ブログ「日々整体」

妖怪と自律神経と

ゲゲゲの鬼太郎は、水木しげるの創作ではありますが、彼の中では世の中の真実を描いたものじゃないでしょうか?


「自律神経が悪いのです。」


なんていう人がたくさんやってきますが、体の不調の半分ぐらいは、無気力で怠惰な生活だったり、大事な事をあとまわしにしているせいだったり、くさいものに蓋をしているせいです。だから、今度から私の自律神経はどう悪くてどうすればよくなるんですか?と聞かれたら、


「妖怪のしわざです。」


と答えることにしたら面白いかなとふと思いました。
あながち的外れでなかったりします。鬼太郎をみていてどういう人間が悪い妖怪に騙されたり、取り憑かれたりしているか考えてみればいいでしょう。妖怪を祓うのと同じように、体の不調を整えたければ、たいていの場合、生活態度だったり、考え方をまず正してゆかなければいけません。


水木しげるはずっと妖怪を探していたそうですね。


「かっちかちやでー。」


というギャグはご存じでしょうか。一時バラエティ番組でよくみかけたザブングルというコンビのお笑い芸人のネタです。


「悔しいです。」


の方が有名かもしれませんね。
水木しげるはテレビ局でザブングルに出会ったときに、


「おったっー!」


と大声をあげたそうです。
言われてみれば、ザブングルの加藤という人は妖怪としか思えないような顔をしています。ずいぶん前に聞いていた話なのですけどふと思い出してインターネットで顔を確認してみました。すると、水木しげるの発見が真実だという事に気がつきました。


ザブングルのボケ担当加藤歩さんは、頭部に打撲の跡があるのが明らかです。
名指しで、


「あの人の体悪いで。」


みたいな事をいうのはちょっと問題がありますけど、妖怪ならば仕方ないとご容赦願いましょう。ただ、彼は悪い妖怪じゃないですから、顔かたちをみればわかるというだけにとどめて詳しい説明は省きますね。

もしかしたら生まれつき頸椎に問題があるという可能性もありますが、その場合だと子供の頃にアトピーだったり、喘息だったりの傾向があったのじゃないでしょうか。その場合、写真でみた感じだとたぶん後者かなぁとは思えますけどね。


歩という名前で、自分の顔が将棋の歩の駒と似ている事を形を自虐する事があるそうですけど、自分の弱点ともいえる身体的特徴を活かしてネタを考えているといえます。生まれが1974年で私とほぼ同年代だと思うと、そろそろあちこちにきつめの不調を感じ始めているのじゃないかと思われます。まぁ、若い頃から頭痛もちで、肩やら首やらのこりがきついとかいっていただろうと思いますけどね。最近はテレビではみかけなくなったので、元気にしているのか知りませんが、勢いがなくなっているのでしたら体が辛いのじゃないかと思われます。

驚きなのはそれをぱっと見で見破った水木しげるですね。
今の世の中じゃ、自律神経のせいですみたいに言われていることは、一昔前じゃ、


「妖怪の仕業です。」


といわれていました。
ずっと妖怪を探していたという事もあるでしょうが、やはりヒット作を生み出すような人の感性というのは半端なものじゃないということでしょう。

なお、もしかして私のみたてが大外れだとしても、それはきっと妖怪の仕業です。私は何にも悪くないということはご了承ください。



関連カテゴリー< ブログ

新規の方の受付ができない状態です。

私はゴルゴ13の心境が理解できる数少ない人間の一人です。なぜなら、電車のホームでは常に突き落とされるのを警戒しているからです。

先日、阪急電車のホームにいたときのことです。
電車の乗り口に列があったのですけど、なんか妙な並びになっていました。で、そんな変な列に並ぶのが嫌だなぁと思ったので何にもないところへぽつんと立っていました。するとなぜか私の後ろに列ができていました。こういうときには、常日頃している嫌みや皮肉をもうちょっと控えておけばよかったなぁと思いますね。どこでどんな恨みを買っているかわかりませんから恐ろしくて仕方がありません。


列に並ぶ事がすごく嫌いだったりします。
スーパーやコンビニのレジで行列ができていたり待たされたら商品を返してほかの店にいきます。銀行のATMを利用するための列などは人生において一番無駄な時間であろうと思いますね。



自分には行列を作る傾向があると感じることがあります。
閑散とした喫茶店だからゆったり食事ができるだろうと座ると途端に客で溢れかえったり、屋台のたこ焼き屋では誰もいないからと私が注文をはじめると後ろに何人も並び始めたりします。

他人の評価を気にしないで自分で善し悪しを判断するからかなんて思ったりもします。
ただ、この考えは自分を過大評価しすぎでしょうかね。単に空気を読まないで自分の好き嫌いで判断するから、自分の周囲に極端な状況が生まれやすいというのが正解に近いのではないかと思います。

で、その流れで自律神経の事を考えてやっていこうと考えたわけですけどね。
一応、世間でよく謳われている骨盤がどうとか、骨を動かしてどうこうみたいな事も教わったのですが、実際にやってみたら、


「これではダメだな。」


という事をすぐに感じました。
で、目の前にやってくる人の様子をみながら、あーでもないこーでもないと考えながら淡々とやってきただけなんですけどね。

そんな大層な事をやっているつもりはないんです。
しかし、今朝の時点でだいたい3週間先まで予約が埋まってしまっていて、新規の方の予約受付ができない状態です。

自身の不摂生とか考え違いを私になすりつけて楽になろうと泣きついてくる人を、


「半年後ぐらいにまた電話をかけなおしてください。」


と冷たくあしらう事には何も感じないのですが、誠実そうな困っている人に対して、


「いまは受け付けられませんからまたかけ直してください。」


と断らねばいけないのは、ほんのちょっとだけですが心が痛みます。


この事は前にもどっかで書いたような記憶があるのですが、自律神経というワードに注目集まってしまっているように感じています。いってみれば、テレビ放送で、


「バナナを食ったら痩せる。」


なんていう番組が放送された直後のスーパーの野菜売り場みたいなものです。
そうだと思って今の自分を俯瞰してみると、ゴルゴ13だけでなく、テレビ番組のせいで荒らされたスーパーの青果売り場担当の気持ちまでわかるようになったようです。いろんな人の気持ちが理解できるようになる事が人間として成長するということではあろうと思いますが、知る必要もなければ興味もまったく沸かない人の気持ちがくみ取れるようになっても器が大きくなれたような気がまったくしませんけどね。


そんなわけでしばらく新規の方の受付は基本できない状態です。
さしあたっては私が1日に整体できる人数を増やすしかないのだろうなぁとは思いますが、無理をしても仕事の質が下がってしまいますし、質を維持しつつ量をこなせるようになんてのはそう簡単にできることでもありませんからどうしたものでしょうかね。
関連カテゴリー< ブログ

整体師が音楽家に口出しする話

整体という仕事ですが、音楽に関わる人に偉そうに口を出す機会が増えてきます。
私が音楽に詳しいかというと全く知りません。楽器の演奏はできませんし、歌は歌えなくはないですが音痴ではない程度でカラオケで気持ちよくなれるぐらいでしょうか。


でも、偉そうに口をだすと案外受け入れられる事が多いのです。
そして、口出しした内容を実践してみたら本当に演奏がよくなったなんて言われることがあります。なんで音楽の経験のない私のアドバイスが適切なことがあるかというと、歌とか演奏というのは、効率的に体を使えたときによい演奏ができるからでしょう。

もうちょっと付け足すなら、よい音がでていれば体を痛めて壊すこともありません。
楽器というのは体を効率的に使えた時にもっともよい音がでるはずです。楽器なんて、何百年も前に形が完成しているわけで、それがどういう事を意味しているかと考えみてください。だから、演奏していて体を壊すという事は演奏技術に難があると言えます。簡単にいうなら余計な力が入っている演奏を長くやっていれば体を痛めてしまうわけです。

余談ですが、ピアノで腕や指を痛めた人が集まる演奏会なるものがあると最近聞きました。
そこへ参加している人たちには気の毒な物言いになりますが、演奏技術に難があるからそういう状態になっていることは明白だと思えます。いずれそういう方の体の状態をみることもあるでしょうから、その確認の機会待ちですけどね。

書いていて思い出しましたが、数年前までこられていた人に難聴になって片耳が聞こえないというピアニストがいました。当時はどうしてあげればいいかかわかりませんでしたが、いまならちゃんと解決してあげることができるかもしれません。


話を元に戻します。


体を上手に使うにはこうするのがいいというのが私なりにあるわけです。
それになぞって考えると、演奏をするときには手をこうやって使うし、足はこういう状態で立つし、座る時の姿勢で大事なポイントはこうだとか、のどはこうやって使うはずだよということがを説明できるわけです。

体の調子を悪くしてやってきた音楽家の人たちに、


「たぶん演奏の時にはこういう体の使い方をしていてそれで体を壊しているはず。」
「演奏が上手になれば体はよくなってくるから、こういう事を意識して演奏してみて。」


なんてアドバイスをして、それがうまくはまったとき私は最もほっとしますね。
関わった方がよい音を出せるようになって嬉しいという気持ちがないわけでもないですが、おそらく私が考えていること、やっていることが間違いではなかったということが確認できるからでしょう。

私は自分のやっていることに自信をもって取り組んではいますが、私が間違えていると関わった人の人生を台無しにしてしまう可能性があります。
だから、


「本当に自分は間違えていないのか?」


私のような人間でも、こういう不安を日々抱えているみたいですね。
どうもこんなことでもなければ私はなかなか安心するということができないようです。これは自分でもちょっと驚く心の動きだったりします。おそらく、あまりにも大きな世間と自分のずれの事を思うとこういう感情を抱えないでいることはなかなか難しいのでしょう。


スポーツなんかでもうんちくはいくらでも語れますけどね。
ただ、スポーツをやっている人は筋肉を崇拝すること神のごとしなのでたいてい聞く耳がありません。運動ばかりやって頭の悪い人の事を脳みそ筋肉、略して脳筋なんていいますが、スポーツの世界は脳筋の人が圧倒的に多いようです。芸術関連の方が視野が広く柔軟性をもった人が多いようで、話が予想以上に会話が盛り上がったりすることがありますかね。


さしあたって、毎日チョコレート食べなきゃやってられないみたいな体の状態になっていればよい音は出せなくなっていると思っていいでしょう。ただ、演奏の面白いところは実力ある指揮者がいたりすると奏者の実力以上の演奏ができてしまったりするところがあるということでしょうか。このあたりの事についてもちょっと語ってみたい気もしますが、それは整体の領域を超えているような気もしますから今は辞めておくのが無難ですかね。
関連カテゴリー< ブログ

有料の記事をはじめます。

学生の頃、印象に残った言葉でなにかあるかなぁと振り返ってみると、思い出したのは、


「この味がいいねといったから6月7日はサラダ記念日。」


という俵万智の俳句です。
日付は、違うかもしれませんが6とか7とか17とかそんな数字がはいっていたんじゃないでしょうか?調べればすぐにでてくるのでしょうけど、ここはあえて曖昧なままにしておきましょう。全然違う、間違えてやがるとバカにしてもらって全然構いません。俳句の韻はなんとなく踏んでいるけど、五七五の俳句のルールは完全に破ってしまっていますよね。でも、私はこれは新しい表現だなぁとそんな風に感じたわけです。


言葉というのは、どう伝わるかが大切で、内容が正確である必要はないと考えています。
仕事だったり、状況だったりで正確さが重視されるケースというのはありますけどね。正確さを重視する職業だと役人なんかがそうですかね。ただ、お役人ってのは正確さを重視するあまりてにをはをいじって正確に伝わらないようにする技術に長けてしまっているという印象であまりいい感情をもっていません。法律やら憲法の条文なんかわけわからんのが多いですよね。

書いていて気が付きましたが、医療なんかも正確さが要求されますね。
私に会って話をしたことがなくても、私が医療にどういう印象をもっているかというのを感じ取っている人もいるでしょう。たぶん、言葉の正確さを重視する人とは私は根本的に合わないのでしょう。


実は、整体というのは正確さを必要としない、かえって邪魔な仕事だったりします。
私にとっては病院の検査の結果なぞどうでもいいのです。手で体に触れた感触で、その人が元気に生活する力があるかどうかを判断します。ですから、医者にOKもらっていても私がみるとダメダメだったりすることは少なくありません。だから、


「人間はいつか必ず死ぬのだから、それまで精一杯生きるのが元気になるコツだよ。」


ということをいいます。
精一杯というのがどういうものかは、人それぞれなんじゃないでしょうかね。でも、手抜きして元気に生活したいという人、そして手抜きした生き方を推奨する人が口にだすセリフが、


「自律神経の働きが悪い。」


というものだったりします。
私はいつも思うわけです、めまいが、耳なりがつらいのでなんとかなりませんか?とストレートに聞いてくれりゃいいのに、なんで、


「私は自律神経が悪いのです。」


みたいな小賢しい物言いをしたがるのでしょかね?




で、ここからが本題です。


有料で読める記事を作ろうと思います。
実は、昨年末ぐらいから、このままじゃ駄目だなぁと、そんな事を考えて準備をしていました。ずいぶん前からこのブログが書きにくくなっていたのです。使ってはいけない言葉が増えてきていたり、医学的な根拠がないものについてどうこういうのは駄目だみたいな世の中になってしまっています。医療が万能ですべての人の助けになっているのであればそれでいいのですけどね。

ところが、私が関わる場合はお医者さんではどうにもならないものをどうにかしましょうみたいな事が大半なのです。ですから、あまりストレートな書き方をしたものを誰にでも見れるようにしておくというのは具合が悪いのです。サイトを作るときには、あれこれ細かいことに注意していないとどこから苦情がくるかわからないわけですよ。そこで、突っ込んだとか、わりとストレートに書いてあるような内容は、印刷して配布してはいたのですけどね。

ちなみに、最近つづいたオカルトチックな記事は、元々は印刷するために書いた記事で、もとの原稿からちょっと表現を柔らかめにしたものだったりしますね。


最近の相談として多いのは、やはり耳鳴り、めまいです。


「死ぬわけではないから、気にせずに前向きに生きてください。」


なんて言われてもそんなことができる人はほとんどいないのですよ。
できると思う人間は頭がおかしいのじゃないかと思いますね。そこで、そういう人たちに、こういう考え方でこのようなやり方で取り組めばなんとかなりますよという情報を、私はちゃんとその人が手を伸ばせば届くところにおいておきたいのです。


なんでそんなことを考えるのかというと、私にはどうしても治せるようになりたい病気があります。
先人、先輩たちの話を聞いたり、文献を紐解いたりすると、どうもその病気の治し方というのは何十年か前には確立されていたようです。ところが、その情報が今現在にはどこにも残っていないのです。もしかしたら、知っているのに黙っている人がいるということなのかもしれません。それが私には許せないのです。最近になって、やっとこれならば・・・、と思えるところまでたどりついたのですけど、ここまで来るのに3年もかかってしまいました。

でも、この3年間、ずっと


「なんで残してないっ!なんで苦しんでいる人がいるのにその情報がその人のもとに届かないのだ!」


そういう怒り、もしかしたら憎悪みたいなものが私の中にはずっとありました。
はっきり言って逆恨みですが、私は愚かでくだらない人間ですから、気に入らないものはどうしたって気に入らないし、腹がたつものは腹が立ちます。だから、私はそういう嫌いで嫌なやつにはなりたくないと、そんなことを思うわけです。


で、どういう形にするかは別としていずれやりたい事として頭の中にあったのです。
ただ、一番の問題としてあげられるのが、私の技術と知識の不足だったりするので二の足を踏んでいました。ただ、そろそろ書いていけるかもしれないとちょっと思えるようになってきたのでしょう。


問い合わせで意外に多いのが北海道だったりします。
だから、北海道の人で私に会いに来ることができない人でも読んでもらえれば体を変えるきっかけになるようなものでなければならない。そういう内容のものにするつもりです。


今月末ぐらいには、サイトの改修が終わってぼちぼちスタートできる予定です。
費用ですが、横着した生き方をしようという人にはバカ高いですが、体のことで困っている、悩んでいるという人にとっては問題ない程度に設定するつもりです。

まぁ、こんなモノを作ってしまうと、私が書きたいことを書きたいように書くためだけのモノ、単なる誰かさんたちの悪口になってしまう可能性が高いですから、そこらあたりは十分注意して書いていこうと考えています。
関連カテゴリー< ブログ

マスクに感じる違和感

当時としては、まっとうな事でも後になってみると馬鹿な事をやっていたなぁと思われる事があります。
医療で言えば、戦後ある特定の病気の特効として開発された薬が、年数が経過すると毛がはえる薬としてしか利用されなくなったなんて話を聞いたことがあります。


ただ、医療の話は今回はおいておいて、歴史にちょっと触れてみたいと思います。
蘇我入鹿を暗殺して大化の改新の立役者になった藤原鎌足を知らない人はいない事でしょう。暗殺の時には、中臣性を名乗っていましたが、後に藤原に性を変え、その後、日本の歴史ではどんな時代でもでてくる藤原家を起こした人でもあるようです。遣唐使として儒学を学んだ人に師事して、秀才とうたわれる非常に優秀な人だったそうですね。

藤原鎌足の墓は大阪の高槻市にあります。
私は高槻の生まれでしたので小学生の頃から山の上に遺跡があるのは知っていました。ただ、発見だけされて発掘はまだという状態の遺跡でした。発掘が始まったときはたしか高校生で、この墓はどうやら藤原鎌足の墓らしいとかなり大きな報道になっていましたのが記憶に残っています。

藤原鎌足ですが、遺体を調査したところ髪の毛からヒ素が検出されたそうです。
ヒ素はいわゆる毒です。で、どうも藤原鎌足の死因はヒ素を飲んだ事による衰弱死らしいと、当時そういう風に報道されていました。その後、違った情報は聞いたことがありませんから、今でもその見解は変わっていないのでしょう。ヒ素を摂取した理由ですが、不老長寿の薬として飲んだものに含まれていたのだろうということです。当時は、不老不死の薬なんてものを権力者に売って金銭を得るような輩がいたわけですね。


不老不死というワードで私が連想するのは秦の始皇帝です。
秦の始皇帝は暴君として扱われる事の多い人物です。しかし、中国の歴史上で誰もなしえなかった中華統一を初めて達成した人物です。当然ですが、その部下にも優秀な人たちがたくさんいます。実は、私にもっとも強い影響を与えている歴史上の人物は始皇帝の宰相を務めた李斯という人だったりします。

李斯は、始皇帝に、


「大事業をなすものは、広い心を持ち、他人の意見をよく取り入れなければなりません。泰山が大きいのは土を選り好みしたりしないからで、長江が豊かな水量を蓄えているのは流れてくる水をすべて受けて入れているからだ。」


なんていう意見をした人です。
始皇帝はこの意見を受け入れて外国人である李斯やほかの優秀な人たちに重要な仕事を任せて中華統一を達成しました。愚かな暴君と宰相として描かれている事が多い始皇帝と李斯ですが、この一事だけみても非凡な人たちだっというのがわかるんじゃないでしょうかね。

で、始皇帝ですが中華統一後、詐欺師に騙されています。
海の向こうにある仙人の国にいって不老不死の薬を取ってくるといわれて、船、金、女、ほか様々な貢ぎ物を差し出してしまったのです。何年たっても返ってこない、詐欺師に始皇帝は何を思ったでしょうね。

ちなみに、この詐欺師ですが日本にやってきて奈良あたりに国を作ったなんて言われています。実際に、それらしい遺跡も残っているらしいです。その子孫が藤原鎌足だったりしたら笑えないジョークなんですけどね。

不老不死を追い求める気持ちというのは当時であれば不自然な事ではなかったのでしょう。藤原鎌足や始皇帝といった優秀で偉業を成し遂げた人たちですらそこに違和感は感じていなかったのではないかと思われます。


聖徳太子が仏教を取り入れるのは大化の改新より前ですけどね。
小学校じゃ、仏教をとりれた理由なんていうのは一切説明されませんでした。おそらく権力をもった人たちの規範となる考え方というのか必要だったんじゃないかなぁと。でも、藤原鎌足の死因なんかをみてみると諸行無常が定着するのはまだまだもうちょっと先の事になるということなのでしょうかね。

さて、今の時代に生きる私たちからみると不老不死を求めた始皇帝や藤原鎌足は馬鹿な事を考えていたと言えます。しかし、彼らは非常に優秀な人たちでした。毛生え薬しかり、振り返って考えると愚かな事であっても、その当時の感覚だと常識だったり当然の考えだったりする事があるわけです。


で、今現在の社会で行われている事で馬鹿な事をやっているなぁと思うことがいくつもありますが、その際たるものが、


「マスクによる感染予防」


です。

私の感覚からすると、マスクによる風邪の予防は非常におかしな考えと行動です。
このことを説明するのに、


「家の中を無菌にして生活していれば健康で元気に暮らせる体になるのですか?」


と、いつもこのような質問をします。
たいていの方はこの質問をすると気がつくようです。そんな暮らしをしていればどうなるか、答えは簡単で、


「外出した瞬間に病気になるようになる。」


という事です。


健康であるということはどういう事かを考えてみてください。
健康であるということは丈夫であるという事です。家の中を無菌状態にして生活していれば、菌に対抗することができない体になります。家の中に引きこもって外出できない体になって、


「でも、私は病気はしていないから健康だ。」


こんな事をいっている人がいたらどう思いますかね?


子育てで考えてもわかりやすいですかね。
子供を過保護にしすぎれば貧弱、虚弱な人間として育つだけです。世の中には楽しい事や嬉しい事はいくらでもあります。でも、それ以上に辛いこと、悲しいこともたくさんあります。自分の子供には辛い思いを一切させたくない、楽しい思いだけ感じて育ってほしいなんていう子育てをやっていれば人の気持ちがわからない人間になるだけのことです。他人との関わり合い方や距離感なんてのは、生活してゆく中で喜怒哀楽を感じながら身につけてゆくものではないでしょうか。だから、子育てに必要なのは守ってあげる事ではなく支えてあげることなんじゃないでしょうかね。

そういえば昨年どうしても耳鳴りが止まらないという人がいました
ずっとおかしいなぁと考えていたのですが、原因に気がつくのに1年近くかかってしまいました。しかし、唐突に思いついて、


「あほみたいにうがいをしていませんか?」


と質問してみました。
すると、正解だったようです。うがいだってやらずにすむ体が丈夫だという事です。のどだって過保護にしてしまうと弱ります。喉は弱いけど体はばっちりですなんていうのも当然ありえませんかあら、耳鳴りだって止まらなくなってしまいます。


マスクをして生活していれば、マスクなしでは生きていけない体になります。
そんな体で、


「私はマスクをしていれば健康でいられる。」


なんて考えているのです。
私には不老不死を追い求めた藤原鎌足や始皇帝の姿が浮かんできますね。きっと頭がいいからこんな勘違いをしてしまうということなのでしょう。


まぁ、この考えが妥当なものかは、後世の歴史家たちに委ねる事にしましょう。
始皇帝、李斯、そして藤原鎌足は自分の生き方を恥じるような事はなかったと思います。後生の人たちに何をいわれようが、私は私の生き方を全うするだけですかね。マスクを利用したければすればいいでしょう。しかし、マスクをするということの意味をちょっとは考えてみてもいいんじゃないでしょうかね。


関連カテゴリー< ブログ耳鳴り(耳なり)
<戻る 3839404142434445464748
出張整体
品川での整体指導予約受付中
名古屋での整体指導予約受付中

RSS

月別

自律神経整体院
075-888-3495