
「爆速で会話できるようになる。」
「3ヶ月で英語が身につく。」

等々、というキャッチコピーを頻繁に目にするようになります。
今の世の中は、こういうものに振り回されない程度の教養がなければ英語を身につける事ができなくなっているという事を感じるわけです。

先にも少し述べましたが、これは健康に関しても全く同じだと思うわけです。
健康に関しての方が市場が大きいですから、詐欺としか思えないような物がさらに多いでしょうね。私自身は、健康、自律神経、めまい、耳鳴り、起立性調節障害なんていワードで調べ物をする事がありませんから、そういう事に気がつけないでいたように思います。

「人を見たら詐欺師だと思え。」

それぐらいでないと自分らしく健康に生活することが難しいのかもしれないなぁなんてふと思うのでした。
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リラックスできていない理由

「肩の力を抜きなさい。」

運動でも、習い事でも、何かに取り組もうと思ったら必ず言われる事ではないでしょうか?
これはどういう事かというと、体をうまく動かそうと思うのであれば力をこめてはダメだという事を意味しています。走る、ジャンプするという運動もそうですし、字を書く、お茶を淹れるという日常的な作法や動作についても同じ事がいえます。

ところが、世間では、

「筋肉を身につけて体を支えなくてはいけない。」

全く逆の事が信じられています。
筋肉で体を支えるという事は、体に力をこめる必要があります。不思議に思うかも知れませんが、筋肉で体を支えるということはそういう事なのです。だから、力む必要があるといいかえるとさらにわかりやすいでしょうか。飛んだり、跳ねたり、走ったりみたいな運動では力を抜かないといけないのに、立ったり、座ったりみたいな動作では力をこめなければいけないなんておかしな事を言われている訳です。大きな矛盾があるのですが、多くの人が気がつくことができないようです。スポーツなんかで卓越した成果をあげる人はこういう矛盾の事をわかっています。だから、

「筋肉なんかつけても意味がないよ。」

なんていうことを有名なスポーツ選手が発言しているのを聞いた事はないでしょうか?

さて、最近、ある方と習字に対する考え方について話をする機会がありましたのでその内容を説明してみることにします。

その方は他の方と比べて上達が早かったそうです。
字が上手にかけるという事は体を使ってうまく筆を使えているという事を意味します。字を書くのだって体を使う運動と捉えて考えてみるとわかりやすいでしょう。運動はあまり得意ではなかったそうですが、肩に力をいれていたら筆がうまく使えないのを想像するのは難しくないと思います。
この話で興味深い点は、

「力が抜けたらからキレイな字を書けた。」

のではなく、

「上手に字を書こうとしたら体の力を抜いて字を書けるようになった。」

という事です。

おそらくよい先生に教わっていたという事もあると思いますね。ダメな先生なら筋肉を使って筆を巧みに扱うのだとか言う無茶な指導をする訳です。

大事な点なので繰り返しますが、上手な字を書こうとしたら結果的に体の力が抜けたという事です。このことをふまえて世間に回っている言葉を見てみると、

「リラックスする事が大切だ。」

とかいう情報で溢れかえっています。
そのせいで却って力がリラックスできなくなっていると考えてみるとよいかもしれまん。
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自分らしい生き方

「本来の自分らしい生き方。」


前回、私の考えを紹介しましたが、この言葉にはもう少し補足説明が必要であると考えました。

自分らしさというのは、自身の好奇心が発揮されいてる状態を意味しています。
最近は、好きという言葉で表現されることが多いので、妙に勘違いしてしまっている人が多いと感じています。料理、運動、読書、勉強などなど、料理だったら和食、洋食、菓子づくり、運動だったらサッカーや野球、読書だったらミステリー、小説、哲学など、自身の好奇心がどのような事に向けられるかはある程度自覚があると思います。

だから同じ料理でも、肉を焼くのがいいんだという人もいれば、魚をさばくのが楽しいのだなんて具合に自分の好奇心の向いている事に取り組む事が自分らしさです。

肉を焼くのだとヌスレット・ギョクチョというトルコ人が有名です。
ムキムキの体、セクシーな仕草で肉を焼いて塩を振っている人というと思い出す人もいることでしょう。彼の生まれた家は貧乏で学校に通えなかったようですが、彼の好奇心は肉を焼くという事に向いていたようです。言い方が悪いですけど、学のないステーキハウスの親父が今では世界中に知られるようになっているのです。有名になりたいと思ってそうしているのではなくて、自分らしく肉を焼いて、自分らしく塩を振っているのです。彼を見ていると、自分らしく生きるという事がどれほど大切かよくわかるのではないでしょう。

自分らしく生きる事ができれば有名になるというほど単純な話ではありません。
目立ちたくない、ひっそりと暮らしてゆきたいという気持ちも自分らしさの1つです。コツコツ仕事をして、休みの日は家族とゆったりとして、趣味に没頭する時間を過ごすのがいい、そういうのだって自分らしさの1つです。目立つことに憧れは感じない訳ではないけれど、自分はそれで十分に幸せだなんていう思いも立派な自分らしさです。

一歩間違えると危ないと感じるような例も1つ紹介しておきましょう。
その人は男性ですが、女の子がとても好きなのだそうです。それで就いた職業が小学校の教師でした。ここだけ聞くと危険な香りが漂ってきそうですけど、現実は正反対です。子供が好きだから一生懸命に授業ができるし、相談も熱心にのってあげるそうです。その結果、子供たちからは好かれるし、子供の親からは教育熱心でよい先生だと評判がよいのだとか。結果、本人は充実した日々を送っていますし、この幸福な日々を絶対に失いたくないからと子供に手を出すような事は絶対にしないといっていました。結局、この人も自分らしく生きているだけなんですよね。

好奇心というのは自分の人生を好転させるもっとも重要な要素です。
それで好奇心をうまく発揮させるために必要な事が健康であるという事です。蛇足ながら付け加えておきますが、ここで私がいう健康とは、健康診断で問題がないというのとはまったく意味が全く違います。

好奇心がちゃんと発揮されるには健康でなければいけません。
自分が何に興味をもてるのか、何をしている時に、何を感じた時に幸せだと感じることができるのかを自分でわからなくてはいけません。そして、幸福を感じているのであれば自然とそれに取り組んでいるはずです。

たまに、

「好きなものが見つからない。」

なんて言っている人を見かけますが、不健康な状態であれば当たり前です。
好きを感じる力がない、つまり好奇心がうまく発揮されていない状態で好きなものがみつかるはずがありませんからね。

好奇心というのはどこから生まれる物か考えてみてください。
脳だと考える人が多いかも知れませんが間違いです。充実感、幸福を感じる時、あなたはそれをどこで感じているかふり返ってみてください。たぶん、心で感じているはずです。頭の中で幸せを感じているなんて言われたらきっと違和感を感じることでしょう。もちろん記憶や経験といった要素は大切ですが、それは好奇心を補足する物でしかありません。好奇心というのは体で感じるものなのです。

「体が変わったら人生薔薇色になりますよ。」

と私がいつも言うのは嘘ではありません。
健康になれば好奇心が高まってくるので自分らしい生き方ができるようになります。その結果、幸福な人生をおくれるようになるのです。
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幸せな人生が最優先ではないですか?

世の中がおかしくなっているというのをひしひしを感じています。
でも、多くの人にとってはこれが当たり前の事のようです。歴史をふり返っていると妙な紛争やら事件が起こるのだろうかといつも不思議に思っていたのです。ほとんどの人は、ただただ目の前に起こる問題を解決しようとしているだけだという事がわかったような気がします。大半の人たちは実際に目の前に起こっていることを客観的に見ることができないようです。

そういえば昨年末に、テレビでニュースを見ていて、

「これっておかしくない?」

と思ったと言っていた人がいました。

「私がその事に気がついたのは2年前ですよ。」

と返事をすると、気がつくのが早すぎなのだそうです。

多くの人が気がついたときにはもう手後れの状態になっているでしょう。
だからもう既に手遅れだと判断しています。そんなものに私を巻き込むなと言いたいのですけど認識できていない問題を提起したって無視されるだけです。このままのこの調子で状況が推移するととんでもない事になるのはわかっていますから次善の策を考えなければいけません。

さて、大層な事をいう前に目先の問題を解決した方がよいと思います。

健康保険と医療に関してはそう遠からず崩壊するのではないでしょうか。
年金もそうですけど、私にいわせればもうすでにダムが決壊するのを待っている状態です。少子化、経済力の衰退で医療にかかる費用を支える力は日本経済にはありませんし、今から対応をしても完全に手後れです。どうするのかなと思うのですけど、多くの人はなんの根拠もなしになんとかなると思っているようです

賢い若者はすでに海外への脱出していたりその準備をしています。高齢の人たちは若者が支えてくれるなんていう幻想を抱いているのを早々に辞めた方がいいでしょう。

会社が倒産する時には、

「優秀な人間から順に辞めていく。」

という話を聞いた事はありませんか?
優秀な若者たちは、もう日本を完全に見切っていると思います。本当にどうするつもりなのでしょうね?

そんな状況で最も大切な事は健康は自分で保つという事です
医者に行って薬をだしてもらえっていればそれでオーケーみたいな方法はそもそも誤魔化しでしかありませんでしたけどね。

健康で幸福な人生を送るための第一歩をアドバイスしたいと思います。

まず最初に知らなければいけない事は、死なないようにするという事と、生きるという事はまったく違うということです。死なない事を最優先にすると、寝たきりの要介護状態が理想的な状態になります。不思議に思うかもしれませんが、絶対安静の状態で心臓を動かし続けるためのあらゆる努力が行われますからね。だから、1年でも、1ヶ月でも長生きしたい、1分でも1秒で心臓を動かし続けたいと思うのであれば寝たきりになればよいのです。これが死なないようにするという生き方です。

おそらくですけど、そんな晩年を望む人は一人もいないと思います。
だから、生きるということを最優先にして生活していください。あなたにとって生きるというのはどういう事ですか?ほとんどの人は、漠然と日々を送っているから、なんとなく、とりあえず死なないようにして大切な事を考えるのを先送りにしてしまっています。これは生きているとはいいません、死なないようにしているだけです。これは今の日本の状況と全く同じです。

だから、今、考えてください。

「あなたにとって生きるということはどういうことですか?」

毎年健康診断にいって医師がすすめる薬を飲むことはあなたにって生きるという事かをよく考えてみることです。そして、医師はどのような考えにのっとって薬を処方しているか考えてみてください。間違いなく、

「死なないようにする。」

という事が最優先になっていませんか?

ほとんどの人にとって、医師の治療方針とあなたの本当の望む生き方は両立が不可能だという事がわかると思います。

「医師は、あたなの人生に対して何の責任もとってくれないのに、どうして言いなりになる必要があるのか?」

なんて1回ぐらいは考えてみてもいいと思います。
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2023年の書き始め

「しんねん」とタイピングして変換したら信念となりました。
信念なんていう言葉を使った記憶がないのですが、真っ先に変換されたのですからどこかで使ったのでしょう。どうも私の頭というか心の中は怒りの気持ちが渦巻いているようです。そうでなければ、信念なんていう言葉を使う事はないと思います。

新年になりました。
年末から正月にかけては体の状態は悪くなったと感じるはずです。そういう事が起こるぐらい大きな変化が体に起こります。は虫類が脱皮しているのを想像してもらって、それぐらいの変化が我々の体に起こっていると考えると良いでしょう。カニなんかがそうだったと思いますけど、生物によっては脱皮がうまくできなくてそのまま死んでしまう事もあるぐらいの大きなイベントです。多少、しんどくなるのは当たり前なのです。

この先、節分の頃にさらに大きな変化が起こります。
1年でももっとも体調が悪いと感じるのはたいていこのあたりです。気分も当然落ち込みますから、豆まきをして無理矢理と元気になるようにしましょう。豆まきというのがどれぐらい昔からあるのかは知りませんが、古くからあるイベントだと思われます。豆まきなんていうのは元気をだすために行われるようになった行事で、それなりに長く続く風習には何かしら体の変化に応じたものであると考える良いでしょう。

今年もこれまで通り淡々とと整体に取り組んで行くつもりです。
ただ、世間の変化がかなり大きいもののですから、私自身も穏やかでいる訳にはいきそうにありません。船の上でのんびり釣り糸を垂らしていたら、大きな波がやってくるようなものです。ぼけーっとしていたら船が転覆してしまいますから、それなりの対応はしていかなくてはなりません。正直にいってめんどうくさいとおもわないではないのですが、社会とか秩序みたいなものの崩壊を感じさせる兆候をひしひしと感じていますからそれなりの対応はしなくてはいけなさそうです。こういう難しい時代に生まれてしまった事は不幸なのか思ってしまうのですが、難しいからこそそれを乗り越えるだけの力量を身につける機会を得るわけで、それはそれで悪くないという気持ちも浮かんできます。

最初にも述べました、心の中に怒りが潜んでいるとその怒りの発散のために無茶苦茶な理屈を正当化してしまうのが人間という生き物です。平和に、そして穏やかにお互いが幸福になるための道を模索することができるといいと思うのですけどね。

さて、お知らせが1つあります。
四面楚歌のブログを今年で終了にします。もちろんまだまだ書き続けますが、以降は廃止して新しいサイトを作ろうとしています。基本的には私は書くことしか継続できないようなので何かを書くためのサイトになります。まぁ、何かを書くといっても体の事についてしか書きませんけどね。
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