ブログ「日々整体」

自分のセンスとカンを信じよう

「学校給食にステーキを!」


なんていっている人をテレビで見かけました。
どんな人かというと、どっかの市会議員に立候補している方でした。で、その選挙のポスターに、


「学校給食にステーキを!」


と書いてあったわけです。
バラエティ番組だったので、変な人が選挙にでていますみたいな紹介のされ方でした。ただ、なぜこんなキャッチコピーにしたんですかという質問に対して、


「世の中を変えるにはまず子供から変えないと。で、給食にステーキを出せば子供が元気になって世の中が変わると思うんです。」


なんていっていました。


で、これを聞いた私は案外それはありだなぁと思ったわけです。
一見、突拍子もない事をいっているように感じますが、ちゃんと理にかなった事をいっているわけです。その手段として、給食にステーキを出すというのは一考の必要はあると思いますけどね。ただ、テレビで話している感じからすると、


「この人は、ステーキにこだわるような人ではないだろう。」


と、感じられました。
まぁ、実際に会って話したわけじゃありませんから大きな勘違いかもしれませんけどね。
おそらく彼は、


「子供たちをまず元気にしよう!」


と考えてそれを実行しようとしたのではないだろうかと。
ただ、それを彼流の言葉で説明した場合に、


「給食にステーキを!」


ということになってしまったのではないかと思われます。
こういう人は、頭の中にある考えや思いを通訳してくれる人がサポートにつくととんでもない成果をあげたりすることがあるんですけどね。


スポーツで才能を発揮した著名人なんかにはこういう人が多いですね。
巨人軍の長嶋茂雄さんなんかがいい例でしょうか。長嶋さんぐらいになると言葉の意味はよくわからんのだけど、なぜか真意が伝わってしまうなんていう事があったりしますけどね。あと具志堅用高さんなんかも、何をいっているのかわからないので笑いに変わってしまうことが多いのですが、彼の天才的なセンスを凡人が理解するのが難しいせいでそうなってしまうだけというのが本当のところだろうと思います。


で、こういう人たちってそれほどいないように思うかもしれませんが、そこらへんにゴロゴロしていたりします。ただ、気の毒な点があって、こういう人たちはいつも、


「よく考えてから発言しろ。」


なんていう具合に馬鹿にされたり、注意されたりする事が多いのです。
それぐらいだったらいいのですが、そのせいで自分本来の生き方や考え方ができなくなってしまって体を壊してしまっている人が多いのです。


本当は飛び抜けたカンとセンスの持ち主なんですけどね。
そういう才能は、考えている事を言葉にして相手に伝えるのとはまったく方向が逆の性質だったりします。つまり、センスのいい人ほど小馬鹿にされることが多いといっていいでしょう。


なぜ私がこういう事を偉そうに語っているかというと、こういう性質は骨格にでてくるからです。
だから、


「よく考えてからしゃべろとかよく言われるでしょ?」


なんて私がいうと、


「そーなんですー!」


っていう返事が帰ってくるわけです。

こういう人たちの特徴は、初めて会った人でも第一印象でいい人かどうかがわかります。
ただ、それを


「なんでそう思うのだ。」


と質問されたってうまくは説明できませんしする必要もありません。
先に述べた通りそういう事を言語化する才能をもっている人はまったくこんなカンが働きませんからね。で、そういう人はこの人と知り合いになっていれば損か得かみたいな事で人を判断するから、カンを働かせた人に、


「もっと考えて発言しろ」


とかもっともらしくいうわけです。
で、ついでにいうとそれは体にいいとか悪いとかあれこれ能書きやうんちくを語り始めるわけです。

初めてあった人がどんな人か直感的にわかる人はそのカンを大事にしましょう。
うんちくを語っている人がいかにもっともらしいことをいっていてもそんな内容は聞き流しておいて問題ありません。体の調子が狂ったときもその時働いたカンの通りに行動していればたいていはすぐに元気になるはずです。
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天海祐希の生き方を表現した言葉

「老いは股関節から来る!」


と、テレビでいっていたのは、天海祐希です。
最近、気難しい学者の妻を演じた映画が公開されたそうです。そのPRのためのインタビューでこんな事をいっていたのです。さすが、飛び抜けた実力を持つ女優は奥行きのある言葉をさらっというなぁと思いました。ちなみに、私が彼女の存在を認識したのは女王の教室というドラマで、よくもまぁ、こんだけ怖い人を演じられるものだと思ったものです。


ただ、残念ながら彼女は老いというものの捉え方を間違えています。
胸椎11番が変化することが老いというものだからです。股関節は老いに無関係ではありませんが、年をとっても股関節の柔らかい人というのはいくらでもいるのです。そういう人でも長く生きていればちゃんと老いてゆきます。


どうしてこうなるかというと、彼女はどうも


「老いと衰えを混同している。」


というわけです。

多くの人にとっては、


「股関節からはいったい何がやってくるのか?」


と言葉をつなぐとわかりやすいでしょうかね。
実は、股関節の動きが悪くなると、体が衰えはじめます。わかりやすくいうと、内臓の働きが全部落ちると思っておくといいでしょう。


演技にとって股関節の可動範囲というのは非常に重要です。
だから、天海祐希という人の場合、演技ができなくなるということが老いと考えているように思われます。そう捉えれば彼女にとっては間違えていないというか、演技ができなくなったときが天海祐希という女優の人生が終わるときだと。そんな彼女の生き方、考え方を表現した発言なんだろうなぁと、そんな風に私には感じられました。
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まったく意味のない内容です

生物の進化についての考え方というとダーウィンの進化論しかしらない人が多いようです。
進化についての現在の考え方はダーウィンの進化論ではうまく説明できなくなっていると学者たちは考えているようです。ただ、テレビなんかをみていると未だに、


「生物はゆっくり少しづつ進化してきた。」


なんて説明されていたりするわけです。
まぁ、これは戦前頃と今の日本人の変化をみていると直感的にわかる人もいるのじゃないですかね。わずか数世代で同じ国の人間とは思えないぐらい変化していたりします。野生の動物なんかでも2~3世代で変化がでているものが観察されていたりもします。


私は恐竜の化石の展示なんかにいくのが好きです。
すると、今、考えられている恐竜の姿は私が子供の頃にみた図鑑の恐竜とは姿がまったく違ったりします。子供の頃は恐竜に羽毛をもっていたなんて考えはまったくありませんでしたね。

恐竜については、ティラノサウルスなんかはいったん走れなかったとか言われだしていましたね。
骨格から運動能力を考えるととても肉食恐竜とは思えないような能力しかないという結果がでたようです。で、ティラノサウルスは死体ばかり食べるスカベンジャーだったとか言われている時期がありました。

他で言うと、マスター・キートンというマンガの主人公は考古学者なのですが、学校の教科書をみて、


「石器時代の教科書ですね。」


といっていました。
4大文明があった時期にはほかに少なくとも10ぐらいの文明が見つかっているのだとか。普通に生活をしていると、学校で習った事に疑問を持つ機会というのはあまりなかったりします。ただ、学校の教科書だと省略されていたり、いまでももうかなり考え方が変わっているということがかなり多いわけです。


で、ここまで書いて気がついたわけです。
書き始めてみたら、これは


「俺はこんな事を知っているんだ!」


と自画自賛したいという気持ちがでてきて書いてしまっただけのものだということに。普段なら、消してしまって要点だけ残すのですが、まぁ、たまには残したっていいだろうとそういう気になったのです。


で、本当は進化にからんでちょっとまとめてみたいテーマがあったんですが、大きくそれたのでそれはまた別の機会にしておきましょう。
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1分1秒でも長く生きたい人へ一言と休みのお知らせ

ちょっとでも長く生きたいと思うのでしたらその方法は簡単です。
ちょっと振り返って考えてみれば誰でもすぐに気がつくと思うのですけどね。


一言でいっちゃうと、


「寝たきりになって動けなくなった人ってなかなか死なない。」


たったコレだけのことです。
実際に介護をしている人なんかだとピンとくるものがあるんじゃないですかね。まぁ、もうちょっと的確な表現をすると人間は元気がないと死ねないということでしょうかね。


まあ、こういう言い方をすると角がたつこともあるかと思いますので、


「ぽっくり逝きたかったら元気がないと無理なんですよ。」


と言ってますけどね。


死ねない状態の人の世話をするのはなかなか大変なようです。
介護するのが辛くて心中したり、殺してしまったり、自殺しちゃうような人がでているわけです。表にでてくるのもそれほど珍しくない印象がありますから、実際にそういう事が起こっているのは日常茶飯事になっているのじゃないでしょうかね。


ある程度年配の人と話をしていると皆、


「介護されるようには絶対になりたくない。」


といっているんですが、やっている事は全部逆だったりします。
つまり1分1秒でも長生きしようとしているのです。世間で健康のためにいいと言われている事は私らみると要介護一直線だと感じるものが多いですね。そんな人には、


「元気に生きてぽっくり死にたかったら、無駄に生きてないで早く死ね!」


と話していますね。



なお、3月1日木曜は休みにしました。
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土俵を肴に考えてみる

20年ぐらい前にちらっと読んだだけの記事なのに、いまでも鮮明に記憶に残っているものがります。経済がらみのデータを発表する冊子の隅に掲載されていたコラムなのですが、妙に感銘を受けていまでも印象に残っているようです。

それはなにかというと相撲の土俵の話です。
土俵が一段高くなっている理由はなにかというと、実は怪我を防ぐためなのだそうです。私はそれまで相撲ってのは神前でとるみたいなもので、神棚というような意味があるのかなぁと漠然に思っていたのです。土俵の上には、派手な櫓もありますしね。


土俵は、周囲より高くなっていて、その上で相手を倒したり、土俵の上から落とすわけです。
落ちたら危ないし怪我の原因になるのではないかと思われるのですが、高くすることで怪我をする事がほとんどなくなってしまったのだとか。当時は、『へぇ!』とぐらいにしか思ってなかったのですが今から思うと案外理にかなっているのだろうなぁと。


土俵が高くなっている理由のう1つは踏ん張りすぎないようにするということでしょう。
交通事故なんかに多いのですが、骨が折れていればこんなに大変なことになってなかっただろうと思えるものが少なくありません。骨が折れることで力がそちらに逃げてくれますし、きれいに折れた骨はすぐに繋がってなんの後遺症も残りません。

つまずいてコケてとか、足首をひねったとかでも同じで骨が折れていれればキレイに治るからいいんですよ。これが、靭帯が伸びたとか傷ついたとかいうことになってしまえば、その後一生足をひきずって歩かなければいけなくなったりするわけです。このことを踏まえて考えると、平地に土俵があると無理に踏ん張るということが起こりやすいだろうと思えます。

このことは、逆を考えればわかりやすいですかね。
高いところで相撲をとっていると、死に体、つまり完全に負けの体制になっているのに無理に踏ん張って落ちると受け身がとれません。そうなると、命に関わるような怪我をしてしまうことがあるだろうと推測できます。

高いところからだとキレイに落ちなければ危ないのです。
ですから、死に体になったときに変な体の残し方をせずに諦めて安全に落ちるということが自然とできるのではないかと。


で、この考え方、普段の体調管理にも活かせる考え方だったりします。
風邪をちゃんとひいておけば体がすぐにリフレッシュするのです。それなのに予防したり、半端なところで止めるからおかしなことになってるわけです。骨おっておけばすぐにくっついて後遺症など何もないように、風邪もしっかりひいておけば後々変な病気になることもなくなるんですけどね。
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