ブログ「日々整体」

すべての病気は抵抗作用の不足が原因

 林檎であるなら、その一部分に強き衝撃を加えれば、その衝撃を受けた部分の細胞は、忽ち(たちまち)破壊されて死滅し、その部分だけは段々と腐敗して行くが、他の部分は健全に生存し得るのである。しかし動物の場合は、之と大分現象を異にし、強く衝撃を受けた部分の細胞は、一時仮死状態になって、俗に云う黒死となるが、日を経るに従って次第に薄らぎ行き、遂に健全なる元の状態に恢復するのである。その代り一点の急所を強く刺激すれば、他の部分の細胞が完全であるにも拘わらず、忽ち死といふ転帰をとらねばならない。動物と植物とに於いては、その生活現象がこの如き大なる相違がある以上、細胞病理必ずしも当てになるとは限らない。
 予は飽くまで抵抗作用が鈍るから、障碍作用(しょうがいさよう)に冒さるゝのだと主張する。繰り返して云う、万病は一因、抵抗作用の不足からのみ発する。


(現代語訳)
 林檎の木を例にあげて考えてみる。木の一部分に強い衝撃を加えれば、その衝撃を受けた部分の細胞は、すぐさま破壊されて死滅します。その破壊された部分は少しづつ腐敗しますが、他の部分は健全に生きていく事ができます。それに対して動物の場合は、林檎の木のような植物とは違う経過をたどります。強く衝撃を受けた部分の細胞は、一時、仮死状態になって黒死という状態、いまでいう痣になります。しかし、月日を経過するにつれて痣は薄れてゆき、いずれ健全な状態に回復します。その代わり急所を強く刺激すれば、他の部分の細胞が完全であっても、すぐに死という状態になります。動物と植物においては、このような大きな違いあるため、細胞や病理が必ずしもあてになるとは限りません。
 私は、体に抵抗作用が鈍るから病気になるのであると主張をします。繰り返しますが、すべての病気は抵抗作用が不足したときにのに発症するのです。

注釈については、四面楚歌に掲載しています。
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アロマオイルから考える冷え解消

「あれ?なんか手が温かい!」


手先にアロマオイルを塗り込んでみたら手が温かくなりました。

オイルを使ってみはじめたのはちょうど1年ぐらい前からです。その頃は、手先が温かくなるという感覚はなかったように思います。なんか具合がいいなぁというぐらいの感覚で、春先までそのオイルを使っていたように思います。


私は普段、手先がかさつくという事はありません。

だからアロマオイルを使ってみようと思ったのもなんでだったのか覚えていません。多分、世間であれこれと言われているから、なんでそんな事が言われているのか確認してみようとぐらいのものだったのだろうか?なんて思ってましたが、やたらと手の消毒をやるようになったからなのは間違いありません。過剰な感染症対策は体を弱めてしまうという分かりやすい例と言えるでしょう。


私は、ハンドクリームなんかも嫌がる傾向がありました。

だから、せっせとアロマオイルを使っているのを嫁が、


「珍しい。」


とか言っていたように思います。

それが今年になって正月すぎからやたら冷え込むものだから、手先の皮膚が硬くなって逆むけまでいかないけどちょっとささくれ立っているなぁと思って、アロマオイルの存在を思い出し試してみたら手が温かくなるのを感じた訳です。


冷えというのは基本的に肺の活動が小さい人に起こります。

これは整体を通じて観察をしているとすぐに気がつく事なので、取り立ててどうこういうものではありません。だから、世間で言われている冷え解消メソッドがちゃんちゃらおかしいと感じます。


冷えのきつい方は、太り気味になるか、かなり細い体型になると思っておくとよいでしょう。

肺の活動が小さいと、食欲のコントロールがうまくいかなくなるので食べ過ぎるようになる、または、胃の働き、つまり栄養を吸収する力が小さくなるので太れない体質になります。そして、後者の場合は、骨格が華奢なので太ろうとしても太れないと思っておいた方がいいでしょう。


余談ですけど、この事がわかっていないとダイエットが絶対にうまくいかない人がかなり多いかもしれません。

なぜなら、ダイエットというと脂肪を燃焼しなくてはいけないと考えてしまうからです。脂肪を燃やすためには20分以上運動をしろとかいわれますけど、肺の活動が健全でないとうまく酸素が取り込めないので脂肪を燃やす事ができません。


そんな肺ではいくら運動したって辛いだけで長く続ける事ができません。

だから、まずは脂肪を燃やすのではなく、肺の活動を高める事を目標に体を動かさなくてはいけません。肺が酸素を取り込めるようになればそれだけで体型はがらりと変わってきますね。だから、整体を受けている方はスタイルが良くなってくるのですけど、自身では全く気がつきません。どれだけ自分の体に興味を持って見ていないのかといつも思います。


話を戻します。


そこで気がつくのですけど、この理屈ではアロマオイルを手に塗って暖かくなる事がうまく説明できません。


それでちょっと考えてみたのですけど、おそらく皮膚の油分の都合なのでしょう。

冷え性の人は手先、足先がかさついている事が多いのですが、皮膚の油分が十分であれば保温能力高まるのではないでしょうか。これまでは肺の活動が小さければ血液中の酸素が薄くなるという点にだけ注目してきました。しかし、冷えは酸素だけの問題ではなく、皮膚に含まれる油分の事も考えた方がいい訳です。だから、鍋を食うとか、ショウガのお茶を飲むなんていうのは、こういう基礎的な部分を抑えた上でさらに体を温めたいという人が取り組む事なのだという訳です。


というわけで、まとめです。

冷えを解消したい方は、


1.肺の活動が大きくなるように運動をする。(ジョギングなんかがいいでしょう。)

2.冷えを感じる部分、肌がかさつくところをアロマオイルを塗り込む。

3.冷え解消と言われる食品を摂取する。


という感じで考えると結構いい具合になるのじゃないかと思います。先に述べたとおり、1から順にやっていかないと成果はあがらないはずです。


問題は、肺の活動が小さい人は汗をかきにくいという事です。

そういう方は体を動かしても気持ちよく汗をかくという事ができませんので、運動が面白くないと感じるはずです。だから、快を感じる程度の運動がどれぐらいなのかという事をよく考えながら取り組む事です。有酸素運動を20分とかいう情報は、足をひっぱる要素しかないものだと考えるとよいでしょう。5分がちょうどよい、心地良いと感じるなら5分程度の運動で十分で、肺の活動能力にあわせて運動量を増やしてゆくのが上手にやるコツです。

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傷寒論を軽んじる漢方医たち

 現代医術は治療に際して病名を必要とし、之を専門家的に眼は眼科、肺は呼吸器科といふように治療する、之、全くの誤りで、人体は有機的な質的融和的総合的なものであって、一部分だけで生き、一部分だけで生活してゐるのではないない。従つて人体を考ふる時は、全体的総合的であるべきで、之を固定的局部的に考ふるべきものではない。眼で物を視るといふも、眼だけで見ゆるのではなく、眼を通じて脳髄を刺激するのである。眼は神経によつて脳と連絡してゐるからである。それ故脳と眼だけを取り出しても見えぬ。之、身体を一つに考へる必要がある、と言う所以である。
 然るに細胞病理は、人を分析的に局部的に考へる。が、之は大なる誤りである。之、現代医学が顕微鏡に捉はれて、細胞生活に重きを置くの結果、動物生活と植物生活とを混同して、そこに大なる区別の存することを忘却してゐるが故に他ならぬ。

(現代語訳)
 現代医術は治療をする時に、病名が必要となります。これを専門に分けて眼は眼科、肺は呼吸器科というように治療する。このような方法は完全な誤りです。人間の体は有機的な物質が集まって形作られたもので、一部だけで生き、一部だけで生きているのではありません。ですから、人間の体について考えるときには、体全体について考えるべきで、局部、一部にキ切り分けて考えてはいけません。眼で物を見るからといっても、眼だけで見えるのではなく、眼を通じて脳を刺激するのです。眼は神経によって脳に情報をおくっています。そして、脳と眼だけを取り出しても物が見えるわけではありません。体全体をもって考える必要があるというのはこういう理由です。

 ところが、病理医学では、人間の体を局部的に考えてしまいます。だから、大きな誤りを犯している事になります。現代医学が顕微鏡で体を観察して、細胞の活動に重点を置いて考察を繰り返しています。これは植物と動物の違いを考えないで、そこに大きな違いがあることを忘れてしまっているようなものです。


(注釈)
中国においては傷寒論という書籍があります。
200年ごろ後漢末期の中国で病気に対しての治療についてまとめられた書籍です。作者は確か張中景という人で、三国志にまつわるものを読んでいるとたまに見かける名前です。ちなみに、この時期には華陀という世界ではじめて外科手術を成功させる医者がいたのでそちらの方が有名ですが、功績としては張中景の方がはるかに上だと思います。華陀は自分の技術を自分だけのものとして一切を後生に残す事はありませんでしたから。

続きは四面楚歌へ掲載しています。
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将来に確定している大後悔

京都アニメーションにお いてガソリンがばらまかれて放火された事件を知らない人はいないのではないかと思います。私はいわゆるマンガ、アニメオタクですから、それなりのショックを受けていたと思うのですけど、表面上は、 

「ひどい事になってしまった・・・。」 

と思う程度で割と平静にしていました。 
でも、京都にあるマンガミュージアムというところで寄付を受け付けていると聞いて少しだけでも寄付をしようと思ったのです。 

実は私はこの時まで寄付をしたことがありませんでした。 

「寄付はいいことだ。」 

と考えている人にとっては度し難い人間だと思うかも知れません。 
でも、私は、 

「良いことをしているフリをするために出すお金。」

という認識しか持つことができません。 
より具体的に述べるなら、寄付は自分が社会的に立派な事をしているのだという認識を持たせるための支出です。自分の内面や生活に、やましい事や、歪んでいる部分があるのだけど、それを寄付することによってうやむやにしてしまうためという感覚です。 

こういう言い方をすると怒る人もでてくるでしょう。
例えば、悪い事をしても教会にいって懺悔して寄付をすれば神父に許されてしまうのです。 
私は、 

「本当にそれでいいの?」 

って思ってしまう訳です。 
それじゃダメだろうと、お金を出すことで有耶無耶にしちゃいけないことから目を背けてしまうと、いろいろ大切にしているものを全部無くしてしまいそうな気がします。もちろん、人間は弱い生き物だからそうやって許してもらわないと生きていけない人はいると思うのですけど、私はまだそこまで追い詰められているとは感じていません。 

当然、立場や状況が違えば考え方はかわってきますから、寄付を募っている人をみてどうこういうつもりはありません。ただ、 

「困っている人がいる、あなたは金銭に余裕があるのだから寄付をしなさい。」 

と、こちらの罪悪感につけ込んで寄付をしてくれとかいう人を尊敬するのは難しいですね。 
何しろ、私は今の自分の幸福を守るために寄付をしないという選択をしているのに、その幸福を手放せといわれているように感じるのですから。 

そういう私が京アニの火災事件を聞いた時、寄付をしようとはじめて思いました。 
その時、なんでそういう気持ちになったのかと、自分でとても不思議に感じていました。でも、この時、少しでも被害者の方や遺族の方たちに対して、 

「自分にも何ができることはないのか?」 

という考えが浮かんできました。 
それで、先に述べた京都マンガミュージアムに足を運んだ訳です。でも、繰り返しになりますけどこの時も私は平静で、悲しいとか、悔しいとか、苦しいとか、そういう気持ちは一切沸いてくることはありませんでした。 
それで、マンガミュージアムについたら運がよかったのか悪かったのかテレビ局が取材にきていたのです。
何と聞かれたのかはもう忘れてしまいましたけど、カメラとマイクを向けられた時、突如として涙があふれてきました。 

「自分はこんなにもショックを受けていたのか・・・。」 

と気がつきました。 
自分のこのような感情の爆発には驚きました。そして、その悲しみの感情を沈めるために寄付をしにきたのだという事に気がつかされました。後で落ちついてふり返ってみたのですけど、感情が制御できなくなってしまったときに寄付をするといいのだなと、そういう事を理解したように思います。 

話がちょっと変わります。 

最近知ったのですけど、人間は受け止めきれない気持ちを感じる事がないよう、感情をブロックする機能をもっているようです。親が死んだ時に、全然、実感が沸くことがなくて、後になって悲しくなったという話を複数の人から聞きました。たぶん、悲しい辛いという気持ちを受け止められるような状態になった時にあふれてくるのでしょう。 

私は寄付にいった時、京アニが燃えて多くの人が亡くなったという事実に耐えられない状態だったのです。それをなんとか処理するために寄付をするという行動を無意識にとった訳ですが、テレビ局の人間が余計な事をして感情のダムを決壊させたために、私は大恥をかいたという事なのでしょう。 

結論としては、 

「テレビ局クソ、なくなってしまえ!」 

という事でいいかもしれませんね。 

それで、最近考えている事が1つああります。 
両親の思考能力が衰えてきてるのですけど、そうなるとタガがはずれて、 

「これほど薄っぺらい人間だったのか・・・。」 

という事実に直面しています。 
いわゆる認知症になっている訳ですけど、 

「とっとと死んでしまえ。」 

という事を考え始めています。 
母はあれこれと世話をしてくれる嫁に対して、 

「ありがとう。」 

という事すらいえなくなっています。 
私にだったらまだいいのですけど、嫁や息子に対してこういう接し方をするのを受け入れる事ができません。 

死ねばいいとまで思うのは感情がブロックされているからでしょう。 
これまで尊敬していて孝行しようと思っていた両親がとんでもないクソ人間だったという事実を私は受け入れる事ができないのです。だから、いつか亡くなった時にも 

「やっと死にやがったか。」 

と思うのだろうと思います。 

でも、死んでしばらくしてからきっと大後悔をするのでしょう。 

「どこでボタンを掛け違えたのだろうか?」 

と思うのですけど、私が関わり用のないところでそれが起こっていたような気がします。結局、そう遠くない未来に悔やんでも悔やみきれない大後悔をすることになるのだろうと思います。多分、これはもう変えられない未来なのでしょうね。 
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三種体癖の幸福

前回、三種体癖の人が自身の奇矯な行動で幸せをつか見損ねてしまう話を書きました。それを読んでいる事を前提に書いているので読んでいない方はまずはそちらからどうぞ。


それで前回の内容ですけど、心当たりのある人が結構いて、

「私って三種体癖ですよね?」
「うちの息子って三種体癖ですよね?」

といった事をかれました。

三種体癖の人は、丸いあるいはぽっちゃりという体型の方が多いです。
いつもニコニコしていて、そこにいるだけで雰囲気を明るくするようなタイプの人は三種傾向をもっていると思っていいでしょう。森公美子や石塚英彦なんかが典型的な三種体癖だろうと思いますね。

ただ、聞かれた人の半数ぐらいは三種ではなく四種体癖の人でした。
三種と四種は同じ左右型に分類される体癖で、どちらも体の重心を左右にゆらしながら体を動かす特徴があります。どちらも感受性が豊かなのですが、その性質が陰とでるか陽とでるかの違いでしょう。

四種傾向の人は、気の流れ、エネルギーの発散が陰に向かう傾向があります。
一般的にネガティブ思考なんていわれる事が多いでしょう。こういう人は気持ちが前向きにならなければとか、ポジティブ思考にならなければと考えてしまって、おかしくなっている人が多いです。しかし、三種の人は陽の方向にしか発散できませんし、四種の人は陰の方向にしか発散できませんし、表裏の性質なので両方の気質を持つことはありません。

四種の人は気の流れを陰に向けないとうまく発散できません。
ぱっと思いつくのだと絵描きがわかりやすいでしょうか。そういう人は怪我をして包帯を巻いている人物だったり、廃墟だったり寂しさを感じさせる風景の絵を描いているのじゃないでしょうかね。あと、ドロドロの昼ドラなんてのを見て発散しているとか。歌手だと中島美嘉は陰に向いていますが、宇多田ヒカルは陽に向いているような気がしますかね。書いていて思った事ですが、オタク界隈でヤンデレといって病的な恋愛をする女性の表現があるのですが、それも四種傾向かもしれません。

四種タイプに人には

「他人の悪口を日記で書いてもいいんですよ。」

なんてことをよく話ます。
まぁ、他人に見られたらちょっと困るので、ばれないように上手に隠さないといけませんけどね。

こういう具合に気の発散(世間ではストレス発散なんていわれていますかね。)をやるのは体癖により向き不向き、様々な方法があり、落ちるところまで落ちなければ気持ちがあがってこない人だっています。安易に、

「物事をプラスに捉えて前向きになろう。」

なんていう事は不可能な人もいるのです。
心や気持ちの問題をポジティンブなれば解決だなんて横着に考えない事です。

四種傾向の方は、細見の体型になる傾向があります。
細身なので周囲からは

「もっと太れ。」

とか云われ続けていて、そのせいでノイローゼ気味になる人も少なくありません。
しかし、四種傾向のある人が太るとかえって病気になると思った方がいいでしょう。体重というのは身長に対して適切な重さがあるのではなく、骨格にあわせた適切な体型、体重があるという事を理解しておいた方がいいでしょう。厳密にいうなら、たぶん、骨の重さで肉付きがかわるので骨だけの体重を計算できるものがあるといいのですけどね。

あと、こんな話をすると私は細身の体型だから四種だと考える人がいます。
しかし、三種傾向のある女性なんかは出産後に太り出すとか、男性でも歳をとるにつれて太っていく傾向になる人も少なくありません。だから、若いうちの体型で自身がどういう体癖なのかを安易に判断しない方がいいかもしれません。

また、似たタイプに十種体癖があります。
十種はちょっと珍しい体癖なのですけど骨格と見た目だけで判断するのはとても難しいです。だから、もしかしたら三種だと思っていても十種だったりすることもあるかもしれません。

話が大きくそれてしまっていますが続けます。

ドラゴンボールの主人公孫悟空が陽であるのに対してベジータは陰であると考えればわかりやすいのではないでしょうか。ベジータがスーパーサイヤ人になったのは、格闘家としての実力が孫悟空には及ばないという、自分自身に対する怒りが引き金でした。孫悟空がクリリンという親友を殺したフリーザ対する怒り、つまり外に対しての怒りがきっかけであった事と対称的です。ベジータは孫悟空に近づくために相当なのトレーニングを積みましたがスーパーサイヤ人になる事はできませんでした。でも、そうやってトレーニングという形で外に向かっていたエネルギーを、内に向けた、つまり自分自身に向けた瞬間に、ベジータはスーパーサイヤ人として覚醒したのです。

三種を理解するためには四種のとの違いを理解するのがわかりやすいのかもしれません。

三種体癖の人は感情の量が豊富でそれを発散させる事で幸福を感じる事ができる体癖です。
感情の量というのがピンとこなければ、エネルギーや気、なんでもとっつきやすい言葉を置きかえてもらっても問題はありません。だから、芸術の分野に興味をもつ人が多い印象です。しかし、芸術分野にしか活躍の場がないわけではありません。

例えば、将棋という分野で考えてみましょう。

「将棋というのは頭のなかで棋譜を考えるので頭脳型といわれる一種の人たちばかりだ。」

体癖の事を学んでいるとそのように考えてしまいがちです。
しかし、将棋には様々なスタイルがあります。じっと座って次の一手を考えるのが一種的な傾向、庭を散歩したり扇子を振りながらながら次の一手を考えるのが五種的傾向、直感で次の一手を思いつくのが三種的傾向です。羽生善治や加藤一二三などは三種的な棋士で、最近話題になっている藤井颯太はおそらく一種のタイプです。将棋界のこれまでは生まれついての天才と呼ばれるような三種タイプの人が強かったのですが、AIが進化してきた事もあってAIと将棋を打つことに疑問を感じない一種体癖の棋士がこれからは活躍をはじめるのかもしれません。五種的な将棋の打ち方をする人は知りませんが、実力を発揮するような人はじっとせず落ち着きが無いような印象になるはずです。

こういう具合に、どんな分野にもその体癖に沿ったアプローチがあるものです。
だから、自身がどんな分野にいるにしても自分らしさを忘れないように取り組むことが大切です。実力のある指導者は、そんな体癖、個性にあわせた指導をしてくれます。しかし、そんな指導者は希有な存在だとおもいますのでどのような人に教えてもらうかということはとても大切なことだという事も踏まえておくとよいでしょう。

三種の人を苦しめる言葉は、

「もっとよく考えてしゃべろ。」
「意味がわかるように話せ。」

などでしょう。
最近はこんなのばっかりだという印象です。直感を無視して合理性だけ、損得だけで物事を判断してしまう人が重要なポジションについているケースが多いのかも知れません。

「なんか嫌。」

という気持ちを他人に合理的に理解できるように説明するのは無理だと思った方がいいですね。


前回、三種体癖の女性が旦那さんに気持ちをうまく理解されず離婚してしまう話を紹介しました。

どこかでボタンを掛け違ってしまったのでしょう。
私は、女性が奇矯な行動をするまで追い詰めたのは男性の方だと思います。男性は良識をもった常識人だとは思いますが、常識人であったが故に奥さんの直感や心の動きが理解できなかったのでしょう。男性の方が仕事を通じて少しづつ頭が硬くなっていったのか?頭髪がない禿げだという事でしたら、体に問題があってだんだん柔軟な思考ができなくなっていったのかもしれません。

天真爛漫な三種の人が、頭の硬い人と一緒に暮らして幸せになれるか?
と考えるとこちらで紹介する男性のような気持ちをずっと保っていられるか?というのがポイントになるとおもいます。



そして、

「なんか嫌だ。」

そう思った、感じた時には素直にその気持ちを相手に伝える事です。
パートナーがその気持ちについてちゃんと考えてくれるかが大切なポイントだと思います。生活、人間関係は合理的、理性的な判断だけではうまくいかないのだという事をよく話しておけるといいのかもしれませんが三種体癖の人はそういう話し合いを好みませんから注意が必要です。
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