ブログ「日々整体」

春は腰痛の季節です

ぎっくり腰というのは熟練離婚みたいなものかもしれません。
定年まで勤め上げた男性が、定年退職して、

「これからは夫婦水入らずで穏やかにスローライフを過ごしたい。」

なんて思っていたら離婚を切り出されるという奴です。
こうなってしまうのは夫婦間の愛情や信頼が長い年月をかけて枯渇してしまったからです。当人にしたら寝耳に水になるのかもしれませんが、その兆候はずいぶん前からあったはずで、それに気がつかなかった男性が間抜けだっただけの話です。まぁ、こんな事をいっている私自身がそういう境遇に陥る事はないかというと、根拠も自信もありませんから間抜けなんていう言葉を使うのはかなり躊躇してしまいますけどね。

ぎっくり腰というとほとんどの人が急に腰が痛くなって動けなくなるのを想像すると思います。
しかし、体のなんの問題もない人が突然に腰が痛み始めるなんて事は絶対にありません。その兆候はずいぶん前からあったはずで、それに気がつかなかっただけの話です。

ぎっくり腰というのは、

「ある日、腰が痛くなった。」

という事に対して、医者がどうしてそういう事が起こったかを説明できないだけなのです。

こうなってしまうのは、人間の体を部位単位で考えてしまっているからでしょう。
医療は、心臓とか、腎臓とか、肺とか、整形外科とか、脳とか、耳鼻科とか、精神科とか、それぞれの専門をおいて人間の体を考えるのが常識になっているので担当分野を超えた思考ができなくなっています。だから、腰が痛いのであれば腰に問題があると考えて、腰だけをみて説明しなくてはいけないと信じ込んでしまっているのです。私に言わせると、間抜けとしか言いようがありません。

さて、

「熟練離婚の原因ってなんだと思いますか?」

たぶん、小さな違和感だったり、不満が少しづつ少しづつ積もり積もってそういう結論に達したのでしょう。そういう信頼がかけらも残っていない夫婦に、

「お互いを思いやり信頼する気持ちがない事が問題だ。」

なんてアドバイスをする事には全く意味がありません。

ぎっくり腰だって同じです。
痛みがでた時はもういろいろが手後れになっている状態です。将棋でいうと詰みの状態で、そんな詰んだ状態で痛みだけをなんとかしたくないというのは、離婚を切り出された時に、

「これからは夫婦水入らずでスローライフを過ごしたい。」

と言っているようなものなのです。


腰を痛めたくないと思うのであれば普段からそれなりに注意をして生活をしなくてはいけません。

実は、ぎっくり腰というのは心臓の問題です。
春への季節の切り替わりの際に骨盤が開いて体が緩んでくるのですが、それがうまくいかない人がいます。その時に体にもっとも起こりやすいのが、

「心臓がうまく緩まない。」

という事です。
だから、私はその事を

「4月1日が1年でもっとも心臓が止まりやすい日ですよ。」

と説明しています。

私の経験をひとつお話しましょう。
4月1日の土曜日だったのですが、整体の予約が朝から3件続けて取消になりました。その理由が、

「母が倒れて亡くなった。」
「母が倒れて亡くなった。」
「父が倒れて亡くなった。」

というものでした。
もちろん、この3名の方は縁もゆかりもない人たちです。その時は、こんな事があるのだなぁと思っていたのですが、その日の昼からの人たちの体の様子をみると、ほとんどの方が胸椎4番、腰椎3番に力が集まって抜けなくなっていて、大半の方が腰が痛いといっていました。胸椎4番、腰椎3番は心臓の動きに関わる骨で、心臓がうまく緩まなくなっていて力がこもってしまうのです。そして、その結果として、春は腰が痛くなる訳です。

最近はエイプリルフールなんてのは廃れましたけど、嘘をついて驚かせるとか多分心臓が緩むのでしょうね。
あと、酒を飲みながら花見をするなんていうのは、心臓を緩めるための行為でだからこそ習慣化されていたのだろうなぁと思い至りました。そう考えると、この時期はもっともお酒がおいしく飲めるだろうという事も想像できます。だから、桜の開花にあわせて日本全国で花見なんてやっているのでしょう。

さらに余談を続けると、近年はワクチンの摂取が盛んでこのワクチンがどうも心臓に悪さをしていると思われます。ここ数年は外出を控えるような事になっているので今年なんかは腰が痛いと騒ぎ出す人が例年より大量にでるだろうと思いますね。腰痛だけにとどまらず心臓が止まってしまう人も少なくないかもしれません。まぁ、誰彼かまわず心臓が止まる訳ではなく、

「この時期に心臓が止まるという事はそれは寿命が尽きているからだ。」

だと考えるのが正解だとは思います。

話を戻します。

当然ですけど、この時期は腰が痛いといって相談にこられる方が増えてくる訳です。
しかし、痛みがでたらもう手遅れというか、基本はもう痛みがでれば解決済みと考えるのが正解です。腰に力を集める事で、心臓を緩めているので、程度の差こそあってもしばらく放置したら痛みは消えていく事でしょう。だから、逆説的にいうと腰が痛くなって心臓が止まっていなければ目的は達成されているのです。

相談にこられた方の心臓が止まるような様子がなければ腰椎3番のケアをして、

「もうしばらく痛がっておけ。」

と済ませています。
まぁ、大半の人は、

「痛いのは嫌だからなんとかならんのか。」

といってきますけどね。
来年の春にはどうやったら穏やかに花見ができるようになるかと切り替えて考えた方がよいですね。

痛みが嫌だ、辛いと駄々をこねるのは、心臓が止まるリスクを高めると理解しなくてはいけません。
最近の医療の心臓を止めない技術はめざましいものがあるのでそう簡単には止まらないかもしれません。ただ、熟練離婚を切り出された男性が無理矢理に奥さんを繋ぎ止めて、その後の生活がどのようなものになるかはよく考えた方がよいでしょう。

春の腰痛の根本的な原因は、体を緩める能力が落ちているという事です。
人は、歳をとると体を緩める能力が落ちていきます。それは別に衰えるという事とはちがってメリットもちゃんとあるのですが、春に腰が痛くなるようであれば衰え過ぎていると考えるとよいでしょう。骨でいうと一番重要なのは頸椎6番、胸椎10番、腰椎4番です。もし、緩める力というのがわかりにくければ、ぐっすり眠って朝すっきり起きる能力だと考えるとよいでしょう。

あと、心臓が緩まないとパニックといわれる状態になる人がいます。そのためこの時期はヒステリックな電話がもっとも多くなります。

「春になって暖かくなるとなるとおかしな人が現れはじめる。」

なんていう言葉を聞いた事がありませんか?これは本当の事だと思います。
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鬱と起立性調節障害の違い

「体を起こすことができない。」


昨日、まったく同じ内容の電話が全く違う人からかかってきました。
当然、円もゆかりもない二人ですが、体に起こっている問題がは同じです。それで、一昨日前から台風が近づいてきて気圧が下がっているのか、心臓の動きが悪くなっているようです。私も、妙に腰が重くてじっと座っていられませんでした。だから本当は溜め込んだ本を読みたかったのですがじっとしていられなくてずっと片付けと掃除をやっていました。

それで、この二人は1人は社会人でもうひとりは中学です。
二人とも胸椎4番に問題があるので、うまく心臓が収縮できなくなっていたようです。社会人の人は、予約ははいっていたのですけど、

「うつがひどくていけません。」

と電話がかかってきました。

中学生の方は、学校へいけないという事で親が連れてきたのです。
ここまで言うとわかるでしょうか?中学生の方は、起立性調節障害という診断を受けている訳です。

全く同じ事が体に起こっているのに医師の診断が違うわけです。
まぁ、こんなことをいうと、


「間違っているのはお前の方だろう。」


と思う人もたくさんいるでしょうが、


「医者は神のごとき目を持つ専門家で間違ったことをいうはずがない。」


とか言う人は、この文を読んでいないと思うので話をすすめます。


医師が違うからという事もあるでしょうけど、結局のところ雰囲気でカルテに病名を記入しているという事がいえます。
社会人だからストレスでしょう、中学生の方は小学生の時に診断を受けたのですけど子供だから起立性調節障害にしておこうという事な訳です。


「いやいや、今の時代、小学生だってストレスを受けて大変だ。」


とかいう医者にみてもらったら、きっと鬱という診断がなされていたのでしょうね。

でも、私から見ると、

「心臓がちゃんと動けていないだけ。」

という事になります。
今回は、心臓の収縮がうまくいっていないようでしたが、ちょっと状況が変わると心臓が緩みにくくなったりするので動機がしたりしますね。そういう人は、パニックだとか、不眠だとか、だんだんいろいろ付け足されて行くことになります。


私からすると病名なんてなんでもいいのです。

「朝起きて仕事や学校にいけないのはなんでかな?」

そういう事だけわかればいいのですからね。
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不安、恐怖を解消する方法

昨日、Facebookで、

「息子が花崗岩をうって金儲けをしようとしている。」

という話を書きました。コチラ
ところが、もうちょっと話を聞いてみると全然考えている事が違ったようです。

息子は、メルカリで花崗岩がコロナに効くと売られていると聞いて、


「もしかしたら本当に効果があり、感染予防になるかもしれない。」


と考えているのでした。
振り返ってみると、もっと前からずっとそういう事をいっていたのですが、それをバカな冗談だと切り捨ててしまっていました。

石を探している時に、10kg以上もあるような大きな岩を見つけて、それを持ち帰ろうとしていたのです。


「それは墓石に使うのか?」


なんて言って笑っていた自分が恥ずかしくて仕方がありません。息子なりに、この世の中の状況でできることを探していたのですから。


私はこれを書き終わったらもう一度、コロナに効く石を探しにいこうと思います。



さて、多くの人が不安になっているかと思います。
私だって、不安で仕方がありません。私の場合、感染して死んでしまうというような不安ではありません。このまま社会が壊れていって、自分の家族や、私が関係をもった人たちがその崩壊に巻き込まれていくのではないか?そんな事をずっと考えてしまっています。それで、この状況を変えてくれるニュースがないかとずっとヤフーニュースなんかをチェックしてしまっています。
これ、

「不安になったときに多くの人がやって、さらに気持ちが落ち込んでいく行動。」

という事で、話には聞いていたヤツです。


「おいおい、俺も同じことやっちゃっているよ。」


と気がついて笑ってしまいます。
昨日の夜なんかは、ニュースがネガティブ一色になってしまって暗澹たる気持ちになりそうになっていましたからね。人間というのは同じ状況におかれると皆がほぼ同じ行動をとるようになるというのは知ってはいましたが、それを実際にやってしまう自分を発見すると可笑しくて仕方がありません。


さて、不安という気持ちですがどうやって感じるものか考えた事があるでしょうか?
大半の人は脳の情報処理で、未来の事に希望が持てない時に不安になるとかんがえるのかもしれません。でも、それは大きな間違いです。

不安症の人は、


「気持ちを前向きに明るい気分で生活しましょう。」


こういう事を言われませんか?
それで不安症が解決した人はいるでしょうか、おそらく一人もいないことでしょう。それはどうしてかというと、不安という気持ち、感情が脳の働きによるものではないからです。


不安という気持ちの正体はみぞおちの緊張です。
胃に穴があくなんていう表現がありますが、みぞおちの緊張と胃の緊張というのは同じものだと考えて差し支えがありません。そして、この緊張はたいていの場合、頚椎7番左側の緊張が起こすものです。

だから流れが逆ですね。
みぞおちが緊張している時に、脳は、

「今、自分は不安を感じている。」


と判断するのです。


さて、この不安を解消する方法ですが、たいていの場合、


「心を落ち着けてリラックスしましょう。」


なんて事をいわれることと思います。
しかし、みぞおちが緊張した状態でそんな事ができるのは、イエス・キリストか釈迦ぐらいのものでしょう。難しすぎて一般人にはあまりおすすめできない方法です。


ですから、私はもっと簡単な方法をおすすめしたいと思います。
それは、


「みぞおちの緊張を他に移す。」


というやり方です。
実は、筋トレで体をきたえようという人はたいてい気が弱いのです。みぞおちの緊張が強くなりがちなので、筋肉の量を増やしてその緊張を体中に分散させるのです。そうすることで、不安を感じにくい体に変化していきます。

私は、野球選手の清原を例によくあげますが、彼は残念ながら気が弱い人です。
金スマでしたっけ?自分が入団する球団を決めるのに母親の後押しが必要だったという話が紹介されていました。ドラマ仕立てで美談として放送されてましたが、私は見ていて

「女々しいやつ、自分のことは自分で決めんかい。」

と思いました。
日本シリーズの西武対巨人で、9回ツーアウトの場面でグラウンドで泣き出してしまったというエピソードも多くの人がご存知でしょう。こういう人はみぞおちに力が集まりやすいので過剰に筋トレをやってしまう傾向があるわけです。体がゴツくなるからそういう風には見えないかもしれませんが、麻薬に手を出してしまった事から考えても彼は死ぬまで筋トレをやり続ける事になるかもしれません。


体を動かす事です。
清原みたいにムキムキになる必要はありません。可能であれば、丹田から恥骨にかけて力が集まる事が意識できれば理想だと思います。ただ、丹田を意識してみたいな事は結構ハードルが高いのが現実です。運動の苦手な人はまずなんでもいいので体を動かす事です。継続していれば体の動きがかわってきますからその時に、いろいろ気がつくことがあるはずです。

体を動かす時に注意することはマニュアルに頼らないということですね。
理想的な手足の動かし方なんてできる人はやはり、イエス・キリストとか釈迦とかそういう人です。自分の体の動きが悪いところ、よく動くところ、そういうところを探しながら体を動かすといいですね。

種目はなんでもいいでしょうが、できれば全身を動かすものがいいですね。
ただ、ラジオ体操みたいに完全にテンプレート化されたものは面白くありません。だから例えば、ウォーキングをするのであれば平坦なところを淡々と歩くのではなく、上りあり下りありという具合に起伏のあるところで、毎日コースを変えながら歩くのがいいと思います。

注意点は2つあります。
1つ目は、やりすぎないという事です。清原みたいに筋トレ中毒になってしまうとその行き着く先は薬物というのはほぼ確定しているといっていでしょう。ほどほどに、雨が降ろうが雪が降ろうが毎日少しづつ続けるという事がポイントです。外出できない方には青竹踏みをすすめますのでお試しください。

2つ目は、一部、運動が向いていない人がいるという事です。
4種体癖というのですが、この体癖の人は運動をすればするほどみぞおちに力が集まってしまいます。細身で食の細い人は、こういう傾向がある事を考慮しておく事です。こういう人だと運動すればするほど不安が高まるという傾向があるはずです。(もしかしたら清原は4種体壁の成分がまじっているかもしれません。)

こういう方は、カンにすぐれ芸術的センスにすぐれている傾向があります。
音楽だったり、絵だったり、文学だったり、そういう事に取り組むとみぞおちの緊張がゆるんでいくはずです。運動が向かないと感じた場合は違うやり方を模索するといいでしょう。こういう方はすでに、そういう事を趣味だったり仕事にしているはずです。ただ、趣味だった場合、なんらかの理由(たいていはくだらない理由)でやめちゃっているケースがありますから、振り返って昔取り組んでいた事を思い出してみてください。



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それは前世の因縁が原因です

どの本だったか忘れましたが、整体という技術の創始者である野口晴哉氏の著書に息子さんが大腿骨を折ってしまった時の逸話があります。ぶらんこに乗って遊んでいたら転落してその際にへし折れてしまったそうです。

いわゆる完全骨折という奴だったと思われます。
大腿骨は人間の骨で一番堅いと言われている骨でそれが完全にへし折れてしまうなんてのは他で聞いたことがありません。しいてあげるならいうならゴミ収集車のプレスに挟まれたとか、そういう事故の話を聞いたことはありますがそれぐらいの出来事がなければ起こることはまずない怪我といえるでしょう。

私の感覚からすると大腿骨が折れてしまうと、生きる力を失ってそのまま亡くなってしまう事もありそうな気がします。そして、もし安静な体勢を保って骨が繋がっても、元通りに歩けるようになることもほぼないのじゃないでしょうか。骨は折れてもまた繋がってさえいればいいというほど単純ではありません。

そういえば以前に、スキーで足の骨を折った後、食品アレルギーで頻繁に寝込むようになったなんていう人が整体にこられていました。
骨の故障が元になってアレルギーを起こすなんてのは理解できない人の方がおおいのじゃないでしょうかね。よく勉強して頭のいい人ほど、関係なんかあるはずがないというかもしれません。でも、骨というのが体を支えるためのものではなく、もっと他の役割の方が大きいはずなんですけどね。そういうことがわかっていれば、生まれついてのアレルギーなんてのは発育にちょっと問題があるだけというケースがほとんどだと思われます。


さらに余談が続きます。
当時だとこのあたりの関連についての理解が浅かったです。しかし、この方のアレルギーの事も今ならわかるかもしれないと、ここのところずっと考えていました。実は、この記事のテーマもそうなのですが、わからなかった事がわかるようになるというのは、たいていある日突然です。皆目見当がつかない、手の施しようのなかったものが、ある日突然にどうにかできるようになったりします。日頃の行いのよい人なんかだとそういうタイミングで私のところへやってきて、ささっと解決して、ささっといなくなったりしますね。


話を戻します。

野口晴哉氏の骨折の手当は独特でした。
骨がおれた場合、曲がってくっつくといけないからギブスで固定するというのが常識的な感覚でしょう。しかし、野口氏はガチガチに固定せず太ももに新聞紙を巻いたそうです。当然ですが、新聞紙には固定する力はありませんから、ぷらんぷらんの足の状態です。

「人間の体には、骨をまっすぐにつなげようとする力がある。」

という考えだそうです。
骨自身、骨の周囲の筋肉やその他の細胞などすべてが足をまっすぐに伸ばそうという働きをするからギブスがあるとそれを邪魔してしまうということのようです。他の部位の骨でしたら多少は曲がってくっついても誤魔化しはきくのでしょうけど、大腿骨ですとそういう訳にはいきません。大腿骨がうまく機能しなければ走るどころか、歩くことすらままなりません。もし、多少は歩けてもすぐに足が痛くなって動けなくなるというような状態では、骨がきっちりくっついて治ったとは言えません。

そういえばちょうど私がいま見ている人に、腕の骨折が原因でパニックを起こしている人と、同じく腕の骨折が原因で耳なりで困っている人がいますね。一人は10年以上前、もうひとりは30年以上前の怪我です。こういうのは骨の状態がきちんとみれる人でなければどうしたらいいのか検討もつかないでしょう。

さらに付け加えて、


「どうしても辛くてどうしたらいいのかわからなくて前世を見てもらったことがあります。」


なんて人が最近来られました。
別に、そういう事を吹聴しているわけでなく、あまりに辛かったからでしょう。かなりがっついて原因を教えてくれといってくるので、


「前世でなんか悪いことしたみたいですね。」


と冗談で言ったら、冗談になっていなかったという話です。
まぁ、この方はまた全然違うことが原因だったみたいで、まだはっきりとは言えないけど多分体のここにこういう問題があるからですよと伝えたところちょっと安心したようです。


話を戻します。


他の本で見たと思うのですが、雪山で遭難して骨折したけど、その骨折した足で自力で山を下りてきたなんていう人の体の状態を観察した事があるようです。

「折れていても歩けるじゃないか。」

と、そういうことが事実として起こったわけです。
私自身でもそんな話は2~3聞いたことがありますから、雪山を歩いておりるぐらいであれば骨は折れていても大丈夫らしいというのは間違いないわけです。そこから端を発して骨、骨折というものについて考えを深めていくと、こういう結論というか発想にたどり着くのではないでしょうかね。

もちろん、折れた足を新聞紙でくるんでおわりではありません。


「もし、うまく繋がらなかったらは僕は整体を辞めるよ。」


そういって目に手当てをしはじめたそうです。
先ほど述べた骨をまっすぐにくっつけようという働きを高めるために、目に意識と力を集めたわけです。


「どうして目なんだ?」


この記述をみたのは5年前だったか、10年前だったか忘れました。ただ、目に意識と力を集めることで折れた大腿骨がまっすぐにくっつくなんていう理屈が私の想像や理解の完全な外にあります。それで、


「いつかわかる時が来るのだろうか・・・?」


死ぬまでたぶん無理だろうなぁなんて思っていたのですけどね。


それがつい先週のことですけど、


「なるほど、そういうことか・・・。」


と突然、気がつくことができました。
確かに、目がしっかりしていると太ももの力というか働きがたかまりますね。それは逆もいえて太ももが力を失っていると目がうまく見えなくなってくるはずです。

なんで気がついたかというと、大腿骨の力が抜けている人の体を見ていたからなんですけどね。で、その人が訴えているのは、


「膝が痛くてまともに歩けない。」


という事だったりします。
おそらく読んでいる人は、私がいったい何を伝えようとしているのか全くわからないと思いますけどね。こんなものは現時点での私にはうまく説明なんてできませんから、詳しい説明をするなんて事はもう諦めてしまおうと思います。そのうち、気が向いたらというか、言葉になりそうになってきたらこっそり開始している闇ブログの方へまとめてみようと思います。

それまでは、こういう事は、


「前世の因縁が原因です。」


ということにしておこうと思います。


いい忘れていましたが折れた大腿骨はちゃんとくっついて、数年たった時には、


「どっちの骨を折ったんだっけ?」


と本人でもわかららないぐらいなんの後遺症もなくきれいに繋がったそうです。

日本くよくよ協会の発足を提唱します

「くよくよ考えるのはダメなことだ。」


誰が言い出したか知りませんが、とんでもない勘違いです。
くよくよ考えてしまうのであれば、そうして考えて迷っておけばいいのです。ところが、プラス思考でなければ人間としては認めないみたいな世の中になってきてしまっているせいでしょうかね。くよくよと考えこんでいると人格を否定するような事をいってくる人がかなり増えてきてしまっています。まぁ、確かに周囲にそういう人がいて、心配してもしょうがないような話を延々とされるのは私だって煩わしいですけどね。

ただ、この煩わしいというがポイントです。
煩わしいから聞いてられないだけなのです。で、


「プラス思考で前向きにならなければダメだ。」


なんて言って口封じをしてしまうわけです。


ただ、これは共感できない人に話かけるからそうなるだけだといえます。
ですから、共感してもらえる人にくよくよと話かければすべて解決するはずです。ですから、くよくよと考えこんでしまう人たちが週に1回ぐらい集まって、日々の心配事についてお互いに話あえばみんなが幸せになれるはずなんですけどね。


くよくよするという事はどういうことでしょうか?
辞書を紐解くと、『いつまでも気にかけて思い悩む様子』なんて書いてありました。このいつまでもっていうのはどれぐらいの期間を意味するのでしょうかね?それで思うわけです。


「人間というのはどれぐらいくよくよし続けていられるものでしょうか?」


いつもくよくよしてしまうという人はどれぐらいの時間くよくよできるか試してみるといいのです。
おそらくですが、かなり頑張って1~2日ぐらいじゃないでしょうかね?くよくよするというのは結構エネルギーを消費するもので、そんなに膨大なエネルギーを抱えている人はあまりくよくよはしませんから、すぐにくよくよする力を不足させてしまって、気持ちが切り替わってしまうはずです。つまり、半端にくよくよするから延々とくよくよしてしまっているわけですね。


このエネルギーってのはどういうものかはうまく説明するのがなかなか難しいのです。
整体においてだと気の集まりとか、気の流れとかそういう表現になってしまうのですけどね。ちょっと誤解をさせてしまうでしょうけど、平易な言葉で解説すると、胃に力が集まっているとか、頭に力が集まりすぎているとか、そういう状態のときに人間っていう生き物はくよくよしはじめます。ただ、今の世の中ってこういうものをストレスとかいう言葉で説明しようとするから、耳鳴りとか、めまいとか、不安症とか、そういう体の問題が原因不明みたいな事になってしまうのです。つまり、ストレスなんかとはまったく別物なんです。


単純に、手を握りしめて拳を作ってください。
ぎゅっと握りしめれば手に力が集まっている事はどんな人でも自覚ができることでしょう。また、隣にいる知人、友人に、


「手を強く握ってください。」


と頼んで、その拳の様子を観察してみてください。
ある程度の観察力のある人だったら、手の様子をみているだけで拳に力が集まっていることがわかるでしょう。そして見てわからない人でも、手で拳にふれてみてください。すると、手にどれぐらいの力が集まってどれぐらい固くなっているかを確認することができるはずです。


ところが、これをレントゲンとかMRIで確認しようとしたらどうなりますかね?
私が言う、気の流れとか、気の集まりとか、体のどこにどう力が集まっているかなんてことはわからないんじゃないでしょうか。ちゃんと観察できているようなら私のところへやってきてトンチンカンな事をいう人はもっと少ないはずです。

おそらくある程度経験を積んだ人が見ればわかるはずですけどね。
ただ、撮影する人も、それを確認する人もそういう視点をもっては見てないのであろうと思われます。だから映っているけどそれを認識できていないというのが正確な表現になるのじゃないでしょうか。まぁ、ひと目見てわかるようなことを、わざわざ何億円もするような機械を使って確認しようなんて事をやってりゃ見えるものも見えなくなってしまうのでしょう。



さて、くよくよするというのは頭だったり胃だったりに力が集まったときにするものです。
何のためかと言うと、集まった力を発散するためのものです。だから、ちゃんとくよくよしていれば、発散されてくよくよしなくなるし、たいした量の力が集まるわけではありませんから、そんなに長い間くよくよしていられません。半端にくよくよして、気持ちを切り替えようとするから、うまく力が発散されなくて延々とくよくよしてしまうわけですね。人間、落ちるところまで落ちればあとは這い上がるしかないなんていうのはこういう体の変化を表現している言葉だと思いますけどね。


ついでにいうと、こういうのは頭とか胃に力が集まりやすい体質みたいなものです。
ですからくよくよしないようになりたいなんていうのであれば、1回死んで生まれ変わるしか方法がありません。来世があるとして、生まれ変わっても人間として生まれてくるかなんてのは怪しいし、ミジンコあたりに生まれ変わったら目もあてられませんから諦めてくよくよしておくことですね。


ただ、そうでない体質の人に向けてそういうエネルギーを発散するのはあまり面白くありません。
そこで、私は日本くよくよ協会というものの発足を提唱しています。くよくよしてしまうという、似たもの同士で集まって一緒にくよくよしておけばよいのです。定期的に近所のファミレスあたりに集まって、お互いにくよくよ自慢をしましょう。そして、もっともくよくよしている人を表彰して称えましょう。そうすれば、きっとみんなが幸せになれるのは間違いありません。





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